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2 新型機登場、綺羅様登場

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 ああ、美しい。

 暴風に晒されながら洋一はその翼に見とれてしまった。
「あれこそが今年制式採用されたばかりの新型、十式艦上戦闘機だ。どうだ、かっこいいだろう」
 誇らしげに語る艦長ではあったが、飛ばされそうになった帽子を慌てて押さえたので少しずれている。まったく、予定より低いじゃないか。聞こえないほどの小さな声で口が動いた。
「いずれ諸君が乗り込み、大いに暴れて貰う機体だ。皆、どこの国にも負けない優秀な機体ばかりだ」
 帽子を直して威厳を取り戻すと艦長はもう一度全員を見回した。
「そのためにも、大いに訓練に励んでほしい。以上」
 練習生たちは直立不動の姿勢を取る。だが艦長が段から降りた辺りで顔がそわそわし始める。その様子を見ていた艦長はわずかに笑うと、手で甲板を示した。
「おう、見てこい見てこい」
 許可が下りるやいなや洋一たちは振り返った。何しろ先程の戦闘機が、着艦体勢に入っていたのである。
「お前らその線から出るな。着艦作業の邪魔はするな。固まれ固まれ」
 教官が慌ただしく指示を飛ばす。艦橋そばの作業員たちが控えている辺りの、更に後ろで練習生たちは見学する。
 その機体は速度を落として最終旋回を終えて進入路に入る。大きいから錯覚を覚えるが、進入速度は彼らの乗ってきた二式練習機よりも大分速い。それでもぶれることなく悠然と入ってくる。当たり前だが、実戦部隊の搭乗員は洋一達練習生とは比べ物にならない腕前だった。 
 そして吸い込まれるように七番ワイヤーにフックを引っ掛ける。二式練習機よりもはるかに速い速度を殺したのち、とんと足を鳴らすように尾輪を甲板に下ろした。  
 突如目の前を航過してから母艦を旋回して、進入して着艦して静止するまで、ひとつながりの舞を見ているようだった。そして列機も次々と降り立ち、先頭の赤い尾翼の機体に付き従うように並んだ。同じ機体であるのに先頭の機体が輝いて見えるのは、正に主役であるからだった。
 そして先頭の機から搭乗員が立ち上がり、彼らを振り返った時、舞は更なる高みへと昇った。   
「やあ練習生諸君、我らが翔鸞へようこそ」
 決して大きいわけではない。だが誰よりも通る、凛とした声が響いた。
「この子が私の十式だ。可愛いだろう」
 無造作に飛行帽を取る。だがその動作すら舞の一手だった。溢れ出た栗色の髪が、陽光を浴びて光り輝く。
 その搭乗員は軽やかに機体から飛び降りると、練習生達の前に立つ。
「ああ、申し遅れた。紅宮あけのみや綺羅きらだ。翔鸞第一戦闘飛行中隊長をやっている。よろしく」
 そう云って脚を揃えることもなく手だけで敬礼する。規定も何もあったものではない。だが見惚れていた練習生達は慌てて直立不動で敬礼をした。先ほどの艦長への敬礼よりも揃っていた。
 二本の足で立っているにもかかわらず、洋一は空に浮いているような気持ちだった。自分の人生の中で、これほど美しい女性に出逢ったことはない。人の姿をしているが、どこかそれを超越しているようにすら感じられた。  
「いい機会だ、燃料を入れている間に近くでよく見るといい。海軍の中でも、まだうちの飛行中隊しか配備されていない新型だぞ」
 その女性が手招きする。先ほどまでの好奇心の塊だった練習生だったら新型機に一も二もなく殺到したであろうが、神々しいものを前にしたようにおずおずと、それでいて引き寄せられるように前に出た。
「綺羅様よ、綺羅様」
 うわ言のように朱音が呟いていた。
「なあ、なあ、あれって、紅宮の姫様だよな」
「だからそうだって云ってるでしょう」
 二人とも自分の頭の中にある知識と、目の前の現実がうまく組み合わせられないでいた。
 紅宮綺羅。皇族の筆頭と云われる紅宮家の姫君。今の帝の姪にあたり、この国で最も尊き血を引き、皇位継承権も有している。それでありながら海軍の士官であり、あまつさえ戦闘機乗りであった。
 皇族が軍人であることは珍しくない。むしろ国民の先頭に立って軍務を全うするのは義務であるとすら考えられていた。
 だがそれは男性の場合であって、内親王の称号を持つものが軍務に就くのは前代未聞だった。ましてや危険の多い航空科なぞ。この世の誰もが考えもしないことをこの姫君はやってのけてしまった。
 だが当の本人はそんなことは欠片も気にしていないようだった。
「見たまえ、全金属の機体に発動機エンジンは九百八十馬力の葛葉一二型だ。二百九十ノット(五百四十㎞/h)は出る。速いぞ」
 彼女は自分のおもちゃが自慢できるのが何より嬉しかったらしい。

