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2 テスト飛行ごっこ
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その結果が今の洋一が乗る十式艦戦の有様だった。
「十式艦戦は翼端を五十㎝畳めるようになってますよね」
あの時朱音は広げた手を畳みながらそう説明した。十式艦戦の翼幅は十二mぴったりである。何でも航空本部の要求は空母のエレベーターのサイズである十二m以下だったので、限度一杯で設計したらしい。
ところがあまりにギリギリすぎて、少しでもずれるとエレベーターに引っかかってしまうために急遽五十㎝だけ畳めるようにされた。
「折りたたみ部分を外すのは簡単ですから、その状態で試験飛行ぐらいはできますよ」
かくしてその実験台に洋一の機体が選ばれてしまった。半円形の翼端が外されて、木を削った整流カバーが申し訳程度に貼り付けられている。応急処置用の木材を整備科が削って作ったそうだ。
実験は勝手だが、何も自分の機体にしなくても。見るも無惨な姿に変わってしまった愛機を、洋一は恨めしそうに眺めた。
そもそも十式艦戦は優美な曲線による伸びやかな姿が魅力なのに、それを雑に切り飛ばすなんて、無粋にもほどがある。しかもそれを飛ばすのは自分なのだ。どうにも洋一は気乗りしなかった。
翼幅が左右合わせて一m縮んだことにより、いくらか速くなるのではないかというのが実験の目論見だった。代わりに翼面積が減るので旋回性や離着陸性能は下がる可能性がある。そのために発艦位置は余裕を持っていつもより長く、後部エレベーターからとなった。
甲板士官がさっさと行けとばかりにぞんざいに発艦許可の旗を振る。波も穏やかで風もよい。しょうがない。意を決して洋一はスロットルを押し出して、ブレーキを外した。
姿はともかく葛葉一二型発動機は力強く機体を引っ張る。倒されたワイヤーを踏みゴトゴトと揺れながら十式艦戦は翔覽の甲板を走り始めた。
加速が少し良い気がする。操縦桿を押して尻尾を持ち上げて洋一は滑走する。ちょいちょいと操縦桿を戻しながら浮き具合を確認する。甲板の先端辺りではもう充分に浮き上がれるぐらいであった。
操縦桿を引いて風を掴み、空へと駆け上がる。いつもより滑走距離は長めとはいえ、これなら普段の発艦位置からでも大丈夫そうだった。
脚とフラップを畳んで洋一は上昇に移る。やはり二、三ノットぐらい余計に速くしないと舵の効きが心許ない。姿勢が安定したところで洋一は座席の脇に置いておいた書類板を出す。
覚え書きのようなことを書き込んでから周囲を見回そうとして、洋一は視線を固定してしまう。真紅の尾翼が、すぐ横に居たのである。
「洋一君、機体の様子はどうだ」
紅宮綺羅がいつの間にかすぐ横を飛んでいた。彼女を象徴する真紅の尾翼は、太陽よりも鮮やかであった。
「こちらウグイス、上々です。これから最高速試験に入ります」
洋一はまず四千五百mまで上昇する。
高度が上がれば空気は薄くなる。空気が薄い方が機体の抵抗は少なくなるが、その代わり発動機は出力が低下してしまう。それを補うのが過給器である。大雑把に云えば空気を扇風機で押し込んでくれる、便利な装置だった。
最大出力を出せる一番高い高度で飛ぶのが一番速くなる。それがこの場合の四千五百mであった。マスクを押さえて人間にとっての過給器である酸素を吸い込んでから、洋一は上昇に掛かった時間を書き込む。機体を水平に戻して、スロットル全開。
葛葉一二型発動機は力強く吠え、機体を揺すぶる。回転計は毎分三千回転を示し、過給圧は+二百㎜hg。
しかし飛ばしている洋一はいまいちピンとこない。四千五百mもの高度ともなると地上は遙か下で、雲も無い空である。対象物がないと五百㎞出しているのか止まっているのかよく判らない。発動機が轟音を上げて、速度計が指し示しているから速度が出ているのだろう。洋一としては計器を見ながら針路を維持した。
速度計の上昇が緩やかになり、やがて進まなくなる。ここいらが最高速度か。数字を読み取ってからスロットルを戻した。
借りてきた計算尺で対地速度を割り出す(速度計も高度による影響を受ける)。
