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4 初めての戦闘
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風を掴んだように、十式艦戦は空に舞い上がった。緩やかに上昇に転じ、振り返れば翔鸞が去って行く。
飛んだ。飛んだんだ。
操縦桿を掴む手に力が入る。まずはあの人を探して、知らせないと。しかしいざ見回してみると空は途方もなく広かった。一体どこに行ったのだろう。
雲はほとんどない空であったが、このどこかにいると言われても見当もつかない。どうしたものだろう。闇雲に視線を動かして探してみる。
そもそもここには今何機飛んでいるのだろう。十式艦戦三機と、標的曳航のための七式艦攻が一機、それと。
指折り数えていた洋一の背筋を、冷たい何かが走った。身震いしてから首をひねる。今の感覚は何だろうか。そう考えているところで、視界の端、左の主翼の先を光る何かが走り抜けた。
何だろう。頭の中に疑問が浮かぶと同時に、背筋に更に強い寒気が走った。
やばい。これはやばい。理屈はまったく判らないが、本能が全力を出して危険を知らせてくる。長いとは言えない人生であったが、こうなった時洋一は躊躇なく本能に従うことにしていた。
操縦桿を思いっきり右に傾ける。少し前にも突いて一気に高度を落とす。
その途端に左側、ついさっきまで自分が飛んでいた空間をいくつもの光の矢が走り抜けた。
慌てて振り返ると、太い機首の飛行機が一機、びっくりするほど近くにいた。
洋一は操縦桿を引くと右の垂直旋回に入った。後ろでは翼を派手に光らせた飛行機がわずかに上昇して、同じく右の垂直旋回で追ってきている。
改めて洋一は相手を観察した。間違いない。さっき甲板を銃撃した機体だ。少なくともその太い空冷エンジン特有の機首は、十式艦戦とはまるで違う。
奴を墜とす。みんなの仇だ。
洋一の気持ちは昂ぶるが、十式はその期待に答えてくれない。発艦直後で速度も高度も稼いでいない状態で襲われたのだ。先ほどの回避運動で弾を避けたのは良いが、お陰でなけなしの高度を失ってしまった。垂直旋回する右翼端に、海面が近づいてきていた。
墜落したくないならバンクを戻すしかない。だがそのせいで相手が後ろに入ってきた。まずい。切り返したいところだが、多分それは駄目だ。しかしこのままやられるのを待つしかないなんて。
どうにかしたいという思いはあっても、どうにかできる方法が思いつかない。そうしているうちに後ろの機は真後ろにつく。これで自分の人生は終わりなのか。まだ何も、始まっていないのに。
後ろの飛行機の主翼が光る。洋一は眼をつぶった。丹羽洋一飛行練習生十八歳、秋津海上空で死す。親父も兄貴も、悲しむだろうな。御国の為と粋がった挙句、こんな情けない死に方とは。
もう一度目を開いた時、洋一は奇妙なことに気づいた。何も変わっていないのである。十式艦戦はあいも変わらず海面すれすれをはいつくばるように旋回し続けている。
いつ撃たれるのか。撃つなら撃ちやがれ。でも撃つな。洋一は自分でもよく判らなくなってきた。
耐えきれずに振り返ると、信じがたい光景が目に入ってきた。先ほどまで自分を追い回していた、機首の太い飛行機が、炎に包まれていた。そして緩やかに右から左へと機体を傾けて、やがて海面に突っ込んだ。
一際大きな水飛沫と、黒い煙だけが名残として漂っている。束の間見とれてしまったが、慌てて洋一は周囲に視線を走らせる。一体何がどうなってこのようなことになったのか。
洋一の眼に、紅がまず飛び込んできた。穏やかな秋津海と春の空に華やかに咲く一輪の花のように。
そしてそれが、自分と同じ十式艦上戦闘機であることに、洋一はようやく気づいた。尾翼全体を染め上げる紅。あれこそが紅宮綺羅なのだ。
