蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険 二の巻

初音幾生

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  七月二十二日

 欧州の朝日は秋津に比べるとどこか柔らかい。そんな陽を浴びて九機の十式艦上戦闘機が並んでいた。
 各機とも葛葉一二型発動機を響かせて入念に暖機している。各機とも揃った音をしている辺り、朱音たち整備科はいい仕事をしたらしい。洋一は自分が乗込む機体を一周して眺めた。舵面などを点検して操縦席そばに立つと、中から朱音がちょうど立ち上がったところだった。
「準備万端よ」
 暖機運転に負けない声を上げて十式艦戦の操縦席から降りた。入れ替わりに洋一が操縦席に入る。
「ありがとさん」
 縛帯を締めるのを手伝って貰いながら洋一は返事をする。
「今日は長距離任務だから、燃料は気をつけなさい。酸素も久しぶりに満タンだから」
 いつもは低高度の対地支援が主なので酸素はあまりいらなかったが、今日は航続距離を稼ぐのと防空網突破のためにかなり高いところを飛ぶそうだ。
「地図とか忘れてない?」
「忘れないよ」
 まったく子供じゃあるまいし。洋一は口を歪める。
「弁当もお茶も持ったよ、ほら」
 そう云って洋一は持ち込み用の手提げ袋を持ち上げてみせる。
「『秘密兵器』は入っている?」
「入ってる入ってる」
 袋の上からなでて手触りで中身を把握する。秘密兵器と云っても、これで人が死ぬことはない。ついでに手を滑らせて懐にしまってある塊も確認する。南部式拳銃の形が手の向こうから伝わってきた。こっちはことによると人が死ぬ。多分、使うとしたら自分にだろうが。
「巡航回転数は一八五〇だからね」
「判ってる判ってる」
 本当にしつこい。そうこうしているうちに司令所脇の火の見櫓のような管制塔で旗が振られた。
「さあ離陸だ。離れて」
 朱音が地上に降り立つと洋一は声を張り上げた。
「前離れぇ」
「前離れ!」
 朱音の声が返ってくると洋一は手を左右に振る。それを見て朱音は主脚の前の輪留めを勢いよく外した。
 スロットルを少し前に押し出すと十式艦戦は重々しく進み始めた。
「気をつけて!」
 最後に朱音が叫ぶのに、洋一は振り向かずに手だけ振って応えた。
 欧州に来てから洋一の出撃はこれで三回目。たったそれだけなのにもうそれが日常のように洋一には感じられた。戦闘機乗りの居場所は空なのさ。そううそぶいてみて、少し恥ずかしくなって肩をすくめる。早くそう云って様になるようになりたいものだ。
 九機の十式艦戦が誘導路を経て滑走路端に並ぶ。ひときわ大きく発動機を吹かすと、先頭の三機がするすると走り始めた。紅い尾翼が大地を駆け、そして空に浮かび上がる。土埃が盛大に舞い上がるが、収まりきる前に次の小隊が走り始める。
 洋一の位置は三小隊の三番機。一番埃がひどい中を上がらなければならない。ブレーキペダルを踏みしめてからスロットルを開く。回転数が上がり機体が震え出す。犬が早く散歩に連れて行けとせがんでいるようだ。機体が持ち上がりそうになるので操縦桿を腹まで引く。飛行眼鏡ごしに一番機を見ると成瀬が軽く手を前に振った。
 一番機が走り出すのに合わせて自分もブレーキを離し、ラダーを右いっぱいに踏み込む。暴れ馬に曳かれるように十式艦戦は走り始めた。発動機と地面からの震動で激しく揺さぶられる。だがそれでも針路は保たなければならない。ペダルの踏み込みを微妙に調整しながら洋一は慎重に操縦桿を前に押す。
 後ろが浮かび上がって少し振動が減る。震える操縦桿を懸命に保持しながら洋一は前を見据える。目線は遠くに、そして僚機にぶつけないように。片目で前を見て片目で一番機を見ながら洋一は十式艦戦を走らせた。
 手に伝わってくる振動がすっと抜ける。タイヤが地面を離れた。洋一はわずかに操縦桿を引くと、十式艦戦はふわりと空に浮かび上がった。
 何度やってもこの飛んだ瞬間はたまらない。まさしく鳥になったようだ。車輪をしまい、フラップをしまって十式艦戦は軽々と空の階段を上っていった。
 上空で大きな輪を描いて十式艦戦は編隊を整える。三機で作った三角形が三つ並ぶ九機編隊。飛行中隊の基本隊形だった。
「クレナイ一番より各機。これよりベルリン観光だ。はぐれずにしっかりついてきてほしい」
 指揮官の紅宮綺羅の声が無線を通して聞こえてきた。
「片道四百四十海里の長旅だ。案内はこちら……見えてきた、三時方向」
 云われた方角を見ると一機の双発機がこちらに向かってくる。
「陸軍から借りた一〇式司令部偵察機だ。速いぞ」
 近づいてきたところでこちらがその後方へ付く。細身の胴体がいかにも速そうだった。
「同じ萬和十年制式採用でも、こちらは「じゅっしき」向こうは「ひとまるしき」だ。間違えると怒られるからな」
 陸軍と海軍でたまに言い方や読み方が違うのでいろいろ困る。
「先月制式採用されたばかりであの機体も試作型だそうだ。危なくなったら我々を置いて逃げるそうだから離れないように」
 無理を言って借りてきたのだろう。それでも一人で何もかもしなければならない単座戦闘機で片道四百四十海里もの航法は不安がある。専用の航行士がいる偵察機に先導してもらえるのはありがたかった。
「そろそろ高度を上げる。酸素を忘れずに」
 マスクがきちんと装着されているかを確認してから洋一は酸素バルブを開く。少し冷たい酸素の味が口の中に広がる。これより前線を越えるため四千五百mまで高度を上げる。少しでも見つかりにくくするためだ。さすがにみんな風防を閉める。何しろ富士山より高いところを飛ぶのだ。寒いし少しでも空気抵抗を減らしたい。
 普段よりも(といっても洋一が実戦を飛ぶのはこれで三度目である)世界が広く感じられる。空はより蒼く、うっすらとたなびく雲は下に見えて地上は遠くなる。なんだか自分が人ならざる存在になった気分だった。
「ようし、とりあえず大丈夫そうだな。各機、周囲監視は怠るなよ」
 綺羅の声が聞こえてきたので洋一は周囲を見回した。相手が発見するとすれば対空監視所で目視でとなるので、高度を上げれば見つかりにくくはなるはずだった。地図に書かれた予定針路が何度か曲がっているのは、一番見つかりにくいであろう経路なのだろう。
 なのに前線を越えてしばらくしたら高度が下がり始めた。
「クレナイ一番、こちらユウグレ一番。高度が下がってます。何か問題が?」
 不安になったらしい池永中尉の声が聞こえてきた。
「こちらクレナイ一番。もう少し下げよう。まもなくウォータールーなんだ」
 聞いていた洋一はもう一度地図を見直す。確かに針路上に見たことのある地名があった。ウォータールー。
「せっかく欧州に来たのだ。諸君もよく見ておくといい。かの護国帝クロムウェルの野望の潰えた地だ」
 言葉だけでなく本当に観光気分らしい。まったく気楽な隊長様ではあったが、洋一もその地名の響きにはいささか胸躍らせるものがあった。
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