18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」-2

結局は俗物( ◠‿◠ )

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蜜花イけ贄 不定期更新/和風/蛇姦/ケモ耳男/男喘ぎ/その他未定につき地雷注意

蜜花イけ贄 17

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 茉莉まつりは座る女の膝を大きく開かせ、その腿を両手で担ぐように持ち、股ぐらに頭を埋めていた。卑猥な部位に目、鼻、口を近付けているのである。彼の視界には女の不気味な肉迷路のみが映っていることだろう。そして筋のよく通った小振りな鼻は、生々しくも甘く薫る牝の妖気を吸い込んでいることだろう。
「うん……いい。桔梗のいやらしい匂いがするよ。蜜もたくさん……」
 隠すものなどないのだ。茉莉には、女の秘めたる窪みに湧いた泉も見えている。
「もっと臭くしておいてもいいのに、桔梗はどこもいい匂いだな。別におれは匂いが好きなわけじゃないけど、桔梗は嗅がれると興奮しちゃうみたいだからね」
 茉莉はそう喋っている間も、誤魔化すことのできない至近距離で、密やかな場所にじかに鼻をつけ、すんすん嗅いでいる。目を虚ろにし、声は上擦り、恍惚として嗅覚を働かせている。
「もう桔梗はおれに対して、何も恥ずかしいことなんてないね。おれだけが君を理解してあげられるな。君の内側ことなんて好きじゃないのに」
 尖らせた舌先が、核心の雛弁を抉る。
「あっ!」
 桔梗の胎には形を持たない龍が駆け登っていくようだ。しかしただの一撃であった。その昇竜は間もなく霧散する。
「葵も舐めてくれた?山茶は舐めないんだって」
 されるがままの桔梗は、茉莉とはまた異質の虚ろな目でぼんやりして、彼の話を聞いているのかいないのか、定かでなかった。
「女の股なんて、汚らしいんだって。確かに汚いよね。男の苗をどろどろ出してさ。でも桔梗のは美味しいな。桔梗の性根が狡猾で狷介けんかいで悪いやつだから、その他は綺麗にできてるんだろうね。天下は上手く均衡を保ってるね」
 しかし茉莉の言が、或いは彼に語った椿の山茶さんざの言が本当ならば、いつぞや彼女を抱いたときの口淫は幻だったのであろうか。
「桔梗はかわいいね。見た目だけ。君の中身なんか愛せるわけないもんね。でもおれは唾つけた相手の面倒は看たいんだよ、桔梗。それは葵のこともそうだし、山茶はおれが世話するまでもないことだ。躑躅おぢさんだってそうだよ?石蕗つわぶきくんも、枸橘からたちくんも……翡翠の海の国の言葉で、家族はみりあとか言うらしいじゃない」
 茉莉は器用な男だった。喋々ちょうちょうしくも女肉の聞香を忘れない。
「そうだ、君の蜜舐め犬、どうみてもウサギとかクリネズミの類いだけれど―も、世話してあげるよ。おれはね、ああいう可愛いおとこが無惨に惨めに死ぬのが好きなんだ。可愛いもの。瘡気かさけの娼妓がいるから、婿入りさせてあげよう。あの子も瘡気になるといい」
「い、いやです……!」
 桔梗は思わず貴人の手に触れた。
「どうして」
 不敬と咎めることもなく、茉莉は意地の悪そうに莞爾としている。
「あの子は、」
「片輪なんだっけ?じゃあ瘡気の病人に婿とつがせても問題ないよねぇ?」
「おやめ、ください……」
「葵は君のことなんかもう好きじゃないらしいから、君は枸橘からたちくんに嫁がせて、これで2人の世話は片付くね。姉さん女房、うん、いいね。羨ましいよ。おれは同い年か年上の女が好きでね……でもおれもずっと選り好みしてると、世継ぎ産めるのが年下の女ばかりになってしまうからね……別に田植えするだけならいいけれど、正室ヅラされてもな」
 彼は女の内腿の細やかな肌理きめと肉感を頬で愉しむ。
