ココロノアリカ〜35歳男が中学生女子になったその日から〜

黒瀬カナン

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春樹の追憶 アルバムと手紙

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実家で両親と母が妙な会話に呆れた私は諦めて2階にある自分の昔使っていた部屋へと足を運んだ。

その部屋は自分が暮らしていた頃とは家具の配置などが変わっていて、かつての面影はない。
だけど、ベッドに横になる。天井を見上げるとそこには実家を出るまでの間見ていた光景が広がり、幼い頃に戻った様な思いになる。

ゴロンと寝返りを打つと、見慣れない自分の部屋にある本棚が目につく。そこには本や漫画、そして数冊のアルバムを見つける。

私はベッドから起きあがり、アルバムを手に取る。アルパムにかつての自分達家族の若かりし頃の姿が写る。

笑顔の父に抱かれた産まれたばかりの俺、父が撮ったであろう母に手を引かれる幼い頃の俺の後ろ姿。そして冬樹かと見間違えるほどそっくりな、卒業式で母と共に写る小学6年生の俺の姿などの数々の思い出の数々がそこには写っていた。

そして、もう一冊のアルバムを開くとそこには冬樹が生まれてからの写真の数々が収められていた。

実家に泊まる時に四季と共にアルバムを見た。
かつての自分に似た冬樹と俺の写真を見比べるたびに四季と笑い合っていた。

だが、今の私には一緒に笑いあう人はいない。
少し寂しさがこみ上げてくる。
それを紛らわせるために、私はもう一つのアルバムの存在に気付く。

俺を庇って死んでいった妹、樹愛のアルバムだ。
色褪せた写真に笑い、泣き、怒った今は亡き妹の姿があった。

元々は妹の部屋にそれはあり、両親は見ていた様だが、私自身は生前に写真を見る事ができなかった。在りし日の妹が残るその写真を見て私は涙を溢す。

「……ごめんな。兄ちゃん、助けてもらったのに、こんな姿になっちゃった」

涙ながらにアルバムをめくっていくと、1枚の写真がひらひらと落ちた。

妹の中学入学式前に2人で撮った最後の写真で、俺は無表情でカメラを見つめ、妹が俺とは反対の方向を向いていた。

ふと、その写真は表面が凸凹している事に気が付いた。まるでボールペンで何かを描いた様な跡が、写真の片隅にあるのだ。

私は不思議に思い、裏を見てみるとそこには文字が書いてあった。

……お兄ちゃん、大好き……

いつ書かれたかはわからない。
何故、今これが見つかったかは分からない。
だが、私はこの言葉に救われた。



病院からの連絡を受けた俺と父は2人、車内に蔓延する沈黙の中、病院に向かっていた。

車に乗る前も、乗ってからも妹の容体については聞かされていない。親に聞いても、大丈夫としか言わなかった。

父は無表情で前だけ見つめ、俺は下を俯いていた。

死線を彷徨う……いや、もしかしたら既に死んでしまっているかもしれない妹を思うと、後悔の念ばかりが頭に過る。

「父さん……ごめん」
俺は声にならない声で父に許しを請う。
だが、父は返事をしなかった。

声が小さくて聞こえなかったのかもしれないし、この状況を作ってしまった俺を無言で責めているのかもしれない。

だから俺に目を合わせることなく前だけ見据え、車を走らせているのだろう。
そう思うと、自責の念が俺の思考を埋め尽くす。

人の死が、初めて怖くなった。

無言のまま車は走り続け、俺達は病院へとたどり着くと、俺は車から降りて駐車場に佇む。

足が動かないのだ。

夜の帳がいっそう辺りを暗くし、病院の夜間窓口の灯りも妙に遠く、暗い。

「行くぞ……」
父が一言静かに呟くと、足早に歩き出す。
俺も父の後を追うが足取りはやはり重い。

薄暗い通用口を抜けて、妹のいる部屋へ駆け込むと、医師と看護師に囲まれたベッドが目に入る。
そばでは母が泣いている。

「今しがた……」
若い医師が父の側に近づくと小さく呟く。
すると、さっきまで無言だった父が糸の切れた操り人形のように脱力する。

その姿を見た俺もふらふらと歩みを進め、妹を見下ろす。事故にあったとは思えないほど綺麗な妹の顔がそこにはあった。

俺は泣けない。
俺のせいで、いや俺が殺してしまったもの同然の妹と両親の姿を見て俺は泣くまいと必死で感情に蓋をした。

……この罪は俺が背負わないといけない。
ただ、そう思うと泣けなかった。

「死力は尽くしたのですが……」
彼も俺の後ろで悔しそうに呟く。

「いいえ、最後までお世話になりました。ありがとうございます」