あの人を救けるために来たのに、結局救けられてしまった。ばつの悪い思いをしていると、綺羅の機が洋一の脇に来た。操縦席を見ると、こちらを見ているのが判る。ますます持って会わせる顔がない。
そうは言っても見ないわけにもいかない。何やら彼女は耳の辺りを指し示している。洋一は一度首をひねり、ようやく意図を理解した。無線を使えと云っているのだろう。
たしかに十式艦戦は最新の戦闘機である。隊内無線は標準装備している。だが洋一は身体をひねって無線機を見て、思わず唾を飲み込んだ。機上無線の使い方を、まだ習っていないのである。無線を使った訓練は後半の科目だった。実際にさわれば判るだろうと予習していなかったことを、洋一は激しく後悔した。
とはいえなんとかするしかない。こういう場合は勘に頼る。こうして十式も勘で飛ばしているのだ。何とかなる。洋一は自分に強く言い聞かせた。
無線機というからには話すところと聞くところがあるはずだ。よく見るとありがたいことに二本の電線が生えていて、その先にはヘッドホンと酸素マスクが室内灯のところに引っ掛けてあった。
それをつけて、箱の中で一番電源っぽいレバーを切り替える。ランプは点いたがまだ何も聞こえない。周波数が違うのかとも思ったが、そうなるともうお手上げだった。ここは合っていると信じるしかない。そうなるとこの「送」と「受」と書かれたレバーが怪しい。
試しに「受」に切り替えてみる。その途端に雑音交じりに声が聞こえてきた。
「……ちらクレナイ一番、聞こえるか」
間違いない。先ほど聞いた紅宮綺羅の声だった。洋一は大きく頷いてみせた。手を伸ばせば届きそうな距離で何とも間抜けな光景ではあったが、彼にとっては必死だった。
「アカツキ二番、大丈夫か」
返答しなければならない。どうするのか、このレバーを「送」にすればよいのだろうか。
切り替えたところ向こうの音が聞こえなくなる。多分そうだ。洋一は息を吸って、数秒だけ考えてから発声した。
「こ、こちらアカツキ二番。問題ありません、助かりました」
練習生が無断で乗っているとはとても云えない。向こうが水口二飛曹だと思っているのなら、それに合わせるしかない。
「そうか、アカツキ二番」
どうやらごまかせたらしい。洋一はほっと胸をなでおろす。
「ところでアカツキ二番」
安心したところで不意に綺羅が話しかけてきた。
「車輪は引っ込めたほうが良いと思うがな、少年」
洋一は首をうなだれた。こんな浅知恵はやはりごまかせなかったらしい。
「六式と違って十式艦戦は引き込み脚という便利なものがついているんだ。使わないと損だよ。操作レバーは座席の右後ろ。フラップの下ね」
羞恥で顔が赤くなるのが自分でも判る。まさか発艦からずっと脚を出したまま飛んでいたとは。云われた通りにレバーを操作したらかすかに翼の方から振動が伝わってくる。見えないが主翼の裏で主車輪が内側に折りたたまれているのだろう。それに合わせて軽く背中が押されたような感覚がした。速度計に視線を向けると特にスロットルは開けていないのに十ノットは軽く速くなっている。もしかしてちゃんと閉まっていたら、先ほどの敵機は振り切れていたのだろうか。
「はい少年、名前は」
まるで尋常小学校の先生に叱られている気分だった。
「丹羽洋一、飛行練習生であります」
觀念して洋一は名乗った。こんな形であの綺羅様に知られるなんて。
「で、何があったのかな」
今までの若い練習生をからかう口調が少し変化する。水口二飛曹ではなく洋一が無断で十式に乗り込んでいるだけでもおかしなことなのに、先ほどの空中戦。ただならぬことになっているのは綺羅にも察せられた。
「はい、翔鸞がスツーカ爆撃機に攻撃されました。水口二飛曹はそれで、その……亡くなられまして」
