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花狩り移紅し 一人称視点/差別的表現/猟奇的な描写/和風モノ

【花狩り移紅し】夢見草の章 春若ルート。※差別的表現、センシティブな表現あり。 ヒロイン敬体一人称視点/愚鈍青年

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夢見草の章


 わたしはお使いを頼まれ、桜並木のある土手を歩いていました。視界の端、桜の木のふもとに何か映ったものがあって、気を取られ、立ち止まろうとしました。
「八重ちゃん!」
 胸に響くような声で呼ばれて振り返ると、そこには春若はるわかがいました。彼は同い年で、同い年で……
「気安く話しかけないで」
 わたしは困ってしまいました。春若はの者です。零花あまりか部落という被差別部落の生まれです。こんなところで話しかけられて、言葉を交わしているところを見られたら、わたしだけでなく弟の吉野よしのまで石をぶつけられてしまいます。
 春若は相変わらず、情けない顔をするものと思いました。人の往来のあるところでは、言葉を交わしてはいけないのです。けれど違いました。春若は見たことのないくらいこわい顔をしていました。わたしは周りを見て、誰が他に人がいないことを確認しました。
「春若……?」
 いつもは情けなく優しい春若が怕いのです。たんぽぽのような春若が、急に怕いのです。わたしは狼狽え、たじろぎました。それから人目も気になりました。
「逃げよう。ここにいちゃ、ダメだ。だも行くから……俺だも………」
 春若は詰め寄って、戸惑うわたしの手を取りました。今まで、どんなことがあっても春若からわたしに触れてきたことはありません。ときには豚や鶏、馬を殺し、或いは解体し、ときには死んだ人たちの身を清め、その手は穢れているのだそうです。春若はわたしが触れるのを嫌がり、しかしわたしは春若の遠慮を疎みました。そういう関係でしたから、春若からわたしに触れたということは余程のことです。わたしは春若の見た目にそぐわない硬い掌の感触を知る隙もなく、驚きに目を見開きました。
「ここにいちゃ、行けないんだ。キミの弟だって……」
 わたしは人が来たような気がして、春若の腕を引くと、川べりの斜面に彼と隠れました。緑が少しずつ生い茂ってはいるけれど、まだ人を隠せるほど伸びきってはいません。
「なぁに?どういうこと?」
 わたしは春若と緑の中に伏せました。手は握ったままでした。
「村長が話してるのを聞いたんだ。キミを桜供物さくもつにするって……弟くんも、」
 わたしはすぐにそれと理解することができませんでした。しかしわたしのことはいいのです。彼は弟についても何か話そうというのでした。わたしは確かに、この村の風習のことを知っています。恐ろしい風習があることを。
「それで……それで、吉野よしのが……?吉野が何だというの……?」
「吉野くんを、第二の紅梅千花あかうめちか様のようにする気なんだ、きっと……だって………」
 紅梅千花様……その方は花ヶ住村になくてはならない御方でした。あまり会ったことはないけれど、その二子ふたご同胞はらから白梅千花しらうめちかお兄様とは、弟の吉野を通じて幾度もお世話になったことがございました。
「紅梅千花様の、ように……?でもそれなら、吉野は不便をしなくて済むんじゃなくて?」
 わたしの言葉に春若は哀しそうな顔をしました。
 紅梅千花様はたいへん裕福な暮らしをしているように思いました。わたしは白梅千花お兄様から象牙きさのきや絹というものを見せていただいたのですから。実際、村で採れたものはまずあのお屋敷に行くのです。
「八重ちゃん……紅梅千花様はご病気だ。どこからもらってきたのか分からないけど、あの御方の赤痣。あれはご病気の証なんだ。きっと長くは保たないよ。そうしたらお次は、きっとご血脈けちみゃくの近過ぎる白梅千花様じゃないと思う。そのときは、そのときこそは……」
 彼は言葉を濁しました。春若が春若ではないみたいでした。いつもははっきりと言うのです。溌剌として、嫌味がなく。零花部落の出であればの者だと人は言うけれど、わたしは春若から穢れを感じたことなど一度もありませんでした。わたしは春若ではなくなってしまったような春若が、怖くなりました。
「紅梅千花様の赤痣は、きっと……」
 優しくて素直な春若は、わたしの不安げな顔に気付いたようでした。そしてふと目を逸らして、川のほうを見ました。
