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1 欧州大陸への帰還

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   萬和ばんな11年(1941)5月10日
     ノルマン共和国 ブリタニー半島上空

 眼下に若々しい緑が広がっている。麦畑だろうか。
 飛行眼鏡ゴーグルを装着してから丹羽たんば洋一よういちは開いた天蓋キャノピーから頭を突き出して大地を眺める。一年ぶりの欧州の大地。春らしい明るい緑は、しかしうっすらと土煙に覆われていた。
「クレナイ一番より中隊全機、これより降下する」
 洋一の中隊長、紅宮あけのみや綺羅きらの凜とした声が聞こえると同時に自分の斜め前を飛ぶ機体が翼を翻した。明灰白色の機体に応急で描かれた緑の迷彩が少し物々しい。しかし尾翼の紅はこの空で一番輝いていた。洋一もそれに続いて愛機を傾ける。鋭い手応えを示すその翼端は角張っていた。
 十式艦上戦闘機、その改良型が欧州の空に初めてお目見えした。後に別の呼称がついたが、この当時洋一たちは「二号艦戦」と呼んでいた。

 最大の特徴は機首に納められた葛葉21型発動機。1130馬力まで出力が上がったお陰で最高速度は296ノット(548㎞/h)となった。ただ右翼にラジエータが移動したお陰で燃料タンクが一つ無くなってしまったのは少し残念だった。
 その新しき十式艦戦が新しき翼で欧州の空を斬る。一年前よりも、その空気が重く感じる。高度を下げていくと理由が察せられた。ジグザグの塹壕線が随所に走り、砲弾の跡が麦畑を無残にひっくり返していた。あちこちで煙が立ち上り、春の田園風景を戦場に変えていた。
「正面右に土煙が上がっているだろう。あれが今日の目標だ」
 先導する銀色の機体から通信が入る。十式艦戦より細いのだが、たくましくも感じる。 一一式戦闘機。

 かつてキ四三と呼ばれていた機体が、今年に入って遂に正式採用された陸軍待望の新型戦闘機。通称「隼」だそうだ。
「上空はうちの若いのが抑えている。思い切ってやってくれ」
 上を見上げると1000mぐらい上空に同じ銀色の編隊が飛んでいる。今回は珍しく陸海共同の作戦だった。
「見えてきた見えてきた。塹壕の右側だ」
 作戦の発案者である陸軍の戦隊長は結構いい年だと聞いているが、えらい張り切っていた。
「あれか、加藤さん。手前に四つ、奥にもう四つかな。あ、後続も居る」
 綺羅の通信が聞こえてきた辺りで洋一もそれが見えてきた。土煙を上げて麦畑を踏み潰しながら進む黒い鉄の塊。戦車。
「報告通りだ、あれがⅣ号重戦車だ」
 厚い装甲に覆われて機関銃弾を跳ね返し、持っている大砲でトーチカを吹き飛ばす陸の王者。ブランドル軍の強力な戦車を前に友軍は苦戦を強いられているらしい。
「右手の並木に味方がいるはずだ。流れ弾が行かないように気をつけてくれ」
「了解、クレナイ小隊は手前を、アカツキ小隊は奥をやってくれ。行こうか洋一君」
「クレナイ二番、了解!」
 応える洋一の声も自然と上ずってしまう。当然だ。自分は今、紅宮綺羅の二番機なのだ。高ぶる気持をなだめるように照準器のスイッチを入れて、目の前の7.7㎜機銃の装填把を引き、そして左脇のレバーを力強く引いた。プロペラ軸に搭載された十式艦戦最強の武器、九式20㎜機銃に弾が装填された。
 照準を黒い塊に合わせる。こうしてみると結構小さいな。陸式の連中、あんなのを怖がっているのか。空からだと大きさが実感できないので、洋一は随分と無責任な感想を抱いた。
 鉄の塊が僅かに前に傾くとその脚を止めた。しめたしめた。止まってくれた方が狙いやすい。洋一は戦車の中央辺りに照準を重ねる。もう形がはっきり判る距離になった、
 長めの車体に無限軌道とか云う鉄の帯がぐるっと巻き付いている。その上に大きな箱と、そこから突き出している太い筒まで見える。あれが砲塔か。陸上戦艦と謳われるだけあって、半年前に見た戦艦〈ビスマルク〉の主砲に通じるものがあった。
 車体後方が何やら光った。やばい、撃ってきた。Ⅳ号重戦車は前後に銃砲塔があるんだっけ。やられる前にやってしまえ。洋一は浅く息を吸い込み、そして止めた。