思い出すと背筋が妙な具合にひきつる。未だに実感がないのに、言葉にしてしまうと水口二飛曹の死が確定してしまうような気がした。
「たしかにスツーカだったのか」
「はい、逆ガル翼に固定脚、ニュース映画と同じに急降下してきました。あとブランドルの国籍マークも見ました」
正直ニュース映画の何倍も迫力があった。何せ直接狙われて爆撃されたのだ。
「するとややこしい話になるな」
綺羅が考え込んでいる様が洋一からも伺えた。
「大陸ではブランドルとノルマンが全面戦争しているとはいえ、秋津は関わり合いのない話だ。たしかにどちらかといえばノルマン側寄りではあるが、いきなり攻撃を受ける謂れは無い」
今現在、豊秋津皇国は中立を保っているはずだった。
「それにそもそもスツーカの航続力でどうしてこんなところを飛んでいるんだ。ここは大陸から千㎞以上離れているんだぞ」
「たしかに、片道でも無理ですよね」
スツーカは正確無比な急降下爆撃機で知られるが、陸続きの大陸での使用を前提にしているために航続距離は千㎞が精々だった。
「でも、たしかにあれはスツーカでした。急降下してきて、翔鸞の甲板に爆弾を命中させたんですよ」
あれが嘘なら、水口二飛曹の死も嘘になってしまう。それならどんなに良かったことか。
「そういえば、ええと、君」
「丹羽です。丹羽洋一」
さっき名乗ったのに、案の定全く覚えていなかった。少し洋一は傷ついた。
「うん、洋一くん。さっき君を追い回していた戦闘機は何だったかな」
「ええと」
そういえば、逃げるのに必死で相手が何かまでは理解していなかった。
「機首が太くて空冷で」
懸命に特徴を思い出そうとする。これでも航空朝日は欠かさず読んでいる。知らないはずがないんだ。自分に言い聞かせたところでふと閃くものがあった。操縦席から後ろが背びれみたいになっていた、あれは。
「ロシア海軍のマムール艦上戦闘機!」
「多分正解だな。花マルをあげよう」
後ろから見ていた綺羅も、同じ結論だったらしい。
「だけどおかしなことが一つあった。国籍マークはブランドルの三ツ矢だった」
正解して喜んでいた洋一は、また訳が分からなくなっていた。
「えっと、それはどういうことなんでしょうか」
「判らんよ。せっかく楽しい射撃練習の時間に、見慣れない機体が通り過ぎたかと思えば脚を出したままの十式がなぜか三ツ矢をつけたロシア海軍の戦闘機に追われていた。仕方ないからマムールの方を撃墜したが、何があったか教えて欲しいのはこちらの方だよ」
操縦席の中で、綺羅が大げさに肩をすくめているのが洋一には判った。
「ほらまた訳のわからないものがやってきたぞ。左下を見ろ」
言葉だけではなく、綺羅は翼を傾けて相手を指し示した。洋一もそちらを目を向けて捜索する。数秒費やして彼の眼も、なにかを発見することができた。
機影は二つ、低空を這うように飛んでいる。綺羅の機が翼を翻してそれを追うので洋一もそれに続く。
近づくにつれてそれが空冷機であることが判ってきた。マムールかと思ったが少し違う。一回り大きい。うすらずんぐり、という言葉が洋一の頭に浮かんだ。単発だが、風防の大きさから察するに単座機ではなさそうだ。
「これまたロシア製だ。セバスキー・ドミトリーだろう」
綺羅の言葉で洋一も頭の中にある航空朝日の一頁と一致した。単葉単発三座の艦上雷撃機だったはずだ。
「でも、こいつもブランドルのマークですよ」
主翼に描かれているのはロシア軍の赤い星ではなく、三ツ矢と呼ばれるブランドルを示す印だった。
「色々興味は尽きないが、悠長にもしてられないな」
彼らの進路の先に、一つの影があった。海面の上に佇む大きな艦影。航空母艦、翔鸞。
「あいつら腹に魚雷を抱えている。撃たせるわけにはいかないぞ」
よく見るとドミトリーの下部に細長い物体がぶら下がっていた。恐らく魚雷だろう。柔らかい艦腹を食い破って船に大打撃を与える。食らえば三万トンの翔鸞といえどただでは済まない。