「洋一君、何ノットでた?」
綺羅様が実に楽しみに訊いてくる。とにかく彼女の関心事は速度らしい。
「こちらウグイス。最高速度は二百九十四ノット(五百四十四km/h)」
通常型との差は二ノットほどだった。
「そんなものかぁ」
事前に朱音が計算した数字と同じぐらいだったが、綺羅様には物足りなかったようだ。
気配を感じて振り向くと、反対側に今度は成瀬一飛曹の機体が並ぶ。翼を軽く振ってから手で一と四を示す。
「ウグイス了解。百四十ノットとします」
地上である程度打ち合わせしていたとはいえ、最近は成瀬一飛曹の合図が判るようになってきた。これが以心伝心と云うものなのだろうか。
十式艦戦の最適旋回速度が大体百四十ノットなので、それに速度を合わせて成瀬機と並んで飛ぶ。成瀬機が翼を軽く振って合図すると、それに合わせて洋一は操縦桿を一気に左に倒した。
主翼が天と地をそれぞれ指す。次いで操縦桿を一杯まで引く。二機は並んで垂直旋回に入った。
同じように操縦桿を引いているはずだが、洋一の機体の方が外に膨らんでいく。やはり主翼面積が減った分、旋回性は悪くなったらしい。軌道が膨らんだ分洋一の十式艦戦は遅れていく。
一旋回の間に四秒ぐらい差が付いただろうか。違いを確認したところで二機は旋回を止める。
「やっぱり膨らんでずるずる遅れるなぁ」
上空から見ていた綺羅が講評する。
「次は急降下テストか。制限速度は変わらないから三百ノットで戻すように」
再び二機が並ぶ。同じように軽く振って合図してから、同じように大きく機体を傾ける。今度は機体が完全に裏返る。
上下反対になって、地上に向かって洋一は操縦桿を引いた。
地球の重力のおかげで、ぐんぐんと十式艦戦は加速する。ひょいと横を見ると、明らかに洋一機の方が前に出ている。翼が短い分、加速が良いという予測は正しかった。
なるほど、良いところもあるんだな。感心したところで速度計を見ると針が三百ノットに近づいていたので慌ててもう一度ロールして引き起こしに掛かる。
あれ?
強いGが掛かりながら洋一は首をひねった。いつもよりロールの操縦桿が軽かった気がする。
「お次はロールテストだ。退屈だから私も混ぜろ」
観測者でいることに飽きた綺羅が高度を落としてきて三機が横一列に並ぶ。
「三、二、一、左ロールっ」
綺羅の合図と同時に三機が左に回転する。機軸を中心に一回転すると洋一は横を見た。自分が誰よりも早く水平に戻っている。綺羅機はすぐ追いついたが、成瀬の機体は見て判るほど遅れていた。
「これは結構差が付いたな」
両者を見比べて綺羅は云った。
「隊長の機体も随分と早いですね」
彼女の機体も成瀬機と同じ翼端のはずなのに。
「ああ、私の機体はタブが付いているからな」
「タブ?」
洋一は首をひねった。
「十式艦戦のロールが高速域で重いのはできた頃から云われてな。対策として補助翼にタブをつけたんだ。理屈は塚越さんに訊いてくれ」
いきなり塚越さんと云われても洋一には判らないが、綺羅様はそんなことにはお構いなしだった。
「たしかにロールは軽くなったんだが、ところがタブつけた機体が空中分解してな」
しれっとおっかないことを云う。
「原因は主翼全体の強度不足だかで、タブ自身は直接の要因ではないというかとどめを刺したというか、まあちょっと敬遠されて一旦止めることになったんだが」
しかしここにそのタブが付いた機体がある。
「やっぱりロール速い方がいいだろ。制限速度を守ってればいいんだし」
空中分解するかもしれないのに、よく平気で乗れるものだ。
「つまり翼端切ってタブつければもっとロールは軽く速くなるということですか?」
「そう、まさにその通り」
洋一の問いに綺羅は上機嫌で応えた。
「改修型で外板を厚くして補強するそうだから、そうすれば色々できるはずなんだ。楽しみだなぁ」
まあロールが早いのは良いことだ。これを活かせば旋回性が悪い分を補えるかもしれない。そう、できればもっと高速域で。
洋一の頭の中で何かが小さく閃いた。
「こちらウグイス。二百五十ノット(四百六十三㎞/h)始まりで模擬戦やってみませんか」
予定にない提案を聞いて、成瀬は珍しく無線機のスイッチを入れた。