 スロットルの銃把を引くと、前方から飛行機ごと蹴っ飛ばされる。プロペラ軸の20㎜が火を噴いた。
 炎の塊は真っ直ぐ戦車めがけて飛んでいく。曳光弾と、地面に当たったときの土煙で弾道が見える。最初に手前に、十式艦戦の飛行に合わせてそれが向こうに走って行く。
 最初に曳光弾が黒い戦車に吸い込まれ、そして空に向かって跳ね上がったのが見えた。くそ、流石に7.7㎜ははじくか。だけど20㎜はどうかな。
 車体中央に当たった弾は、何やら黒い破片を飛び散らした。どこか壊したかな。
 そして少なくとも一発。砲塔の側面に突き刺さるのを、洋一は見た。
 やった。当たった。壊したか。
 弾道を見ていると吸い込まれそうになるが、気を取り直して洋一は僅かに操縦桿を引いた。機体まで突き刺す趣味は無いのだ。
 目標となった戦車達の上を、十式艦戦の編隊が通過する。洋一はそこで初めて、戦車の周辺に歩兵がいることに気づいた。みんなこっちに銃を向けている。歩兵の銃なんて当たるものではないが、無数の銃口を向けられて気持のいいものではない。
 こんな怖い思いをしたのだ。破壊できたかな。洋一は自分の目標だった戦車を注視した。うっすらと砲塔から煙が上がっている、気がする。
 その隣の戦車の砲塔が、派手に吹っ飛んだ。あれほど分厚そうな装甲は四方八方に砕け散り、車体に残された丸い孔からもくもくと黒い煙を上げている。
「やった、吹き飛んだ」
 嬉しそうな綺羅の声が無線から聞こえてきた。見事なまでの戦車一両撃破だった。
 振り返ってみると少なくとも3両は煙を上げていた。
「よしよし、航空機からの20㎜の射撃は戦車に効果有りだ」
 陸軍の戦隊長は我がことのように喜んでいた。
「海軍さんに無理云って頼んだ甲斐があった。これで良い報告ができるぞ」
 航空機から戦車に対して有効な攻撃は何か。それを調べるのが今回の攻撃のテーマであった。水平爆撃では話にならない。急降下爆撃でもさすがに的が小さすぎる。機関銃ではその装甲を貫けない。
 なら大口径の機関砲ならどうか。ということで、現在秋津の陸海軍で一番大きな砲を持っている十式艦戦の出番となった。
「話には聞いていたが、やはり120㎜はすごいな。陸軍でも大口径砲の搭載を推進すべきだな」
 言葉は努めて朗らかだったが、陸軍にとって焦眉の急というやつなのだろう。地上で戦車に押されていて肉弾攻撃に頼っているからには、空からどうにかするしかない。普段仲の悪い海軍に頭を下げてでも、打開策を手に入れたかったらしい。
「加藤さん、もう一回行こうかもう一回」
 一両撃破できて上機嫌な綺羅は反転のために少し高度を取る。
「いや、ブラ公諦めて引き返すらしいしそれに」
 別の無線が割り込んできた。
「アンバよりカトウ。北東より敵編隊、高度3000、10機以上。恐らくフォッカー」
「こちらタカダ。東にも編隊。接近するもよう」
 上空で援護している陸軍機から報告が入る。
 十式艦戦が不慣れな対地攻撃に選ばれた理由がこれだった。前線で十分も飛んでいるとすぐ敵戦闘機がやってくる。もはや欧州の空は脚の遅い艦攻や艦爆の飛べる空ではなくなっていた。
「戦果は充分だ。海軍さんは離脱してくれ。我々が援護する」
 そして戦闘機といえども低空で対地攻撃をしていては上から攻撃されれば不利は免れない。そのために陸軍の戦闘機が護衛についていた。
 振り返るとすでに空戦が始まっていた。ブランドルの戦闘機フォッカーFo109の攻撃を、陸軍の〈隼〉がひらりひらりと躱して、あわよくば後ろに回り込もうとする。
 〈隼〉はよく回るなぁ。洋一は陸軍の新型戦闘機に感心した。前の七式戦闘機がとにかく小回りが効いて旋回性の良い機体だったので、それと比較されて一度不採用の烙印を押されたらしいが、それは比較対象が悪すぎだろう。
 それと比べるとこちらの十式艦戦はもう少し速度性能寄りかな。特にこの切断翼の新型は加速が良いし高速で取り回し易い。彼らの編隊はあっという間に高度を取り戻して、今や高度計は4500mを指している。
 陸軍さんのお陰で離脱する時間は稼げた。あとは母艦に戻るだけ。ところが彼らの指揮官機は大きく翼を翻した。
「みんな、弾も燃料もまだあるね。せっかくの欧州だ。このまま還るのは勿体ない」
 何より当の本人がまだ暴れ足りないらしい。
