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熱帯魚の鱗を剥がす(改題前) 陰険美男子モラハラ甥/姉ガチ恋美少年異母弟/穏和ストーカー美青年
熱帯魚の鱗を剥がす 25
しおりを挟むフローリングの上で揺さぶられる。鈍く頭痛に響いた。腹の中を行き来して抉る感覚が数倍に拡大され、殴打なのかと錯覚する。
「お願い………お願い………叔母さん………」
何をお願いされているのかは分からなかった。京美はひどく焦っている。律動と共に刻まれる重苦しさが、朋夜の胃にまで響いた。彼女は咄嗟に身を捩る。その反射的な行動を、捕食者は止めることもできなかった。
朋夜は口を開いて、踏み潰されたカエルの如く呻いた。顎が真下へ引っ張られているようだった。涎がとろとろと垂れていく。しかし、それ以外のものは出ない。つまり嘔吐きはしたが、実際吐きはしなかった。青白い顔に紫色の唇が震えている。
「叔母さん……?」
京美がぐっちょりぐっちょり音を鳴らしていた局部をふと見下ろしたのは、その視界の端に映ったものに気付いたからかも知れなかった。彼の目が見開かれる。
朋夜は口元を押さえた。身体を支えるのも厄介そうで、彼女は玄関ホールにそのまま横たわる。
京美が見たもの。それは叔母と接合したところに塗れた赤である。
「叔母さん、怪我してるの……?」
彼の顔も青褪めていく。朋夜は眩暈と吐気の中で、重苦しい腹に抱えたものがわずかばかり軽くなったのが分かった。視界がちかちかと明滅しながらも、彼女はどうにか横たえたばかりの身体を起こした。
「あ………ごめ………なさ、い」
それは失敗であった。異性に、年少者に、甥に見せるものではなかった。しかし羞恥や落胆を覚えるだけの余裕もないら。ただ失態を犯した事実だけを、すとんと認める。
「叔母さん……」
「ごめんなさい。汚しちゃって………本当に………」
それは醜態だったのかも知れない。理解しておいてほしいことでありながら、隠し通すべきことだという認識も否めない。男が深く知る機会を得るようになっていない。そのことも朋夜は知っている。父や弟、それから亡夫も察しているようで、そこを明らかにすることは心理的な拒否感によってできない。そういう事象だった。
「叔母さん……………平気、なの」
「ごめんね……お風呂、入ってきたら」
頭痛、腹痛、腰痛、そして気怠さと眩暈。朋夜はろくに義甥の話も聞かなかった。額を押さえ、頭を抱える。完全に失敗したどころか、こうして甥を巻き込むに至っている。準備をしていなかった。
「叔母さん」
「服は汚れてない?新しいの買っておくから………ごめんなさい」
彼女はそこから動けない。動いてしまえば、さらなる床の汚れを増やしかねなかった。それこそ醜態である。朋夜は甥をここから離さねばならない。
「叔母さ……」
「大丈夫。ちゃんと掃除しておくよ。本当に、ごめんね。汚いから、早くお風呂に入ってきなさい」
平生の弱気で怯えた調子はなかった。すべてに呆れて茫としているような、そういう虚ろな感じだった。甥もやっと立ち上がる。彼女は一度も京美のほうを見なかった。失敗の証がその身体にあるのだ。
とりあえずの身形を整え、掃除を終えてから朋夜は自室に座り込んでいた。それから思い出したように婦人用の鎮痛剤を飲む。まだ飯を食っていないが、食欲もない。だが食わなければ食わないで、この薬により胃が荒れることも経験上知っている。
やがて風呂場のドアが開く音がした。腰にバスタオルを一枚巻いただけの京美が日常的に開放された叔母の自室を覗きにくる。彼は床に座り込んで家具に寄りかかる朋夜に駆け寄ってきた。
甥にも亡夫にも、否、父にも弟にも、こういう前兆やまた最中に於ける体調不良を見せまいと努めてきたが、今回に限ってはそうする気力さえも湧かずにいる。
「叔母さん……大丈夫?」
「うん。ごめんね。もう掃除もしたし、除菌スプレーもしたからね……気になるなら、マット敷こうか」
甥は神経質である。そこから潔癖性を連想するのも難くない。
