ココロノアリカ〜35歳男が中学生女子になったその日から〜

黒瀬カナン

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大樹の追想 初対面と喧嘩

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午後22時になり、自宅で行った私の誕生日会を終え、お父さんの運転でみんなを家まで送って行く。

明日から夏休みという事もあり、みんな一様にテンションが高く、車内でもプールの話や夏祭りの話など夏休みの話題で持ちきりだった。

だから、みんなが帰った後の車内は静かで、ラジオの音声だけが車内に響き渡る。
その音声を耳にしながら私は窓の外に流れ行く景色を眺め、お父さんも黙ったまま車を走らせる。

明日は私、香川 夏樹の誕生日。だが、実感が湧かない。当然だ。春生まれだった俺が急に夏生まれだと言われても、すぐに実感出来るわけがなかった。

誕生日会中もみんなにおめでとうと言われたが、実際に口に出たのは感謝の言葉と共に出てくる戸惑いだった。

…いつかは素直に喜べる日が来るのだろうか?
そう感じながら外を眺めていると、お父さんが急に口を開く。

「夏樹、誕生日おめでとう」
私は、急に発せられたその言葉に戸惑う。
車の時計を見ると0時を回っていた。

「あ、ありがとう」
やはり実感は湧かなかった。
夏樹になってもうすぐ1年にもなるのに…。

「君が生まれて、もうすぐ1年か…」
お父さんも同じことを考えていたのか、ぼっりと口にする。

「そうですね…」
私は横目でお父さんの横顔を見る。
街灯に照らし出されたその表情は穏やかで優しく、そしてどこか…寂しげだった。

「…君は、この生活は辛くはないかね?」
お父さんはじっと前だけ見据えながら私に語り掛ける。

「…そんな事は」

「本音を言ってくれていい。君の決断についてはつゆから聞いている。君の親として今、何をしてやれるのかをずっと考えてきたつもりだ。だが、君の心まではわからない」
お父さんはカーナビの電源を切り、車が走る音だけが聞こえるの車内で口にする。

「…私にもわかりません。ただ、お父さんたちの子供として生きる事ができるのは…幸せだと思います。ただ…」

「ただ?」

「私は夏樹でいる事ができているのかが分からないんです。春樹の記憶と夏樹である事実に戸惑う事があります。それは…辛いです」

「そうか…」
お父さんは一言呟くと、ハンドルを切って家とは違う方向へと車を走らせる。

「…お父さん、どこへ?」

「…少しドライブをしよう」
と言って車は山道を上がっていく。
過ぎゆく対向車のヘッドライトを見送りながら私達は前を向いてただ山道を走っていく。

「君の普段の生活を見ていると、無理に夏樹になろうと振る舞ってくれているのはわかる。笑顔も、会話もわざとらしいくらいに…」

「そうですね。演じ分けている訳ではないんですけど、今は女である自分と、夏姫ちゃんを意識して行動をするようにはしています。お2人にとっては私は娘なんで…」

「そうか」

「お2人にとって、私は夏姫になれていますか?私は本当の夏姫ちゃんを知らないから…」
私は顔を伏せる。偽りの娘を演じる私を2人はどう思っているのか不安になる時があるからだ。

「…なれてはいない」
お父さんは静かに呟く。
その言葉に、私の気分は暗くなる。

「そうですよね。やっぱり、私は夏姫ちゃんの皮を被った偽物ですよね」
外見が同じでも、どんなに取り繕っていても私は夏姫ではない。2人にとっては他人で紛い物を掴まされているだけなんだ。

「だが、それは違うぞ。君は夏姫にはなれない。それは当然だ。私達は君は夏姫じゃない、君はもう1人の大切な娘として見ているよ」

そう言うと、車は街の夜景が美しく煌めく高台に辿り着く。そこに車を止めお父さんは車から降りた。
私もそれについて車から降りる。

「ここは…?」
お父さんの後ろをついて行きながらお父さんに尋ねる。

「ここは…私がお母さんと婚約をしたところだ」

「ここが?」
私は高台から眼下に広がる景色を見ながら2人の馴れ初めを聞く。

「お母さんとは大学時代に知り合ってね。昔からピアニストの卵として有名だった彼女を私は興味本位で会いに行ったんだ。いやぁ、出会いは最悪だったよ」



香川 大樹は授業をサボって大学の図書館で本を読んでいた。既に就職も決まり、大学の単位も既に取っているので後は卒業を待つばかりの日々が続く。

そんな中、高校生でピアノコンクールで優勝したと言われる才女、雨霧 つゆがうちのサークルに入部したと聞いた大樹はひと目、彼女を見ようと興味本位で大学に足を運んでいた。