「アカツキよりウグイス。ったく調子に乗りやがって。まあ良いだろう。隊長、少し下でやりますので見ていてください」
無線を切ると洋一の機体と成瀬の機体が並び、揃って機首を下げ始めた。スロットルも開いて高度を下げながら速度を上げる。
速度計がくるくると回り、針が二百五十を示す。横を見ると成瀬がこちらを見て頷く。それを合図に洋一は一気に翼を傾けた。
普段だったら重くてにっちもさっちもいかないところが軽々と、とまでは行かなくともなんとか回せる。視線を頭上に転じると、成瀬機はまだこちらに傾けきっていない。
そのまま操縦桿を引いて、二機が交差する機動に入る。すれ違った上空で、洋一は反対側に操縦桿を倒す。
高速域での切り返し。十式艦戦の一番苦手な機動だった。さすがの名手成瀬一飛曹も、完全に一動作遅れてしまった。
やった。狙い通りに後ろに回れた。洋一はGに耐えながらも高揚してくる。これは初めて成瀬一飛曹から「一本」をとれるかもしれない。照準に捉えようと洋一はさらに操縦桿を引いた。
頭上にあった成瀬機の位置がするすると前に降りてくる。これは行けるか。そう期待したとき、ふと洋一は違和感を覚えた。なんだか、機首の方向がおかしくないか。
どういう理屈か知らないが、成瀬機は無理矢理上方向に機首を向けると、そこから強引に上昇へと持って行った。
高度と引き換えに速度を落とす気か。洋一も後を追ったが、上昇の頂点で、成瀬は小さく独楽のように回った。あっけにとられる間もなく、成瀬機は洋一の背後に滑り込んできた。
垣間見えた勝利は霞のように消え去り、観念した洋一は翼を振ってから手を上げて降参を示した。
「お疲れさん、いやなかなか良い勝負だった」
上から見ていた綺羅は存分に空戦を堪能していたらしい。
「洋一君、気を落とすな。成瀬にあの技を使わせたのは大したものだぞ。私も二回しか見せて貰ってないんだから」
奥の手を使わせるほど追い詰められたのだろうか。
「そろそろ降りよう。洋一君、その機体ちょっと貸してくれ」
見ていて綺羅は乗りたくなってきたらしい。まるでおもちゃを欲しがる子供のようだった。
翔覽に向かいながら洋一は自分の機体の翼端に視線を向ける。五十㎝縮めただけでもそれなりに機体の特性は変わるものなのだな。特にロールが軽いのが気に入った。
不格好だと思っていたが、改めてみるとなかなかどうして精悍ではないか。
最初に乗ったときの不平はどこへやら、なんだか降りるのが勿体なくなってしまった。
このままいつまでも飛んでいられれば良いのに。洋一は奇妙なほど平和な空を堪能していた。
「十式艦戦は翼端を五十㎝畳めるようになってますよね」
あの時朱音は広げた手を畳みながらそう説明した。十式艦戦の翼幅は十二mぴったりである。何でも航空本部の要求は空母のエレベーターのサイズである十二m以下だったので、限度一杯で設計したらしい。
ところがあまりにギリギリすぎて、少しでもずれるとエレベーターに引っかかってしまうために急遽五十㎝だけ畳めるようにされた。
「折りたたみ部分を外すのは簡単ですから、その状態で試験飛行ぐらいはできますよ」
かくしてその実験台に洋一の機体が選ばれてしまった。半円形の翼端が外されて、木を削った整流カバーが申し訳程度に貼り付けられている。応急処置用の木材を整備科が削って作ったそうだ。
実験は勝手だが、何も自分の機体にしなくても。見るも無惨な姿に変わってしまった愛機を、洋一は恨めしそうに眺めた。
そもそも十式艦戦は優美な曲線による伸びやかな姿が魅力なのに、それを雑に切り飛ばすなんて、無粋にもほどがある。しかもそれを飛ばすのは自分なのだ。どうにも洋一は気乗りしなかった。
翼幅が左右合わせて一m縮んだことにより、いくらか速くなるのではないかというのが実験の目論見だった。代わりに翼面積が減るので旋回性や離着陸性能は下がる可能性がある。そのために発艦位置は余裕を持っていつもより長く、後部エレベーターからとなった。
甲板士官がさっさと行けとばかりにぞんざいに発艦許可の旗を振る。波も穏やかで風もよい。しょうがない。意を決して洋一はスロットルを押し出して、ブレーキを外した。
姿はともかく葛葉一二型発動機は力強く機体を引っ張る。倒されたワイヤーを踏みゴトゴトと揺れながら十式艦戦は翔覽の甲板を走り始めた。
