蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 三の巻

初音幾生

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1 戦中暇あり勉強会

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 萬和ばんな十年(一九四〇年) 九月五日
    秋津海軍航空母艦 翔覽 艦上
 

  秋と云うにはまだまだ暑い秋津海の潮風が、空母翔覽の甲板をまんべんなく撫でる。
 海軍三等飛行軍曹丹羽洋一は、愛機十式艦上戦闘機の操縦席に座って海風と、プロペラの生み出す遙かに力強い風を浴びていた。葛葉一二型発動機エンジンは今日も快調である。輪止めをかませてブレーキを一杯に踏みしめても、全開にすれば今にも飛び出しそうになる。
 操縦席の脇に立っていた整備員の小野朱音が、洋一の肩を叩く。振り向くと彼女は大きく頷きながら手を押す仕草でエンジンの回転を落とすよう指示する。スロットルを戻すと轟音が小さくなり、ようやく話せるようになった。
「はい、暖気オーライ。さすが私、いい音している。発艦して大丈夫よ」
 整備員としての仕事に満足すると主翼の上から甲板に降りる。
「エンジンは大丈夫なのは良いけどさ」
 洋一は降りて離れていく幼なじみに声を張り上げた。
「ほんとに大丈夫なのか? この翼」
 そう云って洋一は主翼の先端を指し示した。
「大丈夫、私を信じなさい」
 発艦の邪魔にならない位置まで下がった朱音は胸を張ってそう答える。
「それが一番あてにならないんだけど」
 聞こえないように小さい声でつぶやきながら忌々しげに洋一は翼端を見た。十式艦戦の優美に伸びた丸い翼端は途中からバッサリ切り落とされ、端が機体の明るい灰色と異なる、木の色となっていた。
 まったく、俺の十式をこんなにかっこ悪くしやがって。
 翼端を見て腹立たしげに洋一は口元をへの字に曲げた。

