魔人災害の果てに紡がれる勇者の娘と辺境伯の物語~虐げられた少女は辺境のオジサマに救われた日を忘れない~

灰色テッポ

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第十三話「成人」

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 宰相と一戦を交える──

 ソレイユが告げたこの不穏な命令に顔色ひとつ変えることなく了解したオリガは、王都でソレイユと宰相との間に何があったのかを聞かされた。

 そこで初めてルーナの身に危機が迫っており、その首謀者が宰相である事を知る。

「つまり、いつの間にかに我々は宰相閣下に追い詰められていた。と言うわけですね」

「ああ、かなり不味まずい状況だね」

「なるほど……」と頷いてみせたオリガであったが、どうにも釈然としきれない。 
 元密偵のオリガにとって、宰相の動向を見落とす事態が信じられなかったからだ。
 
 ゆえに「しかし」と小首をかしげながら、宰相の言った事は本当なのでしょうかとソレイユに問い掛ける。

「ブロッド侯爵とダミアンはもちろんの事、宰相閣下といえども情報部の網から漏れるとは思えませんが……それに宰相閣下がわざわざ公言するのもせません」

 オリガの宰相に対する疑念は当然である。ソレイユにルーナの奪還を公言すると言う事は、わざわざ敵に対策を立てる時間を与える様なものなのだから。
 敵の手の内を知ってと知らぬとでは、対策への難易度が全然変わるというのに。

「まあ、それだけ宰相には奪還への自信があったんだろうさ」

「自信があるから手の内を晒す? 自惚れですか? ちょっと理解できませんね」

「んー、あとはあれだ、たまたま俺が王都に居たものだから、例の悪癖が抑えられなくなったってのもあるんじゃないかな」

 途端、オリガは眉根を寄せて嫌な顔をした。実際にその理由が一番腑に落ちたのがさらに彼女を不快にさせる。

「宰相閣下の悪癖というと、人をなぶって苦痛に歪む顔を見るのが大好きというアレですか……」

「うん。現に俺のこと見て喜んでいやがったよ。ああムカつく!」

 宰相の悪癖の犠牲になった自分の上官をちょっぴりだけ気の毒に思いながらも、オリガはそれと引き替えに手の内を知れた事に幸運を感じた。

「個人的には情報部の諜報網に瑕疵があった事に疑問は残りますが、とにかくその可能性だけは情報部に伝えておく必要がありそうですね」

「あ、それはもう俺からコスナーに伝えてあるよ」

「長官に王都でお会いに?」

「うん、結論から言うと情報部内に宰相の協力者がいるというのが俺とコスナーの答えだ。いつでも俺たちの目と耳を塞ぐ用意があるからこその宰相の自信ってところかな」

 元密偵のオリガにとって、それは最悪な結論であった。仲間に裏切り者がいるなどとは正直思いたくはない。
 だが合理的に判断すればその結論が最適解だろう。
 
「了解しました。では宰相閣下からルーナ様を守る為の作戦の立案を急ぎましょう」

「ああ、俺たち二人での戦いになるが、よろしく頼むよ」

「二人での? それは違いますわ」

 思いがけないところで否定され少し驚いたソレイユは、オリガの向けた視線の先にいる少女を見て我知らず破顔した。

「そうだね、確かにこれは俺たち三人での戦いだ」

「もちろんです」

 やがて二人の軍人はその身を翻すと、宿に置いた執務室へと歩きだしたのであった。


 ルーナは作業で疲れた腰を伸し、「ふぅ」と大きく息をつく。そして汗と泥とで汚れた顔をタオルで拭おうと、被っていた麦わら帽子のつばを上げた。
 すると視界の端にソレイユとオリガが連れ立って農地を後にする姿が見えた。

「…………」

 前々からルーナは思っていたのだが、ソレイユとオリガが肩を並べて歩く姿は、まるでお似合いな恋人同士の様に思えてしまう。
 もちろん二人が仕事での上官と副官という関係である事は知っている。それでも大人の事情というものがあるかもしれないと、少女は罪のない想像をしたりした。

(だったら何でオリガさんは、オジサマを恋の相手に考えてみろなんて私に薦めたのかしら?)

 今ではオリガの人柄をよく知るルーナは、自分が揶揄からかわれたとは微塵も思ってはいない。だからこそ余計に不思議であった。

(あんなに仲が良いのだもの、オリガさんこそオジサマの恋の相手に相応しいんじゃないのかな……)

 途端、ルーナの胸がチクリと痛む。

「ん?……」

 さらに何だか息苦しくなった様に思えたルーナは、自分に起きている小さな異変にドキリとした。

(えっ? まさか熱射病!?)

