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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 54

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 雨が振りはじめていた。雨音が増えたというのに、納屋はかえって静かになる。母屋はすぐ近くにあるというのに雨脚は竹林のごとくこの納屋を隔絶した。
「あ………ぁ、」
 茉世まつよは壁に背を預け、その足首には穿いているものが撓屈たぐまっていた。彼女の股間を眼前に置いて青山藍は腰を落としていた。青い髪に掴まれているというのに頓着する様子もない。
「ムレムレのおまんこのにほひがスる、オネエサン。 お毛々クレよ。オネエサン、まんこの毛、クレ」 
 鼻を鳴らし、青山藍は茂みの香りを肺いっぱいに吸い込んだ。
「嗅がないで……」
「ヤダヨ! オネエサンのおまんこ嗅ぎに来たの! オネエサンのおまんこ香水ホシイなぁ」 
 匂いを吸い、吸うだけでなく長く吐き出す。ブルーのコンタクトレンズ越しでも陶酔が窺えた。
「汚いから……」
「キタナイの? オネエサンのキッタナイくっさいまんこ、舐めたい!」
 マニキュアが艶めかしく飾られた指が彼女の秘戸を捲った。湿気を帯びた紅肌が青い瞳の真正面、目交まなかいに晒される。
「ああ!」 
 茉世は顔面を覆った。あるまじきことだ。初めてのことではないが慣れはしない。
「オネエサン、ここにも乳首があるの?」 
 蛇舌が秘められていた陰頭に伸びていく。
「あッ」
 桃色の口触手が小さな肉塊を転がす。温度と質感がさらに官能を強くする。
「ん~、オネエサン……」
 眠たげな声を漏らしたが、この男に寝る気はないようだ。左右に分かれた舌先で陰核を捉え、猫よりは柔らかなやすりを上下前後左右に揺らした。
「ぁん、」
 髪を掴んで引き剥がすはずであった。しかしその目的を忘れていた。彼女はむしろ股ぐらを鋭い顔面に押し付けていた。青山は鼻を鳴らす。日常生活で息を吹きかけられるようなことはないはずの陰阜いんぷに吸息を感じる。
「よして………ぇ」
 青山は深呼吸した。嗅覚を存分に堪能した。胸が膨らみ、肩が浮沈する。青い髪が傾いた。口がさらに深みへ潜った。グリルズが当たる。同時に淫粒を噛まれる。
「ああああ!」
 弾力を歯で確かめていた。痛みはない。だが恐怖と緊張がある。そしてそれは恐怖として作用しなかった。緊張と錯覚し、性感の味方につく。甘く強い刺激と相俟って、彼女は果てた。腰が揺らぐ。青い髪に嗅がれるだけ嗅がれた糸屑が混ざった。
 じゅりゅりゅ! ぬちゅちゅ、ちゅるちゅる、じゅじゅじゅ、じゅるる……
 収斂する珠門を潜り抜けるようにして、青山藍は淫蜜を啜った。卑猥な音を鳴らす。賎陋せんろうなやつなのだ。聞かせていたに違いない。だが飽きたであろう。誰が他人の股間に顔面を埋め、長いこと屈んでいたいものか。いくら下卑助げびすけ下卑蔵げびぞう青山藍といえども、飽いて満足したはずなのだ。
 ところがこの男は収縮の鎮まりつつある種肉をまた甚振った。
「も………だめ。放して、……!」
 グリルズはまだ女の秘められた肉粒の弾力で遊んでいた。茉世はまるで自分の男に縋るような手付きで青山を叩く。
「んみ゛ゃみ゛ゃみ゛ゃみ゛ゃ!」
 黒い猫がかごのなかで跳ねる。頭をぶつけることも厭わない。
「2回イくのキツい?」
 股を啜っていた妖怪のごとき男は立ち上がった。片脚ずつ膝を曲げる。
「帰ってください……」
 下ろされた下着を戻そうとした。だが青山藍の手が代わりにクロッチと化した。
「え……」
「クリトリスで2連続はキビシーんでしょ? 手マンでイかせてアゲルね、オネエサン。ワタシのコト、ハグしてもイイヨ!」
 吸われ尽くしてもまだ陰液はそこに残っていた。乾ききらなかった青山の唾液なのかもしれない。長い指が彼女の体内へ突き込まれる。
「ぅんっ……!」
 風船が破られるような衝撃があった。脚と脚の間が避けそうだ。爪を刺されたのかと思った。
