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蜜花イけ贄 不定期更新/和風/蛇姦/ケモ耳男/男喘ぎ/その他未定につき地雷注意

蜜花イけ贄 15

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 桔梗は数日間、熱を出していた。すっかり身体が快くなっても、布団の脇に侍るダリアは首で舟を漕ぎ、ふわ、と倒れかけるのを慌てて彼女は抱き留めた。しかし目覚めもしないところをみると、かなりの疲労を溜めこんでいたのだろう。桔梗は徐ろに彼を掛布団に寝かせ、それを折って海苔餅の如く挟んでやった。
 火傷の痕がいくらか小さく薄くなっている―気がした。
 可憐な童僕の、さらりとした前髪を撫で、桔梗は部屋を出る。寝間着を脱ぎ、華美な衣装へ袖を通した。
 そして薬屋の屋敷に向かう。玄関前に佇立ちょりつしたとき、まさに超常的な現象が起こった。戸が勝手に開いたのである。彼女は自身の目を疑った。超常的なものといえば、頭の拉げたまま活動する白蛇、獣の尾を生やした人間、麗かな下僕を操り変貌する意識……
 桔梗は後悔していた。悍ましい白蛇の頭部をき潰し、砕いて、二度と蘇らぬよう練り固めておかなかったことを強く悔いた。
 しかし戸の影から召使いみたいな身形の青年が現れる。面皰にきび面の青臭い彼は、桔梗の到着を予期しているようだった。
「お待ちしておりました」
 彼は恭しくこうべを垂れた。
「待たせたの?ごめんなさい」
 それが形式的な挨拶だと知っていても、彼女は嫌味を吐く、使用人めいた青年はおもてを上げない。
「とんでもないことでございます」
_使用人の立場も苦しいものだ。形式上の挨拶にも理不尽な接し方をされるのである。
「お邪魔しますわ」
 目の前を通り過ぎる高慢で不遜な女客人に合わせ、彼は身体の向きを変える。
そして静かに戸を閉めた。そして客人よりもはやく下駄を脱ぎ、かまちを跨いで部屋へと案内するのだから大変だ。
「ごゆるりとお寛ぎください」
 それもまた形式である。かといって早く帰れと遠回しに言っているわけでもないことは桔梗にも分かった。ただの形式的な、中身のない、使用人なりの挨拶であるけれど、彼はここで何が行われるのか知らぬわけではあるまい。
「ありがとう。そうさせていただきます」
 彼女の語気には棘が残る。使用人の若い男は小さく頭を下げて、部屋の戸を開けるでもなく、引き返していった。
「薬師さま」
 戸を軽く叩く。音はない。もう一度叩こうとするのと同時に中から声がした。
『お入りください』
「失礼します」
 布団に臥せる葵が重そうに上体を起こしているところだった。布団の傍へと寄っていき、腰を下ろす。
「桔梗様……」
 青白い顔をしているのは元々だが、そこに傷の痛みも加わっているのだろう。戸惑った表情を浮かべ、躊躇いが目の動きに現れている。
「夜分にすみません」
 桔梗が熱に魘されていたとき、椿の山茶さんざがやってきた。彼は一方的な約束を取り付けていったが、葵にもその話がいっているらしい。
「傷の容態はいかがです」
 桔梗も目を逸らした。
「良好です。それで……何かわたくしに、ご要望があるとか……?山茶殿からも力添えをするようにと……」
 辿々しいのは、傷が痛むからなのか、将又はたまた、これから2人で行うことに狼狽があるからか。だがこの怪我人はとても動けるような有様ではない。良好などというのも嘘だろう。
「墓を作りたいのです」
「墓を……ですか。どなたのです」
 この怪我人は人狼ひとおおかみ騒動のすえつ方を知っているのであろうか。知っているだろう。椿の山茶になり、あの面皰面の使用人になり聞いているはずだ。
「わたしのです」
「何故」
「共に入りたい相手がいるのです」
 青褪めているのかそういう顔なのか分からない、発光したみたいな美貌に怪訝の皺が寄る。
「それは……―いいえ。それでは貴女様は、躑躅様とは、」
「叔父と同じ墓には入りません」
 きっぱりと言うと、沸いたばかりの湯でも呑んだみたいに彼は黙ってしまった。
