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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/
ネイキッドと翼 67
しおりを挟む茉世は息を呑んだ。青山藍が探している。三途賽川の連中に止められながら、他人の家で騒いでいるのである。正気の沙汰ではなかった。三途賽川邸は広く、敷地面積も狭くはない。高台に造られ、周りには雑木林があり、隣人というには距離がある。騒音は大した問題ではない。
狂人とも判じられないが、正気の人間とも思えない訪問者が近付いてきている。
掃き出し窓がこつこつと鳴った。開けると、彼女のサンダルを手にした霖がいる。
「逃げましょう」
腕を引かれ、避難訓練よろしく庭へ出る。昨日見た車が他の車と共に並んでいる。
「頭おかしいです、あの人」
「ありがとう……霖くん。あの人一体、何を叫んでいたんですか」
大の男が3人集って止めていた。まるで酒でも飲んでいたかのような乱痴気騒ぎであった。しかし青山藍は車で来ている。触法の香りがした。
「鳥籠を持っていましたよ。自分たちの子だって言っていました」
さぞかし悍ましい光景を目の当たりにしたのだろう。
「霖くん」
義弟が哀れだった。肩を抱く。
「ごめんなさい。わたしのせいで、変なことに巻き込んで……」
「何を言うんです。あの人は三途賽川の客人ですよ」
「あの人は、三途賽川に何の用があるんですか……」
玄関戸の磨り硝子が蠢く。そして開いた。
「オネエサン!」
玄関から出てきた青山藍はホワイトシャツに黒のスラックスという出で立ちで、剃った頭に垂らした房のような青い髪が不釣り合いである。手には鳥籠。霖の言うとおりである。
「オネエサン! フギのコがウマれたよ! オネエサン! ワタシとアナタのコ!」
鳥籠の中の横木には確かに赤い鳥が留まっている。だが、籠が揺れ放題に揺れているというのに、その鳥に動きはない。
「オネエサンがウンだタマゴが孵りマシタよー!」
茉世は立ち尽くす。隠し事は常に露見するものなのだ。死体が発見されなければ殺人事件にはならない。
ナパージュされたような黒い革靴を履いて青山は駆けつける。鳥はまったく動かない。
「オネエサンとワタシのコドモ! ヨロコべ、少年! 新しいキョーダイだよ!」
青山は茉世の隣りにいた義弟に抱きついた。
「おー、よしよし。弟妹がデキてウレシイんだね? ちゃんとチミも可愛がってアゲるよ、ワガ義弟よ! ムカシのワタシに似てるからね。オネエサンとワタシはチミのママパパでもアルんだから」
「ちょ……っ、やめてください!」
「ほらクソガキ、オトーサンってイってゴラン?」
拒絶も構わず、青山は霖を抱擁して背中を摩る。
「よして! このヘンタイ! 霖くんに触らないでっ!」
青山にそのような意図はないのだろう。しかし茉世にとってこの異常者の意図を汲む筋合いはなかった。自身の体験からくる嫌悪が突沸を起こす。長身は霖の背丈に合わせ屈められていた。青山の肩を掴んで義弟から引き剥がそうと試みる。
「なぁに、オネエサンにもやってアゲヨウと思ったのに。弟イるなら紹介シてよ、水クサいな」
「夫の弟です。子供に向かって何考えてるんですか。犯罪ですよ。早く用事を済ませて帰ってください!」
青山が義弟を放すと、茉世はその間に身を割り込ませた。
「えーっ、オネエサン、ワタシのことロリペドだと思ってる? それならババアのオネエサンとエッチなことスるわけないじゃん。しかも人妻属性。レスられ要素付き。ボウズッくり、オネエサンの弟じゃないんだ? 絆の兄弟にシては落ち着いてるね。上品だし。ムカシのワタシにクリソツ」
蘭、鱗獣院炎、永世に囲まれても青山は臆さない。
「絆と、あのイヂケヅラのチビと兄弟なんて、遺伝てフシギ!」
青山は鳥籠を提げて、赤い鳥を睨んだ。近くで見るとそれは作り物であった。動かないわけである。それは静物だったのだ。
「オネエサンがおまんこから放りダして、ワタシのクッサいザーメンで、有精卵になっちゃった」
「クソ野郎!」
蘭が怒鳴った。拳が飛ぶ。だが青山は鳥籠を捨て、蘭の腕を掴んで投げる。
「ああ、ダメですよ。アイドルの顔を殴っちゃ。1000万かかってるんだから……これからデカい痣ができるんでしたっけ?」
