18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」-2

結局は俗物( ◠‿◠ )

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シークレットクレスト 6話放置/浮気/溺愛DV美青年カレシ/既婚先輩

シークレットクレスト 6 【放置】

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 年上の幼馴染・月城つきしろ綾麻りょうまの訳の分からないメッセージに緋紘衣ひろいは彼の家に向かわなければならなかった。合鍵を持っているため中へと入った。シャワーの音がするが脱衣所のドアは開け放した。裸を気にする間柄ではないのは見慣れているという意味ではない。互いに互いが異性であることは認識しているが特に意識はしていない。
 緋紘衣は真っ赤に染まった風呂場を視界に入れる。局所的な大雨で家の主人はぐっしょりと濡れている。
「殺してくれ……」
「この世に法律が無くなったらね」
 彼女は靴下を脱ぎ捨て、真っ赤な湯を張るバスタブの栓を抜いた。氾濫し、バスタブの外の排水も間に合っていない。
「死なせてくれ……」
「バレずにやればよかったのに」
 淡々と緋紘衣はスマートフォンを操作した。手慣れているのはこれが初めてではないからだ。
「どうして俺は恋人を、苦しめる……?」
「性癖なんじゃないの」
 青白い顔がバスタブのへりに潰れかけている。
「俺は、死んだほうがいい人間だ」
 彼は喋りながら嘔吐えづいた。蛙の轢き殺されたような音を出し腹を蠢かせる。
「死んだほういい?死ぬべきの間違いじゃない」
 やがて返事をするみたいに彼は白い吐瀉物をぶちまける。夥しい数の錠剤がほんのりと原型を留めて真っ赤な湯に溶けていく。
「俺が死んだら、彼女を、頼む」
「嫌」
 気を失う幼馴染を見下ろした。これが最後ではないことは緋紘衣も分かっている。生きている間、彼はこのやり取りを何十回、何百回と繰り返すのだろう。それでいて確実な手段は選ばないのである。哀れな男を冷ややかに見下ろした。



 雨が降っている。音が年上の幼馴染の頭のおかしい習慣を彷彿とさせる。彼女は天気予報を見忘れていた。傘を持ってきていない。大学近くのセントラルパークにある建物の軒下に収まった。雨足が強まり、このままこの勢いが継続しそうである。兄から雨を心配するメッセージが来ていた。スマートフォンを見ていると、前方から人影がやってきて隣で嘆息した。緋紘衣は思わず顔を上げた。
「ふい~。急に雨なんてツイてないよナっ」
 中学生男子と見紛ったが、小柄ながらその肉体はどこか完成しつつある。少年とも青年ともいえない瑞々しさと発育に落ち着きのある身体の持主は背に掛けていたバッグを漁った。
「折り畳み傘あった!ネ、ネ、女の子、どっち方面?」
 彼はにかりと笑った。兄からも奈々都ななと深優みゆうからも感じ取れなかった清々しい笑顔だった。天気は雨である。しかしそこだけ大輪の夏花が咲いたみたいだった。緋紘衣は相変わらず表情の無い顔をしていたが、その頭の中は真っ白になっていた。
「もしも~し。駅のほうかナ?よかったら入ってかない?せっかくだし」
 彼はグリーンともブルーともいえない曖昧な色味の地にピンクの模様の傘を広げる。ファンシーな感じがこの人物と合わなかった。借り物みたいだった。
「……平気です」
「そっか。誰か待ってるとか?」
「違います」
 突っ慳貪な緋紘衣の態度に相手は臆することも気分を害することもなければ、気を遣う様子もない。無遠慮に彼女の白いスカートとワインレッドのフーディシャツ、ブラウンの靴を見遣ると開きかけた傘を閉じた。
「ん、これ使って!風邪ひかないように!じゃあネ!」
 綿のシャツにカーゴパンツの人物は折り畳み傘を緋紘衣に押し付けた。彼女も思わず受け取ってしまう。
「え、」
 また大輪の花を咲かせて彼が駆ける。緋紘衣は半歩踏み出して静止した。白く掠れた視界の中に少年とも青年ともいえないのが薄れていく。おそらく同じ大学の者だ。雨の日に日輪草を見た。




