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22 さらば欧州

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 翼の小さなフォッカーは着陸速度が速い。おまけに今は三人乗りである。風切り音からすればあり得ない速度で降下しているのが洋一には判る。だが胴体の中に閉じ込められていては、祈ることしかできない。
 接地と同時に天井に頭をぶつける。その後ありとあらゆる方向に揺さぶられた。なんとか停止したときに洋一は心に決めた。金輪際戦闘機の後部胴体には入らないと。
「早く開けてくださぁい」
 情けない声を上げてしまうが、こんな所には一秒だって長く居たくない。外に出ると世界はこんなにも広かったことを洋一は実感した。
「良かった。まだ見つかってないようだ」
 機体から降り立った綺羅は自分の愛機へと歩み寄った。偽装網はそのままで目印の花も昨日と変わらず置かれている。
「できればこいつは燃やしたくなかったんだ」
 洋一にとってもそれは同じだった。彼らは偽装を外し始めた。
 偽装網を片付け、操縦席のガソリン缶を降ろしたところでふと気がついた。今度は機体は三機、人間は三人。そして搭乗員は二人。
「どうします、これ」
 洋一は三機を見回した。
「フォッカーはできれば持ち帰りたいな。飛行可能なフォッカーは海軍も陸軍も手に入れてないはずだ。手土産にすれば、このたびのいろいろをチャラにできる」
 持って帰れたら確かに大手柄だ。いろいろ手間だが苦労する価値はある。
 そうすると二機の十式艦戦をどうするか。持って帰るのはどちらかといわれれば決まっている。一度下を見てから、洋一は自分の愛機を見上げた。
 済まない。そしてありがとう。
 洋一は一度降ろしたガソリン缶に手を伸ばす。燃料は積んであるから、上に掛けるのはこの一缶で充分だろう。最後なら、その仕事は自分でやらなければ。
「決めた」
 不意に朱音が声を上げた。
「私がこの子に乗る。洋一は109」
 思わずガソリン缶を落としてしまう。
「なに云ってんだよ。お前操縦なんて習ってないだろう」
「地上滑走まではやったことあるもん。真っ直ぐ飛ばすぐらいならなんとかなる、はず、多分」
 確かにズブの素人というわけではないだろうが、頼りになるのかならないのか判らないことを云っていた。
「私だって、この子を燃やしたくないの」
 機体が大事なのは搭乗員も整備員も同じ、あるいはそれ以上だったかもしれない。
「決まりだな」
 二人のやりとりを見守っていた綺羅がまとめた。
「そのガソリンはフォッカーへ補充する。ではフォッカーは」
 操縦の技量という意味では難しい方を綺羅に任せて、洋一が綺羅の十式艦戦を操縦した方がいいのかもしれない。
「はい、自分にフォッカーをやらせてください。真っ直ぐ飛ばすぐらいならなんとかなります」
 朱音が危ない橋を渡る以上、自分も渡らなければいけない気がした。
「よく云った。フォッカーは着陸速度が速いから気をつけるんだぞ。これから最低限のことを教える。無線の周波数も合わせておこう」
 離陸準備を整えているうちに、木立の向こうが輝き始めた。もうすぐ夜明けだ。
 三機が並んでエンジンを轟かせ始める。確かにこのセルスターターは便利だ。十式艦戦は二人居ないとエンジンを始動できないが、フォッカーはその気になれば一人で十分だった。
「では先に上がるよ」
 暖気の済んだ綺羅が滑走を始める。真横から差し込む陽光を浴びて、真紅の尾翼の十式艦戦は軽々と上がっていった。
「じ、じゃあ、次は私ね」
 朱音のうわずった声が声が聞こえてくる。
「いいか、自分で水平にしようと思うな。速度が上がれば自然に後ろが上がるから。むしろ常に少し引っ張り上げる感じだ」
 無線で最後のアドバイスを送る。
「とにかく針路の保持に注意しろ。早めに、小さくだ」
