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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 9

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 夫はネグリジェに一言、二言、賛辞の言葉を残して、すでに布団のなかで寝息をたてている。夫婦の営みの有無を確かめにくる輩がいるらしいが、夫は寝てしまった。
 ドレスのような寝間着は寝づらかった。夫が寝たということは、着替えてしまっても構わないということだ。静かに布団を這い出る。
「ん……ごめん、茉世まつよちゃん。なんだっけ……」
 にゃむにゃむと蘭は眠たげだった。微かな衣擦れの音を忌々しい尨毛むくげの三角耳は拾ったらしかった。
「なんでもありません。おやすみなさいませ」
「どこか行くん?」
「いいえ。ちょっと着替えます」
 会話の途中で彼は寝ているようだった。
「電気点けて大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
 しかし彼女は明かりを点けもしなかった。着替えるための寝間着は枕の近くに置いてあった。
「蓮くんに、何か言われたん?」
「……いいえ」
 わずかに頭を動かすだけで、身動きをとるだけで、シャンプーの香りだのヘアオイルだの、ボディソープの香りだのがぷわぷわ漂った。
「ほんとぉ?」
「……身嗜みに、もう少し気を遣うようにと………」
「そんな変だったかな?」
 蓮のこだわりでしかなかった。蘭は妻の身形について、これという感慨は抱いていないのだ。蓮の一人相撲だ。
「蘭さんとわたしが不仲だと……思っていらっしゃるようですから……」
「そんなことないのにね。どしたらいいんだろ?」
 しかし茉世は答えられなかった。知っている。だが口に出せなかった。出したくなかった。
「蓮くんに言われたことは気にしなくていいよ。長男のおでがこんなだから、蓮くんは厳しく育てられて……だから、他の人にも厳しいこと言っちゃうんだろうな。りんちゃんは頭のいい利口な子だしさ。禅ちゃんはマイペースだし、蓮くんは厳しいで折り合い悪くって……だから、うーん、同じ調子テンションで茉世ちゃんにも厳しくしちゃうんだろうな」
「すみません……愚痴っぽくなってしまったみたいで………」
「蓮くんが他の人と上手くやれないのはいつものことだからね。カノジョとかとも長続きしないみたい。取っ替え引っ替えだもん」
 三途賽川さんずさいかわ蓮は確かに見目が良いというほかなかった。底意地こそ悪いが、艶やかな黒髪に色白い肌をした長身の美男子であった。声も甘いときては女が放っておかないだろう。想像に難くなった。そしてその苛烈な性分からくる言動で、女から離れていくのも。
「そうなんですね」
 そうだろう。当たり前だ。容易に察せられる。とは言えなかった。
「高校ときに会った先輩のことが忘れられないみたい」
「あんまり想像つかないです。蘭さんに相談とか、するんですか……?」
「しないよ。ただ、ハンカチがあってさ。その人の。怪我させちゃったらしいよ。血塗れのハンカチでさ。洗ったやつ。もう捨てたのかな?落ちなかったみたいだし、そんなの返しても仕方ないし」
 茉世は蚊にでも刺されたのか、左手首の横を摩った。暗いなかで、夫が顔をよこしたのが分かった。
「痒み止めいる?」
「いいえ」
「もうお寝んねするね。おやすみ、茉世ちゃん」
「おやすみなさい……」
 彼女は着替えて眠った。夫より早くに目が覚めた。冷房を寒く思い、部屋を出る。霖が台所に行くのが見えた。茉世はこの家であの三男を一番の頼りにしていた。彼がいるのなら天敵のいるらしき台所もそう怖くなかった。茉世は台所へと行ってみた。蓮の姿はなかった。霖はフライパンを手にしていた。
「おはよう、霖くん。朝ごはん?」
「おはようございます。いいえ、お弁当作るんです。学校があるので」
 茉世は台所の壁掛け時計に目をやった。まだ早朝と呼べる時間だった。
「いつも自分で作ってるの?」
「はい。朝ごはん作るので手一杯でしょうから。お手伝いさん、もう1人増やそうか、なんて話も出てるみたいですけど」
