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愛しの都は喧騒の中に

#1

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 朝から続く雨は夜に止む事はなく、真夏の王都に降り注ぎます。
 水たまりの水面が夜を映す中、バー「モウカハナ」を開店させます。
 入口の看板をAPERTO営業中に切り替え、店内へ続く階段を降ります。

 一応開店はさせましたが、この雨の中ではお客様がご来店されない可能性が高いです。
 ほぼ三ヶ月ぶりですが、今日はダメになってしまっていたアサヅケなどの作り直しをしようと考えています。
 長期間店を閉めたのは久しぶりで、昨日までは掃除や在庫の確認などで終わりました。
 足りなくなった分の注文なども済ませておりますが、とりあえず今日は営業することができそうです。


 アサヅケの仕込みも終わりましたが、お客様もいらっしゃいません。
 待つ間にカウンターの席で本を読もうとした時、階段を降りてくる足音が聞こえてきました。
 私は本を置いてお客様を迎える準備をします。

 店のドアを開けて入ってきたのは、体格の良い紳士です。
 彼がここに来るのは一年ぶりでしょうか。

「今日はやってるんだな」
「今日から再開しました、お好きなお席へどうぞ」

 イザッコです、この雨の中わざわざ来たようです。
 彼が頼む物は分かっているので、タオルを渡した後で注文を聞かず氷とウィスキーの準備をします。
 お酒を出したところで、イザッコから声がかかります。

「帰ってきたんだな」
「はい」
「こっちのが良かったのか?」
「そうですね」
「は、それは良かった」

 ウィスキーを少しだけ口にしてから、イザッコは独り言のように言葉を続けます。

「リュンヌの奴らが帰った後でいなくなっただろ? だから今度こそ出てったのかと思ってな」
「それなら来る前に去っています」
「サチのとこのチリエージョ、あれお前がやったんだろ? だから本当にいなくなったんだと思ってよ」
「ご期待に添えず申し訳ありません」
「何年経っても素直じゃねぇな、お互い」
「あなたと一緒にしないで下さい」

 イザッコとのやりとりは何年経っても変わりそうもありません。
 私は片付けも一通り終えているため、彼の前で静かに立つしか出来ることが思いつきそうにないです。
 それを分かってか、イザッコはグラスの中のウィスキーを飲み干してから予想外なことを言います。

「どうせ今日はもう客来ないだろ? 久しぶりに俺の酒に付き合え」
「お断りします」
「じゃあ一杯奢ってやるから飲め」

 彼が私にお酒を奢るなどありえないように思え、一瞬反応に戸惑います。
 他の方と違って不遜な言い方ですが、何とも彼らしいと言いますか。

「では一杯だけ」

 まさかのイザッコからの申し出、せっかくですので自分の好きな物を作りましょうか。
 背後の棚の中にある酒をいくつか取り出し、カクテルを作ろうかと思います。

「何作るんだ?」
「アースクエイクと呼ばれる物を、私好みに分量を変えたものです」

 ジンとペルノ、ウィスキーを同じ分量でシェイクするものですが、私はウィスキーを少し減らした物が好みです。
 かなり強い物ですし、当店でご注文を受けることはまずありません。
 先日シアン様がペルノを何杯か注文されたため、また補充しておきたいところです。

 冷やしておいたカクテルグラスをカウンターに置き、シェイカーを傾けます。
 淡い果実のような色でグラスが染まり、角度を戻したシェイカーの中で、氷がカランと心地よい音を響かせます。
 その後でイザッコに使ったウィスキーをロックで用意します。

「では頂きます」
「おう、よく帰ってきたな」

 軽くグラスを上げ、小さく彼に感謝を示します。

「いつ帰ってきたんだ?」
「一昨日の夜に帰国して、昨日は店の片付けをしておりました」
「なら今の王都の様子は大体知ってるな」
「はい、私がヴァローナに行っている間に空気が変わりましたね」

 事前にお客様とビャンコ様から聞いてはおりましたが、どことなく活気が失われているように思えました。
 騎士が年末の時期のような警戒をしており、それが一因にもなっているように思います。

「最初は派手な痴話喧嘩が多いだけだったんだが、それに並行してスリの被害が増えたせいだな。時期から考えて痴話喧嘩の原因の女に何かありそうだが、証拠がないからどうにも出来ねぇ」
「スリですか、王都では珍しいかもしれませんね」
「よその国と比べるとそうだな。ネストレに普通の捕物の仕事に回すようにしたら少し回復してなぁ……剣の腕前が活かせるってよ」
「ネストレ様に何かあったのですか?」

 私の質問に、イザッコは小さく鼻で笑って見せます。

「あぁそうか。まぁアイツもお前と同じで、顔面良いせいで損してるからなぁ」
「私とネストレ様を同列に考えてはいけないと思います」
「は、確かにそうだ。アイツはお前と違って明るい奴だ、ネストレに悪かったな」