 その苦しさの原因を夏の強い日射しがもたらす病と勘違いしたルーナは、腰に提げていた革製の水筒から慌てて水分を補給する。
 魔法で特別に調合されたその飲み物は、すぐさまルーナの身体に水分を吸収させると同時に、僅かだが体温も下げてくれる優れものだ。

「危ない危ない! 今日は暑いから気をつけなくっちゃ」

 独り言を呟きながら見上げた太陽は、ギラギラとして眩しい。
 ゆっくりと目を閉じたルーナの瞼の裏には、なぜだか亡くなった父親の顔が浮かんで見える。農夫として一緒に畑を耕していた頃の、日に焼けた父親の顔が。

「うん、大丈夫だよ。私、お父さんの分も頑張るからちゃんと見ててね!」

 ルーナにだけ見える父親への返事の意味は、ルーナにしか分からない。
 しかし屈託のないその笑顔からは、ルーナと父親の会話に明るい何かが感じられた。

 それを裏付けるかの様に「さあ、もうひと頑張り!」と、弾んだ声が被災地にと響く。
 ゴシゴシと少し乱暴にタオルで顔の汗と泥を拭ったルーナは、再び鍬を太陽に向かって振り上げた。


 その日の夕方、浄化作業を終えたルーナが宿へと戻ると、待ち構えていたメイドに湯浴ゆあみの準備が出来ていると告げられる。
 農作業で慣れているとはいえ、汗と泥とでベトベトになっている身体は気持ちが悪い。

 だからこうして湯の張った大盥おおだらいを見ると、毎日の事ながら感激してしまうのだ。
 井戸の清冽な水での行水も悪くはないのだが、温かい湯をふんだんに使えるという贅沢は格別なものがある。

 その湯で身体を洗い流すとまるで疲れまで洗い流してくれる様で、ルーナはつくづくとその有難味を噛みしめてしまう。

(ふぅ……私も今日で十六歳かあ)

 アンドラル王国では十六歳をもって成人としていた。つまりこの日、誕生日を迎えたルーナは成人となったわけだ。

 とはいえ男子は平民でも盛大に祝う慣わしだが、女子にはそういう慣わしはない。
 ただ各々それぞれの家庭では、娘の好物などを用意して祝いの気持ちを伝えるくらいはしたようだ。

 もちろんルーナは祝いについての関心などは持ってはいないが、自分が大人になったかどうかの関心はあったらしい。
 なので大盥の中で自分の裸をまじまじと見つめていたのだが。

「……ちがう」

 一体何が違ったのだろう? ルーナは溜め息と共に露骨な落胆をみせる。

「こんなの大人の身体じゃない!」

「まあ、どこが大人じゃないのですか?」

 ルーナの嘆きの声を聞き思わずそう訊ねたメイドは、最初聞かぬフリをするつもりでいたのだ。
 しかし自分の身体に関心を持つルーナという少女に、かつての自分を重ねたのだろう。その態度が愛らしくてつい口を挟んでしまった。

「どこって、えっと、あの、その……」

 顔から火を出しながらも一生懸命に言い訳をしようとするルーナを、メイドは微笑ましく思う。

「ふふ、大丈夫ですよ。とても綺麗なお身体ですわ」

「ち、違うんです! いえ、違わないんですけど……私、今日で十六歳になったものだから、何となく……」

「まあ!」

 メイドは喜ばしげに驚きルーナに成人の祝いの言葉を述べた。しかし同時にそんな大事を知らされていない事を、不審にも思ったらしい。

「うーん、それは多分オジサマが知らないからだと思います。私も言っていませんし」

 ルーナは大盥から立ち上がり、メイドにタオルを巻き付けられながらそう答える。

「まあッ、何て事でしょう! わたくし早速お知らせしてまいりますわ」

「あっ、待って!」

 ルーナはソレイユに余計な気を遣わせたくはなかったのだが、部屋を飛び出して行ってしまったメイドを裸で追いかける訳にもいかない。
 諦めて服を着ていると、驚いたことにソレイユが部屋の扉をノックしたのだ。

──はやっ!

「ルーナ、部屋に入っていいかい?」

「だ、駄目です! まだ着替えが終わっていないんで!」

「ごめんよ、君の誕生日を秋だと勘違いしていたんだ。酷いよね。あやうく成人の祝いもしてあげられないところだった。俺は保護者失格だっ!」

「い、いやオジサマ、大袈裟ですよ……」

 何だかドアの向こうからソレイユの激しい自虐の言葉が聞こえてくる。特に誕生日に思い入れのなかったルーナは、かえって戸惑ってしまった。

「痛い! 痛いよオリガ、あっ、イタッ! 無言で蹴るのはやめてくれえ」

(こ、今度は何っ?)

 外ではオリガまで登場して大変な事になっていそうだと、ルーナは着替えを早め慌ててドアを開ける。
 するとその途端、待ち構えていたソレイユにがっしりと腕を組まれた。

「さあルーナ、これから町の酒場に行って君の成人のお祝いをしようじゃないか! 大人っぽくていいだろ?」

「ええ!?」

 怒涛に流される如く状況についていけないルーナは、オリガに助けを求めたのだが。

「折角ですので、今日はソレイユ様とお二人でお祝いなさるのが宜しいかと。後日あらためて私もお祝いさせて頂きます」

 そうにこやかに話すオリガは、今日に限ってはソレイユの無茶の後押しをする始末である。
 これはもう観念するしかないのねとルーナは覚るのであった。
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