青山藍は自らが尻餅をつかせた蘭に腕を伸ばす。だが蘭はそれには応じず、自力で立ち上がった。
「蘭兄!」
砂利を軽やかに踏む音が近付く。禅が彼の兄と青山藍の間に割り込んだ。身長差があった。禅は小柄であった。しかしあがいた。腹や胸を叩かれた青山藍は口元を吊り上げる。
「AHAHA」
茉世はこの後のことが分かっていた。禅を引き下げようとした。汗ばんだ肩を掴んだが、禅は離れようとしなかった。それならば、霖の視界を遮ってやることが次善の策だったのかもしれない。だが小心者、怯懦な彼女にはそこまでの気が回らなかった。
青山の不穏な笑みの理由をいやでも理解してしまった。茉世は加減を失った。根性の捻じくれた子供の自主性に任せてはおけなかった。禅を引き剥がす。
「オトナはイッポー的にヤられててもユルしてアゲろってこと? オネエサン。最近バカでヨワヨワなコドモが増えてるのって、ソレがゲンインなんじゃない? オネエサンが代わりに仕返しウケてクレる? ソレもキョーイクのイッカンだよね?」
この男の暴力性、嗜虐性は身を以って知っている。次は殺されるかもしれない。嫁ぎ先の庭で衆目に晒されながら情けなく惨めに殺されるのか。数分後の未来は存在しないというのか。
「ぼくが受けます」
永世は今にも暴力に訴えそうな鱗獣院炎を制し、年齢では埋まることのない身分が逆転しているように見えた。
「おい」
鱗獣院炎が渋いつらを見せた。
「主家の不始末は分家の役目です」
微苦笑を浮かべて彼は青山藍の前に立つ。
「1000万もカカッテない顔を殴るのはキモチヨサそう」
「永世さん……!」
「高校時代から殴られ慣れてます。でも――」
茉世は指先を噛むか噛まないか曖昧なところに手を添えて戦慄いた。片手は禅を放すことも忘れた。
「ブスになっても好くしてください」
彼は中途半端に茉世を顧みた。そして青山のほうを向く。
「ああ!」
「永兄さん!」
義弟とともに彼女は悲鳴を上げた。石焼き芋の焼石のごとく熱された砂利に永世の躯体が転がった。青山藍は鱗獣院炎と蘭によって後ろ手に拘束される。
「門町さんのためじゃなかったら、出禁にするところだったよ。霖くん、ちょっと手伝って」
蘭は2人がかりで青山を玄関に引き摺っていった。霖は仲の良いいとこを気にしていたが、兄に従う。
「ああ……! 永世さん……!」
腕に捕まえていたクソガキのことなど頭から消え去った。横たわった男に縋りつく。
「永世さん……っ、!」
鼻血を垂らしている。あまりの出血量に視界が緑色を帯びそうであった。だがそれは鼻腔からではなく口腔からであった。
「カッコ悪くてすみません」
顔の下半分を真っ赤に染めて彼は起き上がる。
「何をおっしゃるんですかっ、うっうぅ……」
緊張が解けたのか、却って増したのか分からなかった。身体の筋肉の制御が利かない。それは情緒にも繋がっていた。大粒の涙が溢れ、永世の首に腕を回して抱きついた。白い繊維が頬を流れる水滴を吸う。
「砂利、熱いので低温火傷してしまいますよ。立ちましょう」
彼は巨大なペンダントをしているみたいに首に女を引っ掛けたまま立ち上がる。血のつかないように気遣いながら、彼女にも立つよう促した。
「ごめんなさい、わたしのせいで。ごめんなさい……」
「いいえ、茉世さんの所為ではありません。むしろ、主家を庇ってくださりありがとうございます」
汚れた両手を手術室に入る外科医のごとく掲げて、彼は笑っている。顔面は赤い。不格好である。
「俺は礼なんて言わないからな!」
禅は叫んだ。だが茉世にはこの子供の礼などどうでもよかった。去っていく姿を見もしない。
「早く手当てをしないと……」
茉世は永世の顎に滴る血を拭った。
「き、汚いですよ!」
「永世さんに汚いところなんてありません!」
「――っ!」
彼女は口走ってから、血の気が引いていった。だが相手は無言である。売り言葉に買い言葉なのだ。他意はない。他意はない。タイハナイ……
「ぼ、ぼくは病気は持っていないつもりですが、他人の血は、やっぱり汚いですから……茉世さんがもし病気にでもなったりしたら、こ、困ります……」
なんとも弛んだ語気であった。
「……ごめんなさい」
彼女の謝罪も浮つき、上擦り、間延びしている。汚れていないほうの手で、白いシャツの裾を摘んだ。