 霞未かすみはバッグの中を探っていたがやがて手を抜いた。隣を歩く恋人こ手が肩に回る。
「一緒に入ればいい」
 今日の月城は優しかった。袖から包帯が巻いてあるのが見えて、彼女は身を強ばらせる。
「寒いのか」
「う、ううん」
「もっと寄ってくれ」
 折り畳み傘を持ってきたつもりだったが、朝出掛けるときに同居人のはとこに持たせたことを思い出す。
 月城は霞未の肩に手を乗せ傘から出ないようにした。しかし彼の肩に雨が落ちていく。傘からも雨水が注がれていく。
「月城くんが濡れちゃうよ」
「構わない。すぐ乾かす」
 手首に巻かれた包帯が彼女を黙らせる。どういう怪我か、詳細は知らない。訊くことは躊躇われた。だがある程度想像がつく。自分の軽率な行いが月城を壊してしまった。狂わせてしまった。傷付けてしまった。捻挫かも知れない。擦過傷かも知れない。火傷かも知れない。しかし。
「ごめんなさい」
「どうしたんだ」
「傘、忘れちゃって」
「気にするな、そんなこと」
 人気ひとけのあまりない棟に入った。寂れたラウンジが設けてある。傷んで所々テープで補強されたソファーや色落ちし傾いたアイアンテーブルなどが置かれている。それでもまだ用途を満たせるために廃棄場には送られていない。利用者も少なくはなかった。曇りの日は不気味だが、南側に面しているため晴れの日は日当たりがよく、また目の前にはビオトープが広がっているのである。
「俺は霞未と同じ傘に入れて嬉しいんだ」
 このラウンジにはそれなりの利用者がいる。しかし今はいない。2人きりである。恋人相手に警戒心が働いた。後退る。月城の昏い双眸がぎょとと軋んだ。
「霞未?」
「つ、月城くん、濡れちゃったね。今ハンカチ出すよ。わたしの所為でごめんね」
 媚びへつらおもねる声音で彼女はハンドタオルを取り出した。
「別にいい。霞未のタオルが汚れるだろう」
 冷たい手が霞未の手を押し返す。
「でも……」
 強く出られなかった。遠慮なのか、本当に嫌がっているのか、恋人関係にあり至近距離にいながら分からない。月城の考えが読めない。彼が恐ろしい。
「いいんだ、俺は。俺は霞未に優しくされる価値なんてないんだ」
 ふいと視線を放り投げるようにして月城は顔を逸らした。
「ど、どうしたの、急に……?何か、あった?」
 怯えが隠せない。下から覗き込むように月城の機嫌を窺う。目を側められる。
「その傘を持っていけ」
「月城くんは……?」
「俺はいい。俺は平気だ。行け」
 顔を突き合わせるのも嫌らしかった。霞未は戸惑ってしまう。
「じゃ、じゃあ、ハンカチだけ……ちゃんと濡れたところ、拭いてね」
 おそるおそる彼の手を取る。拒まれはしなかった。その手にハンドタオルを握らせる。割れ物でも扱うみたいに慎重に放した。遠慮がちに傘を持って様子のおかしい恋人と別れた。妙な気怠さが天気の所為ではなかったことを知る。
 学生会館に向かう途中で喫煙所から環絹たまきが出てくるところと鉢合わせた。小走りで寄ってきて暖簾を潜るみたいに傘の中へと入った。
「環絹ちゃん」
「傘持ってるなんて気が利くじゃない」
「借り物だけどね」
「あら、そう」
 環絹からはバニラじみた煙草の匂いがした。肩を寄せ合い学生会館へと向かう。
「あーあ」
 中に入ると、外の寒さから打って変わってむわりと仄かな温気うんきに包まれるのを感じた。それと同時に環絹が横で呆れた声を出した。妙に華やかな笑い声が反響しやすい造りの空間にこだまする。彼女の目線の先にあるのは小柄な女と笑い合っているのは奈々都深優とかいっていた。雨で濡れたのか、風呂上がりよろしくタオルで頭を拭いている。彼といる女は明るい茶髪に鮮やかな赤いリボンの編み込みが可愛らしい。
 霞未は環絹を横顔を見つめてしまった。グレーのカラーコンタクトレンズを隔てた視線は奈々都に注がれている。好きなのではあるまいか。そして仲睦まじそうにしている相手は環絹とは正反対の印象を持っている。
「見せつけてくれるわね」
 学生会館には床置き型の空調がある。奈々都たちはそのすぐ前で風に当たっていた。ドライヤー代わりにしているのだろう。
「同じゼミの子だっけ」