「おれが君を贄にしたから怒って、おれの言うことは完全否定の断固拒否するんだろう?君は酷いやつだよ。葵もおかしくなったんだな。君が白い蛇に嫁いだだって?あいつの淫らな夢、はしたない妄想だと思うな。君が蛇に犯されている様でも見たんでしょう。そして苗を無駄に費やした。葵の優秀な苗は、君と実を結ぶことなくてね。なんでか男ってのは、いやいや、女も、蛇みたいな蚯蚓みみずみたいな、うねうね長たらしいものが絡まるところに欲望を感じるだから。おれはそれよりも、君に縄を括り付けて、市中を引き回したいよ。いいや、そんなことをしたらおれみたいな純心なやつは、卑劣狡猾極悪人の君に返り討ちにあって、どっちが蜜狗になるか分かったもんじゃない」
 嗅いでばかりに勤しんでいた茉莉が、またもや桔梗の弱いところを舌先で責めた。不意の鋭い快感に、彼女は膝で貴人を挟み、腰を退いた。
「あぁ…………」
「そうでしょう?君はおれを狗にするつもりなんだ。こうやって、おれに舐めさせて、悦ぶつもりなんだな」
 彼は飽きずに、彼女の濡れた肌を嗅ぎ続ける。
「いい匂いだよ。おれも早く精を漏らしたいけどね?」
 しかしこの貴人は自慰に移るでもなく、匂いを吸うのもやめ、本格的に口淫をはじめた。
「あ………、待っ………あ、や………ッ!」
「嫌じゃないよ、こんな濡らして。聞こえる?お汁すごいよ」
 恥部の匂いを嗅ぐときにわざと鼻を鳴らす男だ。桔梗の秘部に湧いた泉を啜ることも躊躇わない。彼女を辱めることに極上の喜びを感じるらしい。
 じゅるじゅる、ずぞぞ……と音を聞かされ、続くのは濡れたものを舐めねぶり掻き回す音だった。
「逝かせてあげないからね、桔梗。それは分かってる?」
 舌が蜜壺に挿さる。
「ああんっ」
 桔梗の華奢な躯体が後ろへ反る。
「逝かせないよ。こんなんじゃ逝かないよね?葵と山茶の胖棒ちんぼうに鍛えられてるんでしょ?山茶のなんてめちゃくちゃ大きいだなんて噂だよ。おれは見たことないけどね。見たことあったら問題でしょ。女って好きだよね、そういう妄言。体格見れば分かるでしょ。相対的には小さいかも知れないけど。あのね、桔梗。男は自分の胖棒がいかに大きいか、誇りたくて同時に不安な生き物なんだよ。君には分からないと思うけどね。人の気持ちなんか一切総じてことごとく分からない、分かろうともしない、そんな観念すらない君には」
 彼は女を罵倒することに重きを置きたくなったのか、口を離すと指で蜜壺をくじりはじめた。
「君は枸橘くんに嫁げばいいよ。あの子に嫁いで、葵は君のことなんてもう好きじゃないのに、おれと同じで胖棒カラダが君を求めて、苦しい思いをすればいいのさ。君が枸橘くんにぶん殴られて縛り上げられて鞭打たれながら抱かれる様をみて、苦しみながら自涜に耽るのがお似合いだよ。おれも好きだね、まだモノにしてない君が、他の男に犯される様を想いながら千摩せんずりするのさ。悔しさと、負けん気で、ヘタな女を抱くよりも質のいい精が漏れ出るというわけだよ」
 指淫の音と、それに伴う嬌声で、おそらく茉莉の言葉は掻き消えている。 
「あ、あ、あ、」
 指は正確な箇所を適切な力加減で突く。その間隔が速まるだけ、彼女の締め付ける間隔も狭まっていく。
「中がきゅうきゅうしてきたね、桔梗。君は恐ろしい女だから、膣穴にも牙が生え揃っていそうなものだけれども、さすがに男を誑かすためには、膣穴に牙は邪魔だな。この悪女!君は最低最悪の女だよ」
「あ、んっ、あっ、あぁん……」
「逝かせないよ。君を逝かせたら、君は女蟷螂だからね。おれは食われてしまうよ。次の男を見つけるまでの滋養にするつもりだろう!君は本当にいやらしい女だ」
 貴人の筋張った指が抜けていく。蜜飛沫が糸を引く。
「あ………ああ……」
「さぁ、身体を洗おう。おれが洗ってあげる」
 性感を煽られた桔梗はくたりとして、今にも倒れそうなところを茉莉に支えられていた。彼女はぽや、と眠そうな目をしている。
「桔梗?」
「……申し訳ございません……」
 彼女は貴人の手を借りるわけにはいかなかった。
「お背中をお流しいたします……」
「何?急に媚びて。おれから逃げ出すくらいの女なんだもん。いいよ、そんな従順な態度とらなくてもさ。それよりおれが洗ってあげる。饅腔まんこうを洗われると困るんだよ。せっかく君の蜜でいっぱいにしたのに」
