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花狩り移紅し 一人称視点/差別的表現/猟奇的な描写/和風モノ

【花狩り移紅し】催花雨の巻 吉野ルート/男性一人称視点/近親相姦/暴力・流血表現あり

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催花雨の巻

 今年も誰か、村から女が消えるんだろう。俺はそれを恐れた。姉ちゃんだったらどうしよう?姉ちゃんだったら……姉ちゃんだったら、俺はこれからどう生きていけばいい?
 俺は姉が好きだった。姉であり、母であり、けれどどこか心のうちで一線引かれたような関係は、姉を一人の他人の女と思わせるに十分で。

 姉が好き。どういう意味でも好きだった。恋い慕い、愛してしまった。俺は姉の傍に居られるだけでよかった。同胞はらからだ。結ばれたいだなんて思わない。雨の日、風の日、何かを憂う姉を見れば、想い人がいることなんてすぐに分かる。屋敷の紅梅こうばいサマとかいうのが、とてもいい男だというから、そいつかも知れない。
 俺も大きくなれば、もののことわりというものを知っていく。桜の季節に村から消える女の条件というものを、俺は教わったのか自ら、男の勘というもので当ててしまったのか、それは分からない。腕のある者が手の挙げ方を、足のある者が走り方を知るのと同じように、いつのまにか知れていた。村の定めた女の清らかさと、男のきたなさ。女の穢れは、男が移すものなのだそう。……とすれば、清らかな姉も、いずれは。
 村長の干渉からいって、姉はまだ清らかな身であって、そして桜の季節にいなくなる側の女であることも俺は察さざるを得なかった。俺は同胞。姉とは結ばれない。結ばれようだなんざ、考えるのはばち当たりだ。けれど、姉と離れたくない。姉は紅梅サマの手に掛かって子を成しながら、村の男と契りさえすれば、俺も俺で村の女を娶り、同胞としてこの暮らしを続けてゆける……はずだ。
 俺は紅梅サマの屋敷に忍び込んだ。紅梅サマに姉を会わせる。姉は綺麗だ。紅梅サマも惚れるに決まっている。子を孕ませるに決まっている。俺は紅梅サマに会うつもりだったが、そこで会ったのは紅梅サマの二子同胞だとかいう白梅千花しろうめちかで、容姿はそっくりそのままだというから紅梅サマも相当の色男なのだろう。俺は様子を窺い、どう取り入るかを考え、たびたび屋敷に侵入しては白梅千花に捕まっていた。村の男たちは知ることを嫌うが白梅千花はそうではなかった。容姿も然ることながら、物の道理の分かる、面倒見のいい男だった。姉と契るのは別に、紅梅サマでなくても……
 けれど、姉の想い人が、零花あまりか部落のの者かもしれないなどと、俺が考えられるわけもなかった。女の清らかさは男によって奪われる。痛感するには十分な事実を目の当たりにしたのは俺がどこかへ出掛ける姉を見たときだった。村長は口酸っぱく、俺に姉を見ているように言った。そしてそれは間違いではなかった。姉は穢されてしまったのか?俺は恐ろしくなった。往く道はもうひとつ。姉をひとり、狗畜生のつみに突き堕とすか、俺も姉と共に狗畜生になるのか。
 寝ている姉の布団を引き剥がし、その身体にし掛かることに躊躇いはない。零花の穢人ヱじんと獣になるくらいなら俺と堕ちて欲しい。姉無しでは生きていけない身だった。時間の問題だ。もう姉の身体は穢れているのだろうか?その腹に穢れを宿しているのだろうか?