「オネエサン、ダンナさんと毎日ラブラブエッチしてるんぢゃないの? キツくない? やっぱりレスってるの?」
「ぬ、抜いて………」
「ヌくの? ワカッタ。ヌいてあげる」
 だがその横柄な手が抜去されることはなかった。茉世は抜かれるものだと思っていた。確かに引かれていったのだ。ところがふたたび戻ってきた。
「アあ、! どうして、」
「今ヌいてアゲルね? ダンナさん、ヌいてくれないんだもんね?」
 抽送がはじまる。茉世は目から星が飛び出していくようだった。
「あ、あ、あ……!」
「感度イイのにね、オネエサン。ワタシと浮気シちゃおーよ」
 肘を伸ばして彼女は青山藍の身体を遠ざけた。しかし力で敵うはずはない。細い躯体は胸元に回収される。
「オネエサン?」
うたさんに悪いと思わ―」
「思っててもヤるヤツはヤるよ」
 嵌めた銀石の重みなどまったく感じさせない速度で指は彼女の奥を叩く。
「ふ、ぅ、っう、う……」
「オネエサン、ちゃんと選挙イッてるの? それとも戦争讃美者? オクチで戦争はイケナイってイッてるのなら、ちゃんと戦争しないってイッてる政党調べて、投票シてる? ソレと同じコトだよね? もしソウしてないなら二度と戦争シちゃイケナイなんてイうなよ。イうは易しだよ、オネエサン。ソレと、同じ。浮気をワルいコトだと思っても、思ってるだけ! 思ってるケド、ヤる!」
 親指が先程食んだ肉珠を押し潰す。
「んあ、ぁっ」
「ソウでしょ、オネエサン。オネエサンが何度もイっちゃうのは、ダンナさんにワルいと思わないからなの?」
 拉げるほど押し潰す。その下で咥えた青山の指を締め付けた。銀石がぶつかっている。
「ああんっ」
「ダンナさんにワルいなんて思ってなくて、ワタシに抱かれて嬉しいんだ? オネエサンもワタシと同じアナのムジナだよ。同じア・ナ♡ エッチ♡」
 抜き差し忙しなかった手が中に留まった。茉世は息を呑む。弱点を知られている。
「ぃ、あんっ」
 青山藍は脅すかのようにそこを一撫です。
「ココでしょ、オネエサンのすぐイくトコロ。ダンナさんに謝りながらイきなよ。ダンナさんにワルいでしょ?」
「抜いて………っ」  
「ダラシなくイきな?」
 容赦はなかった。蜜部を掻かれる。
「やっ、あ、んっんっんっ!」
「ダンナさんにアヤマッテ?」
「ごめ、んなさ………」
「んにゃにゃにゃにゃ!」
 ブルーのカラーコンタクトレンズがかごの中の黒い猫を横目に捉えてほくそ笑む。
「クロネコちゃんってなんかセクシーだよね。なんでだろね。ほら見て、ネコチャン。これがオネエサンの人妻不倫おまんこだよ。ワタシの極太真珠おちんちんが何度も出入りしたトコロなの」
 かごのほうへと茉世を引き寄せ、青山藍は女陰を見せつける。
「なぅん……」
「あ、あ、黒ちゃん……」
 種族を超えた倒錯的な劣情が、その金色の眼に過った。都合の良い投影だったのかもしれない。投げやりになった欲求は牡であれば猫の関心にさえ向いているというのか。
「クロチャンのランドグシャにクリトリス舐めてほしかった?」
 ヒトの皮膚の感触がクリトリスを捏ね回した。歯のない牝口が男の指を噛み千切りそうだった。ラストスパートをかける手を止めようとしていたのかもしれない。
「あっ、あっ、あぁん、!」
 彼女は仰け反った。身を震わせ、嬌声が納屋にこだまする。檻の中の黒い猫の瞳孔が一気に丸く開いた。
「まんこ汁飲ませろ」
 戦慄く茉世に構わず青山藍は腰を落とすと、女蚌を剥いた。
「あ………っ、ひ、」
 過敏になっている充血した粘膜には何が掠れても厳しい擽感れきかんに襲われた。しかしこの者の構うことではない。美味そうに牝の湧き水を啜り、濡れて淫猥に照り輝く口元を拭う。銀面皰の二つ並んだ唇が綻んだ。青山はまだ立ち上がらず、オーバーオールのポケットを漁った。
「ダンナさんとレスっててアカチャンデキないんでしょ? はい、アカチャン!」
 取り出された白い上下非対称の楕円球は青いマニキュアがよく映えた。鶏卵である。
「や、やめ……てっ! あァっ!」
 しかし拒否を聞き入れる男ではない。卵は消えた。隠されてしまった。茉世の腹の中に。
