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スピンオフ【雨蜜】唾と罪とナイトメア feat.霙恋 全3話。姉ガチ恋義弟美青年/飲酒運転描写あり/差別的表現/明るい終わり方ではない

【雨蜜スピンオフ】唾と罪とナイトメア 3 【完】

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 大型犬用の檻は邪魔だった。撤去され、代わりに巨大な繭みたいなものが転がっている。急拵えの死体袋のようであった。人大の蛆、カブトムシやクワガタの幼虫にも似ている。それは低く呻いた。シーツにくるまれ縛られた物体は蠢きもした。中には家主の弟が目隠しだの耳栓だの猿轡だのをされて縛り上げられ、繭にされて転がっている。異様な光景だった。その横では居間に直接ついているキッチンで料理をする女がいる。彼女には家主で、弟の霙恋えれんがコバンザメよろしく纏わりついていた。彼女の耳も舐めたり、嗅いだり、触ったり、作業の邪魔をしているらしかった。彼は料理をさせたくないのだろうか。
「姉さん、いい匂いだね。俺と同じ香りがする。嬉しいよ。姉さん……」
 霙恋も料理はするほうだった。魚を捌くこともできる。だから後ろからちょっかいを出されるのは邪魔だと分かっている。だがやめないのだ。彼は利己的なのだ。
「姉さん……」
 彼女の左手の親指には銀の輪が嵌まっていた。霙恋はそれを急拵えで買ってきたのだ。姉を妻にして喜んでいる。エプロンを着せて喜んでいる。彼の思い描く、理想であり平凡で庶民的な家庭だった。
「新婚みたいで嬉しい」
 居間で蠢き、唸っている巨大で不気味な芋虫について、まったく彼は知らないようであった。
「姉さん……」
 サイズの合わないジーンズはベルトによってかろうじて腰に留め置かれている。いいや、彼女の臀部に押し付けられた彼の脚の狭間の膨らみも協力的だ。彼は事あるごとに姉に股ぐらの大きな瘤を押し当てる。そして鼻をすんすん鳴らし、身体を擦り付ける。匂いを嗅いでいるのか、掻き消しているのか定かでない。
「邪魔。離れて」
 姉は素気無い。背後から覆い被さってくる身体を肘で打ち、手で払い、尻で押しやる。それがまた霙恋の無常の悦びであった。
「姉さん……、姉さん………かわいい!かわいい!」
 寡黙な男は、思うことは多々あるようだけれども、いざ口にすると語彙はめっきりと少なくなる。姉からの拒否すらも受け入れ、同じ言葉を繰り返すのみになってしまった。一人になる時間が少なくなったことで、却って彼は言葉を使わなくなってしまった。
「やめて!邪魔なの!あっちに行って!」
 包丁を握る手を上から掴んでいるのだから、激しく拒否が飛んでくるのも無理はない。肘を打ちを食らっても、霙恋は姉に抱き寄って、さらに身体を密着させる。
「耳かわいい……齧っていいか、姉さん。齧りたい。姉さん……」
 彼は歯をカッカッと鳴らした。姉は無言。そして数秒、彼女の耳殻は包まれる。
「ん……っ」
 唇で挟んだ。落ち着く角度が見つかるまでんだり放したり忙しなかった。
「気が散るから……」
 霙恋は加熱されていく欲求に蓋ができなかった。キッチンに立つ姉の肩を掴んでリビングへ引き連れる。
「何するの……」
「ごはんより姉さんが食べたい」
 劣情に赫赫とした目付きを彼女は見たのだろう。本能的な恐怖と危機を覚えたらしい。ソファーに押し倒す。
「いや……!」
 悲鳴に似た声にリビングの巨大な蛆虫も反応して蠢いた。耳栓の上からイヤーカバー、さらにイヤーマフを装着するという徹底ぶりだが聞こえているらしい。
「ああ……あーくん………」
「あいつは助けちゃくれないよ、姉さん。姉さんはあいつを助けられるが……どうする?姉さん」