 胤はもうどうでもいい。生まれた後に俺が斬り捨てる。いずれにしろ、膨らんでいく人の目を欺かなければならない。 
 俺は激しく抵抗する姉を押さえつけ、跨り、そして手籠にした。姉は清らかだった。それが分かってもやめられない。俺の身体は姉と番うことを求めていた。激しく求めて、嫌がる姉の声をさらに望んでいた。女を穢すのは男。本当にそうかもしれない。俺は姉の身体を汚した。手垢をつけ、唾を塗りたくり、樹液みたいな子種を注いだ。姉の中の熱さ。姉の中の湿度。優しくおおらかな姉の圧迫感。俺は止まれなかった。蜾蠃すがるの腰を打ち据えて、俺は経験も無しに男の肉の在り方を知っていた。何度も何度も、姉の啜り泣く声が消えるまで、放すことができなかった。幸せになれるとは到底思えないのに幸せだった。姉の冷えて湿った身体を抱き締めて俺はまだ止まらなかった。姉を犯す悦び。
 俺はその後も何食わぬ顔で白梅千花に会いにいき、どうにかして紅梅サマに取り入ろうとした。姉の腹に宿ったものがあるのなら、どうにか紅梅サマの子にできないか……
 俺は姉を手籠にした夜から、その後も毎晩姉を抱いた。目的なんて忘れて、ただ俺の慕情のまま。姉は少しずつ、姉にとっては苦獄のようなこの時間に適応していったみたいだった。そのうち声を高くして、やがて言葉や手仕草とは裏腹に俺を内部へ強く求めるようになる。
 俺はそれが姉の気持ちだとは思わない。けれど言いようのない、特に理由の見当たらない悦びに泣き濡れてしまった。姉は俺に触れて、この人にとって俺はひとりの男でも、乱暴者でもなく、あくまで弟でしかないと奥深くまで響いて閃いていく理解は、俺を正気に戻した。姉と弟は契ってはいけないのだと……

 日が昇ると、村長にすべて打ち明けにいった。悔いはない。狗畜生の契りだ。零花送りも姉となら怖くない。姉は俺が守っていく。清らかでなくなった姉が、桜の季節、桜に攫われることはない。
 その場にあったなたが俺の首に突き付けられたのをよく覚えている。俺は大分痛め付けられたけれども、命があるだけ無事だったというほかなかった。村長に連れられて、紅梅サマの屋敷に今度こそは玄関から入ることができた。実際に目にした紅梅千花あかうめちかとかいう人は本当に白梅千花とまったく同じ顔をしていたけれども、細面の白梅千花よりもさらに顔の肉が削げてて疲れているような感じがあった。白梅千花も細いけど、もっと病気みたいな痩せ方だった。紅梅サマは俺の怪我を見て唖然としていたけれど、村長は紅梅サマが俺に触ることを厭った。
 この村で一番大きな屋敷には使用人がいる。女のほうは肥っているのとは別に腹が膨れていたし、男のほうは若くて俺より年上の感じはしたけれど、俺と同じかそれより小柄なように思えた。
 村長は俺と姉について、まず自分がいかに俺たちに期待していたか、そして俺が同胞相手に何をしたか、最後に俺の処遇をどうするべきか、紅梅サマに相談していた。
 紅梅サマは白梅千花と同じ顔をしていたけれども、その目は白梅千花よりも優しかった。額に少しだけ火傷の痕みたいな赤痣があって、それが少し痛々しかった。
「このとおり、素行に問題はあれど縹緻きりょうはいい。あーしはこの坊主を、紅梅様のお世継ぎにするつもりだったんですがね……」 
「悪くない。ぼくもそろそろ身体の限界を、感じていて……」
白梅はくばい様では血脈けちみゃくの妙というものがござんしょう」
「分かっているよ。彼をぼくの後継ぎにして、その姉の世話はぼくがするというのだね。だからつまり、ぼくが彼の姉を娶れば……」
 それが一番丸く収まる話だ。姉は零花の穢人と契らずに済み、村から消されることもない。なのに、俺は焦った。望みのとおりになった。なのに、俺の気持ちは晴れない。
「君がこれからこの村を担う。身ひとつですぐに出て行けとは言うまいな。弟にも屋敷を空けるよう言わなくてはならないし」