また辛辣な意見、真っ当な叱責、手厳しい非難が待っている。しかし身構えるだけの力もない。今日という日に限っては、おそらく頭を通らずに片耳から片耳へ抜けていくだろう。
「そうじゃなくて…………そうじゃなくて、身体は?」
「女の人は、よくあることだから……びっくりしちゃうよね。本当に―」
「謝んなくていいから」
頻繁な謝罪は無価値だと日々言われている。だが無価値か否かの判断も、自分が今何を繰り返し言っているのかも朋夜には上の空だった。
「ごめん」
ところが、甥が怒っているのだけは分かる。彼女はまるで話を聞いていない。
「謝るのは、俺のほうだから」
「………………………………え?」
「風呂、入ってきたら」
「う、うん。ありがとう」
朋夜は入浴の準備をしなければならなかったが、部屋にはまだ甥がいる。彼女は小さなバッグにぽいぽいと必要なものを隠し入れて風呂場へと向かった。
入浴を終えると、リビングのダイニングテーブルには夕食の支度が済ませてあった。鎮痛剤の溶けた胃が微熱を持って軋む。
「叔母さん、これ」
京美から渡されたのは柔らかな起毛素材の袋に包まれた湯たんぽである。
「えっ、なんで……」
「調べた。身体冷やしちゃダメなんでしょ」
その失態の大きさは少し遅れてやってきた。異様な恥ずかしさが込み上げる。
「あ………あ、あり、がとう……」
「叔母さんは座ってて。後のことは全部、俺がやる」
朋夜はおそるおそる義甥の顔を窺う。相変わらずの昏い面持ちである。彼には疾うの昔に見限られている。そのことを彼女は承知しているけれども、だらしのない、己の体調管理もできない、恥ずかしいと女だと思われていることに改めて悔しさがあった。すべて自分の至らなさであることもまた彼女は承知している。聡明で器用、要領のいい天条奏音にはなれなかった。
「迷惑かけちゃったね」
鎮痛剤は卑屈な女に余裕を生む。身構える隙を与えた。真っ当ゆえの残酷さを伴う指摘を待つ。だが京美はじとりとした目を叔母に注ぐだけである。
「叔母さん……やっぱり具合悪い?」
「大丈夫よ。病気とか、怪我じゃないし。ありがとうね」
「別についでだし。叔母さんは早くごはん食べて、さっさと寝たら」
京美は機嫌の悪そうに席に着く。朋夜も腰を下ろした。嫌なものを見せてしまった。男性は見慣れないものかも知れない。直後ではないとはいえ、彼の食欲を削いでしまってはいないか。
行儀良く掌を合わせる甥の様子を盗み見る。
「お腹、空かないの」
鋭い目が向く。
「無理して食べなくていいけど」
朋夜は左右に首を振った。
「う、ううん……いただきます。もう、ずっとさっきからお腹ぺこぺこだったんだ」
苦し紛れの取り繕った微笑は受け入れられなかった。彼は味噌汁を溶いている。
食事を終えると、その片付けを京美はやらせなかった。朋夜からしてこの義甥は叔母のことなど視界にも入れたくないことはよくよく理解していたが、彼を働かせているというのに自室に籠るのも躊躇われ、彼女はダイニングテーブルに留まっていた。食器の洗浄が終わったらしい京美がやってくる。
「ありがとうね、京美くん」
「別に」
京美が部屋に戻るのを何となく見届けて、朋夜も自室に帰ったと思いきや、彼女はリビングに酒瓶を持ってくる。照明を落とし、夜景を望む。それは綺麗だったのかも知れないが、肉眼で見ればただの夜の風景と明かりである。
酒は冷たく割り、しかし腹は温かい。頭も臍下も多少の違和は残っているけれども痛みは無くなっている。
何を為すこともない、何かを為す目的もない、これが夫婦の営みだった。亡夫はいかにして妻が元交際相手に捨てられたのかを知っている。結婚に対する憧憬を否定したとき、すでに病魔に蝕まれていた彼は条件のある結婚を願い出た。
初恋の人と結婚したい。
朋夜の思考は酒気の漣に洗われていく。誰かの文言が意外にもこびりついていた。グラスのなかのものは、均等に割ったつもりだが、酒のほうが強かったらしい。
『何事にも始まりがあって、だから初めてはおめでたい感じがするわけだけれども』