 姉がこの家にいるのは末弟のためだった。それ以外にここにいる理由は、彼女にはない。
「あーくんを解放して……」
 霙恋は美貌に苦りきった微笑を浮かべ、溜息を吐いた。
「まだそんなことを言っているのか、姉さん」
「せめて、怪我の手当をさせてあげて……」
「姉さんが俺とセックスしてくれたら、な」
 それを言うと、姉は抵抗の意思を失った。それでいて眼差しは逃げ道を探している。いいや、彼女はばたばたと悶える白い繭を見ていた。
「あんなグロテスクなものを見たら、萎えるだろう?」
「火傷してるの!早く手当を……」
「姉さんが早くイけば済む話だな」
 ベルトを抜き、ジーンズパンツを剥ぎ取った。彼は姉に下着を履かせない。現れた叢に顔を埋める。
「ああ……姉さん」
 芳しい香りで頭の中が麻痺するほんのわずかな時間をぼんやりして過ごし、余韻が完全に引くまでは女の柔らかな腿に頬を擦り寄せた。勝手に人の脚を使って撫でられた気になる猫みたいだった。
「姉さん……いい匂いがする。頭がおかしくなりそうだ」
「気持ち悪い……!」
「男なんてみんなこんなものだ。女の股が臭いと口では言っておきながら、身体はそうじゃない。姉さん……!姉さんの股の匂いじゃ、奴等は満足しないだろうがな。匂いが……清楚すぎる」
 彼はまた叢に鼻を埋め、息を吸った。そしてもどかしい舌を腿に当て擦ることで誤魔化した。彼はまだこの楽園を唾液まみれにはしたくなかった。
「霙恋ちゃんは、こんなことしないのに……」
「俺が霙恋だよ、姉さん」
 姉は2分の1で当たる確率を外した。いいや、リビングに転がる蛹の中身が猿轡を咬まされる前までは、その名を呼んでいたのだから、彼女もそろそろ覚えていていいはずである。だがどちらを呼んでも同じことなのである。同一視していた。彼等は1人なのだ。昔、姉を騙して弄んだのだ。入れ替わりながら、片方がいないと大騒ぎにさせたのだ。家族や近隣住民、学校の関係者、警察の前で嗤いものにしたのだ。そのことを根に持っているのかも知れない。
雫恋かれんのことを言えば俺が怒るとでも思ったか?残念だが姉さん……それは的外れだ」
 鬱陶しげに彼は金髪を掻き上げる。そろそろ脱色し直すか、染めるか、黒く戻すかする頃だった。
「けれど、雫恋みたいなのがいいならそうするよ、姉さん」
 霙恋は長い睫毛を切なげに伏せると、彼女の脚の間から立ち上がった。
「雫恋みたいに、オナホみたいな扱いを受けたいんだろう?分かったよ、姉さん……また明日、俺と遊んでくれ。今日は、雫恋みたいにする」
 しかしそれが本当に彼の半同個体と同じものなのか、姉の方には判断できたのだろうか。霙恋もまた知らないのだ。ただの印象の話でしかなかった。
 彼はろくに触りもしなかった姉の膣へ、取り出した半勃ちのものを雑に数度扱くと、これまた雑に突き立て、腰を進めた。
「い、痛い!」
 姉が身悶えた。ソファーの座面を握り、退こうとする。霙恋はそこに人がいると認識しているふうもなく、柔らかな肉塊の掴めそうなところを掴んで、乾いた粘膜へ乾いた粘膜を力尽くで押し遣った。
「痛い……っ、いた………っ」
 だが彼は侵攻を続ける。膣に拒まれているが、一気に突き入れたなら、女側は感じる感じないにかかわらず濡れるのだ。彼は気にしないことにした。それが彼の半同個体のやりくちだと彼は踏んでいた。
「痛い………っ、いや………」
 反応するのはリビングの薄気味悪い死体袋だった。霙恋は腰を進める。押し戻そうとする力が、舐め回し、一度絶頂させてからのときよりも強かった。粗く感じられる。あまり楽しいと感じられないのは声の所為もあるだろう。霙恋は、快楽を覚えながらも拒否する姉の声と、言葉とは裏腹な肉体の呼応に愉悦するのだ。
「あ、ああ、痛い!痛い……っ」