 紅梅サマはそれから俺は意味ありげに見た。村長だけが帰されて俺は紅梅千花に屋敷を案内された。それから小瓶を預かった。
「"気付きつけ"に使うといい。言えば仕入れてもらえるよ。君には早いかも知れないけれど。それからくよくよしないことだ。失敗もあるが仕方がない。そういう日もある。人の身体だもの」
 紅梅千花は何の未練もないふうに見えた。よく見ると、手の甲や腕にも、額にあったような赤痣が散っていた。鱗みたいで、白梅千花の部屋から見える池の鯉みたいだ。
 俺はただ呆然と紅梅千花の話を聞いていた。大半は聞いていなかったかも知れないけれど。姉がこの男のものになる……
「姉とは、」
「二度と会えなかろう。けれど桜供物さくもつにならず生きていける。君の容姿が端麗でなければ姉弟共々斬り捨てられていただろうね。それが君にとって良いことか悪いことかは分からないけれど。自害は止すことだ。この身に不自由はないけれど、自由もない」
 紅梅千花は急に天井の辺りを見回した。
「孕ませるたびに食い、孕ませるために身を清め、孕ませるために着飾る。でなければおなごは孕む支度をしない。身の内のものは要らないよ。身体があればいい。孕ませるには多少の工夫が要るけれど、それはなぞり芸では仕方がないから」
 俺は大それたことをしたと思った。でもいずれはこうせざるを得なかったのだと思う。姉を差し出すくらいなら。両親祖父母に申し訳ないと思わないわけではないけれど……
 この戸惑いを察してか、紅梅千花は木の皮みたいな骨の感触だけの手を俺の肩に置く。そこに白梅千花が来て、話が早いな、と他人事のように思っていた。あいつは俺を見てから痩せ細り具合に多少の違いがあるだけの二子同胞を見遣った。何を言おうか、白梅千花も戸惑っている。それはそうだ。今までの生活が終わるんだから。食って寝るだけの生活が。誰もが憧れ羨む止ん事無い暮らしが。
「乗っ取る真似してごめんな」
 白梅千花に恨まれるかもしれない。なんだか寂しいと思った。姉かこいつか。村の人とは合わなかったから、俺の気持ちの行き場がどちらかになる。姉には言えないこともこいつにはあった。嫌われるな、と思った。でも白梅千花は急に俺を抱き締めて、顔を見せたと思ったら眉根を歪ませて、目には涙を溜めていた。やってはいけないことをやった、感じが強くした。兄というものを知らないし、父親にしては若いけれど、俺はこの人に甘えていたんだな。姉を託そうだなんて一度は思った相手なのだし。
「君はいいんだね?これで後悔しないね?」
 俺に後は継がないと言って欲しいのかも知れない。そうすれば豊かな生活を続けられるものな……なんて捻くれていないと、重くのしかかってきているものから急に逃げたくなって、でも逃げ方を知らずに直面もできなかった。
「お姉さんのことはボクたちに任せなさい。姉が恋しいこともあるだろうけれど……」
 その後のこの二子は俺に優しかった。もう後戻りは本当にできない。後悔はしようがない。いずれにしろ俺に、姉と居られる選択はなかった。あるにはあったけれど、白梅千花は姉に惚れてはくれなかったし、紅梅千花は姉を孕ませてはくれなかった。俺がやるしかなかった。後悔できる点がない。俺が弟として生まれ堕ちたのがそもそもの間違いとしか。
「姉ちゃんはどうなるの」
 姉はどこに行くのだろう。ほかに寄る辺なんかないだろうに。
「ボクが連れていく」
 姉を娶るのは紅梅千花のはずなのに、答えたのは白梅千花だった。
「紅梅千花が娶るんじゃないのか」
「紅梅千花には他に好きな人がいるんだ。彼には自由になってもらいたい。だから君のお姉さんはボクがもらう。いいね」
 背の高い二子は、俺と話すときに目線を合わせて屈む。俺は初めて子供になったみたいになる。気を張って生きてきたのだと思う。両親祖父母の姿はもう思い出せない。姉は村長に連れられて他の女たちと筆学所に通ったし、俺は大人たちに囲まれて、すぐに働かなければならなかったから。
「なんだよそれ」
