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蜜花イけ贄(18話~) 不定期更新/和風/蛇姦/ケモ耳男/男喘ぎ/その他未定につき地雷注意

蜜花イけ贄 36

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 一心不乱に彼女は腰を振った。腹の奥の疼く腫瘍をこそぎ取ろうと、肉串を突き刺す。意識の飛ぶような快楽は、頭のなかに殴打が入り乱れるようで、耳鳴りを起こしもした。
「だ、め…………また、逝く…………」
 若く引き締まった白い腹をただの床みたいに押し下げて、彼女は腰を浮かせた。途中まで引き抜いたところでまた果てる。激しく食い締めた。今の桔梗にとって、この肉串の持主は生き物ではなかった。ただの張型であった。
「かわいいわ……夢中で腰を振って!活きのいい張型が見つかってよかったわねぇ」
 すずなは膣奥を叩くことしか考えていない桔梗を傍で眺めていた。
「んががが!んがががが!」
 枸橘からたちもその様を嗤っている。しかし臙脂色の装束に身を包んだ隠密は昏い目を寝台の上に向けていた。
「気持ち良さそうねぇ」
「あ………あっあっあっ!」
 寝台が泣き喚く。広げられた男体も押し潰されそうなほど、彼女の腰遣いは荒々しかった。
「お茱萸しゅゆちゃん、檸檬ねいもうちゃんも、よくやってくれたわね。一緒に遊んだら?」
 臙脂色の装束の隠密は、茱萸しゅゆというらしかった。彼は色白の肢体をくねらせる桔梗から目を逸らした。
「んががが、枸橘ですだ」
 だが菘は聞いていなかった。寝台で跳ねる裸体を食い入るように見つめている。乳房が揺れ、伸びかけた髪が揺れ、甘く淫らな匂いを醸し出している。
「かわいいいわ……」
 そう独りち、赤く塗られた親指の爪を彼女は噛んだ。塗装が剥げる。
「気持ちいい………気持ちいい……………あぁ………っ、奥、好き………」
 桔梗は背筋を伸ばした。そして尻を回す。
「あたしの義弟おとうとにも、そうやっておねだりするの?」
「はい」
 扉の閉まる音だけがした。開く音はしなかった。菘の横に寝着姿の葵が立っていた。そして後から、背の高い野生的な男がやってきた。富貴菊ふきぎくであった。そしてさらにその後から、葵の妻のなずなが慌てた様子で駆け込んでくる。そうとう急いでいたとみえ、上等な寝衣が乱れていた。
「お止めになりませんの?」
 菘は妹によく似た顔で、義弟に問う。面構えは確かに姉妹でよく似ていた。だが菘には清々しいまでに毒と棘を隠さない険しさがある。
「何故、わたくしが止めると思うのです」
貴郎あなたの飼猫じゃあなくって?」
「私の妻でないのなら、どこの誰と交尾つるもうが、私の知ったことではございません」
 葵の腕に、薺が絡みついた。菘は義弟と妹を厳しげな眼差しで一瞥する。
「ふざけるのはよせ」
 葵の横面に拳が飛ぶ。裂帛れっぱくのごとき悲鳴ののち、異様な沈黙が流れる。寝台の軋みだけが、広い室内を支配した。茱萸も枸橘も、すでに姿を消している。
「ご婦人ひとり捕まえて、没義道もぎどうな仕打ち。鬼畜生はいけない」
 筋骨隆々な巨躯に殴り飛ばされ、葵もすぐには起き上がれないようだった。片目が引き攣っている。
「目を覚まされよ。ご婦人を解放するか、このような人道にもとる行為を辞めさせるか……」
 富貴菊は寝台のほうへ歩み寄り、羆の敷物みたいにされている男体から引き離した。
「アサガオさん………」
 桔梗は喚いて、逞しい男の腕を嫌がった。
「アサガオさん………!」
 そして四肢の自由を奪われている若い肉体に縋りついた。薄らと筋肉の浮き出た胸板に頬を擦り寄せる。牛に手足を千切られる直前の罪人に、その様は似ていた。
 彼女はまた恐怖に涙し、絶叫する故人の生前の姿を思い浮かべた。そして破裂するように手足を失った哀れで惨めな姿をまたもや想像するのだった。
「逝く、……っ」
 大きな掌が改めて彼女の肩に触れたのと同時に、先細りするような絶頂を味わった。
「身体を壊します」
 骨太な腕に抱えられ、彼女は抗いがたい眠気に襲われた。
「彼は誰です」