「早く止めないと!」
「そうだな、いや」
翼を翻しかけて綺羅は少しだけ考え込んだ。
「丹羽練習生、君がやりたまえ」
飛んだ。飛んだんだ。
操縦桿を掴む手に力が入る。まずはあの人を探して、知らせないと。しかしいざ見回してみると空は途方もなく広かった。一体どこに行ったのだろう。
雲はほとんどない空であったが、このどこかにいると言われても見当もつかない。どうしたものだろう。闇雲に視線を動かして探してみる。
そもそもここには今何機飛んでいるのだろう。十式艦戦三機と、標的曳航のための七式艦攻が一機、それと。
指折り数えていた洋一の背筋を、冷たい何かが走った。身震いしてから首をひねる。今の感覚は何だろうか。そう考えているところで、視界の端、左の主翼の先を光る何かが走り抜けた。
何だろう。頭の中に疑問が浮かぶと同時に、背筋に更に強い寒気が走った。
やばい。これはやばい。理屈はまったく判らないが、本能が全力を出して危険を知らせてくる。長いとは言えない人生であったが、こうなった時洋一は躊躇なく本能に従うことにしていた。
操縦桿を思いっきり右に傾ける。少し前にも突いて一気に高度を落とす。
その途端に左側、ついさっきまで自分が飛んでいた空間をいくつもの光の矢が走り抜けた。
慌てて振り返ると、太い機首の飛行機が一機、びっくりするほど近くにいた。
洋一は操縦桿を引くと右の垂直旋回に入った。後ろでは翼を派手に光らせた飛行機がわずかに上昇して、同じく右の垂直旋回で追ってきている。
改めて洋一は相手を観察した。間違いない。さっき甲板を銃撃した機体だ。少なくともその太い空冷エンジン特有の機首は、十式艦戦とはまるで違う。
奴を墜とす。みんなの仇だ。
洋一の気持ちは昂ぶるが、十式はその期待に答えてくれない。発艦直後で速度も高度も稼いでいない状態で襲われたのだ。先ほどの回避運動で弾を避けたのは良いが、お陰でなけなしの高度を失ってしまった。垂直旋回する右翼端に、海面が近づいてきていた。
墜落したくないならバンクを戻すしかない。だがそのせいで相手が後ろに入ってきた。まずい。切り返したいところだが、多分それは駄目だ。しかしこのままやられるのを待つしかないなんて。
どうにかしたいという思いはあっても、どうにかできる方法が思いつかない。そうしているうちに後ろの機は真後ろにつく。これで自分の人生は終わりなのか。まだ何も、始まっていないのに。
後ろの飛行機の主翼が光る。洋一は眼をつぶった。丹羽洋一飛行練習生十八歳、秋津海上空で死す。親父も兄貴も、悲しむだろうな。御国の為と粋がった挙句、こんな情けない死に方とは。
もう一度目を開いた時、洋一は奇妙なことに気づいた。何も変わっていないのである。十式艦戦はあいも変わらず海面すれすれをはいつくばるように旋回し続けている。
いつ撃たれるのか。撃つなら撃ちやがれ。でも撃つな。洋一は自分でもよく判らなくなってきた。
耐えきれずに振り返ると、信じがたい光景が目に入ってきた。先ほどまで自分を追い回していた、機首の太い飛行機が、炎に包まれていた。そして緩やかに右から左へと機体を傾けて、やがて海面に突っ込んだ。
一際大きな水飛沫と、黒い煙だけが名残として漂っている。束の間見とれてしまったが、慌てて洋一は周囲に視線を走らせる。一体何がどうなってこのようなことになったのか。
洋一の眼に、紅がまず飛び込んできた。穏やかな秋津海と春の空に華やかに咲く一輪の花のように。
そしてそれが、自分と同じ十式艦上戦闘機であることに、洋一はようやく気づいた。尾翼全体を染め上げる紅。あれこそが紅宮綺羅なのだ。
あの人を救けるために来たのに、結局救けられてしまった。ばつの悪い思いをしていると、綺羅の機が洋一の脇に来た。操縦席を見ると、こちらを見ているのが判る。ますます持って会わせる顔がない。
