78 / 119
ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/
ネイキッドと翼 73
しおりを挟む鏡花辺津月に誘われて、茉世は隣の市に連れ出された。
「あの……」
買い物に行くと告げられ、茉世はそれを承知したが、永世の部屋にふたたび籠もると、今度は茉世も共に来るよう乞われたのである。
後部座席から、車窓を流れる風景を眺めていた。つまらない考えばかりが浮かぶ。口煩い本家の嫁を連れ出すよう、永世が月に頼んだの可能性もまた否めないのでは、などと。
「茉世奥様。家に引きこもってばかりで太ったんとちゃいますか。いえいえ、たまには運動でもどうかと……」
「はあ……そうかもしれません」
茉世は腹を見下ろした。痩せたか太ったか、三途賽川家に体重計はない。当人にとってはどちらかといえば痩せた気がしていたが、月からすると太って見えたらしい。
「私、プールが趣味なんで一緒にどうですか。っていうか一緒に来てください」
「えっ! でもわたし、泳げないし、水着も持っていません」
「いいですよ。これから買いにいきましょう。あと下着も買いましょう。1回脱いだパンツは洗濯されるべきですから」
「で、でも……」
「ご安心ください。大丈夫ですよ。私からの贈り物です。遅くなりましたが、ご結婚の記念に」
「あ、あの、ですけど、」
「茉世奥様がより素敵な女性になって旦那様をメロメロにして、三途賽川の子供がたくさん生まれたら何よりです」
物腰こそ柔和だが、鏡花辺津月もまた三途賽川の親戚で、言うことは蓮と変わらない。言い方と態度が違うだけだ。内容は同じである。
茉世は黙ってしまった。言葉を返す気力を奪われてしまった。言い返すことは赦されない気になる。
「泳げないのならワテが教えますさかい、気になさらず」
茉世は眉を顰めた。以前の鏡花辺津月と同じ人間には思えなかった。だがすでに触れたことのある印象を持ち合わせてもいる。彼をよく知っているわけではないが、別の人間でもあり、知っている人間のようでもある。異様な心地がした。
「あ、あの……わたし、待っていますから……大丈夫ですよ。プールなんて、そんな……」
「旦那様はスレンダーな女性がタイプですからね。久遠くんみたいに肥った人が好きじゃないんですよ」
「え……」
月に他意はないのだろう。しかし間が悪い。茉世は吹き矢に射たれたようなものである。誤射だ。痺れ薬でも塗られていたに違いない。彼女は硬直して、耳鳴りを聞いていた。色褪せた世界を凝視していた。
「そうですよ、久遠くんはD専でB専、胸は小さくて、色の黒い女性が好きなんだそうですよ。性格は出しゃばりでワガママな女王様みたいなのが好きなんだとか」
「そういうお話、されるんですね」
「しますよ。歳近い男がする話なんて猥談しかないですよ。若い女性じゃないんですから。ま、久遠くんのは嘘だと思いますけどね。ゲイなんじゃないですかね、分からないですけど」
茉世は二度目の吹き矢に射られた。
「そ、そ、そ、それはないと思います!」
知られてはならないことなのではあるまいか。鏡花辺津月の立ち位置が分からない。この者は事実を確信したとき、あの者の味方につくのか、家訓に従うのか。
「どうしてそう思うんですかね」
「えっ! い、いいえ……その、なんとなく……」
「そう言うからには、お二人の間に確たる何かがあったという解釈でいいんですか」
顔は見えなかった。ルームミラーを覗こうとも思わなかった。しかし音吐に怪訝な色が潜んでいる。
「ち、ちがっ、違います……!」
「あっはっはっ。誂ってすみません。茉世奥様には旦那様がいらっしゃいますし、久遠くんには七堂なんとかさんいう婚約者がいましたからね。まぁ、好みのタイプとはやはりかけ離れているようですが、結婚は恋愛でするものではありませんから」
茉世は運転席から目を逸らす。
「世間一般のことは分かりまへんが、少なくとも三途賽川では」
蓮にはなかった丁寧さで、高圧的でもないために、茉世には気力的にも言い返す隙がなかった。理解はできずとも、そのまま諭され頷いてしまいそうである。
「三途賽川家の子供さえたくさん生めば、夫婦の間に大それた気持ちは要らないんですよ。憎からず思っているのなら」
鱗獣院炎と話す機会があったのなら、この者は本家の夫婦関係について言われているのではあるまいか。そして曲解し誤解もあるのでは。