「判ってる!」
 叫ぶと同時にするすると十式艦戦が走り始めた。動き始めに左に振られるのでひやりとしたが、よろけながらも朱音は洋一の機体を空に浮かび上がらせた。
 滑走路を塞がないためにより安全な方から先に上がっていった。そしてその最後が、洋一だった。
 フォッカーFo109。小型で高速を誇る機体だが、それだけに離着陸が難しい。翼が小さいので離陸速度は七〇ノット(約一三〇㎞/h)ぐらいと十式艦戦よりも十ノット速く、主脚の間隔が狭いのでひっくり返りやすい。腕が良くないと乗りこなせないともっぱらの評判だった。
 もちろん恐れはある。だが自分ならやれるはずだ。洋一は己を奮い立たせて横開きの風防を閉めた。
 スロットルを静かに開く。太いプロペラがうなりを上げて小さい機体を引っ張り始めた。
 空冷エンジン故、十式艦戦に比べて機首が短い代わりに太い。滑走路が見えづらいな。外に頭を突き出そうとしてつい頭をぶつけてしまった。それによるふらつきを抑えながら洋一は頭を撫でる。そういえばフォッカーは飛行中に風防を開けられないんだった。しまったしまった。
 不意に真顔になる。それはまずくないか。ただでさえ離着陸が難しいのに、頭を突き出しての前方確認ができないなんて、一体何を考えて造ったんだ。洋一は見たことのない設計者に文句を云いたくなった。
「洋一君、遠くの目標で針路を確認するんだ」
 綺羅の指示が飛んできた。云われた通り更に遠くの木立の見え具合で、真っ直ぐ走るようにペダルを踏み込む。こうなったら早く水平にしてしまおう。
 操縦桿をそっと押し、機体が水平になる。視界が広がり、木々が走る。
 まだだ、もっと早く。十式よりも強い突き上げを食らいながら洋一はフォッカーを走らせる。いつもの感覚なら引き起こすところを辛抱して計器に目を走らせる。印をした百三十の数字に針が差掛かる。ゆっくりと、しかし確実に洋一は操縦桿を引いた。
 主翼が大気を掴み、空へとよじ登った。胴体に伝わってくる振動が不意に小さくなった。
 朝焼けに包まれた空に、フォッカーは浮かび上がった。なんと小さく、なんと大きい。洋一は思わず振り返った。短い間に様々なことがあったアミアン基地との、別れだった。
 上昇した先に二機が旋回して待っていた。だが少し騒がしい声が無線から聞こえてきた。
「綺羅様、綺羅様、脚引っ込めるのどれですか!」
 教えたはずだが緊張ですっかり忘れたらしい。まったく。そう思いながら洋一も引き込ませようとして、ふとその手が止まった。
「……済みません隊長。こっちも引込脚のレバー教えてください」
「すごいな洋一君! 今回はさすがに無いと思っていたのに。君は本当に期待以上だな!」
 実に嬉しそうな声が返ってきた。
 よたよたしながら三機の編隊は南西へ、シェルブールへと針路を取った。
「いやあ最後まで実に楽しかった。やっぱり君たちと居ると面白いことが起こる」
「もう二度とごめんですよ」
 思い返しても色々ありすぎた。
「おや、楽しくなかったのかね」
 元気はつらつとした声が返ってくる。疲れた顔で洋一は振り返った。陽を浴びて、朝を迎える欧州がそこに広がっていた。

 ああ、楽しかった。

 こんなにも苦労して、何度も死ぬかと思ったのに、振り返ってみればなんと輝いた思い出だろうか。
 何故だろうか。前を向くとそこに答えがあった。
 真紅の尾翼も眩しい十式艦上戦闘機。操るは太陽よりも輝く紅宮綺羅。丹羽洋一にとって、あの人と共にあるのが何よりも喜びだった。
「自分といると面白いことが起こるんじゃなくて、隊長が面白いことを呼び寄せるんですよ」
「そんなものかなぁ」
 当の本人だけが気がついていないらしい。間違いなく地球は彼女を中心に回っている。
 どこまでもその後ろを付いていきたい。朝焼けの空で洋一はそう願った。

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