 彼は牝の膣穴にしか興味がないらしかった。射精さえ遂げられたなら、牝猫相手でも牝犬相手でも用を足していたかも知れない。
「まだ、動いちゃ………ああ!」
 射精用道具に決定権はないのだ。使われ、消費される側に決定権はない。彼女の願いは聞き入れられなかった。霙恋は構わず腰を振った。止めようとする小さな手が腹に当てられる。それが健気に映った。痛がっている姉の中で、きつく圧迫されたものがさらに膨らむ。
「うう……」
 しかし霙恋もただでさえ太く硬いものをそう十分に濡れているとはいえない中で締め上げられているのは苦しかった。
 接合した部分の真上にある尖肉を抉る。
「う……うう………」
 彼女は身動いだ。内部がうねる。その動きは霙恋の気に召した。ゆえに継続して彼は淫らな隆起を擂った。
「あ………う、ぅ……あぁ……」
 満足するほどではなかったが、先ほどよりも女の膣はペニスを受け入れていた。快楽を貪るための抽送はもう可能だった。彼は腰を振る。官能に戸惑う女の声はなかった。言葉とは裏腹に濡れそぼつ、いやらしい泉のせせらぎもない。彼は己の射精のために活塞かっそくする。ソファーに倒れている柔らかな女体を抱き締め、下肢を叩きつけた。姉の望んだことである。姉の望んだ男は、おそらく女の耳元で、嘘偽りでも甘言を吐いてはやらないのだろう。同じように霙恋は慕情を囁いたりはしなかった。ただ深々と、質の良い射精のために奥の奥へ、陰茎を突き刺さすのみだった。そして放精へ。サケみたいに尻を揺らして胤を撒き散らす。女の中に。
「う………うぅ、」
 だが最奥へ吐精できたとて、彼の満足するような射精ではなかった。陰茎を抜く。姉の左右に開かれた脚の狭間、赤みの差した九皐きゅうこうから、白濁とした小滝が拓かれた。粘り気を持って落ちていく。
「姉さんも、イかないと。雫恋はしてくれないと思うけど」
 彼は自身の垢液で汚れた女壺に指を突き入れた。彼女を絶頂させるのが目的で手淫を施すが、それがまた一度は治まった性欲を煽るのだった。下腹部はたちまち威勢を取り戻した。
「姉さん……」
 姉は下半身のみを刺激した一方的な性交を求めていたではないか!
 そのために霙恋は自慰で済まそうとした。しかし想い人の淫声と、蕩けた隘路、指に縋りついて引き留める蜜襞!姉の意地に、彼も意地を張ろうとした。だが彼は、自身の運命を、姉の奴隷であると悟っていた。
「ああ……姉さん、ごめんなさい。入らせて……姉さんのナカに、入らせてくれ………」
 返事を待たず、彼は待ちきれずはち切れそうな業棒を挿れてしまった。
「ああんっ」
 性感を高めるような手淫を受けていた姉には、その意思にかかわらず番いの牝としての準備がすでにできていた。大きく張った雁首が、彼女の甘い腫瘍を削っていった。
「姉さん………姉さん………―ぁっ」
 具合の良いところにある質感に、彼は肉銛のかえしを擦り付けた。
「あ、あんっ、あ……!あ、あ、あ、……!」
 霙恋の手が彼女の腹の上を惑い、やがて胸の膨らみを揉むようになった。
「姉さん………気持ちいい…………ぅ、ああ……」
 彼は唇を噛む。急激な射精欲に耐え、魅惑的な二つの膨らみを愛でた。腰の細さや脚のしなやかさからは想像しがたい豊満な乳房だった。霙恋の大きな掌に包んでも、指の間から溢れ落ちそうだった。缶でシロップ漬けにされた白桃を思わせる柔肌だ。
「姉さん……綺麗だ……」
 彼は女の胸にあまり執着を持つほうではなかった。興味がなかった。だがこの姉の胸を刺激すれば、望む反応が得られることを知っていた。
 左右から押さえたことで柔らかく歪む乳房の頂をおやゆびで捉えた。
「ぁあ……」
「さっきはごめん。姉さん……今度はいっぱい気持ち良くなって」
 ぷっくり勃ち上がっている胸の小さな先端を指で何度か往復して轢いた。
「ゃ……ぁ、あんっ……」
「姉さん……気持ちいい?あ……そんな、締め付けるな、……姉さん!」