だが茉世には指摘する器用さなど持ち合わせていない。
「蘭さんのことは、憎からず思っていますよ。優しく接してくださいますし……」
「そうでしたか。それは失礼しました」
「鏡花辺津さんを不安にさせたようで……」
「不安というほどではありませんが、久遠くんから、茉世奥様には恋い慕っている人がいると聞いたものですから。そのために夫婦関係が上手くいっていないのかと思いまして……」
茉世は拳を握った。同じ力で己の心臓を潰してしまったのかと思った。唇を噛む。痛みが心地良い。どこか麻痺していた現実が鋭利な形を持つ。
「永世さんがわたしの何をご存知だというんですか」
大きく、しかし静かに息を吐いた。
「そうですね。辜礫築など格下も格下の分家の小倅が、奥様に対して知った口を利くだなんて驕り高ぶったことを……申し訳ありません。私たち分家どもは、どうしても本家の奥様に憧憬と羨望を抱くものなのです」
「そこまでは、思っていませんけれど……」
どこかで聞いた言葉に彼女の目が泳ぐ。憧憬と羨望。刷り込みにも似ている。中身はない。形式的なものだ。具体性はない。取って代えられ、移ろうことのできるものだ。
「いや、でもよかった。一時期は別居していると聞いていましたから。鱗獣院さんが出ていくっていうのは余程のことですからね」
「はあ……」
「禅くんでしょう? 禅くんはお兄ちゃん子ですからね。子供ですし、あの年頃が一番スカしているように見えて、恋愛と結婚を混同して神聖視しているんですから」
禅との不仲も耳に入っているようだ。
「そうですか……」
「いやはや、いやはや。おかしなことを聞いたので、私も気が動転してしまいました。失礼しました。まさか本家の若奥様が、下賤な分家の小倅と恋仲になるはずがありませんね。いや、よかった、よかった。失敬。そんな誤解は茉世奥様に対する侮辱も甚だしい。禅くんもおかしなことを言いんさる。禅くんにはあんじょう言っときます。あんなのは三途賽川親類一同の名誉に関わります。安心しました。肩の荷が下りましたよ。どうか気を悪ぅしないでください。私はそればかりが心苦しくて……」
「何もそこまで……」
「久遠くんが手前のことを茉世奥様の恋い慕っている人だなんて言っているのかと思ったときは、ド突いたろうかと思いましたが、よかった、よかった……よくあることなんです。閨房指南でその家の娘が相手に惚れてしまうのは。ですから警戒していただけに過敏になってしまいました。お赦しください。家柄はあれですけど、見た目はああですから、悪い気はしないと思って……」
上の世代の言い分ならば、茉世にも見聞きした経験がある。だが鏡花辺津月は同年代である。時代にそぐわない。悪意も匂わせず、あまりにも潔い。
「家柄とか、そんな……」
三途賽川の親類とは物腰の柔らかい丁寧で善人風の蓮が何人もいるようなものなのかもしれない。
「ただ茉世奥様が賤しい分家の小倅を恋い慕うことはなかったとしても、あちらさんは分かりません。何かちょっかいをかけるなんて、ンなアホなことはしないと思いますが、そのときは旦那様に言いつけてやってください」
息苦しい。車内には見えない物質で満ち溢れ、それがさらに膨張して、見えもせず触れもしないものに圧迫されているようだ。
「杞憂です。永世さんとは何もありません……本当に何も……」
「もしもの話です。蓮くんとのことを有耶無耶にしたら、今度は久遠くんと……だなんて。鱗獣院さんに殴られて病院送りになったんですってね。それは鱗獣院さんの怒りも理解できます。本家の奥様が、底辺の辜礫築家といかがわし関係にあるだなんて!」
「待ってください。その、わたしと永世さんの関係がどうであれ、わたしは永世さんのお家が卑しいとか、底辺だとか思っていませんので……そんな、今の時代に合っていませんし……」
ウィンカーが軽快に鳴っている。左折するらしい。鏡花辺津月は急速にハンドルを切った。遠心力が働く。シートベルトが身体に食い込む。
「あはははははは」
車は無事、左に曲がった。
「ジェットコースターみたいやんな?」
「あ、危ないです……」
「本家の奥様ですよ。怪我させられません」
左手の側面、胼胝のような尺骨の出っ張りの近くの傷跡が痺れる。茉世は鏡花辺津月が怖くなった。言葉は通じるが、ふと正気の人間とは思えないところがある。口をきくのも恐ろしくなった。
