魔人災害の果てに紡がれる勇者の娘と辺境伯の物語~虐げられた少女は辺境のオジサマに救われた日を忘れない~

灰色テッポ

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第十一話「宰相」

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 王宮内の参謀本部でソレイユが王国軍北方司令官としての仕事をようやく終えたのは、もう深夜になると言う時刻である。
 昼間の珍客たちに悩まされた彼は切実に危機感を持ち始め、事務官に面会謝絶の札をドアにと貼る様にと命じる事にした。

 当然部屋の外にいた大勢の紳士淑女から、事務官が恨まれたのは言うまでもない。

(許してくれたまえ事務官君……)

 しかし一刻も早く領地へと戻りたかったソレイユは、心の中で彼に詫びながらも仕事に集中できる事に安堵したようだ。

 珍客たちの恨みを一身に背負った哀れな事務官を早目に帰宅させてあげ、一人執務にいそしみ続ける。
 そしてついに最後の書類に判を押し、大きく伸びをすると解放感を満喫した。

(やれやれ疲れた……)

 遠くから音楽が聞こえてくるのは、宮中のどこかの広間で夜会でも催されているからなのだろう。
 仕事中に聴けば神経を逆撫でしかねない愉しげな音楽は、幸い強い集中力によって遮断されていたらしい。

 こうして仕事から開放された今だからこそ、普通に心地よく聞くことが出来るというものである。

(ルーナもいつかは夜会に連れて行ってやらなくちゃだ)

 綺麗なドレス姿のルーナを思い浮かべて相好を崩すソレイユは、まるで親バカのようにも見える。
 まだ正式な貴族の娘ではないルーナであるが、いずれ形式上どこかの貴族の養女にならねばならないだろう。

(いっそ俺が養女にしてしまおうか……)

 だが二の足を踏んでしまうのは、貴族の娘になる事がルーナの幸せになるとは限らないと思うからだ。
 貴族となる以外にも彼女が幸せに生きる道があるのなら、それを選んで欲しい。

(──しかしその前に、ダミアンとの婚約を何とか破棄させねばならないな)

 その喫緊の難題を解決しない限り、ルーナの将来を明るいものにする事は出来ないだろう。
 ソレイユは解決までの時間の猶予がもう余りないという切迫感を覚えながら、執務室を後にした。

 出口へと向かう廊下の途中で、ソレイユはこの国の宰相であるギュンター公爵と行き合った。宰相は政治閥貴族の長にあたる存在で、軍閥貴族の王国軍総司令官と共に国の双璧をなしている。
 残念ながらこの双璧は仲が悪く、軍閥貴族に属するソレイユにとってはあまり会いたい人間ではない。

 言葉を交わせる距離までの僅かな時間で着崩していた軍服を直したソレイユは、身分が下である自分から挨拶をした。
 それに鷹揚に応えた宰相は、肥った身体を揺らしながら話し掛けてきたようだ。

「これはソレイユ卿、こんな夜遅くまでお仕事でしたか?」

「はい、恥ずかしながら仕事を溜め込んでしまいまして」

「それはご苦労な事だ。私は夜会から逃げ出して来たところです。老人の身にはいささか堪えましてな」

 卒のない愛想良さを振り撒く宰相であったが、その目は油断なく光っている。ソレイユは正直こういう古狸の様な男は嫌いで、さっさと退散しようと思ったのだが──

「そうそう、勇者殿の娘の、確かルーナという名でしたかな? 何でも瘴気を浄化する凄まじい能力をお持ちだとか?」

 どうやら宰相の方はソレイユを放すつもりはないらしい。むろんお喋り好きの老人だからという訳ではなく、そこには彼の思惑がある。
 要するにルーナの持つ能力の噂を聞いて、そこに政治的利用価値があるかを見極めたいのだろう。

 なるほど、こうして夜中の廊下で宰相と行き合ったのも、偶然ではなかったわけだ。

「はい、我が領内もルーナ嬢には大いに助けられております。しかしまだ少女ゆえ能力の管理も難しく、浄化の完了までは長い道のりかと」

 ソレイユは嘘ではないが本当でもない様なぼかした返事をした。
 政治閥貴族というのはブロッド侯爵の態度でも分かるように、政治的利用価値のあるものに対して貪欲だ。しかもその派閥の長である宰相に目を付けられてしまった以上、警戒の上に警戒を重ねる必要がある。

 二度とルーナを政治に利用させる様な事があってはならないのだ。
 いや──決して利用などさせるものかと、ソレイユは胸中に強い気迫を込めた。

「なるほど、なるほど。いやしかし王国の役に立つ能力である事は間違いなさそうですな」

 この老獪な男と腹の探り合いをしたところで、ソレイユに勝ち目は無かろう。ゆえに長居は無用とばかりに「それではこれにて」と辞去をした。
 だがソレイユはこの時点で、もうすでに宰相の後手に回っていたのである。