そうは言っても見ないわけにもいかない。何やら彼女は耳の辺りを指し示している。洋一は一度首をひねり、ようやく意図を理解した。無線を使えと云っているのだろう。
たしかに十式艦戦は最新の戦闘機である。隊内無線は標準装備している。だが洋一は身体をひねって無線機を見て、思わず唾を飲み込んだ。機上無線の使い方を、まだ習っていないのである。無線を使った訓練は後半の科目だった。実際にさわれば判るだろうと予習していなかったことを、洋一は激しく後悔した。
とはいえなんとかするしかない。こういう場合は勘に頼る。こうして十式も勘で飛ばしているのだ。何とかなる。洋一は自分に強く言い聞かせた。
無線機というからには話すところと聞くところがあるはずだ。よく見るとありがたいことに二本の電線が生えていて、その先にはヘッドホンと酸素マスクが室内灯のところに引っ掛けてあった。
それをつけて、箱の中で一番電源っぽいレバーを切り替える。ランプは点いたがまだ何も聞こえない。周波数が違うのかとも思ったが、そうなるともうお手上げだった。ここは合っていると信じるしかない。そうなるとこの「送」と「受」と書かれたレバーが怪しい。
試しに「受」に切り替えてみる。その途端に雑音交じりに声が聞こえてきた。
「……ちらクレナイ一番、聞こえるか」
間違いない。先ほど聞いた紅宮綺羅の声だった。洋一は大きく頷いてみせた。手を伸ばせば届きそうな距離で何とも間抜けな光景ではあったが、彼にとっては必死だった。
「アカツキ二番、大丈夫か」
返答しなければならない。どうするのか、このレバーを「送」にすればよいのだろうか。
切り替えたところ向こうの音が聞こえなくなる。多分そうだ。洋一は息を吸って、数秒だけ考えてから発声した。
「こ、こちらアカツキ二番。問題ありません、助かりました」
練習生が無断で乗っているとはとても云えない。向こうが水口二飛曹だと思っているのなら、それに合わせるしかない。
「そうか、アカツキ二番」
どうやらごまかせたらしい。洋一はほっと胸をなでおろす。
「ところでアカツキ二番」
安心したところで不意に綺羅が話しかけてきた。
「車輪は引っ込めたほうが良いと思うがな、少年」
洋一は首をうなだれた。こんな浅知恵はやはりごまかせなかったらしい。
「六式と違って十式艦戦は引き込み脚という便利なものがついているんだ。使わないと損だよ。操作レバーは座席の右後ろ。フラップの下ね」
羞恥で顔が赤くなるのが自分でも判る。まさか発艦からずっと脚を出したまま飛んでいたとは。云われた通りにレバーを操作したらかすかに翼の方から振動が伝わってくる。見えないが主翼の裏で主車輪が内側に折りたたまれているのだろう。それに合わせて軽く背中が押されたような感覚がした。速度計に視線を向けると特にスロットルは開けていないのに十ノットは軽く速くなっている。もしかしてちゃんと閉まっていたら、先ほどの敵機は振り切れていたのだろうか。
「はい少年、名前は」
まるで尋常小学校の先生に叱られている気分だった。
「丹羽洋一、飛行練習生であります」
觀念して洋一は名乗った。こんな形であの綺羅様に知られるなんて。
「で、何があったのかな」
今までの若い練習生をからかう口調が少し変化する。水口二飛曹ではなく洋一が無断で十式に乗り込んでいるだけでもおかしなことなのに、先ほどの空中戦。ただならぬことになっているのは綺羅にも察せられた。
「はい、翔鸞がスツーカ爆撃機に攻撃されました。水口二飛曹はそれで、その……亡くなられまして」
思い出すと背筋が妙な具合にひきつる。未だに実感がないのに、言葉にしてしまうと水口二飛曹の死が確定してしまうような気がした。
「たしかにスツーカだったのか」