 彼は冷凍食品を出していた。
「今度からわたしが作りましょうか。霖くんはまだ高校生なんだし、ちゃんと寝ないと勉強も身が入らないでしょう」
 微苦笑が返ってくる。
「魅力的なお話ではありますが、さすがに兄のお嫁さんにやらせるわけにはいきません」
「無理にとは言わないけれど……霖くんにはお世話になっているし、嫁といっても、おうちのことはお手伝いさんがやってくれるでしょう?別に日中、やることもありませんし。わたしにできることなら頼ってくださいね」
 茉世はこの高校生の義弟に何度も庇ってもらった。それが嬉しかった。頼りにしてしまっている。この幼い少年に。
「……いいんですか?」
「はい。食材とかは何かこだわりが?」
「玉子焼きは自分で作ってます。あとは冷凍食品は僕のです。使ったものはメモに書いておいていただけると……ちょっと面倒なのですが」
「分かりました。じゃあ、とりあえず今日はそれで作ります。霖くんは、朝ごはんの時間まで寝ていてください」
 炊飯器にはすでに米が炊けていた。家事代行サービスの者たちと連携する必要があろう。
「ありがとうございます。これがお弁当箱です。よろしくお願いします」
「はい。お口に合うといいですけれど」
 料理は六道月路ろくどうがつじの家でもやっていた。彼女も弁当は自分で作っていた。
 霖は頭を下げて台所を出ていく。
 茉世が卵を掻き混ぜている頃、人がやってくるのを背中で感じた。
「何をしている?」
「蓮さん。目覚まし時計をいただけませんか」
「まずは俺の質問に答えてくれないか」
「卵を溶いています」
 答えながら、熱したフライパンに卵液を落とした。
「随分と早い朝飯だな」
「霖くんのお弁当を作ることになりました」
「要らん」
「霖くんはまだ高校生ですし、成長期です。こんな朝早くから起きなければならないのは可哀想です」
 彼女は、ふ……と目を伏せた。数年前、誰かに気付いて欲しかった自身のことだったのかもしれなかった。
「親のない家や、忙しい家はどうする?」
「そういうご家庭は珍しくないのかもしれませんが、少なくともこの家には大人がいます。わたしがやると言っています」
「霖が負担だと言っているのなら、一人早朝勤務を雇うさ。住み込みでも構わん。離れがある。大体、負担だと言うのなら買い食いという手もあるんだ」
「……目覚まし時計の件は蘭さんに頼みます」
 携帯電話は充電が切れていた。充電器がないのは、おそらく奪われている。嫁の逃亡を見越しているのだろう。つまりそういう家だったのだ。最近から。
「貴方は誰の妻だ?霖じゃない。嫁の務めも果たさないで、何をしている?こんなことのために早寝早起きされて、旦那とは何も無かったとなったら困るんだが」
「上の同胞きょうだいが下の子たちの世話をする必要はありません。でも、もう少しだけ慮ってもいいのではありませんか。この話は霖くんとわたしで取り決めたことです。早朝勤務の方を雇う件についてはわたしの口を出すことではありませんが、もう少し、霖くんのことを考えてください。こんな朝早く起きて、自分でお弁当を作っているだなんて……」
 固まっていく卵を巻く後ろで、蓮は鼻で嗤う。
「貴方と旦那の間に子供が生まれたとき、貴方に子育てを任せてはいけないことは十分わかりました。ろくな大人にはならないでしょう」
「まだ高校生なんですよ。成長期で大事な時期です。お弁当作りだなんて些事なら、寝かせておいてあげたいと思うのはそんなおかしなことではないはずです」
「昼飯用の食費を渡すくらいのゆとりはあるぞ。けれども霖はそれを頼らなかった」
 卵液を垂らしては巻いていく。
「倹約家なのですね。素敵です。苦情なら夫を通してください。夫が、妻としての務めに相応しくないと言うのなら、霖くんと相談して、やめます」
 玉子焼きができあがる。茉世は冷凍庫を漁った。唐揚げと、ソテー、小さなグラタン。野菜室にミニトマトがある。
「家事代行の方々と食材のことで相談もしたいですし、買い出しのこともありますから、いずれにせよ夫には話すことになるでしょう。できるだけ、蓮さんの手は煩わせないようにします」 