茫然とただ妹の安らかな顔を見ながら父は医師に告げると、彼は静かに部屋を後にする。

最後の1人が部屋を出ると、父も堰を切ったように妹に抱きつく。泣き声だけがこだまする病室でぐちゃぐちゃになる頭を必死で整理する。

だが、それは叶わず、俺は思考を失った状態で病室を出る。
暗い通路をただ体の動くまま、歩いていく。

「……君」
茫然自失の俺を見かねてか、後ろから誰かが声をかけてくる。

その方向に目を向けると、そこには先ほど妹の死の宣告を告げた医師が佇んでいた。

「田島 樹愛さんのお兄さんだね……」
彼が告げると、俺は静かにうなづく。

「そうか。じゃあ、ちょっといいかな?」
彼は俺の肩を持つと外に向かって歩き出す。
俺は彼に導かれるまま、一緒に歩いていく。

そして外に出た俺たちは静かに街灯が照らし出すベンチに座ると、医師はポケットからタバコを取り出して火をつける。

「この度は私の力不足で申し訳ない……」
彼は静かに告げる。
だが、彼が悪い訳ではないのだ。
むしろ、悪いのは自分だ。そう、俺なんだ……。

「子供が亡くなると、どうも居た堪れなくなってしまってね。もっと、もっと何ができる事があったのではってね……」
胸中は今にも負の感情が溢れ出しそうになる。
俯いた俺はただ黙って首を振り彼の言葉に耳を傾けた。

「……今の君に言うべき言葉ではないのは知っているが、妹さんから君に伝言があってね。それを伝えたくてここに来てもらったんだ……」
彼はさっきまで独り言のように呟いていたが、無言で俯いている俺の方を向く。

「……伝言?」
その言葉を聞いた俺も医師の顔を見る。
妹が最後に残した言葉が俺はただ気になった。

「ご両親が交代で帰っている間に、妹さんは目を覚ましたんだ……。そして、彼女は一言『お兄ちゃん、大丈夫?怪我はない?』と呟いたんだ」
その言葉に、俺は驚いて目を丸くする。

この前まで喧嘩をしてたのに……。
いや、自分が生死の境を彷徨っているのに、彼女の第一声はそれだった。

「そして、彼女はこう続けた。『体は大事にしなきゃダメだよ?将来は代表になるんだから……』」
俺はその言葉を口にする妹の姿を想像した。
意識もはっきりしないであろう妹が、ひたすらに俺を思い、最後の力を振り絞る姿が浮かぶ。

そして、さっきまで必死で堪えていた涙が自然とこぼれ落ちる。
その姿を見た彼は、一息ため息をついた。

「そして、最後に『お兄ちゃん、ごめんね……』
そう呟いて彼女は目を閉じた」
その言葉に、俺は涙が止まらなくなった。

「俺のせいだ……」
そう呟くと、俺はベンチから立ち上がり、ふらふらと妹の待つ病室へと戻っていく。

彼はその光景を見て、悔しそうに唇を噛み締めていたが、俺の目にはその光景は目に入らなかった。

病室に戻った俺は、すぐに妹の亡骸に寄り添い号泣した。

「……俺が、俺のせいだ!!俺があの時轢かれていれば、妹は助かった。いや、俺があの時喧嘩をしなければ、妹は死ぬことはなかった」
自責の念が、口から溢れ出る。

俺の様子を見た両親は呆気に取られる。
その姿に気づかずに、俺は言葉を続ける。

「…….俺が、死ねばよかったんだ!!そしたら、樹愛は死ななかった!!いや、俺なんて生まれてこなければ……」

「だまれ!!」
俺がそれを口にした瞬間、父は俺の首を掴むと、無理やり立たせて俺の顔を一度だけ殴った。
その様子に母は驚き、俺を支える。

怒りと涙に満ちた表情の父はそのまま、俺を跳ね除けてただ、妹に寄り添った。葬儀屋が来る最後の瞬間まで、寄り添い続けた。

その後は互いにあまり話すことなく、忙しなく続く通夜と葬儀、そして火葬までの一連の事柄を淡々とこなした。

葬儀が終わり、普段の生活に俺たちは戻った。
ただ、妹がいないと言う現実は、家族に喪失感を与えた。

そしてある日、両親が妹の部屋を整理している中、俺は自室のベッドに横たわり天井を見つめ続けていた。

「入るぞ……」
すると、今までなんのフォローもしなかった父が、俺の部屋に入ってきた。

俺は父が入ってくると、ベッドから顔を上げて前だけ見つめる。
すると父は黙ってベッド脇に座り、俺に一枚のくしゃくしゃになった紙を差し出してた。

「……読め」
父は静かに一言いうと、紙を俺に手渡す。
俺は黙ってその紙を受け取ると、そこに書かれているものに目を通す。

紙にはボールペンで消したような跡があり、読みにくい部分もあったが、なんとか読めるようだ。


お兄ちゃんへ

この前は、ごめんなさい。
学校で有名なお兄ちゃんの事は尊敬しています。
夢があって、一生懸命で、かっこいいお兄ちゃんがいて嬉しい反面、私はその妹でしかない自分が嫌いです。