 明るい茶髪と赤いリボンの編み込みに見覚えがある。何度かキャンパス内で目にしたこともある。環絹と同じゼミだったはずだ。
「そう」
 環絹は横歩きで霞未にさらに寄った。腕にレース素材の透けた長袖が絡む。
「ちょっと寒いけど、カフェにしない?」
「え?うん。ちょうどココア飲みたかったんだ」
 腕を組んだまま環絹に引かれていく。彼女は遠回りになる元来た南口ではなくカフェテリアに近い東口から出ていくらしかった。しかしそうすると仲睦まじくかまびすしい男女の脇を通り抜けなければならなかった。霞未はてっきり遠回りの南口を選択するものと思い込んで足を運んでいた。
「あら、」
「おっと、」
 手から傘が落ちて物音を立てる。
「あらあら、ごめんなさい、霞未」
「大丈夫!こっちから行くんだと思ったから。連携ミスだね」
 きゃはきゃはと響かないように笑っていると「黒崎サン!」と清々しい質感で呼ばれた。ほぼ反射的に振り向くと、可憐な風貌の女といる奈々都がこちらを見ていた。手招きしているが、霞未は環絹を慮って首を振った。共にいる女とは親しくない。彼女にも気を遣わせるだろう。人付き合いが苦手というほどではないけれど、積極的なわけでもなかった。
 奈々都の隣の可愛らしい女が会釈する。棘や嫌味のない、まろい印象のある娘である。 
「あっちから来なさいよね」
 環絹が言った。
「ははは、仕方ないよ」
 その落ち着き振りから実年齢より上に見られる環絹と、その見た目からは歳相応ではあるけれど豊かな表情と愛嬌によって瑞々しさのある奈々都は霞未から見てなかなか好いカップルだと想定できた。しかし現実はそうならないのかも知れない。
「行きましょ、行きましょ。早くあったかいココア飲みましょ」
 親友に連れられてカフェテリアへと移動する。
「モテんのよね、あの子」
「え?」
「さっき奈々都と一緒にいた子」
「ああ。可愛かったもんね。ふわふわしてるっていうか」
 環絹はロイヤルミルクティーを注文した。霞未は予定どおりココアを頼むとガラス張りの壁の近くの席をとった。親友と共にいると霞未は畏まらずに無機質な中庭を臨む。相手はスマートフォンを触っている。互いに互いの好きなことをやっていることが心地良い。


 マンションに帰ると濡れたはとこが数歩遅れで帰ってきた。玄関が少し狭くなる。
「傘持たせなかった?爽ちゃん」
「貸した!」
「そう」
「またプレゼントに贈るカラ。ごめん」
 由利ゆり爽太そうたに折り畳み傘を貸したが、元はといえば彼からのプレゼントである。
「別にいいけれど。風邪ひかないでよ。ちゃんとシャワー浴びて温まらなきゃ」
 バッグの中のハンドタオルを探ったが見当たらず、月城に預けてきたことを思い出す。
「鼻血出したとき、ティッシュくれた子いたって言ったジャン」
 自分の手拭でわしわしと髪を拭く由利爽太は背を向けてしまった。
「うん」
 最近になって数は減ったが、由利爽太は昔からよく鼻血を出していた。高校生に上がる頃には落ち着いてきたが、また大学に入って間もなく鼻血を出したことがあったらしい。そのときに湿潤性のポケットティッシュを放り投げた子がいたらしかった。
「あの子に貸した」
「そうなの。会ったんだ」
「うん……へ、変に思われなかったカナ?」
 彼の声が微かに上擦って震えている。
「平気でしょ、それくらい。えらいね、爽ちゃん」
「へへ……」
 このはとこは快活で、あどけない野暮ったさと明るさがあるために老若男女問わず人好きする。たとえば月城みたいな余程突き放すような雰囲気でもなければ他者に臆さない。相手の善意や良心を見込み、そこに踏み入ることもできればまた受け入れることもできる。
 彼はその人物に特殊な感情を抱いている。
 霞未は口元を緩ませた。
「シャワー浴びちゃいなさい」
 由利爽太は項垂れたまま首肯する。大学生の問題にしては甘酸っぱい。
『お前は穢れた女だ!』
 ふと首を絞める月城の姿が目蓋の裏にちらついた。
『お前は穢れた女だ、お前は穢れた男に屈するしかない穢れた女だ』
 胃の辺りが重くなり、吐いた呼吸が深くなる。爽太が顔を上げた。
「だいじょぶ?」
「うん」