加速が少し良い気がする。操縦桿を押して尻尾を持ち上げて洋一は滑走する。ちょいちょいと操縦桿を戻しながら浮き具合を確認する。甲板の先端辺りではもう充分に浮き上がれるぐらいであった。
操縦桿を引いて風を掴み、空へと駆け上がる。いつもより滑走距離は長めとはいえ、これなら普段の発艦位置からでも大丈夫そうだった。
脚とフラップを畳んで洋一は上昇に移る。やはり二、三ノットぐらい余計に速くしないと舵の効きが心許ない。姿勢が安定したところで洋一は座席の脇に置いておいた書類板を出す。
覚え書きのようなことを書き込んでから周囲を見回そうとして、洋一は視線を固定してしまう。真紅の尾翼が、すぐ横に居たのである。
「洋一君、機体の様子はどうだ」
紅宮綺羅がいつの間にかすぐ横を飛んでいた。彼女を象徴する真紅の尾翼は、太陽よりも鮮やかであった。
「こちらウグイス、上々です。これから最高速試験に入ります」
洋一はまず四千五百mまで上昇する。
高度が上がれば空気は薄くなる。空気が薄い方が機体の抵抗は少なくなるが、その代わり発動機は出力が低下してしまう。それを補うのが過給器である。大雑把に云えば空気を扇風機で押し込んでくれる、便利な装置だった。
最大出力を出せる一番高い高度で飛ぶのが一番速くなる。それがこの場合の四千五百mであった。マスクを押さえて人間にとっての過給器である酸素を吸い込んでから、洋一は上昇に掛かった時間を書き込む。機体を水平に戻して、スロットル全開。
葛葉一二型発動機は力強く吠え、機体を揺すぶる。回転計は毎分三千回転を示し、過給圧は+二百㎜hg。
しかし飛ばしている洋一はいまいちピンとこない。四千五百mもの高度ともなると地上は遙か下で、雲も無い空である。対象物がないと五百㎞出しているのか止まっているのかよく判らない。発動機が轟音を上げて、速度計が指し示しているから速度が出ているのだろう。洋一としては計器を見ながら針路を維持した。
速度計の上昇が緩やかになり、やがて進まなくなる。ここいらが最高速度か。数字を読み取ってからスロットルを戻した。
借りてきた計算尺で対地速度を割り出す(速度計も高度による影響を受ける)。
「洋一君、何ノットでた?」
綺羅様が実に楽しみに訊いてくる。とにかく彼女の関心事は速度らしい。
「こちらウグイス。最高速度は二百九十四ノット(五百四十四km/h)」
通常型との差は二ノットほどだった。
「そんなものかぁ」
事前に朱音が計算した数字と同じぐらいだったが、綺羅様には物足りなかったようだ。
気配を感じて振り向くと、反対側に今度は成瀬一飛曹の機体が並ぶ。翼を軽く振ってから手で一と四を示す。
「ウグイス了解。百四十ノットとします」
地上である程度打ち合わせしていたとはいえ、最近は成瀬一飛曹の合図が判るようになってきた。これが以心伝心と云うものなのだろうか。
十式艦戦の最適旋回速度が大体百四十ノットなので、それに速度を合わせて成瀬機と並んで飛ぶ。成瀬機が翼を軽く振って合図すると、それに合わせて洋一は操縦桿を一気に左に倒した。
主翼が天と地をそれぞれ指す。次いで操縦桿を一杯まで引く。二機は並んで垂直旋回に入った。
同じように操縦桿を引いているはずだが、洋一の機体の方が外に膨らんでいく。やはり主翼面積が減った分、旋回性は悪くなったらしい。軌道が膨らんだ分洋一の十式艦戦は遅れていく。
一旋回の間に四秒ぐらい差が付いただろうか。違いを確認したところで二機は旋回を止める。
「やっぱり膨らんでずるずる遅れるなぁ」
上空から見ていた綺羅が講評する。
「次は急降下テストか。制限速度は変わらないから三百ノットで戻すように」
再び二機が並ぶ。同じように軽く振って合図してから、同じように大きく機体を傾ける。今度は機体が完全に裏返る。
上下反対になって、地上に向かって洋一は操縦桿を引いた。
地球の重力のおかげで、ぐんぐんと十式艦戦は加速する。ひょいと横を見ると、明らかに洋一機の方が前に出ている。翼が短い分、加速が良いという予測は正しかった。
なるほど、良いところもあるんだな。感心したところで速度計を見ると針が三百ノットに近づいていたので慌ててもう一度ロールして引き起こしに掛かる。
あれ?
