魔人災害の果てに紡がれる勇者の娘と辺境伯の物語~虐げられた少女は辺境のオジサマに救われた日を忘れない~

灰色テッポ

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第一話「魔人」

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「なあルーナ、父さんな、勇者になったみたいなんだ」

 その日の朝、アンドラル王国に暮らす農夫の娘のルーナは、父親が真顔で言った冗談らしきものに溜め息をついた。

「はいはい、今日は朝から畑仕事で忙しい日なんだから、さっさと顔を洗ってきて朝ごはんを食べちゃってね」

 早くに母親を病気で亡くしたルーナは、今年で十五歳になる平凡な少女である。父と娘だけで暮らすその農夫の親子は、貧しくも穏やかな日々の中に生きていた。
 しかしこの日を境に二人の運命の歯車は、大きな転換を迎える事となる──

 太陽がとっくに中天にかかっているというのに、二人は畑に行く様子もなく家で口論を続けていた。

「もういい加減にしてよ! 農夫のお父さんがなんで魔人と戦うのよ? 鍬しか持った事のないお父さんが、魔人なんかと戦える訳がないじゃない!」

「そうじゃないんだよルーナ。何度も言うが、昨日の夜に神様が父さんの事を勇者になさったんだ。勇者になって魔人と戦えと仰った。これは神様による奇跡なんだよ」

 ルーナにとって父親の話はとうてい納得できる内容ではない。むしろ父親の精神の異常を疑うほどの事である。
 だからこうして朝からずっと口論が続いていたのだ。

「百歩譲ってお父さんが魔人と戦うとしても、この村よりずっと北の土地に魔人が現れたんでしょ? お父さんがそこに着く頃にはもう魔人なんか居なくなっているわ。いつだってそうじゃない、魔人は突然現れて、散々暴れてまた突然居なくなるんだもの」

 この世界での魔人による災害は、自然災害の一つとして認識されていた。純然たる破壊だけを目的として現れては消える。それは地震や台風と言った災害と全く同じ自然現象に似ていたからだ。

「いや、今回の魔人はそれとは違う、二百年に一度の大災害をもたらす特別な魔人なんだ。だからこそ神様は父さんを勇者になさったんだよ」

「なによそれ、そんなの聞いた事もないわ! さっきから父さんは嘘ばっかり、もうウンザリよ!」

 だがそれはルーナが知らないだけで嘘ではない。大小様々な規模で起こる魔人災害だが、およそ二百年の周期で国を滅ぼしかねない破格の魔人が現れるのは事実である。
 そしてその魔人は勇者にしか倒す事が出来なく、故にその出現に合わせて勇者もまた必ず現れた。

 とはいえ今やそれは歴史の中での出来事である。簡単な読み書きと計算の教育しか受けてこなかったルーナが、知らないのも無理はない。

「嘘ではないよ、父さんは勇者だ」

 つまりルーナの父親が勇者になったという現実は、今回の魔人の出現がアンドラル王国の存亡にかかわる大災害である事を示唆していた。

「勇者勇者って、子供みたいな事を言うのはやめて! だいたい神様って一体誰よ? 本当にいらしたのなら、ご自分で魔人をやっつけちゃえばいいじゃない!」

「神様は神様だ、罰当たりな事を言うな」

「魔人にしたって私たちには関係のない事でしょ、この村には魔人の被害なんか全然出ていないんだから!」

 感情的になっているルーナに、父親は辛抱強く言いさとした。

「駄目だぞルーナ、災害を他人事ひとごとの様に言っては駄目だ。こうしている今も、勇者としての父さんの助けを待っている人が沢山いるのを忘れるな」

 もうこの繰り返しを今朝から何度した事か分からない。父親の不条理に怒りを覚えていたルーナであったが、もはやその感情が悲しみへと置き換わっていくのを感じていた。

「もういいよ、お父さんは私を捨ててこの村を出て行きたいだけなのよ……」

「馬鹿を言うな! そんな訳ないだろ」

「じゃあ何で勇者になったなんて嘘を言うの!? お母さんも死んで、お父さんまで出て行ってしまったら私は一人ぼっちになっちゃうんだよ?」

「だから嘘ではないと言っているだろ? 勇者になって戦う事が、父さんに神様がお与えになった運命なんだって」

「そう、だったらお父さんは私のためにお父さんでいる事よりも、知らない人のために勇者になる事を選んだって事ね……そんなの酷いよっ、私を置いて行かないでよッ!」

 するとルーナの父親は苦しそうに顔を歪め、「それは……」と言葉を詰まらせる。
 しかしその後に続いた一言は、ルーナにとってあまりにも無情であった。

「許してくれ、ルーナ」

 
  ◇*◇*◇*◇*◇



 またあの日の夢かと、ルーナは小さな溜め息をつく。それはルーナにとっての魔人災害が始まった日の夢──

 寝たままの姿勢で窓の外に視線を移すと、夜の余韻をゆっくりと消していくような朝の光がぼんやりと見えた。
 起きるにはまだ早い時間であったのでルーナはもう一度寝ようかと思ったが、やがて訪れる一日の事が頭をよぎると緊張で目がさええてしまった。