 その通りかと思います。
 私は分からないように小さくため息をついてから、話の軌道を戻してみます。

「ビャンコ様から簡単に聞きましたが、その女性は術士ではないそうですね」
「らしいな、最近来た占い師んとこに通ってるからそれじゃねぇか? とは聞いたが、あの女が通ってる場所が多いし、そうだとは言い切れねぇ」
「一度占い師の元へ行ってみてはどうですか?」
「どうだかな、治安優先で考えたら痴話喧嘩かスリしてる奴らを捕まえる方が優先だろ。怪しいには怪しいが、ビャンコに相談だな」
「確かに騎士団としてはスリの防止の方が優先ですね」
「下手に注目集めるもんがなきゃ楽なんだが、最近は俺が出てって黙らせてるから少しは減ったんだぞ」
「お疲れ様です」

 イザッコは私の言葉に小さく笑って見せ、グラスを小さく傾けます。

 それからは私がヴァローナに行った事に関して、彼がどう考えたかを聞かされました。
 彼は今度こそ本当に私が王都から出ていったものだと思っていたそうです。
 店の看板が外される時には帰ってくると考え、たまに見に来ていたとの事。
 思い至った理由は海辺にあるカンヒザクラで、私がここでやりたかったことをやり終えたと考えたそうでした。

「お前なら俺に挨拶なんぞしないだろうからな、心配させるだけさせて何も言わねぇし」
「いい大人が数ヶ月いなくなっただけで大袈裟ですよ」
「いい大人は誰にも連絡しないでいなくならねぇよ」
「特に知らせるべき方もおりませんし」
「その知らせるべき奴に俺を入れておけ」
「気が向いたらそういたします」

 ここまで話したところで、イザッコに深いため息をつかれます。
 心底呆れたとでも言いたげな、何か癇に障る物があります。

「何ですかそのため息は」
「お前は本っ当に口調以外は変わらんな、心配されたんだから素直に『ありがとう』くらい言えんかね」
「何故でしょうね、あなたを相手にするとその言葉を言うのが躊躇われるのですよ」
「な、お前……口調がそんなになった分余計腹立つな」

 そういえば、イザッコは私の元の口調の方に慣れてる数少ない方ですね。
 知り合ってから随分経つのに、私達の言い合いはまるで進歩がありません。
 昔ならこういう言い合いをしているとサチ様によく叱られたものです。
 片や現騎士団長、片やオーガの変異種の喧嘩を小柄な女性止めていたのですから、なんとも情けない話です。

「何だよ」
「何がですか?」
「笑うからだよ」
「あぁ、昔を思い出しまして」
「昔ぃ? ……あぁ、よくサチさんに下らない喧嘩止めろって言われてたな、そういや」
「並んで地面に座らされた事もありましたね、なぜ仲良くできないのかと」
「はっ、あったなそんなこと。今でもこんなだって知ったら、また説教されんな」

 懐かしい思い出です。
 喧嘩の原因は忘れましたが、その頃から口調に関して直すよう言われていたように思います。

「最近ケータ様と他のお客様が異世界の話をしているのを聞いていると、過去の私とサチ様を思い出すのですよ」
「あぁ、そうかもな。でもサチとアイツだと、説明のわかりやすさが大分違うんじゃねぇのか?」
「……それは、正直少し羨ましく思ってしまいますね」
「そうだろうな、一昨年のハナビ見た時は感心したからなぁ……お前、よくあの説明でやったな」

 あの時思い出したハナビの追加の説明はこうです。

 ーー空で爆発が起きて、散った火花がお花みたいに見えるの!

 サチ様の世界には、過激な娯楽があるのかと驚いたものです。

「実際はもっと違うものだとは思いますが、私なりにだとあぁなります」
「良いんじゃねぇか?」
「ちゃんとしたものをお見せしたかったです」
「空から見てんじゃねぇか?」
「それなら良いのですけどね」

 サチ様の霊はオランディにはいらっしゃいません。
 空からというのはサチ様が仰ったにすぎず、実際のところはよく分かりません。
 童話の一幕でそういったお話があるのかもしれませんが、サチ様に会えないことに変わりませんのであまり興味がありません。

「こんな感じで、お前と酒が飲める日が来るとはなぁ」
「そうですね」

 そう考えると、あの時より私達は大人になったのかもしれません。
 私が再びグラスに手をつけようとした時、本日二人目のお客様がご来店されたようです。
 急ぎ出迎えるためカウンターから出ます。

 イザッコととの短い飲み会は一旦終わりのようです。
 またの機会があるかは分かりませんが、その時にまた昔話でも出来たら今度は楽しく飲めるかもしれません。
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