 俺は子供になったし、それを認めなければならなかった。言うな、言うなと思っても止まらない。思うようにいかないことなんてこの世にはごまんとあって、だからこの世は皆苦なのに。だから人々は口遊み、酒を飲んで、花なんか見上げて喜ぶしかないのに。
「それなら早く姉ちゃんを貰ってくれればよかったんだ。アンタが早く、姉ちゃんを貰ってくれれば、こんなことにはならなかった。好きでもないのに、貰ってくれるなら……」
 この人たちは他人だ。俺の兄貴ではないし父親でもない。ただ処遇に困った姉を引き取ると言ってくれる優しい人たちだ。なのに俺は通り過ぎた他の選択にまだ縋り付いている。
 俺は実際、白梅千花の袖にしがみついて泣いていた。怖かった。不安だった。村長の助けもあったけれど、自分と姉を食わせていくのが精一杯で、姉もそれを負い目に感じ、俺を拒めないことは知っていた。自分の身に潜む男という穢らしいさがが恐ろしかった。けれど穢された女の弱さを守っていく自信もなかったし、女に生まれることを望んでみたところで、それを食い潰す男の穢れに怯えたことだろう。
 こんな話を一体村の誰に訴えられるのだろう。村長の贔屓がある、男が弱音を吐くな、父親てておやがいないからだ、と叱咤されるのは目に見えている。暗い話で目が曇る。向き合わない。そうするしかない。
「君のお姉さんについては、憎からず思っているよ。回りくどい言い方はよそう。本当のところでは惚れている。けれどボクはそれを君の前でもお姉さんの前でも……いいや、誰の前でも口にできる立場ではなかった。安心しておくれ。惚れたうえは、仕合わせにする」
 白梅千花は俺を子供にしてくれた。俺が泣き咽ぶのを赦してくれた。
「なんだよ、それ!なんだよそれ!アンタが、早く……、それを言ってくれたら俺は!」
「すまなかった。赦してくれとは言えないね。すまなかった。謝るほかない。君の姉を仕合わせにする。それを君への償いとさせてほしい」


 俺はその日そのまま屋敷に入った。身重みおもの女中が動き回っているのが怖かった。ここに来た時に見た、背の低い若い男は姿を現さなかったし、女中に聞いてもこれという答えはなかった。
 姉は村長が迎えにいって、今は白梅千花と一緒にいるらしいが会うことは禁じられた。紅梅千花のほうは座敷牢に好いた女を投じていた。この人は紅梅千花よりも幾分年上に見えたけれども気がれていて、それでも紅梅千花はその人に懸想しているらしい。姉と同じ宿命を辿る人だったのかもしれない。気が狂れて髪は艶がなくなってはいるけれど美人であったし、着崩れたところもない。ただ、外に出せば零花送りにされるのだろう。いいや、零花送りになる前に、労働力にならなければ斬り捨てられる。足があれば土蹈鞴たたらを踏める。手があれば傘を貼れる。けれども動けなければ……この美人はそうならないようひっそりとここに閉じ込められていたのだろう。紅梅千花はその女を座敷牢から出した途端に疲れた顔がやっと和らいだ感じがした。
 俺は多分、そう長くは保たないだろうこの夫婦みたいなのを玄関で見送った。この屋敷から外へは出てはいけないらしかった。白梅千花は出てこなかったし、紅梅千花のほうも二子同胞を待つふうでもなかった。彼等は今生こんじょうの別れというわけではないし、或いはどこかで落ち合うのかもしれない。俺はそれよりも、姉のことで頭がいっぱいだった。身重の女中は俺を憐れんでくれたけれど、俺はこの屋敷の主になってしまった以上、使用人に弱いところを見せるわけにはいかなかった。何にせよ相手も身重だ。

 白梅千花の話で、俺は姉が病で臥せっていることを聞いた。同じ屋根の下に居ながら、会うことを禁じられている。けれど会わなければいいのだ。俺は襖を一枚隔てたところに突っ立って、姉のいる白梅千花の部屋の様子を窺っていた。中から来ると、この部屋の隅ぶりに驚いた。俺は外から侵入してばかりいたが、玄関からは遠く、日当たりは悪く、もしかすると白梅千花も俺の思うようないい暮らしはしていなかったのかもしれない。思えば部屋も、俺と姉の住んでいた家の半分もなかった。襖も煤けて汚れている。