(はぁ、もう眠れそうもないし、起きようかな……)

 ルーナは弱々しく豪華なベッドから這い出して、水差しから洗面器へ水を取り自分の顔を洗う。
 農夫の娘として生活していた時とは今は何もかもが違った。庭へと飛び出して、井戸の清冽な水でバシャバシャと顔を洗っていた頃が懐かしい。

(お父さんと二人で暮らしていたあの日に戻りたい……)

 贅を尽くしたような部屋を見渡したルーナは、いま暮らすこの侯爵家での生活が辛かったのだった。

 およそ半年前、アンドラル王国の五分の一を壊滅させた魔人災害は、勇者と王国軍の活躍により終結を迎える。その勇者とはまさにルーナの父親であった。彼の言っていた事は事実であったのだ。
 甚大な被害を被ったとはいえ国家存亡の危機を免れたのである。ゆえに魔人を倒した勇者の功績は計り知れない。

 だがその勇者であるルーナの父親はその功績を讃えられるいとまもなく、まるで大樹が自壊して崩れるように死んだ。死因は三十五歳にして老衰であった。
 
(確か今日の午前中は読み書きの授業と、あと何だったっけ。そうだ、礼儀作法についてだったわ)

 今のルーナの毎日は、貴族として恥ずかしくない教養と作法を叩き込まれる日課で埋まっている。
 それゆえ根が真面目なルーナは朝食までの時間、読み書きの復習をしておこうと教本を開き、蝋板に鉄筆で書き取りの練習をすることにした。

 小さな文字が蝋板を埋め尽くした頃に、部屋のドアをノックする音がした。ルーナ付きのメイドがやって来たのだろう。

「おはようございますルーナ様。朝のお支度に参りました」

「おはようございます。よろしくお願いします」

 笑顔であいさつするルーナに対してメイドは始終無表情で、淡々と自分の仕事をする。話し掛けたりするとメイドは明らかに嫌な顔をするので、今ではルーナもあいさつ以外はなるべく話さないようにしていた。
 こういうのが貴族の生活なのかと納得していたルーナであったが、小さな寂しさを覚える事からはやはり逃れられない。

 だがこれから始まる一日の辛さに比べれば、この程度は些細な出来事に過ぎないのだ。

「ではルーナ様、ご朝食の用意が出来ておりますのでダイニングまでお越し下さい」

 髪を整え着替えを終えたルーナはメイドにそう告げられてダイニングへと行き、そこで同席者が来るのを待つ。
 程無くすると侯爵家当主のブロッド卿と、彼の次男であるダミアンが現れた。

 そしてこのダミアンこそが、ルーナの婚約者その人であったのだ──


「今朝はこの三人での食事だ。妻はお前との同席は断ると申しておる。テーブルマナーもろくに身に付いていない農夫の娘とは、食事を共にはしたくないらしい」

 ブロッド卿はそう吐き捨てながら椅子に座ると、ジロリとルーナを横目でにらんで続ける。

わしとて気持ちは同じだが、国王陛下の命である以上は仕方がないわ」

「同感ですな父上。この娘と食事を共にすると馬小屋の臭いがして吐き気がします。おおかた馬糞まぐその臭いでも染み付いているのでしょうな」

 ああ、今日もまた始まるのねと、ルーナは心の中で唇を噛みしめながら、小さく「すみません」と謝った。

 そんな緊張で震えるルーナの事などお構い無しに、ダミアンはさらに厳しい言葉を投げかけた。

「家庭教師たちの話しでは、お前はかなりの馬鹿らしいな。貴族の礼儀作法はおろか読み書きもまともに覚えず、教養の欠片も理解できない。まったく猿に芸を仕込む方がまだましと言うものだ」

「申し訳ございません……」

「その陰気な顔をやめろ! ただでさえ平凡でつまらぬ顔が、余計に見映えが悪くなって食が進まぬっ」

 そう怒鳴ったダミアンは朝食に饗された茹で玉子をルーナの顔へと投げつけると、潰れた半熟の黄身がルーナの顔を汚した。
 ルーナは泣きたくなる気持ちを堪えて俯く。毎日浴びせられる言葉の暴力は、ルーナの心に恐怖を刻み蝕んでいった。あらがすべもないまま深く深くへと……

「チッ! この俺の婚約者がこんな農夫の娘とはな、とんだ貧乏くじを引いたものよッ」

「これダミアン、国王陛下の命であるぞ。未練な事を言うではない。それにこの婚約は我ら侯爵家にとって、政治的地位の向上にきっと役に立つ」

 ブロッド卿が言った様に、ルーナと侯爵家令息との婚約は国王の判断による勅令ちょくれいであった。この決して逆らう事のできない運命を考える時、ルーナはいつも思う。

(私、何か神様に嫌われるような悪い事をしたのかな……)

 父親が神により勇者になったあの日から、ルーナの運命はその神によって翻弄され始めたのだから。
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