「墓を作りたいのです。叔父とわたしが同じ墓に入れるはずがないのです。わたしさえ拾わなければ、あの方は囹圄れいぎょに放られる必要はなかったはずです」
 彼女は自身の卑怯さを割り切らねばならなかった。そこそこ権力のある男に女の弱さを訴え出て、媚びる。しかし何かを得るためには開き直らねばならなかったのだ。
「わたしは人狼の人非人にんぴにんと同じ墓に入ります。他に誰も入らないよう。二度と人の肉体かたちを持って生まれぬよう……」
 葵は桔梗に横面を晒し項垂れてしまった。
「そのために、わたくしの元を訪れたわけですね。そして椿の山茶殿も、そのことを了承して……」
「はい」
「卑怯ではありませんか。わたくしの恋慕を利用するつもりなのでしょう。わたくしが貴女様のような婦人など、もう好きではないと申し上げたら、どうなさるおつもりだったのです」
 桔梗も項垂れた。目を大きく開き、眼球を内側から灼かれていく熱に耐えるのである。唇を噛み締め、せぐりあげる第一波をやり過ごす。罪が無かったかも知れない哀れな青年の壮絶な最期、肉を千切られ骨を断たれる恐怖と痛苦、人々に囲まれ縛られ暴行される悲愴を思えば、大したことではないのではあるまいか。
「この手で墓を掘ります」
「ではそうなさればよろしいでしょう……」
「この手で築く墓など高が知れておりますから……」
 指先がげそうなほど冷えた手を畳につけた。質感だけが痺れながらも伝わる。そして桔梗は額を擦り付けた。
「わたしは今宵から、葵様の肉人形でございます。なんなりとお申し付けください」
 葵は冷ややかに愚劣な女の後頭部を見下ろした。
「そうまでして……一緒に墓に入りたいのですか」
「はい」
「ではわたくしの手に掛かってくださいますか。貴女様の御心みこころがいただけないのなら、貴女様のいのちを俺にください。死んでくださいますか」
 葵は息を荒げ、慌ただしく立ち上がると布団の下から刀を取り、鞘から抜いた。白刃が構えられる。桔梗は顔を上げない。ただ髪を撫で、うなじを晒した。
「貴女様にとってわたくしは華屋敷の客ですか。わたくし財嚢ざいのう……金銀小判というわけですか」
「……はい」
「帰りなさい。墓などは自分で掘ればいいのです。わたくしの恋慕を利用して……貴女様は残忍な方だ。極悪な方だ……卑劣で……とても………」
 きっさきが震えた。葵の着ているものの一部が色を濃く変えている。
「……お帰りください」
 荒い息遣いが聞こえた。刀の軋む音がする。桔梗は徐ろに身体を起こした。
「さようならです、俺の愛した貴女様は……卑しい女を好きになった覚えはありませんから……」
 肩から反対側の腰の辺りまでを薄らと赤黒く染め、彼は力無く言った。
 桔梗は返す言葉もなかった。蹣跚まんさんとした足取りで、部屋を出る。するとそこに椿の山茶が現れて行手を阻む。
「男は働いて稼ぐのが仕事。そこを頼るなら、女は子でもしてやりゃいい」
 桔梗は彼の意外にもしかつめらしい顔を見上げたが、特にこれという応えもなく、その脇をすり抜けていく。
「どこへ行くんで?」
「少し夕涼みに」
「あぁ!まったく」
 後ろで大男はうんざりしたような声をあげ、壁を殴った。
「あの意地っ張り男め」
 そのまま引き返していくと、玄関で使用人の石蕗つわぶきが膝をついて座っていた。やってきた女客人の姿を認めると、わずかばかり驚いたような様子があった。
「お帰りですか」
「はい。夜分に失礼しました」
「……お気を付けて…………いいえ。お見送りします」
 来た時とは大いに変わり、しおらしくなった客人に、彼のまじめがゆえの堅そうな表情もいっそうしかつめらしくなる。
「不要ですわ。ありがとう。お邪魔しました」
 彼女はダリアを残したまま屋敷には帰らなかった。遺骸を置いた粗末な民家へ行ってしまう。遺骸である。まだよく知る形を留めているが、いつまでもそう在れるわけもない。時間が迫っている。
「ごめんなさい、アサガオさん。もう少しだから……もう少しだけ……」
 いいや、待てない。すぐにでも弔わなければ、さらに彼を辱めかねなかった。