 七月に洋一たち翔覽航空隊は派遣先のアミアンからシェルブールへと後退し、当初の予定では北ノルマン海の哨戒任務に就くはずだった。ところが今、翔覽が航行しているのは遠州灘である。より危険の少ない海域での任務に変わったのは最後のゴタゴタで洋一たちが運び込んだ「機材」のおかげであろう。
 フォッカーFo109E-4。敵ブランドル空軍の新型機を、無傷で入手したのである。
 軍令部やら鳥羽鎮守府やらと様々なやりとりののち、空母翔覽は急遽本国へと帰還となった。三十四ノット全速で秋津に戻ると母港である舞鶴でもなく、海軍の本拠地である鳥羽でもなく名古屋港に深夜入港となった。暗闇の中で厳重に覆いに包まれたフォッカーを降ろすと、翔覽はそのまま近海での哨戒任務となった。
 飛行可能なフォッカーは空母のスケジュールを変更するだけの価値があったらしい。おかげで洋一たちも比較的安全な海域に移ることができた。それから一月以上、哨戒任務の傍ら再び訓練の毎日だった。
 戦乱の欧州をくぐり抜けてきた後での気楽な任務は、いささか退屈ではあった。しかしまだまだ未熟なまま放り込まれた洋一には、ここで改めて訓練に費やせるのはありがたかったかもしれない。隊員たちも実戦を経験したために密度の高い、効果的な訓練が出来るようになってきた。
 しかしそれはそれとして暇ではあった。そして暇になると妙なことが始まる。きっかけは欧州での経験を踏まえた勉強会だった。
「私を含めて諸君は欧州での貴重な戦訓を得た。翔覽航空隊として、各中隊でそれをまとめて報告書にしてほしいそうだ」
 中隊長である紅宮綺羅の美しい声が中隊各員の耳に届けられる。なおも聞いていたいが、綺羅はさっさと議事進行を部下の池永中尉に譲って座ってしまう。面倒なことは嫌いなのだ。
「ええっと、十式艦戦は航空新時代に対応すべく造られた機体だけど、比較対象はあくまで六式なりの古い機体だった。今回フォッカー109など渡り合って判ったことも多いと思う。忌憚のない意見を述べてほしい」
 如才なく池永中尉は進行を務める。そして意見を求めて誰よりも早く手を上げたのは、他ならぬ綺羅様だった。
「何よりもスピードだ。フォッカーとやり合ってよく判ったが、向こうの方が速い。追いつけなければ意味が無い」
 議事進行とか議事録とかの面倒ごとは嫌がるくせに、意見は云いたいらしい。いつも通りの身勝手ぶりに、池永も中隊各員も慣れてしまった。
「とにかく戦闘機は速くなくちゃ」
 速度へのこだわりは誰よりも強い。まあ仕方ないのかもしれないぁ。遠くから綺羅の横顔を眺めながら洋一は思った。何しろ彼女、紅宮綺羅は、世界で一番速い人間なのだから。
「はい、速度ですね」
 適当に受け流しながら池永は黒板に書き込む。綺羅の態度が士官らしいかどうかは置いておいて、意見そのものは至極最もだった。
「それと突っ込みの加速で置いてかれます。何度それで逃げられたことか」
「降下制限速度が低いのも問題です。速度計を気にしながらではおちおち戦ってられません」
 綺羅の言葉に場が和んだのか、活発な意見が続々と出てくる。
「マイナスGが掛かるとエンジンが咳き込むのもどうにかしてほしいな」
 搭乗員が視線を転じた先に、整備班たちの姿があった。
「キャブレターの構造上、マイナスGでは燃料供給が止まってしまう。仕方の無いことだ」
 整備班長を束ねる大宮中尉が腕を組んで応える。池永と同じ階級だが、水兵からの叩き上げなので年輪も風格も全然違う。
「ええっと、ノルマンのモーガンエンジンは燃料を直接噴射する方式をとっているらしいのですが、我が国ではまだまだ実用化できていない技術です」
 議事録をつけていた小野朱音が班長の後を続ける。三等技曹とかなり低い階級だが、通訳をやっていた関係でノルマンの最新技術に触れていたおかげで口を挟んでも怒られない空気であった。
「二〇㎜は強力ですが、弾数はもっとほしいです」
「そりゃお前が無駄弾を撃つからだ」
 洋一の同期の松岡大介三飛曹が朱音の後なら大丈夫そうかと発言するが、案の定新米は軽くあしらわれてしまう。
「はいはい弾数ね。六十発弾倉は確かに二、三連射で撃ちつくしちゃうからねぇ」
 それでも池永中尉は意見として取り上げてくれる。
「改良するなら弾倉の大型化だけど、入るかなぁ」
 十式艦戦は強力な二十㎜機関銃をプロペラ軸に一丁搭載しているが、機首の狭い空間に置いてあるので、これ以上弾倉の大型化は怪しかった。
「整備から云わせて貰えば、これ以上重くなると交換が難しくなる。今でもあのクソ重い六十発弾倉を紐で吊って狭い隙間を降ろしてるんだぞ」
 十式艦戦の二十㎜弾倉交換はちょっとしたアクロバットになっていた。風防前の弾倉扉から、二丁並んだ七、七㎜機関銃の間を縫うように二人がかりで紐で吊りながら中に降ろしていく。なかなかの重労働だった。
「ベルト給弾式になれば良いんですけどねぇ」
 スイスのエリコン社からのライセンス品なのでそう簡単には改良できないはずだった。
「あとは防弾かなぁ。フォッカーに比べると簡単に燃えすぎる」
 池永中尉が自分で発言しながら黒板に書き足す。
「怖いですか中尉」
 その言葉には些か嘲りの色があった。
「うん怖いよ」
 しかし池永は笑って受け止めて見せた。
「僕は綺羅様や君たちみたいにうまくないからね。うっかり一撃貰ってしまう。そのまま何もせずに靖国にご厄介になるのはちょっと悔しいね」
 怯懦ととも取られる発言をあえてする辺り、実はかなり腹は据わっているらしい。洋一は優しい顔の中尉を少し見直した。
「すみません自分も一つ」
 どうせだからと洋一も思い切って手を上げた。
「高速時に補助翼エルロンが重くて、相手に切り返されるとついて行けないんですが」
 洋一も一度それで危ない目に遭った。
「鍛え方が足りないからだ。腕立て伏せ二十回」
 中隊の先任下士官である成瀬一飛曹が容赦の無い声を浴びせる。洋一はその場で腕立て伏せを始める羽目になった。
「確かに十式艦戦は着艦時とかの低速時の舵は良いんですが、高速時の補助翼エルロンは重くなる。昇降舵エレベータは良い感じなのでなんとかして頂きたいですな。我々はこうして腕力を鍛えるしかないが、それにも限度はある」
 部下には鬼のように厳しくあたりながらも、云うべきことは云ってくれた。
「高速時の舵の効き、いや操舵力の改善の必要あり、と。他にはないかな」
「あ、そうだ。フォッカーであれ便利だった。後ろに人が乗れるの」
 無造作に綺羅の声が上がるので池永が慌てて咳払いをする。フォッカーの鹵獲は艦内でも知っているのはごく一部の機密なのだ。
「何かあったときに一人二人運べると何かと便利だと思うよ」
「判りました判りました」
 これ以上余計なことを云わせないために朱音が急いで書き込んでいく。
 その他細かい機器の使い勝手などの意見が出てくる。むしろこちらは整備班の方が熱心だった。脚の踏み場が少ない、あそこが開けづらい、ここに手が入らない、それを調整するために全部外さなければならない、などなど。
「こんなものかな」
 一通り出た意見を綺羅は眺めた。
「これをまとめて航本(航空本部)か菱崎辺りに回るはずだ」
「うちらとしては要望を出すだけですからね。改善できるかはまた別の話だから」
 要望しただけで叶うぐらいならだれも苦労しない。こちらはそれらしい書類にするしかない。
「ん? えーっと、実験ぐらいできるんじゃないでしょうか」
議事録をまとめていて、朱音が妙なことを云い始めた。
「発動機の出力向上とかは難しいですが、今の我々でも試せそうなことが」
 確かに実例があった方が書類の説得力が上がるが、そう簡単にいくだろうか。
「面白そうじゃないか」
 案の定、面倒な人綺羅様が興味を持ってしまった。困ったことに、現在翔覽飛行隊は暇だけはあったのだ。

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