「あ、花筏」
 わたしも彼に気を取られて、その目が見ている先を追いました。そこには川の流れに従って揺蕩う桜の花びらたちがありました。まだ水面をすべて覆うほどではありませんでしたが、散った花びらが群衆のようになって通り過ぎていきます。そして川の流れに従って、二手に分かれるのです。わたしは春若の少し幼さの残る横顔を眺めていました。彼はいつの間にかわたしから手を放していて、わたしもそのことに気付かずにいました。わたしは春若の手を取りました。春若はぎょっとしました。わたしたちが2人で共に居ることは難しいことです。許されることではないのです。わたしが零花部落に嫁げば、弟の吉野はどうなるでしょう。後ろ指を差されます。そして花ヶ住村と零花部落の境が断崖絶壁ではなく斜面であるという構造に納得されないでしょう。そして花ヶ住村でのうのうと過ごしてきたわたしを、零花部落の民は歓迎しないでしょう。
「八重ちゃん……逃げよう。もうキミも俺だも、村には戻れない……ね……?行こ、俺だ、キミとなら……」
 わたしはまだ理解が追いついていないのです。わたしはお使いを頼まれたのです。桜供物というのは、二親の揃った品のある、容姿端麗なお嬢さんがなるものと聞きました。娘が産まれたなら、片方の指を切り落としたり、顔に傷を付けたり、泥を塗り続けたり、娘可愛さに片方の親が首を吊るなんてことも聞いたことがありました。わたしにはすでに祖父母も父母もありませんし、そうなるとおそらくわたしに品性と教養を培う機会はなかったということになりますし、容赦について言及されたことはありませんでした。
「春若の、勘違いじゃないじゃなくって?きっと、間違いよ……」
 情けない、自信のない顔をしている春若に、わたしは少しずつ、彼が零花部落が嫌になって誰かと逃げ出したくなっているのだと考えました。零花部落の生活ははたからみてもつらく厳しく貧しいものでした。逃げ出したくなるのは当然でした。
「桜供物になる女の子は、この時期にお使いにやられるんだよ。本当にここに来たか、見届けるのも俺だたちの仕事だから……」
 わたしは俯く春若を睨んでしまいました。
「来なかったら……?」
「察して逃げた子もいるよ。そのときはね……そのときは………俺だたちはたくさん牛馬を屠ってきたから……女の子なんて………それも、俺だたちを蔑んできた村の子じゃ…………そういうことだよ」
 春若は脅すような言葉選びのなかで、怯えているように感じました。何故春若がわたしに触れるのを嫌がるのか、それが分かったような気がするのです。ただ家畜の皮を剥ぎ、腑分けし、肉を断つわざに後ろめたさがあったわけではないのです。骸を清め、或いは、縫い、形作ることに負い目があっただけではないのです。
「逃げよう、八重ちゃん。俺だが守るから……俺だが守るから、弟も一緒に……」
 わたしは首を振りました。後ろに退きました。わたし一人ならどうしていたか分かりません。しかし弟には安泰の道を歩んでほしいのです。わたしは紅梅千花様を存じておりませんでした。二子同胞というからにはそれはそれは白梅千花お兄様に瓜二つというお話でしたが、どのような御方なのかはまったく知りもしないのです。ですから紅梅千花様のご病状とやらに思うところがあまりないのでした。むしろ、吉野があの座に就けたならば食うにも着るにも困らないだろうと思いました。そういう喜ばしい話が吉野にいこうとしているときに、何故、わたしは足を引っ張るような真似をするのでしょう。
「春若……あなたとはもう会えません。吉野の好い話を、棒に振るわけにはいかないのです」
 彼は胸元を殴られたような、そんな顔をしました。わたしもじわりじわりと苦しくなりました。
「春若………今日一日だけ。これきりにしましょう」
 春若は忙しなく眼を揺らしていました。
「八重ちゃんは、どうするの……?」
 これは難題でした。わたしは桜供物になっていたらしいのです。村には帰れないのです。いいえ、踵を返せば村には帰れるのでしょう。けれど、吉野はどうなるのでしょうか。役目を果たせなかった女の弟。あの子が安寧の暮らしを得られるかもしれないお話が無くなってしまったら……
「わたしはこのまま、並木道を行って……何事もなければ……」
 そもそも、わたしは本当に桜供物に選ばれたのでありましょうか。弟のことを想えば、何事も無いときのほうが恐ろしく感じられたのです。わたしは土手上の桜並木を見上げました。疎らに蕾を付け、花は白梅千花お兄様のもとでいただいた霰菓子のようでした。