 蘭は迂愚で間抜けで頼りなげな感じは否めないが、時代錯誤な家の尊重されているらしき長男である。そういう家で、次期当主だかなんだか分からないが次男が何を決められるのだろう。次期当主という話も胡乱うろんである。この次男が言った者勝ちのごとく勝手に言っているのかもしれなかった。結局は先に長男に嫁をとらせなければ、結婚もできないような旧式の古ぼけた意固地な家柄の次男でしかない。
「兄は、嫁選びを誤った」
「そのようで」
 蓮は弁当を作り終えるまで台所に居座った。だが何をするでもない。仁王立ちになって、茉世を監視していた。
「別に監視せずとも、どこかに行ったりしませんよ。霖くんには親切にしていただきましたから」
 弁当箱を冷蔵庫に入れてから、蓮と向き合う。不機嫌そうな目に見下ろされている。
「昨晩は、旦那とは?」
「それは夫とわたしが知っていればいいことです。あの下着、家事代行の人に洗ってもらうんですか。嫌ですよ、あれ洗うの」
「俺が洗う。渡せ」
 顔色のひとつも変えずに彼は言った。かといって動揺を示されたかったわけでもない。
「……そういうことならわたしが洗います。でももう着ません」
 彼女は、平然としながらも変質者みたいな男から顔を背けた。
「俺が洗うと言っているだろう。どうすれば満足だ?」
「どこに干すんですか」
「俺の部屋」
 茉世はもう何も返さなかった。夫の寝る部屋へと戻る。



 昼頃から茉世は居場所がなかった。冷暖房の設置業者が来ているのだった。夫の部屋に下着のていをなしていない紐とレースの縫い合わせたものを吊るし、知らん顔をして外をほっつき歩いた。
 南側の小さな畑に行ってみると、野良着姿の永世が草刈りをしていた。角笠にサングラスを掛けている。滑稽な感じがした。汗が玉のように顔に張り付いてる。
 ミンミンゼミみたいに鳴っていた草刈り機が止まる。
「小石が跳んで危ないですよ」
「ああ、すみません……」
「少し離れていてくださいね。その辺りとか」
 朝飯も共に食って、また少し打ち解けた。彼は自身の後方で、さらにきゅうりだのトマトだの壁の後ろ側を指で差した。
「気になったらどうぞ、ぎ取って召し上がってください。趣味で作ったものですから」
 草刈り機が悲鳴のような音をあげて草を刈っていく。茉世のすぐ傍には毟ったり刈り終えた草の束が大きな袋に入っていた。
 茉世は腰を屈めて丸々とつらなるミニトマトを眺めた。奥にはきゅうりが植えられ、そろそろ収穫するほどまで育っているのが何本か垂れ下がっている。強い日差しを浴びて、葉も実も白く照る。
 入り組んだ茎の狭間から、草刈り機を丿乀へつほつやっている後姿を眺めた。やはりどこかで会ったことがある気がするのだった。錆びて赤みを帯びた円形の刃物が止まる。
「永世さん」
「はい」
 サングラスを外し、肩から掛けた手拭いの端で口元を拭う仕草が爽やかだった。
「どこかでお会いしましたか。わたしどこかで、永世さんを見たことのあるような気がして……」
 彼はアルパカのような目を丸くした。目覚めていてもどこか眠げであった。目を見開くと、少し滑稽な不細工になる。
「ぼくは覚えがありませんね……他人の空似でしょうか?」
「つい最近なんです。けれど、永世さんと会う前に……」
「どこでだか、場所は分かりますか」
「この家でした。そこの、庭先です」
 彼女ははっきりと指を差すのを躊躇い、突き指直後みたいに、その示指は丸まっていた。
「……ぼくの真似をしている、けしからん輩がいるみたいですね」
 指の差す先を平筆を生やしたみたいな睫毛の下の瞳が探っていた。
「え……?」
「夏ですからね!お化けが出るんですよ。嫌な話です」
 急に彼は表情を緩ませた。笑うと華がある。
「お化けが……」
「はい。お化けが。怖いですね」
 冗談を言っているらしき口調に、しかつめらしい顔をしていた。
「ここはお祓い屋のようなものだと聞きました。放っておいていいんですか」
 茉世は彼や霖の話を信じているのか否かすらも、分からなかった。ただ、信じるか信じないか、彼等の精神について疑うか、それらを決めないことにした。
「お祓い屋……ですか。それは随分と省略したものですね」
 永世は微苦笑する。
「違いました?」
「少し休憩しましょう」
