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21 生き残ってしまうのも、運

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 こっちも帰るかと振り返ると、松岡はいつの間にか毛糸の帽子をかぶっている。視線を転じると先ほどの羊飼いの頭に飛行帽が乗っていた。どうやら取り替えたらしい。
「これ暖かいな。なんか毛糸が違うんだよ。ゴワゴワしてるけど」
 まったく、言葉もろくに通じないのに誰とでも仲良くなれる奴だ。手を振ってから洋一は自分の機の前に立った。
 機首の下、ラジエータカバーには弾痕が傷が残っている。外から見て変わりは無いが、式の準備の傍らに応急修理を終えたらしい。何のかんの云ってあいつ手は早いな。言葉に出さない範囲で洋一は朱音の仕事ぶりに感心した。
 連絡機の方はと振り返ると、看護兵と福山が担架に縛られた今村少尉の遺体を積み込んでいるところだった。看護兵は、本来は負傷して居るであろう今村少尉を治療するために来たのだが、少々残念そうな顔をしていた。
 福山は、と見ると何やら重苦しい顔をしていた。視線は今村少尉の遺体から離れない。
 少しだけ考え込んで、洋一は連絡機の方へと進んだ。
「おーい、福山」
 努めて明るく声をかける。
「こっち乗れよ、早く戻れるぞ」
 福山のまとう空気が少し軽くなったように見えた。
「一人乗りだろ十式艦戦は」
 こちらに来ながら福山は文句を云う。
「まあ頑張れば大丈夫だからって、ほら先に乗って」
 福山を先に座らせて、その上に洋一が座る形となった。
「うわ、男二人で二人羽織はないだろ。気持ち悪い」
「座布団は黙ってろよ」
 かまわず洋一は始動手順に入る。燃料を送って、点火スイッチを入れて、引き金を引く。火薬カートリッジの爆発音と共にプロペラが回り始めた。
 不連続な爆音が冬の草原に響く。冷却水を入れ替えたことになるので暖気は入念にやる。井戸から汲んできた水をそのまま入れたけど、大丈夫なのだろうか。
 近くまで寄ってきた朱音がエンジン音に負けない声を張り上げた。
「+ブーストは使わないでね! 間に合わせだから!」
 手を上げて了解を示すと、ブレーキを踏んで回転を少し上げてみる。この様子なら大丈夫そうだな。洋一はもう一度大きく手を振って、離陸準備ヨシを知らせた。
 紅い尾翼の綺羅機を先頭に、三機の十式艦戦と、一機の九式連絡機が進み始める。ヒツジが放し飼いにされているただの草原なのだが、なんとなく滑走路と勝手に思っている場所へと連なって進む。
 滑走位置に付くと、先頭の綺羅機が走り始める。普段なら間隔を空けずに編隊離陸したいところだが、今は応急修理開けなので無理はできない。いつもより距離と時間をかけて、洋一は冬の草原を駆けた。少し重々しく浮かび上がり、十式艦戦は曇天へ向かって昇っていった。
 離陸直後は狭いとか下手くそとか煩かったが、針路を西に向けた辺りから福山が大人しくなった。
 ようやく口を開いたのは、フェロー諸島が見えなくなった辺りだった。
「生きてると思ったんだ。生きてると思ったから母艦に戻ろうとしたし、不時着もした」
 ぽつぽつと、小さな声で福山はしゃべり始めた。
「七月に配属されたばかりで、隊で一番下っ端だったんだ俺は。でも舞鶴のときに敵空母に急降下しても生きて還ってきた、運のある奴だって。だから初陣の少尉が乗ったんだ。こいつなら死ぬことはないだろうって」
 実際運はあったのかもしれない。こうして彼は生きている。
「〈ビスマルク〉の高射砲弾がな、頭の上で炸裂したんだ。後席の上辺りかな。破片はそのまま後ろ向いて座ってた少尉に向かって、ついでに計器板にもいっぱい突き刺さった」
 破壊状況から、洋一もそんな感じだろうと想像はしていた。
「でもさ、俺は、おれは無事だったんだ。座席の背当てで破片が止まって」
「運が良かったじゃないか。破片が背板を抜くこともあるって話だぞ」
 この座席は防弾というわけではない。高射砲弾の弾片でも貫通するときは貫通する。
「……こんな運なら、いらなかったよ」
 絞り出すように福山は云った。
「助かると思ったから母艦を目指したし、島に不時着もした。間に合わないって判ってたらいっそ……こんなことなら〈ビスマルク〉の土手っ腹に突っ込めば良かった」
 自分だけ生き残ってしまったことがかえって辛かったらしい。乗込むときに感じた不安は的中した。あのまま今村少尉の遺体と共に帰るのは良くないのではと思ったから無理にでもこっちに乗せたのだが。
「福山、お前はよくやってるよ」
 ことさらに明るい声で洋一は云った。
「あちこち壊れたけど、あの九式艦爆、直せば飛ばせるだろ。あれ海に沈めたら十万円じゃすまないんじゃないかな。それとお前だって五体満足だ。めでたいめでたい」
 飛行機の値段なんて考えたこともないが、とても個人が買える額でないことははっきりしていた。
「それに少尉殿のご遺族だって、遺体を持って還ってくれた方が良かったと思うぞ」
 明るい声から優しい声に洋一は切り替えた。
「子供の頃、近所に居たんだよ。台風で一人息子の乗った船が沈んじまった婆さんが。その人何年も港に通ってたんだよ、喪服着てな。船が入港してないか、息子さんが打ち上げられていないかって」
 身なりは整っていた分、毎日港へ向かう姿がある意味怖くもあった。
「遺体がないと、終われないんだよ。多分」
 悲劇であろうと、終わらないことには前に進むことができない。そんなものではないだろうか。
「……俺だけ生き残って、怒らないかな」
「怒らない怒らない」
「遺体を持ち帰って、良かったのかな」
「喜ぶと思うよ」
 無責任な安請け合いではあったが、洋一にとっては同期の心の安定の方が大事だった。
「今村少尉の最期の様子を語れるのは、お前だけなんだ。しっかり伝えるんだぞ」
「……そうだな」
 背中で福山が泣いているのが、洋一には感じられた。少しは気が晴れてくれれば良いのだが。
 自分も戦闘機乗りだ。危険と隣り合わせの稼業であるのは判っているつもりだったが、死ぬのはやっぱり怖い。しかし生き残ってしまうのも、辛いものなのだろうか。
 そこまでの体験は洋一にはなかったが、いずれ避けられない日が来るのだろうか。やっぱり辛いのかな。灰色の空はどうにも気持を落ち込ませてしまう。曇天を見上げながらまだ来ぬ心の痛みを洋一は想像した。
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