「はい、逆ガル翼に固定脚、ニュース映画と同じに急降下してきました。あとブランドルの国籍マークも見ました」
正直ニュース映画の何倍も迫力があった。何せ直接狙われて爆撃されたのだ。
「するとややこしい話になるな」
綺羅が考え込んでいる様が洋一からも伺えた。
「大陸ではブランドルとノルマンが全面戦争しているとはいえ、秋津は関わり合いのない話だ。たしかにどちらかといえばノルマン側寄りではあるが、いきなり攻撃を受ける謂れは無い」
今現在、豊秋津皇国は中立を保っているはずだった。
「それにそもそもスツーカの航続力でどうしてこんなところを飛んでいるんだ。ここは大陸から千㎞以上離れているんだぞ」
「たしかに、片道でも無理ですよね」
スツーカは正確無比な急降下爆撃機で知られるが、陸続きの大陸での使用を前提にしているために航続距離は千㎞が精々だった。
「でも、たしかにあれはスツーカでした。急降下してきて、翔鸞の甲板に爆弾を命中させたんですよ」
あれが嘘なら、水口二飛曹の死も嘘になってしまう。それならどんなに良かったことか。
「そういえば、ええと、君」
「丹羽です。丹羽洋一」
さっき名乗ったのに、案の定全く覚えていなかった。少し洋一は傷ついた。
「うん、洋一くん。さっき君を追い回していた戦闘機は何だったかな」
「ええと」
そういえば、逃げるのに必死で相手が何かまでは理解していなかった。
「機首が太くて空冷で」
懸命に特徴を思い出そうとする。これでも航空朝日は欠かさず読んでいる。知らないはずがないんだ。自分に言い聞かせたところでふと閃くものがあった。操縦席から後ろが背びれみたいになっていた、あれは。
「ロシア海軍のマムール艦上戦闘機!」
「多分正解だな。花マルをあげよう」
後ろから見ていた綺羅も、同じ結論だったらしい。
「だけどおかしなことが一つあった。国籍マークはブランドルの三ツ矢だった」
正解して喜んでいた洋一は、また訳が分からなくなっていた。
「えっと、それはどういうことなんでしょうか」
「判らんよ。せっかく楽しい射撃練習の時間に、見慣れない機体が通り過ぎたかと思えば脚を出したままの十式がなぜか三ツ矢をつけたロシア海軍の戦闘機に追われていた。仕方ないからマムールの方を撃墜したが、何があったか教えて欲しいのはこちらの方だよ」
操縦席の中で、綺羅が大げさに肩をすくめているのが洋一には判った。
「ほらまた訳のわからないものがやってきたぞ。左下を見ろ」
言葉だけではなく、綺羅は翼を傾けて相手を指し示した。洋一もそちらを目を向けて捜索する。数秒費やして彼の眼も、なにかを発見することができた。
機影は二つ、低空を這うように飛んでいる。綺羅の機が翼を翻してそれを追うので洋一もそれに続く。
近づくにつれてそれが空冷機であることが判ってきた。マムールかと思ったが少し違う。一回り大きい。うすらずんぐり、という言葉が洋一の頭に浮かんだ。単発だが、風防の大きさから察するに単座機ではなさそうだ。
「これまたロシア製だ。セバスキー・ドミトリーだろう」
綺羅の言葉で洋一も頭の中にある航空朝日の一頁と一致した。単葉単発三座の艦上雷撃機だったはずだ。
「でも、こいつもブランドルのマークですよ」
主翼に描かれているのはロシア軍の赤い星ではなく、三ツ矢と呼ばれるブランドルを示す印だった。
「色々興味は尽きないが、悠長にもしてられないな」
彼らの進路の先に、一つの影があった。海面の上に佇む大きな艦影。航空母艦、翔鸞。
「あいつら腹に魚雷を抱えている。撃たせるわけにはいかないぞ」
よく見るとドミトリーの下部に細長い物体がぶら下がっていた。恐らく魚雷だろう。柔らかい艦腹を食い破って船に大打撃を与える。食らえば三万トンの翔鸞といえどただでは済まない。
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