初めて好きになった人なのだと、そういう相手を見誤ったのだと、もう恋愛に於いて異性を見る目は自分にないのだと言ったとき、そう返した者がいた。
「叔母さん」
眠らずに行ける夢から彼女は覚めた。手にしたグラスが奪い取られる。左右非対称の不規則にウェーブの入ったこのグラスを気に入っていた。それはテーブルに置かれる。
「京美くん……」
リビングは暗いが、朋夜の開放された部屋は明かりを点けたままで、廊下を介しているため、暗闇とはいえなかった。そういう視界の中で浮き上がる義甥を見上げた。
「アルコールは良くないって、書いてあった」
「あ……うん。そうかも」
「まだ1杯目?」
「そう」
酒はまだ半分残っている。
「1杯、だけだよ」
この甥は飲酒の習慣がある叔母を憂いているのだろう。時間をかけて2杯ほど飲んでいることを知っている。
「うん。ごめんね」
気に入らなげな表情をしたのが薄らと分かった。それも無理はない。彼は叔母が酒を飲むことに否定的な感じがある。
京美はそこに留まる。ダイニングテーブルセットの椅子に腰を下ろした。
「叔母さん」
「うん……?」
細く長い指が音もなくテーブルを叩いている。
「毎月つらかっただろ。ごめん……気が付かなくて」
「え?」
「腹が痛くて気持ち悪くなるって書いてあった。ネットに……」
ばつの悪そうに彼は言った。妙に歯切れの悪い、まだ言い足りなさそうなところがあるが、それが彼女には読み取れない。
「個人差があるし、毎回同じってわけでもないから。気にしてくれてありがとう。ごめんね」
彼女は愛想笑いを浮かべる。年少者の、男という性別の、医者でもなければ目指しているわけでもない者にこの点に於いて積極的な理解を求めるのは酷だ。また彼女は理解を得ようとも思っていなかった。むしろ言及されることを忌避していた。己の失敗を含めて誤魔化せるものなら誤魔化してしまいたい。
「謝るなよ」
甥の声はいつにも増して不機嫌を帯びている。
「ご、ごめん……なさ、い………」
禁止されたそばから禁止されたことをする。沈黙が流れた。微かな酔いも覚めていく。
「言って……くれよ。力になるから……無理、するな。その……軽くても……………症状が」
彼は不器用に喋った。
「う、うん。じゃ、じゃあ、どうしてもつらいときに言うね」
朋夜はあの失敗を恨んだ。話がややこしいことになっている気がする。簡単に早く切り上げるために、彼女はまた誤魔化す道を選んだ。言えるわけがない。言い方が分からない。また彼女はそれについての自身の不調の線引きも分からなかった。薬を飲んで緩和するのが、結局はいつもどおり、多少の体調不良が残ろうとも、結果として気を遣わずに済む。
「叔母さん」
「う、うん…………」
酒が進まない。彼が怖い。甥に恐怖する自身に不信を買う。リビングは暗いというのに、こちらを見る京美の瞳がぎらついているような気がしてならない。それは女の、否、雌としての防衛本能を刺激する。早くこの獣から逃げろと警鐘を鳴らしている。しかし女としての防衛本能は事勿れにものを運べと告げている。
朋夜はグラスの中の液体を呷った。薄らと粘こい頭痛がこめかみを締めつけるが長くは続かない。
「叔母さ、……」
「もうそろそろ寝るね。これは明日の朝、自分で洗うから……」
朋夜は非難を却け、空になったグラスを示すと水場に持っていく。その間、彼女が甥の目を見ることはない。
「おやすみなさい」
返事はなかった。しかしそれが日常である。気にしたくても慣れてしまうと、気にならなくなる。むしろ彼女は応答を求めていなかったし、応答があることに恐怖したかもしれない。
自室に戻りベッドに入ったところで、後ろからついてきている京美を認める。鎮痛剤が効いているため腹を抱えて背を丸めるような痛みはないけれど、内臓が漬物石にでも置き換わったような鈍重な感覚はまだあり、妙な緊張がそれを増大させる。
「な、なに……?どうかしたのかな」
努めて柔らかく振る舞うが、声に硬さが顕れる。
「叔母さんが寝るまで傍にいる」
京美の昏かったはずの目が泳いでいる。
「大丈夫よ。別にどこも悪くないし……」