 富貴菊は桔梗を抱えながら、姉妹とその夫を顧眄こべんする。
苧環おだまき殿です」
 葵が言った。そして最も驚きを示すのは薺であった。
「存じていてこの有様か」
「捕縛したのは私ですから」
「あなた………どうして、」
「苧環殿は徒手武術の名人。隠密衆では捕まえられません」
 薺の大きな目が潤んでいる。姉はそれを冷ややかに横目で捉えていた。
如何様いかように捕縛したかではなく、何故なにゆえ捕縛したのかを訊いているのです」
 富貴菊は桔梗を足元に置いていた。彼にとって姉妹もその夫も、この裸婦を託すに値する人物ではなかったのだろう。冷たい板間のほうが頼り甲斐があったというわけだ。裸の女を脚に凭れかけさせながら、苧環の身体を括る縄に手を焼いていた。
「面白そうな話を聞いたからです。男の身に生まれたならば、必ず肉欲に溺れる。逃れられない。雨を飲み、ほこりを食う身体でも、必ず」
「……葵殿は苧環殿がお嫌いでしたな。以前、一騒動起こしたという話を思い出しました」
「己が身は高尚で欲望を知らぬという態度が気に入らないのです。忘れているのなら思い出すべきだ。男の身であることを。捨てることなどできません。違いますか、富貴菊春将」
 富貴菊は縄を解くのに手をこまねいていた。
「迂言で申し訳ないが、なりたいと思っていたものになれるよう装う。それがそのように蔑まれるものとは、わたしは思いませんな」
 彼は手を打ち鳴らした。神馬藻ほんだわら隠密衆が天井から顔を出す。富貴菊春将は刃物を乞うた。苦無が渡され、苧環を縛り上げる縄を断っていく。
「葵殿はご病気の様子ですな」
 大きな手は、蛇めいた縄を解いて投げ捨てる。
「されど、見事な捕縄とりなわ術でした」



 恐ろしくおぞましい夢に身震いして、桔梗は目を覚ました。だが、柔らかな布団の心地に、目蓋はすぐ重くなる。放り出していたらしい腕を引き寄せ、身を縮めようとして、何かにぶつかった。布団の中に人がいる。知らない甘い匂いが、鬱陶しかった。安眠の邪魔であった。
 桔梗はその物体を押した。しかしそれは重かった。彼女は目を開くのも厄介だったが、それを見るしかなかった。葵である。葵が、さも当然のように同衾どうきんしている。
 彼女は起きようとした。ところが、つきりと腰の骨に錐を刺すような痛みが走った。腕だけで身を起こし、背負った布団から心地良い温気うんきが逃げていく。頭と喉も鈍く痛む。
 ふと、忘れかけていたが新鮮な夢の一部が甦った。会うことの叶わない故人との邂逅に、過ぎ去った感情がまた目の前を横切っていく。
 桔梗は眠かったが、傍らの穏やかな寝息が疎ましかった。知らない匂いが、鼻に合わなかった。花を思わせる甘い香りが臭く感じられた。
 腰の痛みに気を付けながら、布団の狭間から身体を引き抜こうとした。
「桔梗様……」
 桔梗は硬直した。だが寝言であった。彼女は相変わらず、見世物小屋の座敷牢に放られていた。いつもと違うのは、小さな菓子が格子の側に置かれていることだった。
「桔梗様……」
 寝言を吐きながら、葵は彼女を布団のなかに引き摺り込む。
「おやめください、やめて……」 
 葵から薫る女の匂いが、鼻の曲がるような悪臭に思えた。葵を突っ撥ねる。鈍い頭痛に、彼女は頭を抱えた。
「桔梗様」
 葵が臭く感じられた。頭に響く。気持ちが悪くなってしまった。だが彼は、そのような女の事情を知りもしないで、具合の悪そうな素振りを見せる彼女を抱き寄せる。
「だめだよ、葵。桔梗は人妻になるんだから」
 格子の中に投じられた声で、葵は弾かれたように彼女から身を剥がした。茉莉まつりが床に腰を下ろし、そこに置いてある菓子を拾って眺めていた。
「"桔梗"はすでに、」
「うん。今度はちゃんと人の妻になるよ。建物とじゃなくて。ちゃんと離縁しないと……白桐しろぎりくんが不吉なこと言うだもん」
 茉莉は菓子を下ろし、今度は刀を手にした。それによって"可愛い臣下"が喉を一突きして息絶えた。
「よかったね、桔梗。君の身の上を知ったうえで、拾ってくれるってさ。それは今の段階でいえば葵より禄は少ないけど、春金将まで上り詰めたら生涯銭禄は葵より多いよ。男は稼ぎで勝負だからね。分かった?葵、もう桔梗は君の女じゃないし、もしかしたら君よりお偉くなる人の御令妻になるかも知れないということだ。出てきて、桔梗」