 茉莉は娶り損ねた女をなじり、女体やさらにはあられもないところを嗅いで悦んでいるが、貴い身分なのである。彼は隙があろうと無かろうと桔梗をそしってはしゃいだ。
「そのような……」
「そんなことはない?そんなこと言うな?どっちかな」
 嫌がらせであろう。彼は桔梗の乳を揉もうと手を伸ばす。だが彼女はすでに胸を隠していた。
「どっち?感じただろ、君は。気をやりそうになっていただろ?元がそうなのかな。それとも葵や山茶に拓かれた?山茶はないな。山茶はその場で感じさせるだけの男だもん。葵だな。葵は君に似たような娼妓を充てると、ねちっこい交合わぐわいをするからね。おれは見てるんだよ。君に似た娼妓を……娼妓じゃなくてもね、君に背丈や髪質や後姿なんかが似た娘を探すのが、おれも趣味なんだよ。家来の交配相手はきちんと選ばなきゃ。ゆくゆくはおれの家来か側室か、或いはおれの婿や嫁かもしれないんだから。だから桔梗、安心してよ。葵は君なんかを好きじゃなくなっても、ちゃんと嫁がせる女は要るのさ。君より清楚で可愛らしい、守ってあげたくなるような女だよ。君とは違ってね。葵は君に後姿の似た娘を後ろから貫いて、動かないんだ。泣きそうになって交合うんだから可愛いやつだよ。嬉しいかって訊いたらこの上のない幸せだって言うのさ。顔は君に似てないのに。君より生まれは……違うか。躑躅の家よりは格が落ちるのに、君よりずっと品の良い縹緻きりょうだよ。躑躅の家の躾が悪いんじゃない。君の生まれも悪くない。君をり出した腹も、君の混ざった胤も。君自身が下品で下劣で下卑ているんだよ。器の問題なんだ」
 茉莉は桔梗の溢れた胸の脂肪を揉み飽きると、湯加減をみる。適温らしい。手桶に汲み、震えている女の肩にかける。
「それほどまでに君に懸想する葵を、君は素気無く扱った。醜男なら分かるよ。おれも不細工な女に言い寄られる気持が分からなくもないからね。でも、男というのは業の深いもので、不細工な女というものにもそそり立つのさ。そこの決定的な違いを理解はするつもりだよ。でも葵はなかなかの色男だと思うんだけど、女には何かが違うのかな。葵に抱かれた潔白な娘たちは、泣いて嫌がるんだよ。それは確かに、縄で縛ってくつわをしたりはしたよ。だって断られたらお終いだもの」
 かけられているものは体温より少し高い湯である。しかし桔梗を襲うのは寒気ばかりである。
「……まさか、かどわかして……」
「そうだよ。君のせいで、無関係な娘たちが不幸になったんだ。でも、結局は市井しせいの貧しい醜男たちに嫁ぐ身。葵みたいな勤勉で一途で実直な色男の胤を注がれるなら、名誉なことじゃないか」
 桔梗はまた目を閉じてしまった。恐ろしいことが、彼女のあずかり知らぬところで起こっていた。どこかにその身形のために傷付いた娘がいる。
「茉莉様……何故…………そのようなことになるのなら、」
「最初から脅しとけって?それとも、それで事が足りるなら、求婚なんてするなって?大好きな叔父様の脚、ぶっ壊さなくて済んだもんね」
 茉莉は屈んで縮こまる桔梗に湯をぶつけるのが楽しいらしかった。彼女は湯塊を肌に打ち付けられる。
「その後の世話もしたさ。市中の金魚掬いじゃなくて、あのまま過ごしていたら出会えないような、いいところの家に嫁いだほうがいいでしょうが」
「それは茉莉様が、そのように……そのような、」
「そんな生き方しかしてこなかった、って言いたいんでしょう?そうだよ、桔梗。君みたいに嫌なら逃げて、その先で大好きだった叔父様のこともっぽって、新しい男とまた逃げて、その男も死んだんでしょ。会いたかったな。墓作るんだろ?あっはっは。君が葵に好きじゃないって言われてるときね、おれ、実はあの部屋にいたんだよ。石蕗くんから報告されてさ、楽しそうだなって。もしかしたら君と葵が交合うところ観られるのかな~って、期待しちゃった。しかも君が下手したでに出て、娼婦みたいにある程度嫌がってる風に積極的なご奉仕をしてくれるところが観られると思ったんだよ。それで普段は理性的でお上品にお高くとまってる葵が野獣みたいに君を犯すと思ったんだよ。おれは逃げ出すほどおれを嫌がってる女が金欲しさに股開いて、おれもまだ触れていのに家来には触らせてるところを眺めて悔しがりながら自涜できることを期待してたんだ。まぁ、金欲しさよりは溢れて止まらない淫心からであって欲しかったけど……だって貧しいあまりに股を開くのは可哀想だもの。墓ならおれが作ってあげるよ」