「おっと言い忘れておった。ソレイユ卿、貴殿が一時的に保護しているそのルーナ嬢の事だが、ブロッド卿も娘への仕打ちをいたく反省しておりましてな」

 さっきまでの愛想の良さを消し去った宰相は、代わりに鋭い眼差しをソレイユにと向けた。

「先日もご子息のダミアン殿が国王陛下に、涙ながらに懺悔され申しての」

「えっ!」

 思わず驚きを声に出してしまったソレイユはその失態を恥じる。いやそれよりもブロッド侯爵家の動向を見落としてしまった己の迂闊さに愕然としていた。

「それで陛下も大いにお気持ちが動かされたようじゃ。そういう訳でしてな、近いうちに新たな御沙汰が下されると心得ておくがよろしかろうよ」

 立ち竦むソレイユを舐める様に見た宰相は、うっとりとした目をしてウフっと吐息を漏らす。
 粘りつく様な気持ちの悪い視線の糸を引かせたまま、宰相のギュンター公爵は薄ら笑いを浮かべて去っていったのだった。

 ソレイユは酷く不潔なものを浴びせられた様に感じたが、正直そんな事はどうでもよいと思うほどに動揺している。

(つまり、宰相とブロッドが組んで、ルーナの奪還に動いていたわけか……)

 その場で強く唇を噛みながら、さっき猶予はないと予感した事が本当になってしまった事への焦燥に身が焼けるようだ。

(くそっ! 動揺している場合じゃないだろッ!)

 ひとつ大きく息を吐くと、ソレイユはその目に力を込めて光らせた。

(必ず守り抜かねばならないんだ。そう俺は誓ったんだ)

 それは戦友であった勇者の娘を守ってやりたいという気持ちだけでは最早ない。
 ソレイユ自身がルーナを守りたいのだ。その想いが何処いずこより生まれしものなのかを、そっと胸の奥にと隠したままに──


 翌日、一刻も早く自領へと帰りたい気持ちを抑え込みながら、ソレイユは再び王宮内の参謀本部へと赴いていた。
 自らが所属する派閥の長である王国軍総司令官に昨夜の宰相との話を報告する。むろんルーナの奪還阻止の協力を仰ぐためだ。

 同様に参謀本部にいる軍閥貴族たちと片っ端から面会し、協力してくれるように頭を下げて回った。
 皆一様に頼もしい返事をしてくれた事にソレイユは感謝する。むろん借りを作りまくっている結果になるのだが、ルーナの為の借りならば惜しいとは思わない。

 そして最後に赴いた先が軍の情報部である。情報部は参謀本部とは管轄を異にする独立組織であるが、連携は密にとっていた。
 それゆえ本来は余所者であるソレイユでも、事前の連絡なしに訪れることが出来る。

「冗談はよせ! 我々が宰相閣下の情報を故意に隠蔽するとかありえん事だッ」

 そう声を荒げたのはこの情報部の長官を務めるコスナー伯爵という壮年の男だ。
 彼にとってソレイユは親しい友人でもある。なので遠慮のない質問は望む所ではあったが、いきなり嫌疑をかけられては気分を害しても仕方ない。

 ソレイユとて乱暴なのは分かっていた。しかし故意に直截的表現を使って反応を見る必要性があると感じたのだ。
 果たしてその反応を見るにコスナーは嘘はついていない様である。

「すまんな、別に疑っているわけでは無いんだ。許してくれ」

「いや、その程度の情報を見落としたのは明らかに我々の落ち度だからな……しかし何故にこんな下らん失態を」

 ちなみにこの情報部長官はかつてオリガの直属の上司でもあった。

「そこなんだ。国王陛下との謁見など情報の収集においては難易度の低いものだろ? おかしいと思わんか?」

 ソレイユの問い掛けにコスナーは苦虫を噛み潰したよう顔をした。

「つまり、情報部内に宰相閣下の協力者がいるという事か……」

「かもしれん」

 そうなると事は非常に厄介である。情報部としてはこの様な事態を避けるため、特定の人物を担当し続ける密偵を置いてはいない。
 万が一癒着して密偵が対象人物の協力者になる事態を危惧しての方針だ。

 だが、今回の様に裏切り者が出た場合、その特定をより困難にするという欠点もある。
 大勢の密偵の中から捜しだすのは骨の折れる仕事となるだろう。

「あの古狸は俺たちが考えているよりずっと深く潜り込んでいるかもしれんね」

 ソレイユは悪びれた様子もなく宰相を揶揄した名で呼んだ。

「だろうな。ブロッドの謁見はいずれ明るみにはなったであろうが、わざわざ先にお前に種明かしをしてきたくらいだからな。自信があるんだろうよ」

 舐められたものだと舌打ちをしたコスナーは、一つ鼻で笑ったかと思うと不敵な顔を作ってソレイユに言った。

「だが掃除はお手の物だ。綺麗にしておくさ」

「ああ任せるよ。ただ、どれくらいかかりそうだ?」

「際どい問題だからな、すまんが半年はみておいてくれ」

「そうか、それが聞けて良かった」

 コスナーは怪訝な顔をして「良くはないだろ、天邪鬼め」と、少し申し訳なさそうにする。
 しかしソレイユは微かに口角を上げながら、「いや、良かったんだ」と言い、また来るよと言葉を残して長官室を後にした。

(宰相の奴とサシで勝負をする覚悟がついたんだ。俺にとっては良かったのさ──)

 では帰ろうかと独りつと、ソレイユは自領へと向けた一歩を力強く踏み出したのであった。
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