「ワタシの朝ゴハン、オネエサンにアゲルね。ダンナさんの目の前で産んでアゲな? きっと喜ぶよ。コーフンして、すぐにデッカいちんぽ挿れてクレると思う。産卵モノはイッパンセーヘキだからね」
 下着が腿を上がっていく。服を直されていってしまう。
「そ、んな………そんな………」
 異物感がある。鈍く重い。腰痛に似ていた。
「ダンナさんと赤ちゃん作ったら、ワタシと妊婦サンセックスしよ」
「割れちゃう……」
 卵殻の破片が刺さる恐怖も彼女を慄然とさせた。
「ゆでたまごだから大丈夫だよ、オネエサン」
 寒がっているかのように立ち尽くす茉世に青山は絡みつき放そうとしなかった。それこそ異界と繋がっているに違いないほどあれやこれや取り出されるポケットから、今度はイヤリングに機構の似たものが出される。垂れたチャームは耳飾りにしては長い。
 青山藍は身体を放した。彼女の乳頭を摘む。接触している面積が減ったことで、彼女の意識は分散されることなく、程よい力加減で捕らえられた胸の実粒に集中してしまう。
「ふ、ぁ………」
 不安と違和感に泣きそうだった茉世の顔に恍惚が浮かび上がった。まるで次なる刺激を求めるかのように胸を突き出し、腰を揺らめかせる。身体がこの状況を知るよしはない。相応しい番いが現れたのだと判断するのみである。相応しい番いから上質な種を搾り取る気になっている身体は、そこに卵を呑んでしまっていることも知らずに蜜部をうごめかせた。
「ん………ぁ」
 ブルーのコンタクトレンズに見下されている。視線がち合ったまま、逸らすことも忘れてしまった。潤みきった瞳は新たな戯れを求めた。
 彼女の小さきとも膨らんで聳り勃つ肉蕾が徐々に撚られていく。
「ぅ………ん………」
 花が咲いてしまいそうだ。卵を何度も食い締める。継続的な刺激を求めた。曖昧模糊とした掻痒そうよう感がある。それは決して爪を立てて掻き毟りたいものではなかった。指の腹や指先で擂り潰され、陵轢りょうれきされたいものだった。ところが指は離れてしまう。
「んん……」
 青い目からやっと視線を逸らすことができた。彼女は垂涎すいぜんして吝嗇家りんしょくかの手を凝らしていた。卵を抱えた下腹部が甘く湿って疼く。被庇護欲に似た被虐心が公序良俗というものを掻き消していた。
「オネエサンのエッチ」
 樹脂製と思しきイヤリングに似た機構が、乳頭を挟んだ。房飾りが揺れるたび、響くような快感が生まれる。
「あ……! ああ………ん、」
 茉世が蕩けている間に、青山藍はもうひとつの胸にも飾りをつける。
「ふあ、あ、あ………」
「にゃぁお!んにゃあ! んみゃみゃみゃ……」
 自身を八つ裂きにされたかのごとき絶叫が納屋に反響する。雨音を跳ね除けんばかりであった。近付いてきている足音が紛れる。ふと訪れた静寂が知らせるのだ。納屋の出入口に立つ存在を。時間が止まった。だが雨樋あまどいから軽快な音を鳴らし、閉じた傘から伝う水流は濃い染みを作っている。
「オタク、ドチラ?」
 沈黙を破ったのは青山だ。獲物を捕まえている腕に力が籠もる。誰何すいかされた相手は黒い猫から目を移し、石像と化していた。いいや、近くで見ると長い睫毛を震わせている。白いシャツが発光して見えた。永世だ。驚愕の表情も、儚さと健やかさを併せ持った美貌である。
「茉世さん……」
 彼は青山の問いには応えず、垂飾りを胸で揺らす淫婦を捉えていた。逃げようとしたらしかった。だが後ろから腕を捕まれ、さながら立って行う後背位だった。
 茉世は白昼夢でも見ているような心地がした。足の裏に値を踏む感覚がない。足にはあるのだ。砂塵越しにコンクリートの固さがある。けれども頭はそれを知覚しない。厭な浮遊感に襲われる。
「オネエサン、カレシ多すぎぢゃない? どうなってんの」
 せせら嗤う青山藍は、元気な犬を散歩させているかのような要領で茉世の腕を引いた。
「よして! よして!」
 彼女は叫んで暴れた。力で敵うのならばこのようなことにはなっていない。
「茉世さんを放してください……」