 姉は俺が襖一枚隔てたところにいることは知らないし、白梅千花も別に知らせなかった。俺の真上には多分、あの小柄な若い男の使用人がいて掟を破り次第いつでも首を刎ねられるのだろう。そのときは誰がこの屋敷の主人になるのだろう。村から拾えればいいのだろうけれど、俺のみたところ、紅梅千花に匹敵する美男子がこの花ヶ住かがすみ村にいるとは思えない。俺がここにいるのも不思議なくらいだった。
 俺は姉の病を、本当は喜んでいるのかもしれなかった。まだ姉と居られるのだと。粗い土壁に凭れ掛かりながらそんなことを考える。
 姉と行きたい。姉と白梅千花と行きたい。けれどそれは俺の仕出かしたことからして許されないことで、俺の真上には今、やはり多分、刃が構えられているのだと思う。姉は白梅千花と仕合わせになれば良い。好きな女と出て行った紅梅千花も、同様に仕合わせになれば良い。俺はここで俺の生き方、この村で男に生まれた意義を探るのが平坦な仕合わせというものなのだろう。皆を仕合わせになんてのはできないのだ。桜の季節、必ず誰かは、必ずどこかの家は、離別の不幸に見舞われて、その後はどうなるのだろう。廻り来る季節は幸か不幸か。
 
 夜のことだった。俺は姉の様子が気になって白梅千花の部屋に行こうとしたのだと思う。玄関に灯りが点いていて、そこにはあの小柄な男の使用人がいた。草鞋わらじを脱いでいるところで丸めた背中が見えた。惜しいことをしたのかもしれない。姉に会える機を逃していたのかも分からない。
 使用人はすぐに俺を振り返って頭を下げた。愛想のない顔だが、少し目元が腫れて見えた。
「泣いてるのか」
「いいえ」
「初めて話すよな。知ってるとは思うけど、俺は吉野。これから……」
「僭越ながら申し上げますが、一国一城の主人がそう易々と下男に対し自ら名乗るべきではありません」
 ここの主人は俺だ。けれどもそのやり方は、どうしても女中やこの使用人のほうが詳しい。俺は黙った。
青饅あおぬたと申します。有事の際はご用命いただければ幸いです」
 紅梅千花に匹敵するような容姿端麗な男はこの村にもういない。そう思いはしたけれど、一人、いる。歳の頃は声からいっても少し上な感じがしたが、この使用人が使用人でいるのは、生まれのためか、その機能を失っているか、女子と見紛う背丈のためか……
「先を急いでおりますので、失礼いたします」
 足音もなく青饅とかいう使用人は行ってしまった。
 俺は姉の居る部屋に行くはずだった爪先の向きを変えた。ただ一目、見ることは許されないのなら、一息だけでも、衣擦れのひとつでもいいから聞きたかった。姉が恋しい。一人の女としても、けれど今は、唯一の家族として。布団の中で繭になり、俺は眠ろうとした。家族としての姉との思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消え、俺は泣く。楽しかったことばかり浮かんでは、過ぎた日々の温かさが、これから訪れる俺を苦しくさせた。このまま蛾となって飛び立てはしないだろうか。どうにか、こうにか……

 外の騒ぎは家を越え、布団を越え、干涸びた感じのする夢を越え、俺は目が覚めた。青白い部屋は夜を通り過ぎて、けれどまだ朝にもなっていない頃合いか。それでも外は昼間の威勢。否、昼間でもこうはならない。
「青饅」
 有事というほどではないけれど、試しに俺は呼んでみた。天井の板が一枚開き、そこからあの小柄な使用人が降りてくる。着地の音もない。それが異様な感じを与えた。布団の横でひざまずくのが、俺にはまだ慣れそうにない。
「外、何かあったのか……?」