「そのときに考えます」
 春若の顔は晴れませんでした。わたしも彼を見ていることができませんでした。
「部落の外れに廃屋があるから、どうして行き場がないときは……そこで」
 春若の声は低く、素直な彼の気性のとおり、そこにはありありと落胆がありました。
「ありがとう、春若」 
今生こんじょうのお別れになるかもしれないから、あの、言うね。俺だ……」
 わたしは彼の気持ちを知っていました。わたしの気持ちも彼の気持ちと同じ方向にありました。淡い期待を抱いて生きていました。けれど……
「言わないで。わたしとあなたの立場を考えて。侮辱だわ。の者から気持ちを打ち明けられるだなんて、女にとって、最大の侮辱なのだわ」
 川はちろちろ音を立てて、花びらを泳がせていました。他に何も聞こえないような気さえしました。
 わたしは春若の恋心を弄んだのです。わたしには春若より大事なものがあるのです。悪怯れることはしません。若い男と若い女。春若は他の女を知らないのです。わたしも春若以外に歳の近い男を知りません。
「さようなら、春若」
 わたしは彼を置いていきました。桜並木を離れ、そのまま川べりを歩きました。ちろちろとせせらぎは花びらを運びます。わたしには何の実感もないのです。桜供物に選ばれたという実感も、もう春若と逢うことはできないという実感も、吉野が紅梅千花様の後釜に座るかも知れないという実感も。まるでわたしが春若と夫婦めおとになれると思い描いたように、何ひとつ受け止めきれていないのです。
 わたしは何から考えていいのか、何からはじめていいのか分からないまま歩を進めました。ただ、わたしの願いはひとつなのです。吉野のこれからです。母が命に換えて産んだ大切な弟です。紅梅千花様に対する多少の後ろめたさがないわけではありません。ですがこんな機会は他にはないでしょう。そして、わたしを桜供物に出すことで、一気に片を付けようというのでしょう。
 少しずつ、現状が見え始めてきました。わたしはそこから土手に上がりました。疎らながらに花を咲かせた桜の木や枝が、わたしを呼んでいるような気がしたのです。
 手招きをするような桜の木のひとつに、わたしは吸い寄せられていきました。



―……わたしは気が付くと、桜の木ので眠りけていました。甘美な夢を見ていたのです。けれど悲鳴によって目が覚めてしまったのです。肩を揺り起こされ、そこには恐ろしく表情のない白梅千花お兄様が立っていました。
「やってくれたね」
 白梅千花お兄様はいつものようにわたしに微笑んでくれる、ということはありませんでした。そこにいたのは白梅千花お兄様だけではありません。村長と、村のり手、零花部落のおさがわたしを囲んでいました。
 村長はわたしを罵倒しました。そして白梅千花お兄様に何かを命じ、わたしの膝を大きく開かせました。女のわたしに抗うすべはなく、早くに祖父母両親を亡くしたわたしは村長やその守り手の者たちに支えられて育ったのです。わたしが何か悪いことをしたに違いありませんでした。弟の安泰は彼等に委ねられているも同然なのです。
 白梅千花お兄様のお膝の上であられもないところを晒し、零花部落の長がわたしの陰所ほとに指を挿れました。そこは濡れ、指に絡んだ白濁の液体を見せました。わたしは驚いてしまいました。わたしのそこからそんなものが……
「貴様、の者と番いおったな!長年手塩にかけて育ててやったのに、この恥知らず!」
 村長は顔を真っ赤に、わたしの頬を張り倒すと、唾を飛ばして怒声を浴びせました。わたしは何のことだかさっぱり分かりませんでした。白梅千花お兄様は苦しそうにわたしから目を逸らしました。
「わたしは……」
「立派な桜供物にしてやろうと、あたし等はお前に読み書きも金勘定も習わせ、安くはない着物も着せてやった!それをなんだ!それを裏切りおって!貴様は!貴様は!」
 村長はわたしに馬乗りになって頬を叩きました。
村長むらおさ。顔に傷をつけては、値が下がります」
 白梅千花お兄様は村長をわたしから遠去けましたが、ですがわたしのほうを一瞥もしませんでした。優しかった白梅千花お兄様。父のように慕えと言った村長。わたしが何か粗相をしたに決まっています。
「零花部落で世話をせい。穢れが移ってはたまらん」
「吉野は……吉野はどうなります」
 帰ろうとする村長に、わたしは縋りつく思いでした。守り手がわたしの腕を叩き落とします。