 2歩、3歩ほど永世は虚ろに歩き出した。己に脚が生えていることを忘れているかのような歩き方だった。当人でさえ、歩いている認識はないかのようである。
「茉世さんを放してください!」
 譫言では届かないと悟ったらしい。彼の声は納屋に反響する。平生へいぜい雲煙縹渺うんえんひょうびょうたる山々に染み入っていく囀りのごとくしとやかに喋るこの男も、腹から声を出すことがあるらしい。
「オタク、マツヨのナニ?」
「その人を放してください」
 茉世も青山藍の腕を振り解こうともがく。
「マツヨはワタシとヨロシクやんのよ」
「青山藍さんですよね。今 母屋おもや門町かどまちうたさんという方がいらっしゃっています。浅からぬ関係だそうですね」 
「ドイツもコイツもバヌアツも、ワタシに哥チャンの名前出せばドウニカなると思ってる? 哥チャンはワタシに対する禁止カードぢゃないよ?」
 青山は肩を竦めた。茉世は逃げた。永世の脇をすり抜け、納屋を飛び出した。
 他の男と淫行に耽っている様を最も見られてはならない相手は夫であるはずだ。蘭であるべきなのだ。だが感情と直感はそうではなかった。最も見られたくない相手に見られてしまった。
 考えなしに石段を駆け下りていく。しかし天気は雨。履き慣れていないサンダルは彼女を裏切る。靴底が滑る。転がり落ちていく。泥が跳ね、服が汚れていく。焦っていた。だが転んでみると急激に冷えていく。濡れていくのも構わず、そこに座ったままブラジャーを直す。その最中、膝を擦り剥いていることに気付く。年甲斐もなく雨の中に走り、膝を擦り剥いている。己の愚かさ、滑稽さに笑ってしまった。そして一笑いした途端、現実が押し寄せてきた。だが雨とは便利である。感情如何によってはヒトは顔面から汁を垂らす。だが雨はそれを洗い流し、または誤魔化すのである。
 茉世は顔を拭った。走られたことのないサンダルはストラップが柔肌を抉っている。登るか降りるかしなければならない。降りても行くところはないが、登っても三途賽川宅があるのみだ。どうせ帰るところはこの家なのだ。しかし今は帰りたくない。帰巣本能が疼くまで、彼女は外にいることにした。雨によって気温は下がっているが、寒くはないのだ。
 階段を降りると、べっしょりした物が脚に触れた。見遣れば黒い襤褸雑巾である。妙に毛羽立っている。生き物だ。蜘蛛の巣だの埃だの木々の垢みたいなのを纏った黒い猫だ。
「んなん、んなぅ」
 黄金の双眸と目が合った途端、この黒い猫はずぶ濡れになっていることも知らないのか喉を鳴らして擦り寄った。
「黒ちゃん、身体を冷やすよ……」
 泥足の猫を拾い上げる。濡れた猫というのは臭い。刺激臭とも生臭さとも違う、雑巾の濡れたような、濃厚な生乾きの匂いが鼻に届く。
「んにゃ~ん。ぅーなん」
 猫は頭を彼女の胸に預け、重低音を轟かせる。
「黒ちゃんは帰りなさい。お外は危ないから」
「んにゃん」
 腕のなかで体勢を変え、猫は抱えられながら寝るつもりらしい。
「黒ちゃん」
 とても三途賽川の敷地とは思えないが、おそらくそこも三途賽川の敷地なのだろう。石段を囲う雑木林と公道を区切る石積みに猫を乗せる。三途賽川邸のほうを向けて置いたが、金色の目は茉世を振り向いた。
「先に戻ってて。黒ちゃん」
 尻を軽く叩いて促す。だが猫は身体ごと茉世を向いた。
「黒ちゃん」
 尾の付け根を撫でる。黒い猫は前身を屈め、後身を上げる。
「んなんっ、んにゃ~ん」
 甘い鳴き声が喉の重低音によって震えている。突然、羞悪に襲われた。この黒い猫はオスである。尨毛の小鈴を2つぶら下げている。だが己の浅ましい姿を重ねてしまった。鬱陶しいまでに人懐こい猫だ。この猫さえいなければ、青山藍から逃げらたのではあるまいか。迷い猫か野良猫である。飼猫の"るん"ではない。守る義理も筋合いもない。迷い猫ならば管理の行き届かなかった飼い主の責任だ。何故、庇おうとしてしまったのだろう。もし青山藍から逃げ出せたのなら……
 撫でていた手つきは乱暴に黒猫を雑木林のほうへ突き飛ばした。そして振り返りもせずに歩き出した。
 車とすれ違う。アスファルトに溜まった雨水を轢いていく。
 プッ! プォォオーン