 茉莉はずぶ濡れの桔梗を湯殿のほうに引っ張った。
「身を、清めなければ……」
「君の出汁だしをとっておかないと。山茶はあれで神経質だからな。嫌がるかもだけど」
 桔梗は踏み留まる。
「まぁ、いいか。おれの身体も洗ってね。松茸狩りしないでね。君に手扱てしごきされたら、おれは呆気なく精を漏らしてしまうよ。絶倫じゃないからね。精を漏らしたら終わりだ」
 そう言っておきながら、貴人のしなやかな手は、背洗い女の手を股間へと導く。



 茉莉は長湯であった。桔梗は湯殿から上がろとする。
「ダメだよ、桔梗。湯中ゆあたりしろよ。おれと風呂入れないの?」
 背後から、肌を熱くした硬い肉体が彼女へ張り付く。
「もう、暑くて……」
 貴人は華奢な体躯を抱き込み、無防備な乳房を揉む。
「あ……あ………」
「冷めちゃったおれを、欲情で温めろよ」
 大胆にその手は柔らかな脂肪を揉みしだく。彼女は自身の胸の弾力を知らされる。尾骶骨びていこつの近くに猛りを擦り付けられ、そのまま小さくも丸みのある丘と丘の間へ隠されてしまいそうだった。
「あ、桔梗の腿に吸い込まれていっちゃった」
 内腿に滾ったものが挿さった。細かな凹凸と緩やかなかえしが分かる。
「おれ、出したくないよ?おれを逝かせないでね」
 桔梗は顔を真っ赤にしながら、湯の中に片足を踏み出す。すると茉莉は腰を入れた。
「うわ、ぬるぬるだね、桔梗」
 肌と肌のぶつかる一撃がこだまする。貴人の靫葛うつぼかずらが彼女の濡蕊の真下を擦る。
「あ……っ!」
「腰止まらなくなっちゃうよ」
「茉莉様……」
 茉莉は掌で女の胸の膨らみを包み、指ではその先端の小蕾を虐げる。
「んっ……あ、」
「石蕗くん!石蕗くん、おいでよ」
 真後ろで発される大声に、桔梗は硬直する。
「ん……、ふ、」
 左右の腿の肉が貴人に打たれた杭を柔和に潰してしまう。それが牡の敏感な器官に甘い刺激を与えるらしかった。誤嚥して噎せるような声をが聞こえるのである。
 まだ反響の余韻も消えぬうちに脱衣所の戸が開いた。石蕗が相変わらずの面皰づらと愛想のない顔をして戸を開いたその場に佇んでいる。
「桔梗を持っていて。そのまま、台所に」
 何故彼は、台所を指定したのか。桔梗もそれを疑問に思ったらしい。
「御意」
 石蕗は冷ややかに胸を弄ばれる女の裸体を見下ろしていた。
「何故……」
 桔梗は振り返った。茉莉は意地の悪そうに笑って、彼女を抱き上げてしまう。
「君を食べるのさ。若い女のお汁滴る肉ってものを食べてみたくってね。君がおれをナカに入れてくれないなら、君がおれのナカに入ればいいと考えるのは自然」
 この男こそ人狼ひとおおかみではあるまいか。桔梗は石蕗の腕に渡されながら、茉莉を睨む。しかしすでに人狼は判明しているのである。
「嫌でございます……!」
「あっはっは。縛り上げてもいいよ。っていうか縛り上げなよ。そのほうが綺麗だ。赤い縄でね。腹の辺りだけ切り身にしてもらってね。君の肉は鯛みたいに透き通っていそうだ。あっはっは。冗談だけど」
 石蕗の力は強かった。冗談であろう。桔梗は面皰の浮かぶ頬を見つめる。彼女の皮膚についた水滴が、若い密偵の衣を濡らす。
「わたしは本当に、食肉にされるのですか」
「上様のご冗談にどこまでお付き合いなさればいいのか分からないのです。ご理解ください」
 答えとして曖昧なものが返ってくるから彼女も身の危険を覚えるのだった。
「下ろしてください」
 石蕗は応じない。
「嫌ですわ、こんなところ……」
 胸を隠し、身を縮めた女を一瞥し、強壮な肉体を持つ若者が生唾を呑む様は、本人には気付かない。彼は無言で、台所へと連れていってしまう。
 桔梗は冷たい褥に横たえられ、飛び上がった。長台のようなものに乗せられている。降りようと足を伸ばせば、前から乾いた音がする。茉莉の言っていた赤染めの縄が石蕗の左右の手の間に、真っ直ぐ張っている。