強いGが掛かりながら洋一は首をひねった。いつもよりロールの操縦桿が軽かった気がする。
「お次はロールテストだ。退屈だから私も混ぜろ」
観測者でいることに飽きた綺羅が高度を落としてきて三機が横一列に並ぶ。
「三、二、一、左ロールっ」
綺羅の合図と同時に三機が左に回転する。機軸を中心に一回転すると洋一は横を見た。自分が誰よりも早く水平に戻っている。綺羅機はすぐ追いついたが、成瀬の機体は見て判るほど遅れていた。
「これは結構差が付いたな」
両者を見比べて綺羅は云った。
「隊長の機体も随分と早いですね」
彼女の機体も成瀬機と同じ翼端のはずなのに。
「ああ、私の機体はタブが付いているからな」
「タブ?」
洋一は首をひねった。
「十式艦戦のロールが高速域で重いのはできた頃から云われてな。対策として補助翼にタブをつけたんだ。理屈は塚越さんに訊いてくれ」
いきなり塚越さんと云われても洋一には判らないが、綺羅様はそんなことにはお構いなしだった。
「たしかにロールは軽くなったんだが、ところがタブつけた機体が空中分解してな」
しれっとおっかないことを云う。
「原因は主翼全体の強度不足だかで、タブ自身は直接の要因ではないというかとどめを刺したというか、まあちょっと敬遠されて一旦止めることになったんだが」
しかしここにそのタブが付いた機体がある。
「やっぱりロール速い方がいいだろ。制限速度を守ってればいいんだし」
空中分解するかもしれないのに、よく平気で乗れるものだ。
「つまり翼端切ってタブつければもっとロールは軽く速くなるということですか?」
「そう、まさにその通り」
洋一の問いに綺羅は上機嫌で応えた。
「改修型で外板を厚くして補強するそうだから、そうすれば色々できるはずなんだ。楽しみだなぁ」
まあロールが早いのは良いことだ。これを活かせば旋回性が悪い分を補えるかもしれない。そう、できればもっと高速域で。
洋一の頭の中で何かが小さく閃いた。
「こちらウグイス。二百五十ノット(四百六十三㎞/h)始まりで模擬戦やってみませんか」
予定にない提案を聞いて、成瀬は珍しく無線機のスイッチを入れた。
「アカツキよりウグイス。ったく調子に乗りやがって。まあ良いだろう。隊長、少し下でやりますので見ていてください」
無線を切ると洋一の機体と成瀬の機体が並び、揃って機首を下げ始めた。スロットルも開いて高度を下げながら速度を上げる。
速度計がくるくると回り、針が二百五十を示す。横を見ると成瀬がこちらを見て頷く。それを合図に洋一は一気に翼を傾けた。
普段だったら重くてにっちもさっちもいかないところが軽々と、とまでは行かなくともなんとか回せる。視線を頭上に転じると、成瀬機はまだこちらに傾けきっていない。
そのまま操縦桿を引いて、二機が交差する機動に入る。すれ違った上空で、洋一は反対側に操縦桿を倒す。
高速域での切り返し。十式艦戦の一番苦手な機動だった。さすがの名手成瀬一飛曹も、完全に一動作遅れてしまった。
やった。狙い通りに後ろに回れた。洋一はGに耐えながらも高揚してくる。これは初めて成瀬一飛曹から「一本」をとれるかもしれない。照準に捉えようと洋一はさらに操縦桿を引いた。
頭上にあった成瀬機の位置がするすると前に降りてくる。これは行けるか。そう期待したとき、ふと洋一は違和感を覚えた。なんだか、機首の方向がおかしくないか。
どういう理屈か知らないが、成瀬機は無理矢理上方向に機首を向けると、そこから強引に上昇へと持って行った。
高度と引き換えに速度を落とす気か。洋一も後を追ったが、上昇の頂点で、成瀬は小さく独楽のように回った。あっけにとられる間もなく、成瀬機は洋一の背後に滑り込んできた。
垣間見えた勝利は霞のように消え去り、観念した洋一は翼を振ってから手を上げて降参を示した。
「お疲れさん、いやなかなか良い勝負だった」
上から見ていた綺羅は存分に空戦を堪能していたらしい。
「洋一君、気を落とすな。成瀬にあの技を使わせたのは大したものだぞ。私も二回しか見せて貰ってないんだから」
奥の手を使わせるほど追い詰められたのだろうか。
「そろそろ降りよう。洋一君、その機体ちょっと貸してくれ」
見ていて綺羅は乗りたくなってきたらしい。まるでおもちゃを欲しがる子供のようだった。
翔覽に向かいながら洋一は自分の機体の翼端に視線を向ける。五十㎝縮めただけでもそれなりに機体の特性は変わるものなのだな。特にロールが軽いのが気に入った。
不格好だと思っていたが、改めてみるとなかなかどうして精悍ではないか。
最初に乗ったときの不平はどこへやら、なんだか降りるのが勿体なくなってしまった。
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