 クラクションが近所に響き渡る。甲高い耳鳴りが残る。彼女は反射的にそのほうを顧みていた。シルバーの車が大きくハンドルをきって止まっている。ハザードランプが焚かれ、赤い光が目に染みた。
 黒ちゃん。
 毛虫の幻覚が背筋を這っていく。一度は突き放した。しかし猫に何の咎があるのだろう。彼女は急いだ。クラクションの原因が黒い猫ではないと願っていた。停まっている車の前に運転手と思しき人物が蹲っている。茉世に気付いて首を向けた。白髪の多くなった初老の男性で、焦燥した顔色は土気色だった。淡い色のチェックのシャツにサンドカラーのスラックスに雨が模様を刻んでいく。茉世は膝の間から、アスファルトに横たわる黒い物体を見た。ひ、と声を漏らしてしまった。
「貴方の猫ですか……?」
 運転手と思しき男性は怯えている。
「わたしの猫では、ありませんが……」
 後ろから車が来ている。
「わたしが近くの動物病院に連れて行きます。ですから大丈夫です」 
 車対猫。故意に轢いたのではなかった。人間至上主義社会の侵入によって淘汰されていくのが野生動物の宿命なのである。この車が悪いとは思われなかった。避けようとしていたのだ。この運転手を誰が責められるのは、電車も使わず車も乗らず、バイクや自転車も用いず馬を使役することもない者のみだ。さすれば猫を轢かずに済むはずだ。辜を問われて然るのは、人間が相手のときだ。やはり迷い猫ならば、飼い主の管理の問題である。
「ですが……」
「わたしがちゃんと見ておかなかったせいですから……」
 茉世は様子を見ながら猫を拾いあげた。前脚を怪我しているらしい。鼻血も垂らしていた。
「黒ちゃん……」
 運転手と思しき初老の男性はまだ逡巡していた。しかし後続車があることを知ると茉世を気にしながらも車へ戻っていく。
「ぅぅ………んなぅ」
 黒い猫は喉を震わせた。
「お嬢さん、こちらのタオルを……」
「どうもすみません」
 車窓から手が伸び、タオルを渡された。茉世はそれを受け取って猫を包む。泥と血がついた。通りすがりの車であろう。このタオルを返すことはできず、また新しいもので返礼することもできない。情けなくなった。
 茉世は近くに動物病院があることを知っていた。近くとはいってもすでに負傷している個体を抱え、雨の中歩くには少し遠い。支払いについて……彼女の目が淀んだ。この世は金だ。善意だけでは回りきれない。相応の態度でいれば平等のサービスを受けられる手段、それが金なのだ。働きもせず、何かを作って売っているわけでもない茉世に、動物病院を相手にできる金はない。手を付けるつもりのなかった金ならばある。すべて青山藍の財布から出てきた紙幣の束が。返すつもりでいた。金は金である。店で出せば物が買える。どのように得た金か訊かれはしない。書かれてもいない。一体この女は何を躊躇っているのだろう。生活に窮しているわけではない。支払いに切羽詰まっているのでもない。金はまた稼げばよいが、命は不可逆。
「黒ちゃん」
 金色の目が眠たそうに瞬きする。
「んなぅ」
 極悪人を見分けることもできずついてきてしまった哀れな生き物だ。急ぐ。まだ新しいサンダルのストラップが足の皮膚を削ぐ。
 ファンッ……カッチ、カッチ、カッチ……
 クラクションがまた聞こえた。オレンジ色の車が後ろからやってきて、ハザードランプを焚いた。御園生みそのう瑠璃と同じ車種である。ナンバーも同じだ。
 窓が開く。覗けばやはり昔馴染みの顔があった。
「乗ってけ、まっちゃん。急ぎっしょ?」
「でもわたし、今汚れてて……濡れてるし……」
「いいって、いいって。猫?」
 彼はタオルに包まれた黒い猫を一瞥する。
「車とぶつかっちゃったみたいで……」
「ま、細かいことはいいから乗っちまって」
 今は御園生の言葉に甘えるしかなかった。乗り込むと、彼は助手席を探ってタオルを投げた。
「ちょっと使ったけどそんな使ってないからあんま濡れてないと思う」
 茉世は雑に丸められて皺の寄ったタオルをかぶった。髪を拭いて、尻に敷く。
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