 重苦しい幻影はすぐに消え去った。カバンが振動し、中が光っている。画面にはメッセージが来たことを告げるバナーが表示されていた。月城からである。文頭からいうと帰ったことを告げている。返信するのが厄介だった。しかし時間を空けると電話が掛かってくる。生きているのかと心配される。映画を観るときは予め告げてから電源を切っておかなければならなかった。既婚者と密会するような女は油断ならないのであろう。
「ちゃんとお湯沸かしてあったまるんだよ」
 彼女はスマートフォンを手に取ってかまちに腰を下ろす。爽太がまた頷いて玄関ホールに上がっていった。
 メッセージのアプリケーションを開く。帰宅したこととタオルの礼、新しいのを返すという旨のことが書かれている。文字を打つ親指が宙を彷徨う。文章に迷いながら新しいものは不要であることを告げた。送った瞬間に既読を知らせるマークがついた。それがいつも恐ろしかった。常に監視されているような心地になる。それは無いだろ。偶々スマートフォンを触っていたのかも知れない。彼は現代の若者よろしく常時端末に触れている姿はあまり見ないけれど、送った手前、返信を待っていただけに違いない。
[今度一緒に新しいタオルを買いにいこう]
 彼とのやりとりは飾り気がない。心にも無い形式的な合意を示す。月城との関わりは虚無である。得られるものがない。むしろ失っているような気がする。
 牧野宮の連絡先を眺めた。霞未のほうの設定で表示名を変えているけれども、彼のアカウントに飛ぶと元の"牧野宮葵衣"の名が浮かんでいる。アイコンはウェディングドレスの妻と背中を向けて撮ったものだった。メッセージを送りそうだった。もう送らない。知られたら月城を壊す。今度は月城に殺されるかも知れない。もう送らない。もう会わないのだ。封じておかねばならない。
<会いたいです>
 意思に反して指は文字を打っている。送信ボタンに影が重なる。深く息を吸った途端に掌の中で振動が起こる。月城から新たに返信があった。
<いつなら空いているのか教えてほしい>
 適当に流せばよい約束を彼は律儀に守ろうとしている。一度は"いつでもいいよ"と打ちかけたが、しかしアプリケーションごと閉じてしまった。
 ぼんやりと玄関を眺める。由利爽太のように甘酸っぱい恋というものをしてみたかった。していたかも知れない。だが思い出せない。思考の中に殴り込みにやってくるおぞましい出来事に掻き消されてしまった。玄関扉の奥のなだらかな雨音を聞いていた。耳鳴りに似ている。この先に牧野宮はいない。彼は結婚した。妻がいることは然して問題ではない。結婚したという時点で、牧野宮にとっての自分の立ち位置を霞未はいやでも知ってしまった。この先に牧野宮はもういないのだ。
 月城の豹変からもう連絡を取っていない。牧野宮から便りもない。それが答えである。可愛い後輩からの誘いを快く寛大に迎え入れ、積極的な姿勢すら見せる人懐こい気性なだけなのだ。
 脱衣所のドアが軋むまで彼女は玄関に座り込んでいた。
霞未すみ姉ちゃんどしたん?まだそこにいるん?」
 振り向くと腰にタオルを巻いて髪を拭くはとこの姿がある。あどけない顔立ちと若々しさのある声の割りに筋肉質なのが異様な感じがある。親戚からするといくらか心配を煽る妖艶さだった。変質者に妙な目で見られはしないかと霞未も何度か顔を顰めたことがある。
「雨、やまないかなって」
「なんで?これからどっか行くん?」
 彼女はゆるゆると首を振った。
「どこも行かないけれど、晴れてるほうがいいじゃない」
「うん……」
「湯冷めしちゃうよ。ほら、ちゃんと拭いてパンツとシャツ」
 すると彼は「うん」と子供みたいに頷いて自室へいった。ほんのりと廊下に足音がついてすぐに消えていく。
 手の中の端末が震える。月城が自分の空いている日程を知らせてきた。既読の通知が相手に送られていることだろう。
<もう平気だから、別れよう>
 天気がそうさせたのかも知れない。返事も聞かずに連絡先をブロックリストに放り込んだ。月城が居ようが居まいが、牧野宮とは共にいけない。