 茉莉が手招きする。桔梗は腰の痛みに耐えながら、格子扉に寄っていった。
「でも君の病んだ欲情が薺ちゃんに向かうのは可哀想だからね。君の今までの働きに、おれはちゃんと報いたいんだよ。おいで」
 茉莉は今度は見世物小屋から死角になる位置へ手招きをした。真っ白な衣装に身を包んだ女が現れる。その面構えは、桔梗によく似ていた。
「あげるよ、葵。桔梗の代わりに可愛がってあげなよ。桔梗と違って未貫通だよ。少し味見はしたけどね。桔梗みたいに罵詈雑言を吐いたりしないし。なんと言ったって、喋れないんだから。気をやるときの声は似てるけど。あんまり引っ叩いたりしちゃいけないよ。顔も胸も尻も、切って縫って貼った顔だから」
 桔梗は己と瓜二つの女を見ていた。伏せがちな睫毛に、虚ろな眼が憐憫を煽る。
「何人も咥え込んだ桔梗より、あそこの具合は良いと思うし、葵の望むとおりのことをしてくれると思うよ。葵のこと好きみたいだから。じゃあ、桔梗、おいで。大丈夫だよ。君と同じ顔してるあの子を、おれが粗末に扱うわけないだろ?不自由はさせないよ」
 茉莉は桔梗の手を取った。く……くくく、と貴人は笑いを噛み殺していた。
「苧環くんと交合まぐわったんだって?俗世を捨てた珍棒の具合はどうだった?はっはっは!きゃはは!高尚高潔洗練無垢な矛珍は?」
 御手は女のか細い指を握り込んでいた。
「え……?」
「おれの寝てる時に面白いことするのやめてよ、もう」
「桔梗様!」
 回廊に大声が響く。貴人は大仰に耳を塞いだ。
「なんだ、葵って腹から声出せるんじゃん。いつもぼそぼそ喋るから誤解してたよ」
「桔梗様!桔梗様!」
 格子にしがみついて、正気の沙汰ではなかった。代わりに座敷牢に放り込まれた娘は、所在なく立ち尽くしている。
「君の桔梗はそこにいるじゃないか。君が愛すべきは妻の真心で、君が犯すべきはその娘だ。同じ顔をしてるじゃないか。しかも悪女じゃない分美しくて清らかだろう?君のために未貫通にしてあるんだよ!葵!君のために!君が珍棒を初めて突っ込む男になるために!何が不満なのさ。これは富貴菊の桔梗なんだよ。君には妻がいる」
「あの娘はどうなるんです。殺されてしまいます……!」
「葵みたいな稼ぎ手の美男子に殺されるんだ。淫売上がりの片輪が、だよ?本望じゃない?」
 桔梗は貴人の御手のなかにある手を引き抜いた。
「そうは思いません……」
「君がそう思わなくても、それが真理なんだよ。雌のね」
「桔梗様!桔梗様!」
 格子の中の狂犬が吠えている。
「うるさいな、葵。うるさいよ。ちょっと!あのバカ犬にくつわでも咬ませておいて」
 貴人は御手を打ち鳴らした。現れたのは神馬藻ほんだわら隠密衆ではなかった。臙脂色の装束である。
「いや、待て。この場合、葵本人に命じたほうがいいね。ただでさえ隠密衆の数が減ったのに、これ以上減らされたら困るね。君たちは借り物だから、大切にしないと」
 貴人の御御足おみあしは格子のほうへ戻った。
「葵。口枷をなさい。分かるね。いつまでも発情期じゃいけない。君には妻をやっただろう。桔梗の代わりもあげた。他に何を望むの。え?君は発情期のオス狗だよ。オス孔雀だ。オス雪女だよ。いやらしい!すっかり頭が珍宝に支配されているんだ。散々妻に精を注いだのに?」
 御手は桔梗の腕を掴んで引っ張っていった。彼女は踏み止まろうとした。だが貴人はそれを許さない。
「富貴菊はいい男だよ。よかった!君のような巨悪の女を嫁に欲しいという人がいて。それがあんないい男だなんて。女なら一度は憧れると思うね、あの腕に抱き潰されるのが。おれだって、オスとして負けてると思うもの。だから分かるよ、この時ばかりは女の気持ちがね。弱者の気持ちが」
 彼女は庭園の見渡せる間へと案内された。縁側に富貴菊が座っていたが、主君の姿を一目見ると、片膝をついて身を伏せた。
「富貴菊、いいの?本当に?こんな薄汚れたドブネズミみたいな淫乱女じゃなくっても、君にはたくさんの縁談が来ているのだし…」