「この期に及んで何を言う!貴様と穢人ヱじんの不埒な逢瀬を告げた来たのはあの小僧だぞ。普通ならば共に零花堕ちさせてやりたがったがな……紅梅千花様の養子として跡を継がせてやる。貴様は何も心配するな。」
「弟をどうか、よしなに……よしなに………」
 わたしは地面に伏しました。両手をついて、額を擦り付けました。
「二度と、村人のような口を利くな!」
 わたしは涙で前が見えなくなりました。
 村長たちがお帰りになるとわたしは部落の長に連れられ、零花部落へ行きました。花ヶ住村に育ったわたしが好く思われるはずはありませんでした。草臥れた茣蓙ござを敷かれ、腕と脚を縛られたわたしは見せしめとして部落に曝されました。わたしは一体、どんな罪を犯してしまったのでしょう。おそらく春若と会っていたことでしょう。わたしの考えが甘かったのでした。彼とは言葉を交わし、時には手を繋ぐだけでした。それだけでした。肌を合わせたことなど一度もありません。何かの間違いなのです。ですがわたしは、吉野の話が無くなるかも知れないことを恐れました。そして吉野が助けてくれるとすらどこかで考えてしまったのです。けれどわたしたちについて村長に告げたのは吉野だというから……いいえ、今となっては詮のないこと。わたしは村の掟を破り、穢の者と想いを寄せていた悪い姉なのです。わたしと春若について知った時、弟は肝を潰したことでしょう。
 わたしの噂はたちまち部落に広がりました。わたしは見せ物になりました。嘲笑、怨嗟、或いは同情の的になりました。時折り白梅千花お兄様の面影のある子供もわたしを見に来ました。紅梅千花様の胤かもしれません。  
 部落には様々な人がいました。そして様々な人たちがわたしを見に来ました。ですが春若はわたしのもとには現れませんでした。春若はわたしを守ると言ったのに、わたしのところへ来ることはありませんでした。春若はわたしを守る気などなかったのです。情けない、頼りない彼が人を守れるはずがなかったのです。
 雨の日も風の日もわたしは野晒しになりました。石をぶつけられることもありました。手籠にされかけたこともありました。そのときはおさが止めに入ってくださいました。それだけではありません。時折、部落の人が不憫がって、軒下を貸してくださることもありました。食べ物をくださることもありました。桜の花びらの一枚がわたしのところまで風に運ばれてくる様をみて、曲がりなりにも桜供物に選ばれた姫様だからと、好くしてくれることもありました。半月はまだ経っていない頃でしょうか。花ヶ住村から白梅千花お兄様がやってきました。その頃になると、わたしはもう一人で立っていられませんでした。茣蓙の上で横になり、樹皮のようになった身体を探られました。
「紅梅千花が亡くなったよ。これで君の弟が跡を継ぐ。これでは身籠っていてもダメなようだ。村に帰ろう」
 わたしはそう言って、白梅千花お兄様に抱き上げられました。そして村へと帰りましたが、弟と会うことはできませんでした。身を清められ、飯を食わせてもらうと、新しい着物に身を包みました。ですが元の生活に戻れないことをわたしは知っていました。わたしと吉野の住んでいた家はあらゆる物が分配され、屋根と戸があるだけの空家になっていたのです。
「わたしはこれから、どうなるのでしょう」
 白梅千花お兄様は答えに窮していました。
「君はその身で償わなければならないんだ。ボクが言えるのはそれだけ……」
 夜になるとわたしは白梅千花お兄様のお部屋でお世話になっておりました。白梅千花お兄様は泣いているようでした。ご実兄を亡くされたばかりなのだから、当然のようでした。
「八重。ボクは君を妹のように思っているし、君たち姉弟きょうだいのことが大好きだったよ。紅梅千花がいなくなった今、ボクには何の後ろ盾もない。そろそろお払い箱になる。君は遠方の娼館に売られるんだ。それは紅梅千花を見ていて男の身でも厳しかったようだから、女の身にはとてもつらく厳しかろう。吉野のことはここにいれば食うにも着るにも困らない。君も身一つならば逃げられるだろう。ボクもこの村からは出ていくよ。でもその前に、これを」
 そのときになって、白梅千花お兄様は徐ろに近くの箪笥から箱を取り出して、こちらを向きました。中には箱に似合わない、擦り切れて草臥れた帯が入っていました。その色味と破れ具合に覚えがありました。わたしはそれを拾い上げて、突然の涙を堪えることができませんでした。