車は大規模な駐車場に停まり、東側の通りを除くと三方に様々な店舗が並んでいる。
「さあ、水着を買いましょう。ドアは私が開けますので少々お待ちを」
茉世は身を縮めていた。クーラーが寒く感じる。運転席を離れた鏡花辺津月が助手席側の後部座席へと回り、ドアを開いた。
茉世は躊躇いながら車を降りる。執事のような所作で、白い手袋を嵌めている。
「あ、あの……」
「ビキニはだめなので、それ以外ならお好きなのを選んでください」
鏡花辺津月は前を歩き、左右を見回して、車や通行人を確認していた。まるで護衛である。
買い物を済ませると、車はスポーツジムに停まる。手続きを終え、茉世は女子更衣室へ放り込まれた。荷物を抱え、身を小さくして広いロッカールームを進んでいく。躊躇いはあるが、月が待っているならば、いつまでも待たせておくわけにもいかない。新しい水着に着替え、プールサイドに向かう。彼はベンチに腰を下ろしていた。
「よくお似合いです。白にしてよかった。旦那様にも見せて差し上げたいですね」
水着はフィットネス用のセパレートタイプで、下はほとんどどれも同じ色味であったが、上部が白かピンクで迷い、結局白になった。
月は爪先から首元まで、茉世の水着姿を眺めている。
「健全な美しさがありますね」
「あまり見ないでください……」
「さぁ、私は泳ぎますが、茉世奥様は歩いていてください。ご希望なら、水泳教室に応募しますが」
「あ……い、いいえ。結構です……」
月は首を傾げた。
「イケメンですよ」
「え?」
「ここの水泳インストラクター、イケメンですよ。元水泳選手ですし」
「は、はあ……」
月は首を傾げたまま、表情を無くしている。フクロウを思わせた。或いは突然電源の切れたロボットを思わせる。
「イケメンです」
「でも……あの、……」
興味がないのだと鰾膠もなく突き返す器量は、彼女にはない。
「久遠くんと同じか、それ以上」
「永世さんが何故ここで……」
「分かりやすいやろ」
鏡花辺津月という男は言語は同じで言葉の意味は通るが、意図が汲み取りづらく、脈絡を理解するのに一手間の要る、そしてそれが積み重なるほど疲れてしまう、厄介な相手のようだ。
「いや、まあ……そうですけれど、でも、」
「えろぅ突っ掛かりまんな。別に蓮くんでも、鱗獣院さんでも縹緻良しなら誰でもよかったのですが?」
「あんな話をされたものですから、てっきり……」
「さては根に持ってはる?」
「根に持つとは何をですか」
左手に巻き付けたロッカーの鍵のついたリストバンドの位置が急に気になりはじめた。彼女は月を捉えながら巻き直す。
「辜礫築なんぞの家柄のもんとの有らぬ疑いをかけたことや」
「ち、違いますし……こういう場所でそういう話は……」
世間に有らぬ疑いをかけられる。人はいつどこで他人の事情を知るとも知れず、そしてそれは断片的であることのほうが多い。一度された誤解を解く機会は用意されていない。そして断片的な情報が断片的であることも他人には分からない。他人にとってはそれが完成図なのだ。つまり、この男女は或る人を見下し、また女のほうはその者と良からぬ関係性にある疑いをかけられたことがある。そしていずれこの女側が既婚者だと知られれば、噂は魚になることを目指し、尾鰭背鰭を生やすのだ。そして胸鰭を携え、泳ぎ出すのである。
「失礼しました。ですが私としては、是非とも茉世奥様に水泳を習っていただきたいものです」
「荷が重いですし、歩くので精一杯ですから」
「待たせますが、大丈夫ですか」
月は壁掛け時計を見遣った。
「45分間、歩けます?」
「……はい」
「では、疲れたなら採暖室になりジャグジーになりいてください」
「はい……」
この者と喋っているだけで疲れてしまった。鏡花辺津月という人物を詳しくは知らなかったが、このような野郎だったとは想像もしていなかった。
「アクアビクスがそろそろ始まるのでそれに参加してください」
彼はプラスチックの丸い番号札を差し出す。
「でも、まだ慣れてないし、」
「まずは体力を作ってください。そうでなければ本家の嫁は務まりませんので」
番号札を握らせ、彼はプールに入っていった。
帰宅した茉世は疲れのあまり、部屋に寝転んでしまった。黒い獣が周りを駆ける。
目蓋が重い。
+
「イケメンでしたでしょう?」