 もし葵に願いを聞き容れられたとして……それから墓を掘るのにどれくらいかかる。
 桔梗の目はどんよりと曇天よりも朦朧として、正気の色を失っていく。幸い、この家は農家であった。探せば農具が出てくるのである。
 気の変になった女は鋤鍬すきくわ掘棒を引き摺って、外へと出た。
 問題は、どこに掘るかである。
 からーん からら……
 気の触れた女が歩くたびに、農具が鳴る。
 からーん からから……
 彼と出会った川の近くにしようかとまず考えた。しかし川の近くを掘ってしまっていいものか。氾濫したら哀れである。彼の畑にしようか。いやいや、掘り返されてねむりから覚まされるのは可哀想だ。涙が出るほど、桔梗はつらく思った。
 からん からん からん かん かん
 彼女は元来た道を返ってきた。遺骸は微動だにしない。
「アサガオさん。ここで寝たい?」
 屍は何も言わない。
 彼女は柔らかく目元を眇め、ただ寝そべっている骸に微笑を向ける。畳をひとつひとつ外していき、彼女は中へ降りた。畳がなくなると、広く見える。
 この住み人のいなくなった民家からは夜通し、がつ、がつ、がっ、がっ、ごつ、ざりっと音がした。見に来る者もあったかも知れない。しかし戸も窓も二重に閉められていた。
 時間も忘れて鋤鍬を振りかぶり、そのにはやがて血が滲み始めていた。だがやはり彼女は気が狂ってしまっていた。彼女は自分で四肢を縫い付け、装束を着せた人型の肉塊を目にするたびに頭をおかしくさせた。牛裂きの刑に傍にいた聴衆観衆どもは気が狂わないのだろうか。次は自分の番ではないかと、狂乱しないのであろうか。否、何の関わりもない者を一人処し、これで収束したと安堵したに違いない。己が家族でないことに人心地ついたに違いない。そしてこの孤独な人に憎しみを沸かせたに違いない。それらを想像したはいいが、受け止める度量が小心な彼女にはなかったのだ。
 小石を跳ばし、固い地面を掘る。
 やがて、窓をこつりと鳴らす音があった。桔梗はすぐにそれと気付かなかったが、二度目で自身の起こした音ではないことに気付き、鋤を置いた。窓を開けると、赤い瞳が彼女を捉える。美しい女が立っていたが、それは男だと知っていた。鳶尾いちはつである。
「お手伝いさせてくださいまし」
 彼女は頷いた。彼は窓から器用に入り込む。女物の衣服を脱ぐと、忍装束が現れた。
「少し休んでいてください。私が代わります」
 汗ばんでいる桔梗の顔を見て、鳶尾は近くに転がる鋤を手に取る。そしてを微かに染める血を眺めた。
「ありがとう……でも、どうして……」
 桔梗は死骸の脇に座った。
「優しくしてくださった方のことは覚えております。桔梗様も、アサガオさんも……」
「わたし……?わたしはあなたを見捨てたわ……」
「見捨てた……?桔梗様は私を庇ってくださった」
 上背のある男の力は、桔梗が時間をかけて掘ったのとほぼ同じ深さのものを僅かな時間で掘ってしまう。
「いいえ、そのあと。追おうとしたアサガオさんを止めたの」
「逃げたのは私のほうでございます」
 彼はすぐに人の入れるほどの穴を掘ってしまった。桔梗もそれを覗き見た。墓は掘り終わったのだ。たちまち彼女の目には水粒が溢れた。墓を作りたかった。その目的は達成されるはずなのだ。
 桔梗は死骸を覆う布団に縋りついた。
「桔梗様」
「分かっているのよ。分かっているの。でも、寂しくって……」
 次々と頬が濡れていく。数日間そこにあった布団が吸い取っていく。遺骸は少し色が悪くなっただけのように思えた。匂いも特に気にならない。しかし今だけである。
「即身真人のようにする手も……」 
 鳶尾も愕然としている。つまり、骨と皮だけの状態にして乾燥させるというのである。叔父の実家の本で読んだことがある。即身真人は生きた者が高尚な志のもと、自ら洞穴で段階を踏みながら生きたまま干涸びていくのだが、死後に同じような処置をする場合、あらゆる臓器を抜き取り、塩漬けにするのだ。
 桔梗は首を振った。
「弔います。ごめんなさい、腑抜けたことを言って」
 正気の煌めきが落涙の奥に潜んでいる。彼女は目元を拭い、鼻を鳴らした。
