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第二十三話 隠れ家

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「イヤですグロリエン様っ、何処にも行かないで下さいッ!」
「でもなヘルミーネ、逃げたあの男を追わないとならないだろ?」
「そんな男の事なんてどうでもいいわ!」
「お、お前。一体どうしたんだよ?」

 ひしとグロリエンにしがみつくヘルミーネは、ただただ首を横に振り続け「どうもしていませんっ」と、イヤイヤをしていた。

「わかったよ、何処にも行かない。だから少し落ち着こうか」

 どうせ今から使用人の男を探しても、見付けられる可能性は少ないだろう。それよりもヘルミーネの尋常でない様子の方が心配である。
 とはいえグロリエンにはその原因の予測はついていた。

 使用人の男が自分たちに恋のまじないをかけた直後、勇者の加護が精神攻撃を無効化させている。
 となるとそのまじないが何らかの精神攻撃、おそらく呪いの類いのものであったと考えるのが自然だ。

 つまりヘルミーネだけがその精神攻撃を食らい異変を生じさせたのだろう。
 彼女の様子を見るにそれは魅了系の呪いのように思えたが、解せない点が一つある。

(なぜヘルミーネは俺に魅了されているのだろうか?)

 通常魅了系の呪いをかけられた者は、術者に魅了されるものなのだ。なのに今回はそれに該当していない。
 とはいえグロリエンも呪いに詳しいワケではないので早合点は禁物だ。

(とにかく何とかしないとだな……)

 グロリエンはヘルミーネの頭を撫でると、痛ましそうに目を細めた。
 それにしてもグロリエンらしからぬ失態である。当然その自覚は本人にもあり、己の迂闊さに唇を噛み締める。

(だが今は後悔よりヘルミーネをどうにかするのが先だ)

 幸いここに居るのは自分とヘルミーネだけで、まだ誰にもこの状況を見られてはいない。ならば今のうちに舞踏会から退場しておくのが最善だろう。
 今のヘルミーネの様子を誰かに見られたならば、彼女の名誉に傷がつく恐れがあるのだ。それだけは避けねばならないと、グロリエンは眉間に皺を寄せて思案した。

 そんなグロリエンをヘルミーネは不思議そうに見ている。
 するとおもむろに彼の頬をチョンチョンと突っついた。

「グロリエン様、どうかされましたか?」
「あ、いや、これから俺の隠れ家に移動しようと思ってな。しばらくお前と二人で過ごす事になるが我慢してくれ」

 グロリエンが言った隠れ家とは、万が一に備えてバリアに用意しておいた王家の緊急避難場所を指す。
 まさかこんな形で役に立つとは思っていなかったが、人目を避けるには調度いい。

「まあ! 二人っきりで?」
「も、もちろん破廉恥な事を考えているワケではないぞ!?」
「そうなのですか?」
「あ、当たり前だ!」

 グロリエンは少し慌てて釈明すると、自分を見つめるヘルミーネの瞳が潤んでいてやけに色っぽい事に気が付く。

「それは私に魅力がないから?」
「ち、違う! そうじゃないっ」
「じゃあどうして?」

 身体を寄せて矢継ぎ早に質問を浴びせてくるヘルミーネに、グロリエンは狼狽しきっている。

「私じゃイヤ?」

 これは困った事になったぞと思った彼は、自分の頬をパンッと叩いた。

「と、とにかく! 急いで移動しようッ」
「まあっ、頬が赤くなってますわ。私がフーフーして差し上げます」
「いや、大丈夫だから……」

 何に困ったかと言えば、理性との葛藤を強いられるヘルミーネのこういう態度にである。
 グロリエンにとって今のヘルミーネが、思いがけずに可愛いのだ。

(ずっとこのままでいいかもしれない)

 などと思ったりもしている自分を、グロリエンは一喝した。呪いで魅了されているヘルミーネに対して、そういう気持ちを抱く自分はなんという卑怯者であるのかと。

(俺は馬鹿かっ!)

 煩悩を振り払うようにしてもう一度頬をパンッと叩いたグロリエンは、ヘルミーネの手を引いて密やかに屋敷から抜け出したのであった。

 ◇*◇*◇

 街の暗闇の中で息を潜めてじっと気配を窺っていたアスマンは、追跡者がいない事を確認するとホッと胸を撫で下ろした。
 彼にとっても今回の作戦は命懸けであったのだ。実際比翼の鳥の加護を使った瞬間、グロリエンはアスマンの想像より早く精神攻撃に気付いていた。

(いやはや公爵令嬢様々だ……)

 その時の事を思い返したアスマンは、背中に冷たい汗を流して身震いした。もしヘルミーネがグロリエンに抱きついていなかったら、アスマンは間違いなくグロリエンに捕らえられていたろう。
 それにしてもヘルミーネの素早い動きは、確かに勇者の加護に匹敵していた。いやそれ以上だったかもしれない。

(さて、狂気の愛は王太子を殺す事が出来るでしょうかね。ふふ、期待してますよ古今無双の公爵令嬢さん)