 青饅の目は俺を鋭く捉えて、俺はびっくりして布団から飛び出した。足が縺れて畳の上を滑る。青饅は俺に刀を向けている。言葉をかける間もない。ただ明確な殺意がそこにあるだけだった。相手は慣れている。俺の脹脛を刺し、足を駄目にさせることは容易だった。俺は痛みに喘ぎ、呻き、悶えた。けれど青饅は俺にとどめを刺さない。俺が膝を抱えて動けないことを見て取ると、そのまま部屋を出て行ってしまった。痛みで汗が吹き出し、真夏の暑さと真冬の寒さが同時にやってくるのだから俺は気が狂いそうになった。けれど俺は、まだこの屋敷にいる姉と白梅千花のことを思い出すと急に痛みを失って、これは本当に気が狂ったと思ってしまった。俺はまた飛び起きて、床を汚すことも厭わず、或いは自分の血に滑って転び、姉の居る部屋に急いだ。そこでまた知る羽目になる。あの二子は二子同胞でありながら、対極的な部屋にいたのだと。急に悲しくなった。紅梅千花のことも、白梅千花のことも。俺のことも、姉のことも。この村のことも、今まで消えていった女のことも、村長のことも、なんでこんなすべてがすべて悲しいのだろう。
 身重の女も目を覚ましたみたいで、俺は途中で部屋から出てきたところに鉢合わせた。腹の子に響いたら事だ。男にしろ女にしろ、この村で生まれては仕合わせにはならない。
「部屋に居なさい。出てきてはいけない」
 俺は紅梅千花のようには振る舞えない。紅梅千花みたいにすべてを諦めて受け入れられる度量を持ち合わせていなかった。 
 身重の女中は俺の足を見て驚いていたけれど、俺が強めに言うと部屋へ戻ってしまった。
 俺は引き裂かれた二子同胞のあとをなぞるみたいに、いやに遠い部屋へ足を引き摺った。姉と白梅千花が危ないのではないか。青饅の目的が分からない。外の騒動は何なのか。
 俺は急いだ。そして白梅千花の部屋の襖を開けた。白梅千花が振り返って、俺は「逃げろ」と言いいかけた。けれど遅かった。白梅千花の陰には青饅が相変わらずの無表情で、白梅千花の背中からは尖ったものが突き出て真っ赤に染まっていた。それが引き抜かれて、白梅千花は畳に叩きつけられた。俺は息を思い出して、熱さで喉が灼けるようだった。言葉も出ない。けれど青饅の次の狙いが姉だと分かると、俺は次に気付いたときには姉の傍にいた。痩せ細って、髪は艶を失い、その姿は紅梅千花の連れていった女に似ていた。久々に触れた姉の硬さに寒気がして、今度は目の前からにじり寄る青饅に震える。白梅千花を貫いた刃物からは血が滴り落ちて、今にも俺たちを斬ろうとしている。
「どうして……」
 俺は独りごちた。姉だけは斬らないでほしい。俺だけは助けてほしい。俺は恐ろしさのあまり声が出なかった。
「吉野様。その折檻のお怪我が治られた際のお屋号は駒込こまごめ様となるはずでした。何故?わたくしが狂気に走ったとお思いですか。違います。私は正気です。私の生まれは零花部落。貴方がた花ヶ住村のご不浄の行き着くところでございます。貴方がたに足蹴にされ、踏み躙られる蟻んこ同然の存在でございます」
 淡々とした話しぶりはどう見ても正気の沙汰とは思えなかった。俺は姉を摩り、自分の寒さを誤魔化した。
「零花部落の生まれでは、どのような忠烈な旨であろうとも、上様にご注進し申し上げますとそれだけで不敬の罪に問われ、腹切りをたまわる穢れた身でございます」
 冷ややかな目が俺たちを見据えた。刀が振り上げられたそのときに、白梅千花が青饅を後ろから押さえにかかった。
「お逃げなさい。早く。早く、お逃げなさい」
 俺はぎくりとして、それから姉の腕を取った。外は塀に覆われ、忍び込んだ穴を2人で通り抜けることはできない。白梅千花が身を挺して青饅を投げ捨てたのを機に、俺は姉を引っ張った。外まで逃げればどうにかなる。俺は姉の手を引いた。後ろから聞こえた鈍い物音がどっちのものなのか、確かめる間もなかった。喉がつかえてせぐり上げる。でも泣いている暇はない。姉を安全なところへ送り届ける。玄関が見えたところで、しかし玄関横の円窓から転がり込んできたのは血を浴びた青饅だった。