 胸の刺激がさらに彼女の蜜壺を繊細に蜿らせた。引き絞られている。巻きつかれ、さらに奥へいざなわれている。
「姉さん………!姉さん!」
 ソファーが軋んだ。強制的に射精させられ気分になった。それではいけないのだ。姉より先に射精するわけにはいかなかった。具体の良い蠕動ぜんどうから抜け出さなければならなかった。彼は受け身から攻め手に転向しなければならなかった。
「あ、あ、あ、っ、んっ、だめ………も、突いちゃだめ、だめ……っ」
 肉と肉がぶつかり合う。ソファーの軋みも連動する。リビングに転がる芋虫が起こす音も掻き消えた。
「姉さん……イきそうなら、イけ」
 彼は小さな実粒をったり捏ねたりするのを止めた。肉感のある細腰を掴み、あとは内部でのオーガズム一直線に彼は突いた。
「だめ、だめ、突いちゃ………も、だめぇ……!」
 それは嘆きに似ていた。しかし間が悪いものである。彼女のスマートフォンがテーブルの上で鳴っていた。テキストメッセージならばすぐ終わるところが、どうやら電話らしかった。霙恋は姉の気が微かにでも散ってしまったことをみとめた。
「んんっ、」
 彼は姉の身体から己を引き抜いた。息切れをしながら、恐る恐る長弟を警戒して彼女は高機能の携帯電話を手に取った。
「はい、もしもし。久城でございます……」
 ディスプレイもまともに見ていないような流れる作業だった。霙恋の元にはウォーターサーバー販売会社だの、モデムだの、国民放送局だのの不要な営業電話が最近やたらと多いというのに。
「ええ………はい。嵐恋は……元気です」
 霙恋は姉の通話する横顔を見ていた。それまでは相手が男か女かなど考えていなかった。だが彼女が目蓋を伏せ、悩ましげにしたとき、ふと相手が男だと思った。それもただ性別が男性だという話ではない。彼女がそういった意味で男だと認識している男だと思った。
「すみません……ええ、病院には………いいえ。少し風邪をこじらせているだけですから………」
 相手は弟の学校の関係者だろう。霙恋は姉の周辺の異性についてあまり頓着をしていなかった。確かに彼女を密かに恋い慕う男は多い。実際、弟に擦り寄るふりをして彼女の家に入り浸っている不埒なやつもいる。しかし、ひとつ忘れていた。この姉は優等生的な女なのだ。ゆえに学校教師に弱くても頷ける。
「テストが………はあ。申し訳ありません」
 霙恋は後ろから姉に密着した。腰に巻きつけた腕を剥がされるが、彼は諦めない。
『ここままだと単位が危ういので……問題がなければ、少しお邪魔させてくださいませんか。久城の顔を―』
 まずい話である。姉が弟共に帰らせろと強情になるだろう。帰らせたところで、久城嵐恋というやつは全身に火傷を負って、見るも無残な姿をしているのだった。そういう愛弟の横で、この女は抱かれて、普通の生活をしているのだ。
「あ………っ」
 霙恋は姉の叢を梳き解した。もう片方の手で胸の先端を摘む。
『はい?』
「いいえ。嵐恋は……その、あの……」
『プリントが溜まっていますから、それをお渡しできればと』
 叢を探っていた手も胸へと上っていった。両手で、柔らかな胸の頂に踏ん反り返る痼りを捏ねた。
「ぁ……んっ、ぁあ……」
 彼女は口元を押さえた。これ以上、この電話を続かせるのは面倒臭いことになる。霙恋は保護者面をして通話している女を抱き上げ、床に転がした。
「大丈夫で、す………っ、ちょっと、風邪がうつってしまっただけですから………ぁ、」
 共に横臥し、彼は黒絹の園の下に埋まる小さな球根を愛撫した。
「んぁ……だから、だから………わたしが、取りにいきます。落ち着いた、………ら、!」
 しなやかな片脚を持ち上げ、霙恋は姉の中に戻った。絶頂寸前で止まっていた快楽もまたそこから再始動する。