 平和友好会議は明日から始まる。相談役として出席するアスマンにすれば、あとは何食わぬ顔をしてグロリエンを監視していればいいだけである。
 暗闇で変装を解き素顔を晒したアスマンは、不敵な笑みを浮かべて再びその暗闇へと溶け込んでいった。

 ◇*◇*◇

 その隠れ家はバリアで職人街と呼ばれる場所に用意されていた。雑然とした街並みの外れにありふれた感じの靴屋があり、そこにフェンブリア王国の工作員を一人駐在させてある。
 夜もだいぶ深まった時間なだけに辺りに人の気配はない。それでもグロリエンは用心深く店の扉をノックした。

 いかにも中年の職人という風体の男がドアを開けると、グロリエンとヘルミーネは滑り込む様にして中へと入る。
 職人風の男が工作員である事は今更言うまでもないだろう。彼は誰にも見られてない事を確かめると静かにドアを閉めた。

「いいか、ここで起こる俺とヘルミーネに関する全ての事を忘れろ。分かったな」

 工作員が部屋へ戻るのを待って、グロリエンは強い口調で彼にそう命じた。
 その緊張感のある様子から工作員はすぐにただならぬ事態の発生を覚り、彼もまた緊張した顔で「畏まりました」と頷く。

「俺たちはしばらく地下室へ籠るが、命令があるまでは近寄らなっ──ウッ!」

 だがここに一人だけ別の意味で緊張している者がいる。ヘルミーネである。
 彼女はグロリエンの脇腹にかなり強烈な肘打ちをしたかと思うと、顔を真っ赤にさせてモジモジした。

「やだもうグロリエン様ったら……」
「くぅっ。い、痛いじゃないかヘルミーネ。いきなり何するんだよっ」
「だって……私にも心の準備くらいさせて下さいまし」
「こ、心の準備とは一体何の事だ」
「まあっ、それを私の口から言えと? グロリエン様のイジワル!」

 揺れる瞳で上目遣いにそう言ったヘルミーネからは、艶っぽい興奮と恥じらいが見てとれる。
 さすがにその様子を見ても察せられない程、グロリエンは鈍くはない。

「あっえっ? 違うぞッ!? お前とそういう事をする為に二人で地下へ籠るのではないからなッ!」

 すると中年の工作員までもがモジモジし出す有り様だ。

「き、貴様まで勘違いするなッ!」

 もう一々説明するのも面倒なので、グロリエンはヘルミーネの手を引いて少し強引に地下室へと向かう。
 とにかく今すぐやらねばならぬのは、ヘルミーネの身に起きている異変を、彼女自身に理解させる事だ。魅了の呪いは知能を低下させたり、精神異常を惹起させるものではない。従って話しは通じるはずである。

 地下室には一通りの生活用具が揃えられており、グロリエンとヘルミーネは各々ソファにと腰掛けた。

「なあ、ヘルミーネ」
「はい」
「そのう、向かいのソファに座ったらどうだろうか……」
「隣に座ったら駄目ですか?」
「駄目という事はないが……」

 身体を密着させて座るヘルミーネにグロリエンは色々と困っている。主に自分自身に困っているようではあるが。

「まあいい。これから俺が話す事をよく聞いて欲しい。お前はいま、魅了の呪いに侵されているんだ」
「私が魅了の呪いに?」

 そう聞いて不安気に顔をしかめたヘルミーネに、グロリエンは自分に分かる範囲で呪いについての説明をした。

「じゃあ私はその術者ではなくて、グロリエン様に魅了されている状態なのですか?」
「そういう事だ。だからいまお前が俺に寄せている好意は、全部呪いのせいだと言えるだろう」
「それは違いますわッ!」
「いや、そうなんだ。だが心配するな、俺が魅了の解呪を試してみるから」
「そうじゃありませんっ。私のグロリエン様に対する好意の全部が呪いのせいだなんて酷いです! 絶対違いますッ!」

 この時のヘルミーネの意識に、どれだけ魅了の呪いが侵食していたかは分からない。
 しかし子供の頃から抱いてきた想いまでもが、呪いに侵されているとはヘルミーネには思えなかった。いや断じてそれは呪いとは関係ないのだ。

「私は小さい頃からずっとグロリエン様の事をお慕いしてきたのだもの! その頃の気持ちまで魅了のせいにしないで下さいッ!」

 ぽかんと口を開け目をぱちくりさせているグロリエンは、贔屓目に見ても馬鹿に見えた。
 彼にとってはそれほど衝撃的なヘルミーネの告白だったのだから、無理もない。

(ヘルミーネが俺の事を慕っていた!?)

 混乱と狼狽で茫然自失となりながら、それでもグロリエンは一生懸命冷静さを保とうとする。
 もしかしたらこのヘルミーネの告白でさえ、呪いが作り出した妄想かもしれないのだ。鵜呑みにしてはいけない。

 するとグロリエンは両手でパンッと自分の頬を叩き、今日何度目かの活を入れたのであった。  
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