「はい。わたくしは桔梗殿が欲しいのです」
「まぁ、君は精力的で激しそうだし、この薄汚い厠女なら、すぐに壊しちゃっても問題ないもんね」
 貴人は桔梗の背を突き飛ばした。
「葵殿は、どのように……」
「葵のことは気にしなくていいよ。葵には妻がいるんだし、桔梗の代わりの娘をくれたし。でも富貴菊は、いいの?その顔が好きなら、新しく似たような背丈の子を見繕って、切って縫って貼って、未貫通の桔梗の代わりを作るよ?君には期待してるからね。だから、葵専用の厠女を娶らせるのが申し訳なくって」
「私は桔梗殿そのものが欲しいのです」
 貴人は不思議そうに春将を見詰めた。
「桔梗は曰くつきの女だから、すぐに輿入れというわけにはいかないけれども、分かったよ。この牡垢まみれの生臭い女を貰ってくれてありがとう。始末に困ってたんだ。でも君ほどの男なら、この珍棒依存のろくでなしを真人間にしてくれるのだろうね」
 春将は脳天を見せるのみだった。
「まぁ、もう好きに扱っておくれよ。人形のように。悪い女は懲らしめられるべきだからね」
「悪いようにはいたしません」
「悪いようにしていいんだけど?」
「いたしません」
 貴人は乾いた笑い声をあげる。
「悪いようにしなさい。この女は逃げたいんだからね、この腐った天地あめつちから。幸せなんて却って可哀想だ」
「流れ次第では、そういたしましょう」
「よろしい。建物とは離縁して、それから嫁入り試験をしてから、式を挙げよう」
 桔梗は頼りなく突っ立って、茉莉を見ていた。
「恐悦至極に存じます」
「臣下が喜んでくれて嬉しいよ。じゃあね、桔梗。さようなら。次会う時は離縁式だよ。それまでに君がまた騒ぎを起こさなければね」
 貴人は去っていった。桔梗はひとり残された気分でいたが、そこにはまだあの美丈夫が慇懃に控えていた。
「桔梗殿」
 顔に覚えはあるけれど、よく知らない相手であった。彼女は戸惑いを隠せなかった。
「桔梗殿にはすまなく思います。心配なさるな。本当に惚れたのではありません。私はまだ、死んだ先妻を愛しております。けれども葵殿の目を覚ましたかった。それだけです」
 富貴菊はまた縁側に腰を下ろした。葵の目を覚ます。彼はそう言った。まだ愛していると口にしたが、亡くした先妻に後ろめたくはないのだろうか。
「葵様と、仲が良いのですか」
「いいえ。ただ、私も卑しい身分の生まれです。奉公人を除けば宮仕えのほとんどは雅族。庶民から成り上がった当時の葵殿といえば、同じく生まれの昏い私にとっては憧れでした。ゆえにあの現状は耐えがたい」
 富貴菊は立っている桔梗を顧みて、隣に座るように言った。彼女は斜め後ろに座る。
「卑しい生まれはこれだから……と、私は何度も言われたものです。また卑しい身分から立身出世を夢見る者が現れたとき、足枷にはなりたくない……昨日の今日では疲れましたでしょう。今は間借りしています。そちらが桔梗殿の部屋です。いずれ、自宅に案内します。躑躅殿へ挨拶をしておきますか」
 桔梗は俯いた。そして首を振った。
「葵殿の調子が戻ったら、すぐに離縁いたしましょう」
「わたしは今、威鳴狐狗狸いなりこくり神社と結婚しています。離縁して、富貴菊様にわざわいがあったら……」
「国のためなら仕方がありません。葵殿は国に必要な御仁だ。私のような武人は、すぐに取って替えられます。桔梗殿は私を恨みこそすれ、慮る必要はないのです。巻き込んで申し訳なかった。不自由はさせません。主上から、桔梗殿の……―弟分を引き取るよう勧められましたので、そのうち……」
 軽い咳払いはわざとらしかった。逸らされた目に気拙さがある。
「弟分……ですか」
大麗たいれい殿とか……」
 桔梗の薄寒く乾いた身の内が、その名を聞いた途端にほのかに温かくなった。ダリアだ。
「お世話になっていた奉公人です」
 富貴菊はわずかに魂消たまげたような表情を見せたが、そののちに柔らかな笑みを浮かべた。
「すぐ、共に暮らせるようにしましょう」
 だが桔梗は純粋に喜ぶことができなかった。ダリアに今の有様を見せたくなかった。そして彼は彼なりに、充実した日々を送っているのではあるまいか。
「お嫌ですか」