「その上見ての通り着艦も楽にこなすし実に良く回る。飛ぶのが楽しくなる機体だ」
 和歌や詩吟が紡ぎ出されそうな口から出てくるのは海軍の戦闘機のことで、しかも本当に楽しそうだった。
「君たちもう進路分けはされているのだろう。訓練では何に乗っている?」
「はい、艦攻班は七式一型を使用しています」
「ああ、三型はもっとパワーが有るよ」
「艦爆は六式艦爆であります」
「あれは複葉だからなぁ。一度乗せてもらったが、急降下すると色々うるさいんだ。艦戦は六式艦戦か」
「はい、六式を複座に改造した機体であります」
「あれもいい機体だったが、十式はもっと良い。君たちも半年もすれば乗れる様になる。楽しみにしたまえ」
 気さくに談笑していると甲板作業員が声をかけてきた。
「紅宮大尉。燃料補給終了しました」  
「そうかご苦労。今度は射撃訓練行くぞ。準備はいいな」
 配下に声をかけると、キビキビとした声が返ってくる。
「はい、既に弾薬は積んであります。標的曳航機もただいま」
 更に振り返れば後方のエレベーターから七式艦攻が上がってきている。右の主翼の下に何かをぶら下げていた。
「宜しい、では」
 そう云ってから綺羅は練習生達を見回した。
「そうだ諸君、せっかくだからエンジン始動を見て行きたまえ」
 綺羅の手招きにより練習生達が十式艦戦の周りに集まる。
「プロペラピッチ高速、ミクスチュアはリッチにセット。燃料計チェック。メインタンクに切り替え。ラジエータフラップ開」
 流れるように彼女の指が動いていく。
「燃料ポンプで燃圧をかける。面倒だから君がやれ」
そう云うとすぐそばにいた洋一の手を無造作に掴んだ。不意のことだったので一瞬何が起こったのか判らない。互いに飛行手袋をしているが、それを通して暖かさが伝わってきた。
「ほら、このポンプを押すんだ」
 洋一の手に座席左脇のポンプの把手を掴ませる。洋一は自分の心臓が掴まれた様な声を上げる。
「は、はい!」
「燃圧を〇.三㎏までかける。うん、もう一回ぐらい」
 洋一のことなぞ気にも止めずに綺羅は始動手順を進める。
「そしてプロペラを手回しして滑油を回しておく。そうだなぁ」 
 綺羅は操縦席から首を出して少しばかり周囲を見回す。
「そこの可愛い君」
 綺羅の鳶色の瞳の先にいたのは朱音だった。
「は、はいぃ」
 三回転ぐらい裏返った声が上がる。
「プロペラ回してくれ。出来るね」
「も、もちろんです!」
 何度も頷くと朱音はプロペラに手をかけると回し始める。ブレードの先端が震えているように見えるのは気のせいだろうか。
「五回ぐらい頼む。その間に燃料を注射しておく」
 計器板左下の燃料注射ポンプを押す。
「終わったらスロットルを数回明けてやる。さっきまで回してたから一回でいいかな」
 スロットルを煽ってから指でメインスイッチが切れているのを確認する。綺羅はもう一度操縦席から首を出した。
「よーし、前離れ、スイッチオフ」
 綺羅はもう一度操縦席から首を出した。
「さっきの君、イナーシャも頼めるかな」
「もちろんです!」
 朱音は艦の整備員からイナーシャハンドルを奪うように受け取ると機首下に差し込む。震えているのか少し音がする。
「では宜しく」
 そう云うと綺羅は指を優雅にくるくると回した。
「いきます!」
 興奮気味な声と共に朱音がイナーシャハンドルを回し始めた。最初は体重をかけて大きくゆっくりと、そのうちにはずみがついてくると小さく早く。
「コンタクト!」
 朱音がイナーシャハンドルを引き抜いて甲高い声を張り上げる。
「イナーシャの回転数が十分になったところで主スイッチオン、イナーシャ接続」
 計器板中央のメインスイッチを切り替えてから右端のイナーシャスターターレバーを引く。最初は不揃いな爆発音。だが二秒もしないで機首脇の排気口から赤い焔が吐き出される。音が連続音に変わった。
 三枚のプロペラが力強く大気をかき回し始めた。
「これでエンジン始動。暖気が済むまで油圧とか点火系とかの点検を済ませる。回り始めたら配電盤のスイッチも入れてやる。ペラピッチを低速に戻してフラップを下ろすのも忘れずに」
 今降りてきたばかりなので暖まるのも早い。もう音が揃ってきた。
「水温五十度、油温六十度以上で発進可能だ。では行くか。諸君、後で合同演習でもしようか」
 上で大きく手を振って、綺羅は人を離れさせた。甲板作業員が旗を振って発艦よしを指示する。彼女達が止まっている位置からだと飛行甲板は八十m程度しかない。構わず綺羅はスロットルを全開にした。
 するすると走り出した十式艦戦は軽々と甲板を蹴った。そうして紅宮綺羅は現れた時と同じように風のように空に帰っていった。 
 呆然と洋一はそれを見送った。今目の前で起こったことなのに、まるで現実感がない。先程掴まれた手を何度か開いてみる。あの温もりも、すぐそばで感じたあの匂いも、本当にあったことだったのだろうか。正に白昼夢の様だった。
「ねえ聞いた、可愛いですって。可愛いですって!」
 もっと興奮した朱音に腕を掴まれて洋一は我に帰る。
「わたし綺羅様に可愛いって云われたのよ、あの綺羅様に!」
 隣に興奮しすぎている人がいると洋一も冷静になれる。
「まあ美人かどうかじゃ話にならないからなぁ」
「はぁ? 格好良さで足元にも及ばない分際で何いってんの」
「はいはい、後ろの七式先にあげるからちょっと手伝ってね」
 搭乗員の一人が苦笑しながら二人の肩を叩いた。バツの悪い顔をした二人を含めた練習生達で前部甲板に残っている三機の十式艦戦を右側に寄せる。
 開いたところを七式艦攻が発艦していった。翼下の標的が右側だけについているので少し傾いて上がっていく。先ほどの十式艦戦に比べれば軽やかとは云えない。
 魚雷を積んだらあんなものじゃないぞ。艦攻課程の練習生の声も聞こえてくる。本当に航空母艦には、何でも詰まっている。
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