「平気です、先生……、大丈夫ですから、………ぁんっ」
 まるで弟の学校の教師に抱かれているかのような態度が気に入らない。霙恋は姉を突いた。短い間隔で蜜路が吸い付き、放す。
「ん、あ!あっあっあっああああ!」
 果てのない沼地然としながらも痙攣する花洞にペニスを突き入れ続ける。床に透明な液体が噴き出した。やっと彼も絶頂を許された気になった。全身を引き攣らせる姉を抱き締め、俯せに倒れて射精した。
 姉の手の傍にはまだ、通話中の板ぺらが転がっていた。懸命に声をかけている。霙恋は蠢動する姉の内部に牡の垢汁を塗りつけて笑った。
 最後の一滴まで出し搾ると、霙恋は姉から肉栓を抜いた。彼は弟の惨状を見せてやりたかった。白い蜘蛛の巣に包まれたような蛹に手を伸ばす。




 目が覚める。身体が動かない。自宅のコンクリート剥き出しの天井ではなかった。白い板に穴のような模様が見える。頭がかろうじて動く。
「起きましたか」
 頭が鈍く痛んだ。寝過ぎたときの痛みのように思えた。一気に記憶を塗り替えなければならない負荷の痛みであったのかも知れない。
 霙恋はベッドの脇に座っている軟派な風采の男を見遣った。そしてその周りに他に誰かいないのか探った。
「お遣いの子は帰ってしまいましたよ。もう来ないと思います。もう来ないでしょう」
 古着で瀟洒を気取ったような男は、二つ折りの紙を手にした。表面がピンク色であることが透けて見えて分かった。便箋のように思える。
 腕が動かなかった。特に肘から下はほぼ動かない。肩が大まかに動くのみであった。右腕についてはほとんど感覚がない。特に肘から下は動かす実感もなかった。右半身の負傷が大きいらしい。視界も右側が曇っている。
 見舞いに来たらしい男は卑屈に笑って、便箋を読み上げた。つまり、怪我を負った姿を見ているのがつらいためにもうここに来ることはないという旨のことが書いてあった。情?たっぷりな文面は女特有の保身も欠かさない。女というのは常に正しさを求めなければならなかった。正当性を忘れてはならなかった。悪怯れないということができない。偽善でも構わんという。大義名分がなければ何もできない、肩身の狭い哀れな生き物である。霙恋も焼け爛れて形の消えた唇を引き攣らせた。彼の顔からは包帯が取られていた。噛み砕いて言えば、火傷でグロテスクな外貌の男に用はないということだ。
「 妻でもなければカノジョでさえないんですからね、当然の反応です」
 見舞いに来た男はぴしゃりと言った。
「責める権利も、嘲笑う立場にもありませんからね、貴方は」
 男はただ果物籠を置いて帰っていた。次に来たのは母親だった。そこで霙恋は、自身が目を覚ますはずのない存在だったことを知った。夢に閉じ籠ってはいられないらしかった。
 母親は息子に興味がないのだ。いつまでも女であることを求めた。1人になって生まれてくればよかったというようなことを何度か言われたことを思い出す。
「見てよ、霙恋ちゃん。きっと加霞かすみちゃんだよね。わたしが邪魔なんだわ。嫉妬してるんだと思うケド。酷くなぁい?」
 母親は怪文書を読ませた。作成者の目の前に突き付け、それを継子の犯行だと言う。
「いい子ぶってるケド、ああいう子に限って嫉妬深くて、人を羨むことしかできないんだから。周りの目が怖くて自分の人生を選べないのね!自分の人生を生きたらいいのに。人の足ばっかり引っ張ってないで……そう思わない?そう思わない、霙恋ちゃん?」
 彼はぼんやりしながら考えていた。弟が死んだときも、母親の嘆きは継子に対する怒りばかりだったような気がする。息子を喪ったことの悲しみは確かにあっただろう。だがほとんどは、姉の監督の甘さについての悪口だったように思われる。それでいて、息子を喪った悲劇的な女優をやりたいようでもあった。