大樹自身もクラッシックを好み、一人でコンサートなどを聴きに行くほどの音楽好きだったので、彼女の高名は以前より知っていた。

彼はその日、小説を読みながら自分の好きな曲をMDで聴いていた。
すると、俺の横に一人の女子生徒が座る。
その様子を気にする気もなく、俺は指でリズムをとりながら小説を読んでいたのだ。

「…うるさいですよ」
隣の女子生徒が何かを口にしたと思ったが、その声がイヤホンをしている俺の耳には入るはずもない。
あろう事か、俺はますます自分の世界に入りこみ、指でリズムをとり続ける。その音はさっきよりも強く机を叩く。

「うるさい…」
再度、彼女から声を発せられるがそれも聞こえない。
我慢の限界に達した彼女は彼の耳からイヤホンを外して、耳元で「うるさ~い」と叫ぶ。

「うわっ!!」
その声に大樹は驚き、椅子から転げ落ちてしまう。
俺が上を見上げると、黒髪を靡かせた黒縁メガネの子が俺を蔑んだ目で見下す。

「何すんだこのやろう!!」
大樹は立ち上がると、彼女に怒鳴りつける。

「何するんだじゃないですよ!!コンコンコンコンうるさいんですよ!!どこだと思ってるんですか」
彼女の剣幕に怒鳴りつけた本人がたじろぐ。

「だいたい、なんですか!!そのリズム感のないピアノみたいな音は?気持ちが悪い!!」

「あぁ?なら、別のところに行けばいいだろう!!」
俺は辺りを見回しながら空いている席を指差す。

「広いと思ったからここを選んだだけです!!あっ、あなたがいるから周りは嫌がって誰もいなかったのね!!」
彼女は俺の顔を見て、哀れんだ表情を浮かべる。

その当時の俺は友達がいなかった訳じゃないが、少なかった。ましてや、大学4年にもなろうものなら知り合いも単位を取り就活に勤しんでいる連中が多く、学内に暇そうにしているのは俺くらいだった。

「うるさい!!4年にもなると学校に来る奴の方がすくねーよ!!」

「へぇ、先輩だったんですね?てっきり世間知らずのお坊ちゃんだと思っていました!!」

「何ぃ?」

「何よ?」
哀れみの表情で煽る彼女に俺は怒り心頭で、彼女を睨みつける。その視線に彼女も負けじと睨み返す。

「…静かに!!」
その喧嘩に痺れを切らしたのか司書が俺たちを睨みつけて怒鳴る。

周囲でも迷惑そうにこちらを見つめる他の生徒の視線にいてもたってもいられなくなった俺は、再度彼女を睨みつけて荷物を持つと図書館から出ていく。

…なんて奴だ!!胸糞悪りぃ!!
と言って俺は部室へと足を運ぶ。

音楽サークル。古今東西の音楽が好きな連中が集まり楽器を弾いたり、音楽を楽しむサークルだ。

今ではもっぱらバンドが流行っていて、軽音サークルの体をなしていて、そこが少し不満なのだが、一人暮らしでピアノを触る事ができるのもここに限られているので文句は言えない。

「ちーっす!!」
サークルの部室のドアを開けるとそこには誰もおらず、目的だったピアノだけが俺を出迎えてくれた。

俺は鞄をそこらに置くと、ピアノの前に行き、ピアノの鍵盤の蓋を開ける。たまにしか弾くことのできない。誰もいない部室で俺は1人ピアノを弾いた。

ショパンのワルツ第7番を練習不足の覚束ない指で奏でる。その時間が、俺を楽しませてくれる。
過去にはコンクール優勝を目指した身としては諦めたとはいえ、身体の一部のようにピアノの音を求めてしまう。