「いいえ……ただ、ダリアが……ダリアというのですけれど、今の生活に慣れてきているのなら………」
「では、大麗殿と直接会って、御二方で決めてください」
「……ありがとうございます」
 しかし、それは叶わなかった。ダリアの身柄は葵が預かっている。葵は桔梗の哀れな下僕を、貴人から賜った危機にくれてしまっていた。顔に火傷を負った、哀れで惨めな美少年を傍に置くことで、葵は貴人からの賜り物を本物にしようとしたに違いなかった。
 ダリアはあの見世物小屋に押し込まれていた。桔梗はその話を聞くと、古巣に飛んでいった。
「ダーシャ!」
 格子の奥に、確かにあの下僕がいるのだった。3人が、公開型の座敷牢に放り込まれていた。1人は文机に向かい、1人は部屋の隅にひっそりと座り、もう1人は桔梗の姿を見つけると、木枠に縋りついた。
「桔梗さま………桔梗さま…………」
 怖い思いをしたに違いない。澄んだ目から、ぶわと涙が溢れ出している。
「葵様!」
 組木の狭間から手を伸ばし、ダリアの涙を拭い取る。そして彼女は文机に向かう背中に叫んだ。
「どういうおつもりですか!ダリアは関係ないでしょう!」
 ダリアは恐れ慄きながら、桔梗の腕に手を添えた。
「薬師さまは、おかしいのです………お正気ではありません………桔梗さま、だめです、あの人、おかしいです………」
 哀れな下僕は首は振って諫めた。
「桔梗さま……」
 ダリアは彼女の袖に小さく折り畳んだ紙片を捩じ込んだ。
「ダーシャ」
 涙でしとどの可憐な双眸と、桔梗は束の間、視線をち合わせていた。
「また来ます」
 彼女は文机に向かう葵をきつく睨んだ。視線に気付いたらしい彼は、筆を止めた。
「また来てください。ぜひ、来てください」
 そしてにんまりと笑った。どこを見ているのか分からない眸子は、確かに桔梗を捉えようとはしているのだろうけれど、虚空を凝らしているようでもあった。
 葵は異常者であった。翌日も、桔梗はダリアに会いにいくのである。哀れな下僕は彼女の来る前から格子にしがみついていた。今日も座敷牢には3人が入り、さらに竹籠が置かれているのである。中には大きな蛇が入っていた。白を基調としているが、ところどころ黒や茶の混じる斑模様で、三毛猫を思わせる。
「うう………桔梗さま………」
「ちゃんと食べているの?」
 ダリアは頷いた。澄んだ目が、桔梗を見上げる。束の間の目交ぜ。彼女は首を振った。まだ紙片を開けていない。昨日は富貴菊が長いこと傍にいた。
「葵様」
 文机に向かう男は筆を止めた。彼は気が違っていても、立ち振る舞いは宮仕えの若手の俊英であった。白百合の花みたいな所作で傍にやってきて、花を一輪、格子の間から、桔梗のほうへ差し出した。
「何を考えているのです……」
「桔梗様のことを」
 気の狂っている男と話が噛み合うはずもなかった
「あのヘビは……?ダリアが怖がっています。よしてください」
「桔梗様にはヘビの夫がいらっしゃいました。白くて、大きなヘビが……」
 葵はそこにいる大蛇のごとく口角を持ち上げ、にやにや笑っていた。桔梗にはそう思えた。彼が病んでいると知らない人だったならば、それは儚げで脆い微笑に見えたかも知れなかった。
「だから、桔梗様の夫にします。そうでなければ、桔梗様ではありません…………貴方は誰ですか?」
 彼はふいと表情を失った。意地の悪い問いを投げかける。しかしその眼差しに嫌味はない。
「誰でもありません。葵様にだけ見える亡霊です」
 桔梗は葵から顔を背けた。差し出された花が床に落ちる。空いた手が彼女へ伸びた。
「こちらに来てください。来てください………来て、俺のところに、来て………」
 格子に身体を擦り寄せて、腕の許す限り、彼は桔梗に手を伸ばす。
「あのヘビがいるのは嫌ですわ」
 桔梗は昏い目を向けた。葵は竹籠を彼にだけ見える亡霊へと渡した。とぐろを巻いていた菱形の頭が持ち上がる。
「ああ……桔梗様、」
 蹣跚とした足取りで、彼は桔梗に腕へ収めようとする。そこへ鋭く光り輝く鋒が、2人の間を突き破った。
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