車に乗り込んだ月が訊ねた。茉世はシートとシートベルトに身を預け、眠ってしまいたかった。
「え………まあ、はい……」
同意以外赦さない威圧があった。否定すれば品性を疑われかねない同調圧力が働いている。完全なる評論家になることもまた赦されていなかった。必ず評論する側も、評論される側と同じ台に足をつけていなければならないのだ。そのために忖度し、譲歩し、妥協を要する。振りかかる火の粉は弱く小さく少ないほうがよい。反射する光は小さいほうが目も肌も灼かれずに済むのだ。
「久遠くんよりいい男でっしゃろ」
元水泳選手というだけあって肩と腿が特徴的な肉付きをしていた。それ以外はよく見ていなかった。顔立ちに至っては、彫りの深い目鼻立ちの印象だけ残っている。
「緊張していて、ついていくのに必死でしたし……」
「嘘や。分かるはずや。顔やぞ。真っ先に見るがな」
「はあ………………………永世さんのほうがかっこいいと思いました。永世さんのほうがかっこいいです」
彼女は面倒臭くなった。後先も考えなかった。否、考えたが同意するのがいやになった。肉体の疲労が投げやりにした。
「かっこよさに家柄も本家も分家も関係ないですもんね」
そして念を押した。次に来る言葉が分かっていたからだ。眠気を堪え、しょぼつく目蓋を上下させる。
舌打ちが聞こえた。聞き間違いかと思った。
「そうですか。茉世奥様は即物的でいらっしゃる」
身体が重い。明日といわず、数時間後の筋肉痛が確約されている。
「ワテはイケメンはん思たんやけどなぁ」
「価値観は人それぞれでしょうから……」
窓に頭を寄せて寝てしまいたい。
「茉世奥様には体力をつけていただき、夜は旦那様と夫婦の営みに励んでください。5人は男児を生まなければなりません。本家の嫁なのですからお願いいたします。旦那様の子種は健康ですし、体力も技術も問題ありません。あとは茉世奥様。奥様の意欲とタイミングの問題でございます。月経の周期や量には問題がないと聞いておりますので、1日3回は試していただきませんことには。排卵日に旦那様とセックスしてください。間違ってもその日は別の方と交わりませんよう。1人目は女児でも男児でも、旦那様のではない種でも構いませんが、出産は命懸けで、産後は健康状態も大いに損なわれますから……」
黙って聞いていた。口煩く必要な小舅蓮よりも具体的である。
「間違っても、辜礫築の小倅とは、」
「しません。さっきから何なんですか。永世さんは家の都合で仕事をこなしただけではありませんか。永世さんに何の咎があるんです。分家だ何だということは、永世さんがよくよく自覚なさって、承知し過ぎるくらい承知しています。思春期の多感な中学生みたいにずっと誂う気なんですか。本家にとって永世さんが分家でも小倅でも、好くしてくれた相手を貶されるのは不愉快です。それも、わたしが世間知らずの女で、永世さんがその方面を担当したから言うのでしょう? 永世さんだって、わたしみたいなのの相手なんかしたくなかったに決まってます。お可哀想に! あの人はモンシロチョウです。ミツバチです。アキアカネなんです! 冬を耐え忍ぶミノムシなんです! あの人に比べたら、わたしたちなんてダニほどの価値もないんです! 本家、本家ってそんなに本家がお偉いのなら、無責任に遊び歩いてあちらこちらに迷惑をかけている本家の次男をどうにかなさってくださいな。親類一同のそういう態度が、きっと蓮さんを抑圧したんですね。だから野良猫みたいにふらふら、携帯電話もお財布も置いて出ていきたくなってしまったんだ。お可哀想に! 好きなことのひとつも家族に言えなくて、隠しごとばっかり増やして……」
彼女は捲し立てた。運転手は黙って聞いていた。クーラーのふざけた息吹と沈黙が、徐々に彼女の眠気で温まった脳髄を冷静にした。
「……すみません」
「三途賽川一族の嫁で、正気でいられるほうが少数派です」
「わたしは正気です。分家のお嫁さんたちは正気だから、あなたがたには気が違って見えるんです」
「ふはっ……あっはっはっ、あははははは」
月は笑った。そして大笑いに変わっていった。
「茉世奥様は可愛い方でいらっしゃる。無責任で怠惰、内気で陰気の内弁慶で亭主関白の勘違い野郎な放蕩ドラ息子の蓮くんが夢中になって身を持ち崩すのも分かりますね」
「蓮さんのこと、そう思っていたんですか」
「茉世奥様がそう言いたげだったので」