 爽太との夕食後にインターホンが鳴った。今晩はカレーに辣韮らっきょうを添えたのを食らった。爽太の分には昨日の惣菜の残り物のトンカツが乗っていた。
 霞未は20時過ぎのこのインターホンを爽太が頼んだインターネットショッピングか何かの配達だと高を括っていた。或いは、執拗な国民放送局JHKの受信料徴収の件だろう。それかもしくはインターネット回線の営業か、今までの例でいえば新聞の契約だ。
 チェーンロックを付けたまま玄関ドアを開く。白い指が4本、ぬっと隙間に割り入ってドアを押さえた。睥睨へいげいするような眼差しが見えた。
「霞未。別れるって、なんだ。理由は?何故連絡を返してくれない?」
 何の話をされているのかすぐには思い出せなかった。恋人へ別れを切り出したことも衝動的で、送った直後にはもう忘れていた。牧野宮と会わない。これだけで既婚者に言い寄る極悪人を正したい正義の味方は不埒な女に用などなくなったはずだ。
「ごめんなさい、気付かなくて。もう牧野宮先輩とは会わないから平気ってこと」
 恋人の来訪に彼女はチェーンロックも外さない。
「牧野宮?何故牧野宮さんが出てくる」
「わたしが牧野宮先輩と奥さんに秘密で会ってること、許せなかったのかなって思って」
 無機質な感じのする美貌に眉間の皺が刻まれるとよく目立つ。
「何を言っているんだ?」
「え……?」
 話が通じていないこと、月城の険しい表情に霞未も戸惑ってしまう。
「牧野宮さんのことで脅すように付き合ったのは認める。でも俺は、そんなことをやめさせたいだなんて殊勝な考えは持っちゃいない。霞未と付き合うには、それしか材料がなかった。それだけのことだ」
 霞未が後方でぺたりと足音を聞くのと月城の視線が側められたのはほぼ同時だった。彼女は振り返る。爽太が真後ろにまで近付いてきて玄関を覗いていた。宅配便や新聞屋その他諸々ではないくせチェーンロックも外さず話しているのが不審に映ったのだろう。
 年上のはとこの恋人に気付くと不恰好に会釈した。彼はこの同居人の恋人に好い印象を抱いていない。
「こんばんは、爽太」
 馴れ馴れしいとも言っていた。踏み込み方が信用ならないらしい。
「こんばんわ」
 爽太は訪問者を確かめるとすぐにリビングに引っ込んだ。
「それで、霞未は?霞未は俺と居るのはもう嫌なのか」
 霞未は思わず目を逸らしてしまった。首を締め身体を暴いたのは一体誰であろう。しかしそれを口にしては、己の咎から目を背けているようでもあった。
「嫌っていうか……」
「出てきてくれ、霞未。愛してる」
 寒気がした。喜ばしい言葉なのかも知れなかった。しかし外見の麗しさでは糊塗ことしきれない。
「月城くんてさ……わたしと付き合って何が楽しいんだろうって思って……………誰かの付き合ってたいなら、月城くんってモテそうだし……わたしじゃなくても好い子、いるよね?」
 俯きがちになって彼女の目は泳ぐ。激されたりはしないかと怯えた。何かあればチェーンロックとドアがある。しかしその場凌ぎである。大学でまた顔を合わせるのだ。
「……一目惚れ、は、霞未のなかで信用ならないか」
「うん」
 彼が言うからかも知れない。昔に読んだ漫画は一目惚ればかりである。"運命的な"出会いだった。しかしこの壊れやすい、否、自分が疾しいことをして壊してしまった男が口にすると胸騒ぎを覚える。
「……そうか」
 沈黙が流れた。話は終わったのだろう。掌に汗が滲む。
「俺は霞未のこと、好きなんだけどな」
「月城くんが、優しくしてくれてたのは分かってるけれど……」
 彼も俯いてしまった。
「ほんの少しだけ……ほんの少しだけだ。それ以上は待てない。距離を置こう。それでお互い、考えよう」
 月城の声は弱々しい。それが珍しく感じられた。彼はいつでも冷静で、感情の乏しい気質に見えていた。そして無自覚に壊れていくような繊細な鈍感さも併せ持っているような。
「う、うん……」
「我儘を言ってすまない。ただ、俺は霞未を好きだから。それは変わらない」
 すいと顔を上げて合わされる眼差しに怯みこそすれ、芯を揺るがすような情念は感じられなかった。
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