永世は洗面所で血を洗い落とし、茉世はビニール手袋を嵌めて、白いシャツの汚れた部分を擦っていた。水分の多いところは水洗いで薄らいだが、そうでない部分は残っている。
「そんなことをさせてしまって申し訳ないです」
戸が開き、彼は顔にタオルを当てている風呂場を覗き込む。髪も濡れて、普段とは異なる印象を与えた。上半身は裸で、茉世は直視した刹那、その目を泳がせる。
「あ……すみません。はしたなかったですね」
戸の影に隠れるが、その肌が磨り硝子でぼやけるだけである。
「あ、その……いいえ。あ、あの、まだちょっと残っているので、アルカリ性のもので……試してみます。綺麗な白じゃないと、もったいないですし……」
「危ないですし、ぼくがやります」
「換気しますから……わたしのせいですから、わたしがやります。落ちなかったら、ここに刺繍入れますから。へ、変でしょうか……? 綺麗な白だから、もったいなくて……」
「変ではないです。そういうことならお願いします。でも、これだけは譲れないので言わせてください。茉世さんのせいではありません。茉世さんたちにあのような不健全な光景を見せてしまったのは主家を守るべきぼくの責任です。申し訳ありませんでした」
あの場で永世に他に何ができたのだろう。どのような手段があったというのか。他の選択といえば、彼にとって主家の末男か、或いは主家の嫁が殴られるかである。
「家の事情とか、分かりませんし……永世さんは永世さんの事情があるのかもしれませんけれど……主家とか主家じゃないとか分家とか……悲しくなります。そのために永世さんが自分のこと蔑ろにするの。自分の顔を分け与えてばかりの、カンパン侍みたい」
永世はアルパカを彷彿とさせる睫毛を伏せた。
「なぁ~ん」
彼女は忘れていた。黒い猫もすぐ傍にいた。背中に前足を当て、後ろ足で立つ。
「ぼくはかなり、わがままなほうだと思いますよ。蘭さんが結婚して、ぼくも三途賽川にお世話になると決まったとき、どんなお嫁さんなんだろう、怖い人だったらどうしようだなんて不安だったのですが……ぼくは茉世さんで良かったです。茉世さんにはつらく厳しい環境でしょうけれど、ぼくの一個人的な感想は。そんな有り様ですから」
「なぁん。なぁん」
背中に爪が立てられる。痛み。実感。現実。
「あっ、えっ、えっと……わ、わたしも……霖さんと永世さんがいてくださらなければ、きっとやっていけなかったなって、思ってますから……ッ」
「なぁーん」
黒い猫は茉世の背中から降りると、跳ねて彼女の脇に廻り込み、腕を噛む。
「痛いよ、黒ちゃん」
「にゃん」
ビニール手袋を外し、茉世は猫を持ち上げた。
「薬品を使いますから、黒ちゃんをお願いしていいですか」
「分かりました。換気してくださいね。ドアは開けておきます」
茉世は頷いた。洗面台の下にアルカリ性洗剤がある。
茉世は汚れを落としたシャツを洗濯機に放り込んだ後、殴られた永世の様子を見にいった。彼は茉世の合図に虚ろな返事をして、防草シートの張られた家庭菜園を窓から眺めていた。暫く畑はやらないのだろう。
「大丈夫ですか」
タオルに包んだ保冷剤を渡す。頭を強く打ったのではあるまいか。
「すみません。ぼうっとしていました。ありがとうございます。何から何まで……」
獲物になり得るハムスターには一切の興味も持たず、部屋の隅にいた黒い猫は茉世が入って来た途端、彼女の脚に擦り寄った。
「なぅん……」
「お役に立てれば幸いです」
「かなり助かっていますよ」
タオルを頬に当て、彼は菜園に背を向けた。
「どうぞ、寛いでください。何もありませんが……」
藺草の匂いに混ざり、三途賽川に染まりきらない永世の匂いが混ざっている。落ち着かない。寛げはしない。
「なぅん」
興奮が冷めてまた焦る。誤解を招く行動は慎むべきだ。三途賽川の連中に疑念を抱かせる行為は。
「汚れ、落ちました。明日には乾くと思います。ではお大事に……」
黒い猫もついてくる。部屋を出て、襖を閉めると廊下は採光に乏しくなり、暗くなった。そのために感覚が研ぎ澄まされるのだろう。家の中の空気が変わっているような気がした。目の荒い鑢が肌の上を滑っていくようだ。
「なぁァ。なぁん。なぉーん」
柔毛が脚に当たり、感覚が鈍る。
「なぁん」