 鳶尾が出てきて、残された畳の上に寝かされている二度と起き上がることのない青年を布団から穴へと移した。
「さようなら、アサガオさん……さようなら。楽しかった。とても幸せでした。出会ってくれてありがとう。おやすみね」
 彼女は声を震わせた。亡骸に土がかけられていく。一度は顔を伏せ、泣き崩れた。しかし最期である。もう二度と、その面を見ることはないのだ。死顔でさえ、アサガオと接することはなくなる。彼女は目をかっぴらいて見つめた。見えなくなるまで凝らしていた。
 こうして桔梗とアサガオは分かたれた。






「結局また、男の人に頼らなきゃならなかったのね」
 桔梗は鳶尾と並んで干柿を食った。すでに畳も直されている。
「頼られた覚えは……」
「わたし1人だったら……多分、埋められなかったもの」
 夜更けだった。フクロウか何かが鳴いている。地中奥深くに埋められたのは自自分たちのほうではないかと思うほど、奇妙なことを成し遂げた心地がした。だがそれも終わりを告げる。馬の蹄の音が聞こえるのだ。
「迎えだわ」
 桔梗は鳶尾を振り返る。女装をしていたということは、ただそういう趣味があるわけではなく、やむを得ない事情があるのだろう。そしてその事情というのがすぐ近くまでやって来ている。
「鳶尾さん。ありがとう。お元気で」
 姿を見せれば、多少の時間稼ぎになろう。彼女は戸を開けて、そそくさと出ていった。すると見知らぬ人物が馬から降りているところにでくわす。
 背の低い、黒髪の、人相の悪さが少々愛嬌ともとれる少年だ。
「ふぅん」
 彼は桔梗を見ると自身の顎を撫でる。そしてににかりと目を眇めて笑い、出てきた彼女に歩み寄った途端、横面を張った。いいや、拳で殴ったのだ。不意打ちを食らった、何の武芸も磨かず安穏の暮らしに寝腐っていた女が易々と躱せるわけもない。彼女は尻から倒れていった。何が起きたのかわかっていない様子で、頬に手を添えながらその双眸は並びの悪い歯を晒して笑っている少年を見上げた。
「ンがぁ姫様」
 彼は笑いながら喋るため語頭が潰れる。尻餅をついて立とうとしない桔梗へ詰め寄り、土埃で汚れた彼女の衿元を掴み、至近距離から確実な一撃をその顔面に喰らわせた。
 桔梗の口腔には鉄錆びの匂いが広がり、さらには独特の甘みも滲みはじめる。鼻腔はその匂いを嗅ぎ取る前に熱が充溢し、外へと漏れ出る。彼女は泣き腫らして赤かった目元の他に、鼻も口も真っ赤に染めた。
 少年は女に血を拭う間も与えなかった。髪を鷲掴み、引き摺った。しかし上手く歩けるはずもない。それが反抗とでも捉えられたらしい。
 桔梗は訳が分からずにいたが、しかし弔ったばかりの亡骸も、このような目に遭ったのではないかと考えると彼女は受け容れねばならない義務を覚えるのだった。
「ンがっ姫様。帰らないとなりませんよ」
 少年は女を殴りながら笑っている。思いどおりに動かないのを、やはり反抗と捉えているらしい。頭部を打たれたがため視界の定まらず足取り蹌踉そうろうとして車に上手く乗れない桔梗をまた打ち据える。
「姫様!お帰りの時間です」
 怒っているのだろうか。否、その顔と口元は笑っている。無邪気で、上機嫌な様子だった。
 やっとのことで車に乗り込むと、少年は二度、三度、追撃で彼女を殴った。
「ンがぁ逃げないでくださいねぇ!」
 桔梗は顔を腫らし、鼻も口も血で汚し、座面に伸びていた。平衡感覚を失い、逃げようとしたところで思う方向には進めないだろう。
 馬車がごろごろ曳かれていく。小石を轢いて揺れるたび、座面に全身を叩きつけられているみたいに、頭に響くのだった。
 熱と疼痛にが薄らいだかと思うと、彼女は眠っていた。目が覚めるのと村へ到着したのはほぼ同時だった。
「ンがぁ姫様。着きやした」
 何がそんなにおかしく楽しいのか分からないが、殴ってばかりいる少年が車内を覗きに来た。俊敏に動かないのは反抗と見做されて、彼は上体を起こすので精々といった相手の状態には一切構わず、弱りきった女をまた殴った。髪を掴んで、座面へ後頭部を叩きつける。
 そこへもう一人、車内を覗く者がある。葵や椿の山茶の世話をしている、面皰づらの使用人だった。泣き腫らした目に、鼻血まみれの口元に肝を潰している。