「い、嫌……っ」
 全裸のまま桔梗は石蕗青少年の脇を擦り抜けて逃げ出した。肌が風を切るのが寒い。広い屋敷を走り回っていると、目の前を跛行はこうしている者が横切った。ぶつかってしまう。相手は桔梗よりも体格は良かったが、佇まいに覇気がなく、平生へいぜいから床に臥せているような病人や怪我人を思わせた。
「申し訳ない……」
 撥ねてしまったのは桔梗のほうであったが、撥ねられた側の相手のほうが先に謝った。掠れた音吐おんとから倦怠感が伝わる。桔梗も急いでいたとはいえ、そう質量のある身体でもなかった。だが重篤者らしいのは、簡単に跳ね飛ばされて壁に身を打ち、腰を床へと降ろしていく。それは散々茉莉に見くびられ、蔑まれ、揶揄されていた葵である。今日何度、この男の名を聞かされただろう。
 彼はまだ、イノシシの如く衝突してきた物体が何であり誰であるかを把握していない様子だった。身体を打ち付けた痛みか、肌に刻まれた傷の痛みか、呻めきながら彼は壁を頼りに立ち上がる。
 桔梗はその姿に惻隠の情を禁じ得なかったが、自身の裸体を思えば逃げ出すほかなかった。しかし足が惑う。
「桔梗様……?」
 裸婦が誰であるのか、葵は気付いてしまったらしい。彼は目病みのように眼に水気を含み、それでいて眠げに女を捉えた。
「見ないで……っ」
 逃げる選択はあったはずだが、咄嗟のことで忘れてしまっていた。身体を隠し、蹲る。
 葵は辺りを見回した。
「……私の部屋へどうぞ。私は水をもらいにいきますから、お先に」
 傷の入ったほうの肩を上げて、彼は部屋を指で差す。震えていた。痛みに顔を顰めている。
「すみません……」
 それは罠かもしれなかった。この屋敷で起こったことである。この屋敷に住まう葵が怪しくないと、何故いえよう。すべて仕組まれているのだとしたら、自ら蜘蛛の巣に引っ掛かりにいくようなものだった。だが裸体のまま外に出られるわけもなかった。
 今は、茉莉や石蕗から身を隠すことが優先される。桔梗は葵の部屋に駆け込んだ。藺草の匂いと、薬草の甘苦い匂い、そして葵の匂いが籠り、むわ、と彼女の鼻腔に押し寄せた。湿度は高く、日当たりが悪いのか温気うんきもいくらか低く感じられる。ところが彼女は全裸である。温感はあてにならない。
 押し入れを開ける。平生へいぜいの彼女ならば、このような、勝手に他者の家の押し入れや抽斗ひきだしを開けることなどしなかった。幸い、何もしまわれてはいなかった。彼女は中へ身を隠す。内側の木理もくめが棘となって、皮膚に刺さるような心地がする。暗闇の中で小さくなり、己の冷えた身体を摩った。殴られた顔も、肉刺まめの潰れた掌も痛む。
 彼女にこれという熱心な信教はなかった。かといってまったく無頼の徒というわけでもない。勧善懲悪の刷り込みは、自身も覚えのないところにあるものだった。つまりこれは罰だったのだ。茉莉による罰だったのかもしれない。或いは存在していないと断言するにはどこか内心に後ろめたさを残す存在によるものだったのかも知れない。とにかく、これは己の仕出かしたことの採算をとる、もしくは誰かしらが溜飲を下げるための罰であった。
 腕の枕と膝に顔を埋め、彼女は何も考えないようにした。目の前にあるのは暗黒である。黴臭く、湿気っている。あの亡骸と、同じ目に遭っているのか。いいや、亡骸を埋めた土は乾いていた。
 死霊が現れはしないだろうかと考えた。彼女の想像した死霊は、四肢は繋がっていたけれど、首にだけ縫合糸が列なっていた。目玉はなく、眼窩は真っ黒に塗り潰され、肌が破れている。
―アサガオさん……
 怨霊がこの肌に触れるのを待っていた。自分の鼓動を聞きながら。
―大好き。
 怨霊は現れない。押し入れの戸の奥で、襖の開く音がした。藺草を擦る音が聞こえる。
「桔梗様……?こちらにいらっしゃいますか」
 掠れて疲れた、低い声だが葵のものだった。
 桔梗は顔を上げる。彼を信じていいものか……
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