「すみません、お仕事中に……長いお話なら、また時機を改めて…………」
「いいえ。暑いですし、そろそろ休憩しないとな、とは思っていましたから」
 角笠を外し、手袋を外し、永世は玄関のほうへ促した。
「少しシャワーを浴びさせてください」
 眩しいほどに白いシャツは土や草汁で汚れていた。
 永世の部屋で、冷房を入れて待っていた。蘭は自室にこもり、蓮は業者の作業に立ち会っているようだし、霖は学校で、禅については分からないが家にはいるようだった。
 同年代の異性の部屋に入ることについて、気が咎めないでもなかった。だがこの意識が余計に、また別の気を咎める意識を持ってくるのである。相手は義理のいとこであるし、嫁ぎ先との上下関係がもはや古臭いほどに明らかにされていた。共に飯を食ってはいけないそうなのである。
 数分で、永世はやってきた。
「お待たせしました」
 相変わらず眩しいほどの白いシャツに、黒のハーフパンツを履いている。畳を踏む素足が、彼の雰囲気に似合わなかった。あまり夏の似合う男ではなかった。茉世の前に立ち、ゆったりと腰を下ろす。育ちの良さが端々から窺える。
「この家が、すべて引き受けているんです。ここは忌み地といって……街全体が心霊スポットといえば分かりやすいかも知れませんね。悪い空気といいますか、霊気といいますか、そういうものをここに集めているんです。だから……三途賽川は有名なのです。たまに、所構わず変な夢をみるとしたら……そのせいです。悪い霊気の流れに重なってしまうと……作物も上手く育たなかったんですよ。今の時代は野菜がらなくても、消費者側ならどうとでもなりますけど、昔はそうもいかないでしょう。だから三途賽川で引き受けることにしたんです」
 茉世は南側の窓から見える小さな菜園を見つめた。トマトもきゅうりも伸びている。不作の感じはない。
「あれは割と大変でした。最初は本当に、何も生らなくて。よく育ってくれたと思います」
「永世さんに似た、お化けというのは……」
「昔、目を合わせてしまったことがあるんです。ソレと。でも、茉世さんの前ではぼくの姿をしていたなんて。なんだか、嬉しいやら、照れ臭いやら」
 あまりにも軽快に語られると、ただの平凡な雑談のようであった。永世の様子からしても、大したことはないようである。
「霖くんたちも、尻尾が生えたり、ネコみたいな耳が生えたりするものなのですか?」
 彼女は怖くなって。心臓が張り詰める。夫の頭のおかしくなりそうな尾が嫌だった。風の流れにぴんぴん跳ねる三角耳が忌々しかった。人でないものに嫁がされたことを実感する。養父の真意を認めきれずに戸惑う。
「いいえ。三途賽川の長男だけ……」
 永世は、彼女の不安ごとを察したらしかった。気圧けおされていた。微苦笑している。
「すみません、こんなことを訊いてしまって……不安でした。そのことが……」
「戸惑いは、しますよね。三途賽川本家の長男だけです。ぼくの伯父もそうでした」
 つまり、蓮が熱望している子のことである。夫との間に生まれる子のことである。茉世は緩やかに首を振った。
「人の身には厳しいのでしょうね。忌み地の毒気を一身に引き受けるのは」
「一身に引き受けさせるために子を産めというのですか……」
 子を産めと言ったのは蓮である。永世ではない。だが同じようなものだった。三途賽川も辜礫築つみいしづくも、それから六道月路ろくどうがつじもそう変わらない。育ちこそ、その穴のむじなだが、血筋は違った。彼女はその一点に於いて、部外者を気取った。
「……そうです。そうして今まで、繋いできました」
 茉世は永世の顔が見られなかった。項垂れていた。
「ありがとうございました。他の人には訊けないことでしたから……」
「いいえ。茉世さん。ぼくも三途賽川の人間であって、結局はお家騒動に負けた側の子孫ですから……また何かあれば」
「もしかしたらわたしの胸のうちを見透かされていたのかもしれませんね。永世さんのそっくりさんに」
 愛想笑いを浮かべた。永世はただ彼女の横面を凝らした。やがて長い睫毛を伏せた。
「ぼくはまた畑に戻ります。冷房も点けたことですし、もし蘭さんがお部屋で仕事をなさっているようなら、ここをお使いください」
「ありがとうございました」