「何故このような扱い方を……」
「んがぁ女は家畜。打ち据えなきゃ理解しないって、教わらなかったん?」
 石蕗と不気味な少年のやり取りを、桔梗は茫然としながら聞いていた。
「教わりませんよ、そんなこと。あなたは椿の山茶様を呼んできてください」
 瑞々しく荒れた肌が強張っている。石蕗は出ていく少年を見送ってから桔梗の横たわる座面の脇で片膝をついた。
「あの者が大変なご無礼を」
 彼は頭を下げたが、面を上げたとき、目の前にある痛々しい傷を直視できなかったようで、二つの黒環が転がる。大怪我人を看ているはずだが、顔では対峙したとき嫌でも目に入ってきてしまう。
「いいえ……」
 まともに立てない女の片腕を、関わる人間、関わる人間どいつもこいつも厄介事を背負っているか厄介な気質の持主なために苦労性を買って出るしかない使用人は首の後ろに回して支え、歩かせる。
「まずは入浴を済ませていただけますか」
 馬車から降り、玄関に入ると沓脱ぎに座らされる。湯浴みを済ませて出掛けたはずだが、確かに今、彼女は汚れていた。土埃だけでなく、そこに血も加わっている。
「家へ帰ります」
 無愛想なりに困惑と同情のちらついていた石蕗の目が鋭く彼女を捉えた。
「逃げ出したわけではないのです」
「逃げ出した?逃げ出したというような話は聞いておりません。ただ……」
 石蕗は言葉を詰まらせた。広い玄関居室に第三者の跫音あしおとが混ざる。
「あたしが呼び寄せた」
 亜麻色の髪を長く伸ばした、嫋やか青年が左翼殿に通じる暖簾を手で押し上げた。
 声は女にしては低く、男の高い音吐のように思われる。着物も女物の華やかさで作られているが、やはり女性の傾向と比べると背丈があった。彼が茉莉まつりである。しかし桔梗がまず目を奪われたのは茉莉ではない。彼が軽々と抱き上げている、異国人形みたいな風采の少女、否、少年である。毛先の巻かれた長髪のかつらを被せられ、身体の線を隠されては女子おなごに見えなくもなかった。見覚えのある装いは、椿の山茶にも戯れに、そのような着せ替え人形扱いをされていた時に目にしたものだろう。爛れた痕を隠されている。
「ああ、ダーシャ……」
 桔梗は茉莉の腕にある童僕を取り返さんと前にのめる。健気な少年は恐ろしい男に抱き上げられて眠っている。
「君の家の下女なんだって?いいな。君がおれに娶られてくれなかったのだから、君の下女を第四側室に迎え入れようかな」
「彼は男子おのこです……お返しください……」
 桔梗は茉莉へ―茉莉の腕の中にいるしもべへ這いつくばる。下肢がすぐに反応しないのだ。
「えぇ?大麗、おとこなの?」
 茉莉の腕が大きく竦められ、可憐な少女に偽られた桔梗の下僕は床へ吸い寄せられる。咄嗟に彼の頭と床の狭間に手を差し込んだ。大振りな襞飾りに覆われた手が投げ出され、肩や腰を打ったというのにダリアは目覚めない。
「男なんだ。男は嫌だよ」
 桔梗は掌を少年の口元に当てた。息はある。だが目覚めない。
「ダーシャに何を……」
「知らない。山茶から渡された。女子おなごだと思うでしょ、こんなの」
 ダリアを揺り起こそうと試みる女を、茉莉は冷ややかに見下ろした。舌先が上唇をゆっくりと舐めていく様は蛇を思わせる。
「石蕗くん。じゃあ彼?彼女?彼を頼むよ。桔梗はおれと、遊ぼう」
 石蕗は跪き、深く頭を下げた。そして桔梗からダリアを奪い去っていく。あの下僕はかろうじて女主人よりも背はあったが、栄養の足りていない痩せぎすである。空っぽの竹みたいな躯体は同年代の健康的な男子に軽く持ち上げられてしまうのだ。
「茉莉様……」
 2人きりになってしまった。石蕗もダリアも居なくなった。この途端、彼女は冷水でもぶっかけられたみたいに震えだした。
 茉莉は投げ出されたままの彼女の手に足を乗せた。
「どうしたの、桔梗。震えているね。寒いのかな。おれと暑くなること、する?」
 手の甲にある貴人の足は徐々に力が込められていく。
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