「寝るまで、傍にいさせて」
不可解だ。だが疑いを露わにすることもまた恐ろしい。
朋夜はベッドに横になる。湯たんぽが腹に押し当てられてる。自分で布団を掛けるより先に、京美が肩までそれを掛けた。湯たんぽを腹に当て、薄い布団を掛けると少々暑い。
枕元にあるクーラーのリモコンを手にして設定を変えていると、京美は一度ベッドから離れて部屋のドアを閉めた。
「寒くない?」
「タイマーかけておくし、除湿だから」
「そっか」
異様に気さくで優しい甥が怖い。彼がベッド脇に戻ってくる。朋夜は布団の中で身を強張らせていた。何か悪い兆しが、彼をこのような態度にさせているのではあるまいか。野生動物が自然災害を事前に感知しているような……
落ち着かないリズムで布団越しに脇腹を軽く叩かれる。どういうつもりであるのかを聞く勇気、すなわちギャンブル精神が彼女にはなかった。
「京美くんも、早く寝ないと……」
たとえば朋夜にとって、それがドラマや映画の世界であったなら胸を疼かせ赤面するような場面であったのかもしれない。たが現実はそうではない。甥である。日常生活も上手くいかない相手である。否、それは叔母の要領が悪いからである。不器用で鈍臭く、余計な世話を焼くのだけは上手いからである。
「叔母さんが寝たら……」
重苦しい静寂が流れる。到底、眠れる気配がない。寝返りを装って甥に背を向け固く目を瞑る。
「叔母さん」
囁くような声が耳の上で聞こえた。朋夜は寝ているふりを続ける。
「おや………すみ………」
まるで喉が痞えたみたいにぎこちなく喋る。それから朋夜は目蓋の外が陰り、さらには側頭部に軽く触れるものを感じた。
部屋が暗くなる。京美が去っていく。そこでやっと、朋夜は息ができる感じがした。甥は危険害獣ではないはずだ。夫の遺した大切な甥であるはずだ。それが何故、こうなってしまったのか。まず間違いなく、叔母の要領が悪いからである。不器用で鈍臭く、余計な世話を焼くのだけは上手いからである。改善したつもりでも、甥の希望には沿えないようだった。とすれば無駄な足掻きである。むしろ改悪、藪を突き回して毒蛇を出したのではあるまいか。
甥と向き合うだけ、必要分の矜持、自信を失ってしまう。やがて甥が恐ろしくなる。責任の所在、落ち度の有無などはそこに関係がない。整然とした理論はむしろ彼女の心情の自由すらも侵害する。そうすると、甥となるべく関わらない、上面で糊塗することで、傷付かないことを学ぶ。甥にとっても結局はそれが最も過ごしやすいことだろう。
朋夜はベッドサイドの抽斗を開けた。中に掌大のぬいぐるみが入っている。夫はハムスターだと言って渡したが、朋夜から見るとそれはモルモットであったし、付けたままのタグにも「モルモット 茶白」と書いてある。
眠れないときは、これを握り締めたり、胸に抱いて寝ていた。飛髙仁実との間に恋愛感情はなかったけれど、安堵はあったのだ。
◇
白い喫茶店へと赴いた。鈴束が乾いた音をたてる。川沿いの店だが、除湿機によって蒸れた感じはない。
朋夜は中に入ってすぐ、店内を見回した。マスタードイエローのロープエプロンの店員が傍まで駆けてきた。糸魚川瞳汰である。
「いらっしゃい。今日は、あの人いないっすよ」
彼は小声で言った。2人のやり取りをピアノが掻き消している。弾き手もカウンター越しにいるバンダナの人物も洗い晒しの白い半袖シャツである。草臥れた白い木綿のシャツにジーンズがこの店の制服らしい。
「そう。よかった」
カウンター席には小星とかいった小学生が座っている。彼の前には宿題と思われるテキストブックが広がっている。渋い顔ながら、男児は朋夜を見ると軽く会釈をした。それから瞳汰に店の奥の席へと案内された。
「もしあの人来たら、あそこの裏口使っていいから。お金も後払いでいいよ」
瞳汰の真っ直ぐな目に見下ろされる。眉がほんのりと八の字を書く。
「探してる人がいるって話してたケド、あの感じ、もしかしたら朋夜さんのコトだと思うから……」
あの妙な邂逅によって糸魚川瞳汰の意外な面が垣間見える。彼は顔を引き締めることができるのだ。常に能天気というわけではないのだ。