「アカツキは外から飛び込もうとしているのを抑えて。私たちは陸さんについているのを引き剥がす。加藤さん、もうちょっと遊ばせてもらうよ」
 云うが早いか綺羅機は乱戦に飛び込んだ。
 数珠つなぎになっている敵味方の最後尾についているフォッカーに、斜めに軌道を合わせると交差する一瞬で銃弾を叩き込んだ。片翼を吹き飛ばされたフォッカー109が木の葉のように舞って欧州の地に向かって墜ちていく。
 突然の闖入者に対応しようとした敵機もあったが、クレナイ小隊の三番機、四番機である小暮二飛曹と松岡三飛曹機が分離してそれを追い払う。一番機の綺羅はかまわず渦のど真ん中に飛び込んでいった。二番機の洋一はその後ろに付いていくしかない。
 今度は数珠つなぎのど真ん中、殆ど直行する軌道で射撃した。機体中央に一連射。操縦席の天蓋が砕け散るのが洋一にも見えた。機体はうっすらと煙を出して居るだけだが、あれはもうダメだろう。
 しかし今度のは位置が悪い。撃ち落とした機の列機とおぼしき機が、仇である綺羅機を追おうとしている。洋一は急いで無線に叫んだ。
「クレナイ二番より一番、左から来ます!」
 しかし綺羅に慌てる様子は無かった。
「洋一君、任せた」
 そう応えざまに切り返すと、そのフォッカーは洋一の目の前に飛び出してきた。ここまでお膳立てされてはもう任されるしかない。洋一はフォッカーの背中に照準を合わせて、そして引き金を引いた。
 20㎜弾は装甲板をも貫通し、胴体後部の燃料を盛大に吹き出させた。機銃弾に混ざった焼夷弾がそこに火を付けると、フォッカー109の後部から派手な炎に包まれた。空に紅蓮の線を引きながら、その機は墜ちていった。
 綺羅たちの乱入で戦場の流れが一気にこちら側に傾いたらしい。銀翼を輝かせた〈隼〉がフォッカーに銃弾を叩き込んで煙を吹かせている。かろうじて降下で振り切った生き残りは這々の体で離脱していく。
「まったく、宮様に頼むと美味しいところを持ってくからなぁ」
「良いじゃないですか。楽しそうなことを我慢すると身体に悪い」
 陸軍の戦隊長のぼやきに、綺羅は悪びれる様子も無い。
「まあ今日は勝った。助かったよ紅宮少佐殿」
 実際、苦戦続きの欧州戦線では久しぶりの快勝であったらしい。
「新しい十式も良い感じだし、あと、その4機編隊調子よさそうだな」
 秋津軍は陸軍も海軍も、これまで3機編隊が基本であった。指揮官機を2番機と3番機が援護するという形であった。
「良いでしょう。ブランドルがやってたのが良さそうだったんで真似してみたんですよ」
 去年の開戦以来、ブランドル空軍と何度か矛を交えて、彼らの4機編隊による戦闘の方が優れているのではという意見が随所で出ていた。
 1番機と2番機、2番機と4番機がそれぞれペアとなって行動する。それぞれの組で相互支援する戦い方は、やってみると確かに様々な状態に柔軟に対応し易かった。
 とはいえ基本戦術を変えるのは容易なことでなかった。彼らも綺羅が勝手に自分の中隊でやっている様なものであった。しかし成果が出たのは洋一たちにとって喜びではあった。彼らのこの冬かけた特訓は、そして何より紅宮綺羅は間違っていなかった。
陸軍うちでもやってみるかなぁ。こいつも報告だな」
 20㎜を積んだ戦闘機も、4機編隊の戦闘も、今の陸軍にはない。しかし今は形式的な壁にこだわって居る暇はない。少なくともこの戦隊長はそう考えているようであった。
「勝っているうちにおいとましよう。ではまた」
 編隊を整えた一一式戦闘機〈隼〉は南西に針路を取る。彼らはブレスト近郊の基地に帰投する。
「ではまた。楽しかったですよ」
 綺羅たちは北西へと針路を変える。
「さあ、〈翔覽〉に還ろうか」
 彼らの還るべきは洋上で遊弋している空母〈翔覽〉であった。海に向かって八機の十式艦戦は翼を連ねた。
 振り返るとブリタニー半島が横たわっていた。欧州も、随分と狭くなってしまったな。洋一は妙な感慨にふける。遣欧秋津軍も一年前はまだベルギー国境辺りで戦っていたが、今やこのブリタニー半島に押し込まれている。そして立ち上る幾つもの黒煙。
 地獄の戦場へようこそ。欧州からそう云われて居るように洋一には感じられた。
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