猫が片前足で跳ねる。抱き上げる。顎に小さな後頭部が当たり、匂いを嗅いだ。気が抜けていく。やっと緊張が解けた。足がふらついた。暴力など見ないに越したことはない。健康的な男性であってもあの流血なのである。もし彼が身代わりになると言わなければ死んでいたかもしれない。だが彼は殴られた。一人傷付き、一人助かる。末世のなかで恐ろしい考えが浮かんだ。あまりにも悍ましい。秤に掛けるものではない。あの子供は己の行動の責任を己で取るべきではなかったか……
あれは子供だ。手前で責任など取れない。世の中はそれを赦さない。そしてあの子供はおそらくまた同じことを繰り返すのだ。学ぶことはないのだろう。
部屋で所在なく思いを巡らせていると、襖が弾かれた。横柄な足音にも気付かない。
「茉世。ちょっと来てくれや」
鱗獣院炎である。疲れた顔が現役高校生のするものではなかった。
「なんですか」
黒い猫を抱き上げて茶の間へ促される。あぐらをかいた青山藍と険しい面持ちの蘭がテーブルを隔てて座っている。茉世は蘭と炎に挟まれる形で座らされた。詰問がはじまるというのか。茶の間に行くと察したときから、茉世の血の気は引いていた。
「裁判でもハジマるの?」
サングラスを外した青いカラーコンタクトレンズの嵌まった瞳と視線が搗ち合う。
「ワタシはここにイる何人と、キョーダイなの?」
「三途賽川の家系図に青山姓はねーよ。どことも兄弟じゃねーや」
青山は首を傾げる。
「そのキョーダイぢゃなくって……」
「まぁいい。本題はそこじゃねぇ。茉世、アンタが決めろ。落ちるなら高いところからのほうがいいとオレは思う。が、やっぱりアンタの意思に従う。これからこのクソ野郎の顔に傷が入る。そうしたらアイドルなんてもう無理だろう。顔面に傷のあるやつを出しちゃくれねーだろうさ。するとどうなる? このクソったれの醜聞を文秋に売りつけたところで価値がなくなる」
茉世は青山藍の顔面をまじまじと見てしまった。
「顔に、傷が……?」
「門町哥、あの小娘は生まれたときから目が悪かったんじゃない。病気でもない。事故でもない」
小娘といっても鱗獣院炎より年長者であるはずだ。
「では……?」
「事件」
目交ぜで鱗獣院炎の言葉を青山藍は引き取った。
「哥チャンも昔アイドルだったんだよ。そんな売れちゃいなかったけど、イマドキ、いつ開花スるかなんてワカラナイから、ツヅケてればモシカシタラって、アイドル。でも、あるときワル~いファンがイたんだな」
門町哥の可憐で明るい姿が、茉世の脳裏に甦る。
「楽屋に忍び込んでね、哥チャンの飲み物に化学薬品を混ぜちゃったんだな。モトモトのターゲットは違うコだったんだけど、キンタマタマタマ偶然、ソコにアッタのが哥チャンの。犯人も、バカだな。メンカラなんてアイドルのときダケだよ。赤い水筒使ってるからって、赤いメンカラのコのだと勘違いシたんだって、GAHAHA」
ふざけているのか、これが元々の青山藍だったのか、茉世には分からない。そのような話を笑ってはできない。
「ンだから、その犯人を呪っちまうか、って話になってんだ。犯人の生気を使って、あの小娘の目が治るかもしれない。治らないかもしれない。ただ、法じゃできなかった報復は、或いは叶うかもな」
「それと、青山さんの顔に傷が付くのはどう関係があるんです?」
「人を呪わば穴二つ。何かするなら何か対価が要るもんだ。顔に呪瘡っつーケロイドみたいなのができる。それが呪いの起点だ。これは治らない。呪いをやめる以外に法はねーし、相手を呪い殺しちまった後は、多分傷を抉り取っても消えないと思うぜ。そこまでしたやつは見たことねーが。で、どうする茉世。突き落とすなら山頂からがいいとオレは思うが?」
茉世は青山と鱗獣院炎の話を反芻した。重大な決断を任されてはいないか。任されているのであろうか。放り投げられている気分である。
「哥さんは、ご存知なんですか。青山さんの顔に傷が入ること……」
「マサカ。言えるわけナイデショ。止められるにキマってるもん。哥チャンはワタシに期待シてんの。ワタシにそのツモリはモウナイけどね。ワタシは哥チャンにササエられたからね。デビューデキないって事務所から言われてたトキ、一発逆転オーディション番組紹介シてくれたのも哥チャンなんだよな。恩がアルの。ワカル? 恩が」