だからこの前は友達の前で、あんな態度しか取れなくて、怒らせたんだと思います。

反省しています。
だからって、叩く事はないと思うな。
女の子に手を上げるお兄ちゃんの事は嫌いです。

私は優しくて、いつもみたいに守ってくれる……


そこで手紙は消されていた。
だが、そこからの彼女の意図は汲み取れない。

妹の考えている事と、俺が考えている事は違うからだ。

俺自身は妹に優しくしたことも、守った事もなければ、尊敬される人間ではない。それどころか、妹を怒鳴り、叩き、そして妹に守られた……。
そんな弱い人間だ。

そう思いながら手紙から目を離すと、父が口を開く。

「その続きは分かるか?」
俺は黙って首を振る。
すると父は静かに口を開く。

『樹愛はいつもお前のことを大好きだと言っていた。彼女にとってお前はヒーローだ。

あの日の夜、お前が自分を否定して、自分が死ねばよかったなんて事を言った。

その事に、俺は腹が立った。
だから殴ってしまった。殴った事は後悔している。
ただ、今のお前を否定する事は、樹愛の事を否定する事になる。

その事は、家族みんなを悲しませる事になるんだ。
なら、自分を否定するな。樹愛の分まで生きてくれ!!』
父はそう言い終わると、俺の部屋から出て行った。
そして、1人残った俺は樹愛を思い、泣いた。

……樹愛の為にも、俺はヒーローになろう。たとえ、弱くても。

その日の俺はヒーローなる事を誓った。


私は写真に書かれた文字を見て、あの日の言葉と共に、葬儀の日に母から受け取った父の最後の手紙の一文を思い出した。


春樹へ

この手紙を母さんから貰った時、俺は目の前にいないと思う。今のお前の姿を受け入れる勇気が、今の俺にはないからだ。

四季さんから身体を提供してくれた子のご両親の事も、今ある状況も伺ってはいるから生活に関しては心配ないと信じたい。

もし、ご両親との間で辛い事があればいつでも帰ってきたらいい。

だが、お前の事だから、樹愛の時のように身体を頂いた事を悩み、落ち込んで、自分が死ねばよかったなんて考えていないかが心配だ。

だから、あの日のことをもう一度伝える。

『今のお前を否定する事は、亡くなった人の事を否定する事になる。

それは、家族みんなを悲しませる事になるんだ。

なら、自分を否定するな。助けてくれた人の分まで生きてくれ!!』

口に出して言った事を改めて文字にすると恥ずかしいので、最後にひとつ。

俺たちはお前の事を誇りに思っている。


「最後の最後まで私を心配して、手紙まで残すなんて……。似た者親子だね、父さん、樹愛……」
私は手に持ったアルバムを抱きしめて、泣いた。
私を助けてくれた3人を思い……泣き続けた。


泣き止んだ私が母……もといおばあちゃんに呼ばれて下に降りると、お母さんとおばあちゃんが夕食の支度をしていた。

そして、元親子と仮親子と偽親子と言うカオス……もとい運命共同体の奇妙な夕食が始まった。

「いやー、お義母さんのご飯は最高ですね!!」
おばあちゃんの手料理を上機嫌で食べるお父さんの様子におばあちゃんは本当の息子が帰ってきたかのように嬉しそうに笑い、その様子を私とお母さんは顔を合わせて微笑む。

そして、夕食の終盤、おばあちゃんの口からとんでもない事実が飛び出す。

それは私が学校での話をした時にぽろっと溢した嶺さんの名前に興味を示したおばあちゃんに嶺さんの事を伝える。

「そうかい、羽佐間先生が助けてくれたのかい」
おばあちゃんは懐かしむように話す。

「おばあちゃん、知ってるの?」

「ええ、知ってるよ。あの人は樹愛の最後を看取ってくれた人だから……。ほら、あなたも会ったことあるでしょ?」

「えーっ!!」
その言葉に私は驚く。

「あの人にはお世話になる運命なのかしらね。一度ご挨拶に行こうかしら……」

知らなかった。あの日の夜に話した人が羽佐間先生だったとは……知らなかった。
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