「紅梅様の跡を継いだ貴方は知るべきです。わたくしは狂気ではありません。貴方でなくとも構わない。この因習を知る、八重様、貴方でも。貴方こそ知るべきだ」
 真っ赤な刀が俺を向く。振り上げられて、視界が翳る。俺は後ろから手を引かれて、目の前が暗くなった。懐かしい匂いと柔らかいのに少し硬い感触。
「貴方こそ知るべきだ!貴方こそ知るべきだ!貴方こそ生きて知るべきなんだ!」
 俺は震えた。姉の腕の中で震えることしかできなかった。耳を閉じて、目を閉じて、姉に守られることしかできなかった。姉が次々と降り注ぐ刀を浴びていることに気付きながら。
春若はるわかは貴方を救いたかった!なのに貴方は!なのに貴方は!」
 姉は頻りに誰かに謝っていた。俺は熱く濡れていく中で、蒸されていくようだった。
「姉ちゃん……」
 姉は俺を突き離した。それから身を翻して、青饅に勇みかかるのを、やっぱり俺は見ているばかりで止められなかった。髪からきっさきが突き出たのを見て、俺は吐いた。もう立てないし歩けない。吐き気は治まらなくて、視界は滲んで、早く殺して欲しかった。青饅は姉をゴミみたいに斬り捨てて、なのに俺のほうに来ようとはしない。
「貴方は殺しません。死ぬことを赦しません。この村の醜く腐敗したところは、貴方が背負うべきなのです。蔽虧へいきすることはもうできないのです。それが私にとっての友への弔いです。貴方にとっての村への弔いです。桜を愛でるのはお好きですか。まるで生臭さを知らぬ桜の散り際のようでしたね。しぶとい花狩り桜のようではなくて……」
 青饅は顔色ひとつ変えず言い終えると、俺を刺し、白梅千花を貫き、姉を斬り苛んだ刀でその首を刎ねてしまった。



………俺はぼんやりそこに佇んでいることしかできなかった。そのうちに玄関から人が入ってきた。姉の遺骸を連れていかれそうになって、俺はやっと動くことができた。それでも開いていた目蓋を閉じてやることがやっと。俺は何も救えなかったし守ることもできなかった。

 紅梅千花も一緒に行った女も、出ていったその夜に首を落とされて村に曝されていたのだとは後から聞いた話だった。紅梅千花は悪くないけれど、恨みや羨望の的になったのは理解に難くない。やっと授かった子が男なら間引かれ、見目麗しい女ならゆくゆくは桜供物になる。村の男は自分の胤ではないかもしれない娘を育てる。そして季節になれば別れるのだから。
 紅梅千花がお払い箱になった後、村長に何人かの嘆願者がいたのだから青饅はそれに従った。これは生き残った、否、俺同様に生き残らされたり村長の言だった。他の村人は……
……花狩川の花見事といえば上様を招いての大きな祭だ。そのための桜供物。けれど人身御供のある祭だと明るみに出た時、またそんな祭に上様が喜びをお示しになって参加していたのだと知られたら。おそらく側近の判断だとは後々に聞かされたことだった。けれど証人として屋敷の者たちを始末する予定はなかったと……
 村長は処断。屋敷にいた身重の女中については紅梅千花の胤ではないことを誓わせ、俺が赦しを求めた結果、俺は都で軟禁生活を送ることになった。
 花ヶ住村は地図上からいってももう存在しない。けれど遺したくなるのが人の業だ。俺は密かに書物にまとめていた。あの村でのことは口外しない代わりに零花部落の解放を条件にして、そのあとは上様側近の令嬢を娶って娘を3人もうけた。
 娘の遊ぶ屋敷の窓から桜の花が見え、今年もあの季節が来たのだと身構えてしまう。書物を記す手を止めて、青饅もまた悪ではないことを思い、けれど彼を悪としなければ、俺はきっと気が狂ってしまうのだろう。
 妻と娘……俺は忘れなければならない。すべて忘れなければならない。吉野を捨て、染井ぜんせいとして、すべて。俺は書いていた雑記帳を破り捨てた。

【完】
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