「お疲れ様です…」
自信のなさそうな声と共に部室のドアが開く。
誰か来たのだろう。楽しかった時間もこれで終わりか…。俺はピタリと音を止め、部室のドアの方向を見る。そこには、1人の女子生徒が立っていた。

「「あっ…」」
2人の目線があった瞬間、俺たちは言葉を失った。
そこに立っていたのは先程図書館で喧嘩をしたばかりの黒髪の眼鏡女子だった。

彼女は俺の顔を見るなり、嫌そうな表情を浮かべる。

…そんな顔をするな!!俺だって嫌だ!!


「へぇ、先輩って、このサークルの人だったんですね」
俺が心の中で一瞥していると、彼女は嫌そうな顔で俺を見る。

「悪りぃかよ?」

「別にぃ。顔に似合わずショパンとか弾けるんですね?」
彼女の言葉の節々に棘を感じ、俺は再度彼女を睨みつける。

「その割には下手っぴだけど…」

「なんだよ、テメェ、文句があんなら弾いてからにしてみろよ!!どうせろくに弾けないくせに!!」
彼女は人を馬鹿にしたように煽るので俺は怒りが頂点に達する。

…どうせお前も軽音にしか興味のない奴らと一緒なんだろ?お前もあいつらと一緒で、ピアノなんかって思っているんだろ?

彼女は鼻で笑いながら、ピアノの前に立つ俺を跳ね除けると、ピアノの前に座る。

すると、彼女は軽く伸びをしてピアノを弾き始める。一音、また一音と軽やかに紡ぎ出される音の繋がりに俺は唖然とした。

彼女は俺が弾いていたショパンのワルツ第7番を滑らかに弾く。それは以前より角張った音を出す癖を持つ俺の弾くそれとは次元が違っていた。

優しく、そして力強い音が彼女の持つ感情を表してくれる。心地よい音が時の如く俺の耳を楽しませる。

最後の一音を引き終えた彼女の余韻に、俺はただ感動と名残惜しさを残していた。

「…どうよ!!」
余韻に浸っていた俺に対し、急にトゲのある言葉がが襲う。
はっと気がついた俺が彼女を見ると、彼女は得意げに俺を見つめている。

「…性格に似合わず、優しい音を出すんだな…」

「見たまんま、粗暴な音しか出せないアンタには言われたくないわ!!」

「何ぃ?」

「何よ!!」
俺達は音の余韻を忘れて再び睨み合う。
彼女とは多分相性が悪いんだろう。

「はぁ、やっぱこのサークルやめようかな」
彼女は俺との喧嘩に飽きたのか、目線を逸らすとため息をついてぼやき始める。

「何!」

「このサークル、出会い目的とかろくに楽器も弾けない人ばっかり。せっかくピアノを弾ける人がいたと思ったら性格最悪な先輩だもん。空いた時間にピアノを弾けるのは魅力だったけど…」
俺は、その言葉にハッとする。

このサークルに俺が求めていたもの。
バンドでもクラッシックでも純粋に音楽を楽しみ、語り合える友人を作る事。
それが、俺がこのサークルに入った理由だった。

だが、このサークルにそんな人はいなかった。
出会い目的とか、モテたいが為に音楽をやる連中がほとんどで、俺のような考えの持ち主は居なかった。
大学4年間、そんな浮いた環境の中で俺はただピアノが弾けるという事だけで在籍し続けた。

だが、それと同じことを目の前で語る人がこのサークルに入って初めていたのだ。

「…お前みたいな奴、初めてだ」

「えっ?」
俺が小声で心に秘めた喜びを口にすると、彼女は訝しむ。

「…お前、名前は?」
俺は喜びを出す事なく、淡々と彼女に名前を尋ねる。その問いに彼女も嫌々答える。

「雨霧 つゆですけど…」

「えっ?」
俺はその言葉に驚いた。
今日、会いたかった人がまさか目の前にいるなんて思ってもいなかった。
しかも、印象最悪な出会い方だった。
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