「ありがとう、瞳汰くん」
「あの人のこと、出禁にはできないケド、綾鳥さんも大事なお客さんだから、やれるだけやる」
朋夜がこの喫茶店で軽食を摂り、コーヒーを楽しむと帰り際、あの子供がついてきた。
「瞳汰にいがアンタのこと心配してるから、おれが守ってあげる」
「え……?でも瞳汰くんが心配するよ」
まだ子供である。戸惑っているとエプロンを外した瞳汰が出てきた。
「瞳汰にい。おれが朋ねえ送るよ。いいでしょ」
男児は意外な取り合わせにきょとんとしている糸魚川瞳汰にいきなり切り出した。
「あええ、小星くん。帰りはどうするの」
「別に平気。1人で帰れる」
「そうも行かないよ。小星くん。じゃあオレがバイト終わったら迎えにいくよ」
男子児童は首を振る。
「瞳汰にいは駅前でライブあるんだろ」
「でもその前なら……小星くん、ライブ中、待っててくれるかな。今なら、休んでも……」
「ダメ!」
子供は瞳汰より強かった。
「駅前って、あそこの……?ああ、じゃあ、瞳汰くんのライブ?が終わるまで、うちに居る?わたしがその後、駅まで送るよ」
「えっえっ、朋夜さんが大丈夫なら、じゃあオレが、ライブの後に朋夜さん家に小星くん迎えにいく!20時頃になると思うんだけど、遅いかな?」
「ううん。大丈夫。迷惑をかけたんだし、気にしないで。ごはんも食べていくといいけれど……」
朋夜は瞳汰を見た。
「おうちの人は……」
「おうちの人は、大丈夫。いつもいないし」
男児が食い気味に割って入る。
「オレがなんとかするよ。小星くんのこと、よろしく頼むよ」
瞳汰の歳の割りに幼かった顔が研がれて見えた。
「うん。ありがとう。ごちそうさまでした」
朋夜は小星花祈という子供を連れて自宅へと帰る。今日はアルバイトもない。
「瞳汰にいはね、おれのカミサマなんだ」
少し掠れた声は、煙草吸いの女のものと紛う。喋り方も大人びている。
「いい人なんだ。あんな優しい人、見たことない」
男児は泣きそうだった。細いが子供にありがちな柔らかい腕を引きつつ、彼女は俯いて歩く小さな頭を見ていた。
「赦してくれるとは思ってないけど、瞳汰にいはおれを守ろうとして、父ちゃんとケンカしてくれたんだ。だから瞳汰にいをぶん殴ったやつが、どうしても赦せなかった」
「そうだったんだ。京美くんは赦してくれたよ。瞳汰くんも京美くんを赦してくれた。だからこの話はもう終わり。小星くんも気にしないでね。でもこうして会えたのも何かの縁だから、仲良くしてね」
大きな目がきらきらと照って朋夜を見上げる。虹彩まで鮮明である。しかし視線が搗ち合うと逸らされてしまった。
「うん……」
ひとつひとつの仕草が、どこか義甥を思わせる。彼もこういう子供であったのだろうか。
「ごはん、何がいい?ときどき瞳汰くんの弟さんと同じところで働いてるんだけど、今日はお休みだから、ごはん作ろうかなって思って。何が食べたい?」
花祈は朋夜を一度ちらと見上げ、また下を向いてしまう。
「お肉は好き?魚と、どっちが好き?」
「肉……」
「ハンバーグと唐揚げと豚肉の野菜炒め、どれがいいかな」
朋夜はこれくらいの世代の子供と関わりがなかった。この年頃が好きなものの傾向も分からない。
「ハンバーグ……」
「じゃあ、頑張るね。アレルギーとかはないかな」
「うん。ない」
男児を連れて買い出しに行く。不思議な感じがあった。
自宅に帰り、まず京美に説明すると、彼は特に何か言うこともなく、無頓着だった。しかし子供の傍から離れない。リビングのソファーで不貞腐れたように叔母の飯作りを手伝う様を眺めていた。
「帰りはどうするの」
京美の問いにハンバーグを成形している男児の手が止まる。
「瞳汰くんが近場……あそこの駅前で、用があるらしくて。その帰りに迎えに来てくれるって」
「ああ、そう……」
義甥は珍しくまだそこに居座る。彼なりに子供を心配しているらしい。
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