「持っていくといい。ボクが持っていても、ここに置いていっても、仕方のないものだから」
「春若は……どうなったのです、春若は………」
「処されたよ。桜供物を台無しにした罪でね。新しい桜供物の娘に首を持たせて、それでこの話は無しになった」
 わたしは畳に伏せて泣き咽びました。一度でも春若を恨んだ自分が恥ずかしくなったのです。そしてそんな理不尽な目に遭った春若が哀れで仕方がありませんでした。わたしは吼えるように泣きました。
「わたしはあの日、春若と番ってなどいないのです……わたしは桜の木の下で、うたた寝をしていただけなのです。わたしの身体はきっと病気で、あんな……春若とは何もなかったのです。わたしは吉野の話が流れてしまうのが、怖かったのです!」
 今更、それも何の決定権もない白梅千花お兄様に訴えても仕方のないことでした。ですが言わずにはいられませんでした。わたしは額を畳に擦り付けて、春若に謝り続けました。
「知っていたよ。村長も知っていただろう。けれど君と彼が逢い引きしていたことは本当だった……あの場に彼もいたんだからね。村長の立場としても、桜供物に据えた娘にそんなことがあって桜の開花に差し支えがあっては困る。してや相手が業の者。そして君と彼が番っていなかった確証がなかった。吉野もそこまでは見ていなかったから。けれど何者かと番った証拠はあった……桜ノの仕業だと説明したところで、彼とのものとも説明できてしまう」
 白梅千花お兄様は静かに語ってくれました。そこに潜む悔しさ、悲しさ、行き場のない怒り。
「吉野もこんなふうになるとは思わなかっただろうさ。穢の者から姉を遠去けたい。その一心だったんだろうね。君は吉野の中では、良家へ嫁いだことになっている。けれどもきっかけは悪意のないあの一報。気に入らなければ己でしがらみを果たしなさい。この村の今後のことなんてボクには関係ないからね。彼は最期まで君に詫びて、おとなしく処された。それをする資格は君に十分、あると思う」
 白梅千花お兄様はもうひとつ、わたしの指先から肘まであろうかという長さの短刀を差し出しました。
「いいえ……誰も悪くありません。わたしの浅慮が招いた結果です。白梅千花お兄様、たいへんお世話になりました」
 そのときの白梅千花お兄様の悪辣な微笑み。今まで見たことがありませんでした。わたしは恐ろしくなりました。
「君はもしかしたらすでに桜ノ嫁になっている。ボクは怖いんだよ。罪から逃れようとしているんだ。彼を処した時のことが頭から離れなくてね」
 白梅千花お兄様は目を伏せました。そしてただ指で差し、わたしに逃げ道を示しました。わたしは春若の帯を持ち、花狩川に行きました。そして橋の下に帯を括りつけ、首を吊りました。
 首が締まりますと、川べりに春若が立ってわたしを見上げているような気がしました。わたしはぼやける意識の中で手を伸ばしました。謝ろうにも声が出ないのです。掌から桜の花びらの山が溢れ出して、散っていきます。わたしの身体は重みを失いました。







 わたしは見事な桜の咲いた並木の下に立っていました。けれどそこは花狩川ではありませんでした。呆然と佇むわたしは手を取られました。春の木漏れ日のような体温でした。隣を見ると、そこには春若がいたのです。彼は人懐こく笑って川を指差しました。せせらぎとともに水面を覆う花びらたちが泳いでいきます。
「守れなくて、ごめん。八重ちゃん……」
「いいのです。わたしこそ、ごめんなさい。大好きよ、春若」
 わたしは彼の肩に頭を寄せ、少しの間目を閉じました。わたしたちはそのまま溶け合うようでした。川の流れに乗って、遠くへと旅をしました。





 歩くのもやっとといった青年が腰の曲がった体勢で土手を降りていった。川辺に1本、土手上の群れを外れて、植えた覚えのない桜が根を生やした。のたくった大蛇のように幹を伸ばし、川を横断している。
 花狩川の桜はその1本を除き、すべて腐り朽ち果ててしまった。だが悲しむ者はいない。最寄りの村の者たちは赤痣を患い死滅していったのだから。
 青年は這いつくばるように1本生き残った桜の下で掌を合わせると、そのまま動かなり、やがて崩れ落ちた。放り出された手には桜の花びらを押し当てたような奇妙な形の赤痕が散っていた。


 零花部落の者たちはこの赤痣を「花筏病」と呼び、若者を埋めた川辺の龍桜を鎮魂の樹として後世まで崇め祀った。
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