「いいえ。ではまた」
「熱中症にお気を付けて」
 永世が出ていったあと、茉世もクーラーを消して夫の部屋へと戻った。襖の前に来たとき、話し声が聞こえた。聞こえた気がした。電話をしているのかもしれなかった。夫の職業について彼女は知らなかった。定職には就いていないものと思っていた。夫は無職だが、自治会だとか、地域の雑務のために、簡略的に「仕事」と称して家を空けているものと思っていた。夫に面と向かって訊けずにいたし興味もなかった。次男に訊けば、嫁の知ることではないと突き返されるであろう。三男に訊くのは、色濃い予想があるだけに済まなく思った。大した関わりもなければ神経質げな末男に訊くのは尚更だ。
『茉世ちゃん……茉世ちゃん………!』
 夫のおぞましい毛だらけの三角耳は音に敏いようだった。彼は妻が襖の奥にいることを悟ったのだろう。それにしては控えめであったが、業者も来ていることだ。茉世は呼ばれているものと思って襖を開いた。
『茉世ちゃん!』
 夫の部屋の隅に、紐とレースを縫い合わせて下着を気取ったものが干してある。それを仰ぐように脚を広げて座る夫の後姿が見えた。そして戦慄いている。
「なんですか、蘭さん……?」
 夫が振り返る。浴衣の裾が大きくはだけて、ストライプのトランクが見えた。そこから天を衝いている器官。左手に握り込まれていた。夫と目が合ってしまう。直後白い粘液が噴き出た。
 静寂。とにかく静かであった。クーラーが風情なく唸っている。
「あの……」
 蘭という男は歳の割りに顔立ちも仕草も喋り方も幼かった。彼が次男で蓮が長男ではないかと疑いたくなるほどだ。驚きに目を見開くと、尚のこと少年然とする。
「ご、ごめん、茉世ちゃん!ごめんなさいぃ!」
 情けない声を出して、彼は飛び上がる。股間を隠して、まるで恐ろしい怪物がやってきたかのように後退った。茉世も驚いて、顔だけ後ろへやった。
「すみません。わたし、てっきり呼ばれているものと思って……」
「こ、こっち向いて、茉世ちゃん!ああ!ちょっと待って!ああ!」
 茉世は反射的に夫のほうを見た。股ぐらにはトランクから生えた肉茸が転がっていた。そして彼はまた慌てふためく。直視してしまった見慣れぬものに彼女はわぁっと両手で顔を覆った。
「ごめんなさい、茉世ちゃん。ごめんなさい!」
「わたしが変なモノをこんな場所に干していたのが悪いのです。申し訳ありません……」
 夫の顔は見られなかった。ただ紐とレースの縫い合わさったものを小さなピンチハンガーから毟り取る。
「だ、大胆だな、とは思ったけど……表には、干せないもんね……」
「エアコンの業者さんが来てますから、今……」
 互いに早口だった。
「でも、いや……あの………すごいなって………あは、あはは……」
 乾いた笑いが消え入っていく。茉世は顔が熱かった。後先も考えられなかった。この場を切り抜けようとして。
「蓮さんからもらったんです」
 それは人妻として相応しい言葉ではなかったのかもしれない。いやいや、兄の性生活を心配した健気な弟からの善意のプレゼントであるのだから、後ろ暗いところは何もない。
「蓮くんが……」
 クーラーが朝の山鳩みたいな滑稽さでこうこう鳴いている。
 色の変わった目は猜疑ととるべきか、単なる驚きと受け取るべきか。
「すみません、隠していて……」
「で、でも、下着買いに行くって昨日言ってたもんね?」
 取り繕うべきは茉世のほうであったのかもしれない。だが苦しげに愛想を作り、擁護しようとしているのは夫のほうであった。
「お、おでは……そのままの茉世ちゃんが、素敵だと思ぉから…………いや、あの、この下着つけてる茉世ちゃんも、でも……………ごめん」
「いいんです。すみません。配慮が足りませんでした」
 夫は首を左右に振る。
「茉世ちゃんのこと、セクシーだとは思ってるよ!で、でも………その、まだ………おで、初めてで…………まだ、夫としてさ、………」
 彼はもじもじとして言い淀む。明るい色の目が泳いでいる。
「わたしは気にしていませんよ。わたしも初めてですし……」
 クーラーがつたない夫婦を冷やかしている。
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