蘭も鱗獣院炎も黙っている。青山藍も、まるで茉世が面接官だとでも思っているようだった。表情こそあっけらかんとしているが、茉世がガールフレンドの名前を出した途端、普段の威勢が幾分失せている。
「顔は、やめましょう」
「ほらな」
「ナンデ?」
茉世は視線を落とした。
「憎からず想っている相手の顔に傷が付いてなんとも思わないわけには行きませんよ。それが自分のせいなら尚更」
閉じた家庭菜園を見詰めていた横顔のことを考えていた。赤く腫れた頬と、切れた口元。伏せた眼差しは防草シートの上辺だけを臨んでいたようには、茉世には思えなかった。
「顔はやめてください。この人はまた芸能活動するべきです。一般人の野に放ってはいけない人です。自分のこだわりも何もかも殺して、絆さんとまた活動するのかどうかはわたしにはどうでもいいことですけれど、この人は自由にしてはいけない人だと思います。顔はやめてください」
茉世は蘭と鱗獣院炎を交互に見遣った。
「……分かった。蘭ニーサマ、いいよな」
「うん」
しかし渋いつらをするのは青山藍である。
「ハ~?」
「アイドルの頂点に立ってください。今の青山さんを週間"公文秋霜"に売る価値はありません」
身内の男たちに挟まれ、彼女は強気になったのであろうか。眉を吊り上げ、語気は鋭い。
「ありがとよ、茉世。このクソ野郎の前に引き摺り出しちまって悪かったな」
「いいえ……哥さんには懐いていただきましたから……」
茉世は軽く頭を下げて茶の間を後にした。自室に戻る途中で霖と出会す。
「あ、茉世義姉さん……」
「霖くん。さっきは、変なところ見せちゃってごめんなさい。大丈夫?」
暴力を目の前で見せられたのだ。
「僕は大丈夫です。茉世義姉さんこそ……禅を庇ってくださってありがとうございます」
彼はどこか心ここにあらずといった様子である。
「ううん。わたしは大したことしてないから……」
「本来は僕等のすべきことを茉世義姉さんにさせてしまいました」
「気にしないで。子供を守るのは大人の義務だから……それに結局、永世さんがとばっちりを受けたわけですし……」
霖は距離感を弁えた、品の良い少年である。しかし急に、茉世の腕を握った。
「永兄さんと逃げてもいいんですよ。これは嫌味ではなくて……永兄さんと逃げても……協力しますから……茉世義姉さんと永兄さんには好くしてもらっていますし……」
「何を……言って……」
「本当は怒るところなのかもしれませんが、蓮兄さんはいじめっ子みたいな小舅で、禅なんかワガママ放題のガキですし……蘭兄さんもあまり好い夫ではないでしょう? 永兄さんが一番まともで、世間一般的な感覚を持っているのは、僕だってよくよく承知しているつもりなんです」
半ば泣き出しそうな勢いであった。もはやごまかすことはできない。この聡明で優しい少年に嘘は吐けない。せめて正直に打ち明けることが、大人に対する信用というものをかろうじてでも残してやれる道なのではあるまいか。
「もしわたしが逃げたいと言っても、永世さんは三途賽川を選ぶと思います」
霖は項垂れた。
「永兄さんが、あんまりで……」
「年若い霖くんが、永世さんのことをそうやって慮っていらっしゃることが、多分永世さんにとっては喜ばしいことだと思います。わたしはそうでした。わたしと永世さんは気持ちを共有しているわけではないですが、わたしはここに嫁いできたばかりのとき、霖くんに優しく接してもらえてすごく、救われたんです」
「僕に力があったらよかったんですけど……生憎、こんな家の四男ですから。蓮兄さんと絆兄さんが抜けても……永兄さんを支えてあげてください。蘭兄さんには結局僕等がいますから。間違っていても、味方するしかありませんし」
茉世は霖の真冬みたいな手を剥がし、両手で包んで返した。
「ありがとう、霖くん」
霖は頭頂部を晒したまま首を横に振る。
「僕にとっては、厳しくて冷たい蓮兄さんやマイペースすぎる絆兄さんよりも優しい永兄さんのほうがお兄ちゃんでしたから……」
しかし――……しかし霖は知らないのだろう。知らせるつもりもなかった。自分が永世を支える必要はないのである。茉世は苦い思いを噛み締めた。
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