茉世はもう、月には応じないことにした。深く溜息を吐いて、車窓の外を眺める。
「今夜、旦那様とセックスに励む体力はなさそうですね」
「……」
+
黒い猫は腐肉食動物のごとく茉世の周りを練り歩く。
「なぅうん」
筋肉の重くなった腕をどうにか持ち上げ、小さな毛尨を撫でる。
「ぐるるる……んにゃぁん。ぐるるる……んなぁん」
「黒ちゃん……」
柔らかな毛並みを梳きながら、目蓋を落とすつもりでいた。しかし襖が開き、意識が冴える。
月が立っていた。茉世を見下ろしている。冷ややかさすらも読み取れない無表情である。目が合うと、涙袋を膨らませ、眇められた目元と口元は笑って見せる。
「ああ、こちらにいらっしゃったんですね」
「なぁーん。なぅう………シャアアア」
おとなしく撫でられ喉を鳴らしていた猫は茉世と月の間に割って入り、毛を逆立てた。尾が釣鐘形を作り、唸っている。
「こないな猫畜生にされて、惨めやなぁ」
「な、なんですか……」
猫にまでおかしくな口をきく鏡花辺津月が恐ろしくなった。静電気の起こった毛玉のような生き物を宥める。
「セックストレーニングのお時間です」
「う゛ぅ………ぐぐぐ………う゛なーご」
「今晩は旦那様と子作りに励めそうにないのでしょう? ではセックストレーニングをしていただかないと。テスト前には勉強し、受験生時代には受験勉強したでしょう? 同じことです。快感だのコミュニケーションだのが目当てのセックスだなんてのは、未婚のときの話です。子作りのためにセックストレーニングをする。当然ですね。せやんな?」
茉世は絶句した。
「さあ、脱いでください」
首を振る。
「脱がして差し上げましょうか」
「しません……そんなこと、しません……」
「茉世奥様。セックストレーニングを何か恥ずかしくていやらしいものだとお考えのようですね。困りましたねぇ。暇と性欲を持て余した大学生じゃないんですから。考えを改めていただきませんと」
茉世は首を横に振り続ける。
「三途賽川の繁栄のためです。まったく、これでは久遠くんが何のために奥様の閨の手解きをしたのか分かりませんね。旦那様とセックスをするためです。茉世奥様が旦那様と豊かで満ち足りたセックスをするために、純情を散らしたのが分かりませんか。我々分家はよその分家のお姐様方に貞潔を捧げた後、第二の純潔を散らすんです。後に同族他家の嫁の手解きをするために。どうせ叶わない本家の奥様のために渋々、嫌々、第二の童心貞潔を捧げた久遠くんの気持ちを踏み躙るとあなたはおっしゃる? 酷い方やなぁ。まぁ、構いません。分家に触れられた我が身は穢らわしいという声もあります。茉世奥様はその意見には反対のようですがね。けれども、三途賽川に於いては、子を産まずんば嫁に非ず、ですよ。3年子無きは去れ、です。これは分家もそうです。もう一度、口が酸っぱくなるまで繰り返し申し上げますが、初産は旦那様の種でなくともよろしおす。好きな男がいるのならどうぞ好きになはれ。養う力が茉世奥様かお相手にあるのなら。一族でない子供に鐚一文出ることはありまへんが」
「心得て……おります」
猫の唸り声がサイレントのようだ。
「そうは思えまへんな」
月は笑みを向けていたが、突然振り返った。
「久遠くん、どうかしたんですか」
「猫の声がしたので……」
「そこの黒猫さんです。おもろいことになってまんな」
永世は月に愛想笑いを晒すと、気遣わしげな目で部屋を覗いた。視線が絡む。その瞬間、彼の表情がきょとんと緩んだ。
「茉世さんをいじめないでくださいね」
「私の通っているスポーツジムに入会してもらったんです。そこのスタッフがイケメンなんですよ。惚れたらいけませんよ、というお話をしていたんですわ」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI


シチュボ(女性向け)
身喰らう白蛇
恋愛
自発さえしなければ好きに使用してください。
アドリブ、改変、なんでもOKです。
他人を害することだけはお止め下さい。
使用報告は無しで商用でも練習でもなんでもOKです。
Twitterやコメント欄等にリアクションあるとむせながら喜びます✌︎︎(´ °∀︎°`)✌︎︎ゲホゴホ

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる