18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」-3

結局は俗物( ◠‿◠ )

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蜜花イけ贄(18話~) 不定期更新/和風/蛇姦/ケモ耳男/男喘ぎ/その他未定につき地雷注意

蜜花イけ贄 30

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 貴人の種汁が、喉で爆ぜた。口淫を命じられたが、そのほとんどは手淫であった。骨張った掌の中で、尊い神木が脈動している。樹液は苦かった。
「桔梗に出す珍棒汁は濃くなっちゃうな。気持ちがいいよ。あっはっは。ちゃんと飲まなきゃ。おれが気持ち良くなりたくて珍棒舐めさせたみたいじゃないか。違うよ。君におれの栄養をあげるためだよ」
 桔梗は貴人の子種を嚥下する。喉に張り付き、えぐみを残す。咳き込んでしまった。
「なんで君、濡れてるの。おれの舐めて感じちゃっても、こんなところまで濡れないよね」
 彼は肩ほどで切られた髪を梳いていた。
「水でもこぼした?」
 白々しいものである。
「はい……」
 咳で掠れきった声はもはや吐息のみであった。
「ふぅん。ま、いいや、君のことなんて。君がおれを拒絶したんだし。おやすみ」
 貴人が去っていく。口淫に努めていたときは暑かったが、汗は急激に冷え、湿った衣と相俟って寒くなっていた。彼女は縮こまって震える。穴蔵のような囹圄れいぎょよりも温かいはずだった。だが濡れはしなかった。
 凍えるあまり、静謐の中に歯の当たる滑稽で軽快な音が響く。




 身体にしかかる重さで、彼女は目が覚めた。布団が掛けられている。だが寒さを忘れ、今度は暑くて仕方がなかった。
 辺りを見回すと、葵の後姿があった。格子の中を仕事部屋にして、文机に向かっている。
 桔梗は身動みじろいだ。肺とも胸ともいえないところにむず痒さを覚え、咳をした。
 葵の手が止まる。彼は書き物をしていた。
「起きているんですか」
 やってきた葵を、桔梗はぼんやりと見上げることしかできなかった。巻耳おなもみ毬栗いがぐりをそこに詰められたように、喉が痛んでいる。
 彼は布団の脇に膝をついた。手の甲で横たわる女の額や頬に触れる。
「熱があります。何か召し上がりますか」
 桔梗は目蓋を緩やかに開閉するのみである。
 葵は冷ややかに熱病の囚人を見下ろしていた。桔梗も朦朧と、その冷たい眼差しの奥を覗いていた。目蓋の裏側が熱く、眼球に沁みるのだった。
「何も召し上がりませんね」
 彼の語調は嫌味っぽかった。そして発熱している痩せた躯体を抱え起こす。しかし背筋を真っ直ぐにしていることはできなかった。左右のどちらかに傾くのだった。
「薬をお飲みください」
 差し出された椀を彼女は受け取れなかった。箸よりも重いものを持てないどころか、彼女は自身の腕を持ち上げることもできなかった。葵の腕の中で傾き、凭れ掛かっているのが精々である。
「桔梗様」
 彼は怒っていたし、おそらくうんざりしていた。そういう音吐おんとであった。椀の中の葛湯のような白く濁ったもののを、匙が集めていく。甘い匂いがした。そして病人の罅割れた口唇を割って入った。歯が当たった。匙は開かない顎によって行き場を失ってしまった。
 葵の指が彼女の口に噛まされる。薬を飲むのも飲ませるのにも一苦労であった。
「昨日は無理をさせましたね」
 他人の体温が離れた途端に、桔梗は寒気を覚えた。支えを失い、横になる。彼女は昨日のことを思い出せなかった。息をするので限界だった。
 共に、しかし自らの意思で牢に入っているこの男も熱があるのだろうか。呼吸することしかできない女を、異様に水分を含んだ眼で凝らしている。投げ出された枝切れのごとき腕を掴み、己が唇に押し当てる。
「どれだけ心身を病もうと、出しません。ここから。どんな秘薬、財宝、埋蔵金の在処を吐いたって……ここから、出しません」
 男は冷嘲を浮かべた。そして輒然ちょうぜんとして表情を失い、再度、爛々とした眼で呼吸しているだけの女を見下ろしていた。彼は硬直し、静止した。死んだのであろうか。否、生唾を呑んだ。彼は欲情したのだ。明らかに不健康な女体に、淫欲を催した。しかしその指が、粗末な衣の衿を解くことはなかった。けれども嬰児えいじよろしく布団ごと軽く薄くなった身体を抱き上げた。色の悪い、乾涸びて罅割れた唇を吸って、けば立った頬に頬を擦せる。膝の間に燃え滾る情欲を携えておきながら、その目付きは虚ろであった。彼もまた病んでいた。名医にも兄香せのかの湯にも治せない。腹の膨らむ死水病ではなかったが、彼は病んでいた。
「桔梗様は出られません。ここから、出られない。どうお思いですか。どんなお気持ちなんですか。知りたいです、桔梗様のこと、すべて……」
 蒼白かった顔を赤くして息を切らす女に応答はなかった。できなかった。話を聞いてすらいなかったのかもしれない。
 彼は枕元に用意しておいた小さな盆から湯呑みを拾った。空ではなかった。一口含み、熱い息を漏らす唇を塞いだ。温くなった白湯を流し込む。
「ん……っふ、」
「どんなお気持ちなんですか。教えてください。俺にこんなことをされて、どうお思いなんですか。憎いですか。気色悪いですか。恨んでいますか。昨日のように怒って見せてください。桔梗様……は!ははは……」
 冷嘲していたのが忽如として愉快げに笑い、またすんと表情が失せ、ふっさりした睫毛を伏せて憂うたかと思うと、目を見張って女をあらゆるものを観察しようとする。忙しなかった。正気ではないようだった。
 彼は桔梗が吐くまで水を飲ませた。陸にいながら溺れ、喘鳴をあげる女を満足そうに見遣り、濡れた口元を拭いてにんまりと笑む様は、戯画に描かれた山姥のようであった。




「葵様は姫様を虐待しています。囚人になら何をやってもいいわけではありません。こんなことが許されるのなら私刑を肯定することになります」
 格子の前で無愛想なりに熱弁を奮うのは石蕗つわぶきであった。側近や仕官たちを侍らせた茉莉に、石蕗は単身である。
「君は葵に似てきたなぁ。ということは君が辿る道もあれなのかもしれないよ。あっはっは。有望だな。君はおれの片腕になるべきだね」
 話の中心人物は、座敷牢の中で女の身体を拭いていた。
「風紀が乱れます。公序が」
「ま、確かに桔梗をここに放り込んでおく理由は、もうおれ"には"ないんだよね。でも葵が、髪が伸びるまでは放り込んでおくのが賢明だって言って、その全権握ってるし、おれもそこに異論はないんだよ。君も知ってるだろ。まだ人狼ひとおおかみ云々かんぬんの収束宣言して間もないんだ。あんな姿が見られたら、疑われるよ。もうあの街だけの話じゃないんだから。分かるでしょ。今度は何人死ぬ?」
「ですが……」
「別に葵はおれをたばかろうって肚じゃない。好きにさせておいても無害だよ、おれには。それよりもその気違いからお人形を奪っちゃったほうが問題だよ」
 茉莉は話を終えようとしていた。だが石蕗はなおも食い下がる。
なずな様についてはどうなるのです。葵様が妻帯の身なのは、上様がよくご存知でしょう」
「あ~、それはまずいね、とてもまずい。おぉ、まずい。じゃあ尚更、身代わり人形が必要だな。捌け口が。尚のこと、閉じ込めておく必要があるな。さてさて、おれは行くよ。ご忠言ありがとう。君もおれを謀ろうって肚じゃない。もちろん、葵をいようって肚じゃないことも分かってる。いい気概だよ。左右藤橘の座に据えてあげよう」
 石蕗のような平民がその若さで宮仕えとしてなれる最高位であった。彼は顔を輝かせ、深々と平伏し、礼に尽くすべきであった。だが眉を顰めるのみである。
「ははは。そういうところも葵によく似ているな。真面目な色男っていうのはいいよ。君もどう堕ちていくのか、今から楽しみだな。石蕗くん。悪いことは言わないから、ああはならないように今からたくさんの女を知ることだね。具合のいい女の二枚貝と、気心の知れる女の具合の両方を知ったほうがいい。男はあの締まりとぬめりに逆らえないのさ。君はまだ童心貞潔なんだろう。今夜どうだい。昇進祝いにとびきりの女を抱かせてあげよう。あっはっは。安心してよ、それはそこの気違いお気に入りの吾妻形あづまがた人形だなんてことはないから」
「もったいなき、お言葉……」
 もう石蕗に覇気はなかった。行列を連れて茉世は通り過ぎていく。
「葵様」
 石蕗は格子のほうへ身体を向けた。葵のほうは彼に背を向けたままである。
「君は有望だ。首を突っ込むべきでない。私のように女に身を堕とす虫畜生にはなるな」
 女の裸体が衆人環視のなかに晒されている。だが奇異の目を向けられることがないのは、慣れた光景であるのか、檻の中の気違いを恐れてのことなのか、はたまたその女体に関心を煽る要素が失せているためか。
「ご自覚はおありなのですね」
「この肉体のとりこなのだ。もう逃れられない」
「肉体の虜?肉体のほうの虜ではないから厄介なのです。肉体の虜ですって?寝ていらっしゃるのですか。寝言はおやすみなさってからおっしゃってくださいませ。目を覚ますことです、葵様。恋い慕うべき相手が違います。葵様は恋に破れたのでございます」
 葵は女の棒切れのような腕を拭くのを止めた。その急な停止に石蕗はわずかに怯んだようだった。
「何も知らずにいられる清廉潔白な君の身が羨ましくてならない。茉莉様のお誘いは断るのがいいでしょう。女など、知らないほうがいい。生涯不犯を恥じることはない。私は何も知らぬ頃に戻りたい。けれどまた嵌まるのだろうね、泥沼に。恐ろしいものさ。恐ろしいものなのだよ。頭がおかしくなる」
女性にょしょうが相手だからではないでしょう。葵様は女性で身を持ち崩したのでありません。そんな簡単な話ではございませんでしょう。話がすり替わっておいでです。女性で身を持ち崩したというのならば何故その執着を、御令妻には示さないのです」
「俺は妻を愛している!」
 葵は吠えた。石蕗はぶるりと震えた。けれども間近で聞いていたはずの女はぐったりしている。
「俺は妻を愛している!」
 彼は同じことを同じように怒鳴り、立ち上がった。女の衣を整えることもせずに歩き出した。地下牢を出て、どこかに行ってしまう。
「葵様……?」
「俺は妻を愛している!」
 静かな狂気が爆ぜた。ここは地下牢であったのか。廊下に怒声が幾重にも谺する。
 葵が去ったことで裸体は晒され続けることになった。生温い手拭で拭かれたまま放っておかれた肌は冷えきり、桔梗は四肢を開いたまま震えはじめる。彼女はまだ熱を出していた。
 溜息がひとつ谺のなかに混じった。
 葵と入れ違いに、石蕗が格子の扉を開いて、布団の傍にやってきた。
「姫様は、どうなさりたいですか」
 しかし桔梗はこの問いに答えを持っていなかった。石蕗はおそらく答えを待っていた。彼はその間に衣を直す。葵とは違う貌をして桔梗を見下ろした。そして布団を巻き込んで軽々と抱えた。けれど少しの間、無愛想な面なりに茫然として思案し、女の身体を床に戻した。
「ご辛抱ください」
 石蕗は仰向けに寝ている女の首を横に向けると、口に飴玉を押し込んで帰っていった。





 熱はなかなかひかなかった。顔中を殴られたような火照りを覚えたが、実際、彼女は殴られていた。額に乗せられていた手巾は、真冬の枯葉みたいに枕頭ちんとうに転がっていた。
 枸橘からたちがまた来ているのであった。今度は何も喋らずに、口覆をつけて、拳を振り上げる。おそらく「薺お嬢様」への忖度そんたくであろう。桔梗はそれを理解していたし、また腑に落ちていた。そして弁解し、抵抗する気力も体力もなかった。しかし野良猫のように慌ただしく、けれども俊敏に姿を消した。そこに身を引き摺ってやってくる人物がいたからだ。大柄は大柄であるけれど、背を丸めているようで、以前に見た時よりも小さく見えた。派手な肩掛けで右半身を隠しているように見えた。椿の山茶さんざである。艶やかな髪は雑に括られ、今では鬱陶しげだった。彫りの深い顔立ちは卑屈に歪み、右半分から煙が吹くような痣に覆われているのだった。腕を切り落としたという話である。そこから瘴気が広がったのだろう。彼とまた見るからにやつれていた。恬然とした美男子が、今や、峻厳で老獪な感じのする傷病人である。
「穢界苦獄の淵から、目が覚めて起きてきちまったよ、お嬢ちゃん……」
 燈火がかぎろうのが、殴られた衝撃でまだ白ずんでいる視界を混乱させる。
「一杯食わされたな。あーしゃ、あのまま右腕とともにくたばるつもりだったんに……人狼ひとおおかみなんぞの薬に頼って生きながらえた命に、何の価値があるってんだぃ?」
 口調こそ桔梗の知る椿の山茶であったが、その音吐は痛みを逃すかのような地を這う低さである。
 桔梗が動くのは眼球だけだった。恐ろしい影絵に視線をくれる。
「片輪を嗤っていたあーしが、今は紛うことなき片輪ってわけさな。ンでも後悔はしねぇぞ。誰もが片輪になる可能性がある。故に片輪を嗤うなっつーもおかしなもんさな。片輪になるその瞬間まで、嗤っていりゃいい。どうした?とうとう死んだかぃや、お嬢さん」
 弓の名手は、もう弓を射れないのだ。
「恥を知ることさな。お嬢さんや。人間にゃ、縄や白刃が無くっとも、舌を噛み切るっつーすべがある。信仰や立法を着想するだけが人間じゃないってこった。自害ができてやっとこさ人間が獣じゃねぇって証になるっつーわけだ。恥じ入るならば……恥じ入るならば」
 桔梗は上体を起こそうとしていた。そしてやっと関節が上手いこと嵌まり、身体を起こすことができた。だが脂肪も筋肉も衰えた腕で、胴体の重さを安定して支えることは難しかった。寒いのは寒かったが、寒さとはまた別に彼女は振動していた。
 椿の山茶はきょとんとしていた。だが薄明かりの中にその有様を認め、低く笑った。
「はっはっは。そら、舌も噛みきれんさな。ンでもそれが、あんさんの答えっつーわけかいゃ。はっはっは………」
 燭台を持った左手が格子に添わった。そして額も煤けた組木に擦り付けた。切り落とした傷に障ったのだろう。笑みも消え入る。
「まだ片輪じゃねぇんなら、生きなさいや。あんさんがおっんで、片輪になっちまったあーしが生き存える?胸糞の悪ぃ話だぃな。あーしゃ今から神馬藻ほんだわら隠密衆みたいになればいいんけ?あの隠密衆みたいに、断種して死地に赴けば?枸橘くんにも金雀枝くんにも、あーしが殺っちまった鳶尾いちはつの鬼子くんにも腕は2本あったろうがぃ」
 彼は卑屈に笑った。そこに天井から物が落ちてくるみたいに、静かに人が降りてくる。噂をすれば影が差す。神馬藻隠密衆の金雀枝である。椿の山茶へ耳打ちする。
「はは!はっはっは……」
 金雀枝はすぐに消えていった。まもなく、また別の人物が椿の山茶を探しにくるのであった。
「何やってるの、アンタ!」
 夜更けにもかかわらず、声を出すことに躊躇いがない。女であった。椿の山茶に対して怯むことのない態度からして、そう低い身分ではないようだった。身形からしても鮮やかな赤い召物である。
「へっへっ。躑躅ノ君の姪姫様に管巻いてんでさ。姉上も、失恋の恨みをぶつけたらどうですかぃ」
 やってきた女は格子の存在に気付いたらしかった。だが薄明かりでは一見してすぐに中のものが分かるわけではない。
「とうとう気が狂ったんだね!アンタ!もうすぐお父ちゃんになるんだよ?分かってんのかぃ。おはぜさんの傍にいておやんなさいよ!」
 彼女は椿の山茶の姉らしかった。椿の山茶の調子がわずかに浮ついた。血縁者に対する甘えなのか、はたまた装いなのか。
身重みおもにこんなツラを見しちゃぁ悪かろうて。あーしなりにおもんぱかってんでさ。分かってくだせぇ」
「何言ってんだい。こういうときに一番頼りなのはアンタなんだからね!顔がぐちゃぐちゃだろうが腕が何本あろうが、お父ちゃんはアンタで、お櫨さんが頼りたいのはアンタだよ!」
「あっはっはっ……分かりやした。すぐに戻りまさぁ。積もり積もった話があるんで。すぐに……」
 椿の山茶の姉らしいのは、鼻を鳴らして踵を返す。隠密衆が告げに来たのはこのことだったのだろうか。
「なぁ、お嬢さん。片輪になったあーしが父親になっていいと思うかぃ。片輪が生まれたときに、女共々捨て去っていいと思うかぃ?」
 艶福家で漁色家の、精力の強さが外貌にも滲み出ている男が、まだ子は成していなかったというのだ。
「………ァ、ァァ………か、片輪の子が生まれたときに、解決するのではありませんか」
 蚊の鳴くような声を絞り出すのがやっとだった。身体も耐えられず、崩れ落ちていく。息切れを起こし、耳鳴りがした。
「はっ!人の持つこだわりってのは業が深ぇな。いつ自分に向けりゃいい?潮時が分からねぇや」
 煤けた木材に額を預け、項垂れていた大男は徐ろに顔を上げた。通路の先を見ていた。
「"気違い"ノ君がおわすんじゃ、邪魔者は帰りますか。いいか、あんさんは生きるこった。あんさんがおっ死んで、片輪が1人生き残ったんじゃどうしようもねぇ。片輪が1つ増えるかも知れねぇのにな。片輪が生まりゃ、女共々、死んじまえるもんだが……」
 それはもはや、独り言であった。見詰めていた方角とは反対を、蹌踉よろめきながら歩いていく。少ししてから、明かりも持たずにまた人がやってくる。さすがの見世物やだった。観客には事欠かないというわけだ。
 ずりり………ずりり……と元は高い音を出すものが、努めて低い音質を奏でている。格子の扉の錠が外れ、また再開するのだった。不気味な音が、静寂を取り戻したばかりの座敷牢に染み渡っていく。
 明かりが点く。仮面のような顔が影を帯びて浮き上がる。青白い肌が橙色に染まっている。葵だ。手には把手の生えた湯呑みがあった。そのなかで陶器と思しき光沢の匙を掻き回している。
「父親になれるというのに、自害など、愚の骨頂だ」
 彼は独り言つ。だがおそらくそれは四肢を投げ出している女に語りかけていた。
「自ら望んで虫のように生かさずともいいものを」
 桔梗は抱き起こされた。青臭さの混ざった葛湯が口に放り込まれる。顎が上手く動かなかった。歯が匙を拒んでしまう。
「貴方がいなくたって、俺は立派な父になりますよ……貴方がいなくたって……食べてください!」
 葵はぼそぼそ喋ったかと思うと、急に怒鳴りつけるのだった。厚みのある匙を無理矢理に口腔へ突き入れる。だが突き入れて暴れさせると、力を失って引き抜いた。
「俺は妻を愛しています」
 匙は湯呑の中のものを掬い、葵の薄い唇に吸い寄せられる。そして彼は桔梗の口を塞いだ。捩じ込まれた舌から青臭い苦さと葛湯のねっとりした甘さが彼女の口の中に溶けていく。
「妻なのだから、当然でしょう。俺は!妻を愛しているんです!」
 誰に対する主張であるのか、まったく分からなかった。そこに妻本人もいなければ、聴衆もいない。彼の行いを諫めようとする者もいない。
「桔梗様………」
 叫ぶやいなや、彼は目を開けたまま寝入ったのかと思われた。静止し、それからぎこちなく動きはじめる。葛湯を匙から指で掬い、微動だにしない女の口に挿し込んだ。繰り返し、彼は桔梗の口に指を与えた。やがて湯呑が空になる。適当に置かれ、それは転がり、把手で留まる。
 昏い双眸は真下にある罅割れた唇を凝視していた。迷いのある手が自身の膝を辿り、腿を辿る。けれども腰に至る前に、拳へ変わった。
「桔梗様………」
 投げ出された枝切れみたいな指を拾うのは、石ころを拾うよりも容易だったことだろう。彼は掏摸すりみたいに彼女の手を奪い取って、自涜に耽った。そそけ立った女の肌を舐め回すように眺め、しゃぶり尽くすように凝らす。昏い眼は昏いまま、燈火を妖しく張りつかせる。
 呻めきとともに白濁が飛び散った。筆胼胝のある指で拭い、張りの失せた唇へと片付けていく。
「俺は妻を愛しています。妻ですから……」
 桔梗は咳き込んだ。塩はゆく、苦く、どこか甘く、えぐい。雪女のような儚く美しい青年からも、牡の汁が噴き出すのである。だが今更のことだ。茉莉もそうであった。
「吐くな」
 咳をやめない女の口を、葵はまた塞いでしまった。直前まで何を食わせていたのか覚えていないのだろうか。それとも気にしないのか、彼は女の中へ咳を押し戻した。そして黒緋色の塊を咥えると、彼女の口腔を荒らしていった。体温に包まれ、溶け出した甘い蝋燭のようなものを舐め取っていく。それが彼の夕餉であった。
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