 それから彼は数秒、呆然とした。忌々しい弟が死んだらしいことを今更になって思い出した。彼は焼け落ちた唇を引き攣らせた。だがすぐに表情を失くす。
「ママは、貴方を突き落としたのも、こんなふうにしたのも、全部加霞ちゃんが悪い気がするんだケド。加霞ちゃんはアンタに惚れてたんじゃない?だから……ああちゃんのときも、アンタの気を引きたかったのね!」
 霙恋は眼だけ母親にくれた。本気で言っている。
「ママが悪いんだって思ってるでしょ!見抜けなかったの!真面目ないい子に見えたから!」
 姉に対する罵倒も、母親のろくでもなさも、嫌いではなかった。だが彼は疲れてしまった。目蓋を閉じる。鼻から上は比較的損傷が少なかった。或いは回復が早かった。
「霙恋ちゃん、大事な話をしてるんだから、ママの話聞いて。霙恋ちゃん、いつも来てる女の子はどうしたの?もう来ないの?」
 目蓋を下ろしたまま、彼は言った。冷房を強く効かせて寝たときのように声は嗄れ果てていた。そこにあった甘い質感は、最初から無かったかのように消えてしまった。
「アンタ、それじゃあお嫁さん、どうするの」
 結婚の話など、今の今まで一度たりとも出たことなどないのだ。あまりに唐突な話題だった。美貌の双子は母親にとってアクセサリーだったのだ。手放そうとすらしない様子ではなかったか。
「ママだって人間なんだから、ずっと生きてられるワケじゃないんだよ、霙恋ちゃん。ずっと霙恋ちゃんのお世話ができるワケじゃないんだから。ああくんだって死んじゃうし!雫恋ちゃんの足だけは引っ張っちゃダメよ!」
 そして彼は、そういう人間がいたことを強く思い出した。
 帰れと言った。霙恋は母親に帰れと言ったが、声は出なかった。
「アンタのこと好きだった真鈴ちゃんはどう?あのおうちに来てた子、佳奈ちゃんは?樹絵梨ちゃんとかいうのと、ちょっとよかったんでしょう?」
 母親は知らないうちに交友関係を把握していた。まだまだ女の名前がつらつらと挙がるが、霙恋からすると知らない人のようで覚えがまったくないわけではなかった。しかしそう結婚の話が出るほど深い仲ではない。
 彼は寝たふりをした。母親が帰っていく。自立するアクセサリーではなくなった息子が邪魔なのだろう。仕方のないことだった。彼は本当に眠りに落ちた。

 妻の話というのは彼の中に大きく響いていた。霙恋は医者の想定にない、驚異的な回復を遂げた。それでも切り落とされた右腕については彼も見切りをつけた。過酷なリハビリを経て、彼は母親の懸念を打ち砕いた。
 そのときになって、あの軟派な雰囲気の、古着ファッションの男が現れるのである。
「雫恋さんについてなんですが、」
 まるで密会のように、彼は壁に隠れて霙恋に接近した。興味のない話だった。だが聞いていた。
 マネージャーを姉に似せて、頭をおかしくしているらしい。霙恋は考えていた。
 生き地獄であろう。まずは半分、同個体みたいな人物のことを思った。そして次に己の焼け爛れた姿を思い起こした。その後に、次にあの者がとるかも知れない行動について考えた。
「雫恋さんの惨虐さは、貴方のほうが深くご存知だ」
 それがこの男の讒言ざんげんであることは分かっていた。市井の若衆を気取っておきながら、己の手を汚すことのない黒幕だ。しかし言いたいことが分からないでもなかった。
「要は雫恋を殺して欲しいんだろう?」
 彼は疲れていた。同時にすべてを哀れんでもいた。後悔はないが、迷いはある。
 嗄れた声が、そのときばかりは、ほぼほぼただその一言のために元来の艶を取り戻した。
「それでも俺たちにくみしたつみは消えないし、雫恋が真っ当に生きる未来があったかも知れなかった」
 霙恋は話を終わらせた。もう声は出なかった。

【完】
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