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叢雲に消ゆ ロボットヘテ恋/独自世界観/暴力・流血描写/未定につき地雷注意

叢雲に消ゆ 12

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 ダンスパーティーの相手を決めたことを堅物の上司に告げたところ、彼は会わせるように言っていたため、アサギリはその人物を基地まで呼んでいたがどうにも遅かった。タクシーを自宅まで遣わせたはずだ。大切な会議を放棄してでも迎えに行くべきかと思っていたところを、上司が自らアサギリの元へやってきた。
「ミナカミ。おまえが呼んでいたのはこの人物なんじゃないのか」
 来いと言っておいた管理司令室前で壁に背を預けていると、タブレットを見せられた。そこには基地内に張り巡らされた監視カメラの映像が映ったディスプレイをそのまま撮影した画像を見せられる。青緑を帯びた画像の中に映るのは、確かにアサギリがダンスパーティーの相手として選んだ者が映っている。ホストクラブ「キャッスル・ストーンハート」の従業員、三途ワタラセこと本名ハジメ・バンドウである。ダンスパーティーの相手は、基地関係者である必要はなかった。配偶者や恋人、或いは異性の家族や親戚にするのが一般的であるが、アサギリにそういう類いのものはいない。こういうときに外部委託という手段もないことはなかった。マナー違反というよりはむしろ、こういう催し物に単身でくることよりかは許される行いだ。
「そうです」
「彼なら来ない」
「何故です」
「ツキヨノ・ランドロックトくんが追い返した」
 アサギリはそれを聞いた瞬間に走り出した。
「おい!」
 イセノサキが彼女を追う。
 三途ワタラセ本名ハジメ・バンドウの映っているのは駐車場である。だがそこまで行く必要はなかった。管理司令室を出たときにレーゲン・ツキヨノ・ランドロックトが通りがかったのである。アサギリは彼に掴みかかったが、相手は元軍人。アサギリは簡単に返り討ちに遭い、気付けば空を見上げていた。逆光した元軍人の少年の金色の瞳はネコの目のように爛々として殺伐とした興奮を示していたが、投げてしかかったのがアサギリだと知ると、彼はばつが悪そうに身を引いた。何事もなかったかのように背を向けてしまう。
「やめろ、2人とも」
 イセノサキが間に入り、レーゲン少年をさらに遠去ける。
「すまなかった。俺もすぐには判断できない。冗談でも気を付けてくれ」
「冗談じゃないわよ、ちょっと……なんなのよ。なんで人のパートナー、勝手に追い返してるのよ!」
 アサギリは冷静なレーゲンに噛みつきかねない勢いだった。
「パートナー?」
「さっき、駐車場で!追い返したでしょう!」
 駐車場のほうを指で差し、彼女は地団駄を踏む。
「あれはホストだとか言っていたぞ。女衒ぜげんなんて呼んでどうするんだ?」
「女衒じゃないから!」
「女を騙して金をせしめて、手に入らなければ女を売る、女が自分で自分を売るように仕向ける。立派な女衒だろう。俺はああいう商売が嫌いなんだ」
「もう本当に、最悪……」
 この地の言葉の習得はなかなか早いが、しかし話が通じていない。アサギリは三途ワタラセ本名ハジメ・バンドウを呼び戻す。その間、まったく訳が分かっていないらしいレーゲンはイセノサキから説明を受ける。
「つまり異性の連れが必要なんだな?」
「そう。それでわたしが誘った人を、あんたは女衒扱いして追い返したってわけ」
「金銭で繋がった相手を呼ぶのか」
「別に今どきおかしな話じゃないもの。ですよね、イセノサキさん。別にルール違反ではないでしょう?でなきゃ人権侵害ですよ。異性のパートナーにありつかなきゃいけない、異性の家族や親戚一同と仲良くしてなきゃいけないだなんて人の生き方に口を出されたら」
 アサギリはこわい上司を睨んだ。
「そうだな。決まりはない。金銭的に繋がった相手でも特に問題はない」
「もうほんとやだ。カレシなし、家族なし、身内なしのわたしがどんな気持ちであの子にお願いしたと思ってるのよ……出禁のヌキサキさん誘えばよかった。ヘルナで一旦帰ってきてくれますよ、きっと」
 ヌキサキは、ハルシグレ・ヌキサキといって、エンブリオ・ヘルナのパイロットである。酒乱のために、出入り禁止になっている。アサギリのエンブリオの飲酒運転が大して取り沙汰されないのは、このハルシグレ・ヌキサキなる人物ほど起こす問題が大きくないからである。
「ミナカミ先生、家族いないのか」
 いつのまにか凪いでいる金色の目が見開かれる。彼本人も故郷ごと家族を失ったくせ、そこには同情の色を滲ませている。
「いるにはいるけど、来てって言ってすぐ来られる場所にはいないの」
「女衒はよせ。よくない。不潔だ」
「女衒、女衒ってよして」
 イセノサキは脇で頭を抱えている。
「お前たちこそ喧嘩はやめてくれ」
「もう知らない」
 アサギリは2人を置いて駐車場へ行ってしまった。日陰に座り、三途ワタラセもといハジメ・バンドウの到着を待つ。
 気を利かしたつもりらしい上司によって、かえってフブキ・マヤバシを誘えなくなってしまった。上司は揶揄ったり冷やかしたりはしないだろう。だが、そういうことではないのだ。それに、アサギリは聞いてしまった。フブキ・マヤバシは、若く柔和な雰囲気の、あの女性新入社員を誘うに違いない。顔を合わせることに抵抗を覚え、アサギリは彼を避ける日々を送っている。
 アサギリの周りにいる異性といえば、最も近いのはマージャリナだった。しかし彼女はこの選択肢を持っていなかった。浮かんだのはホストクラブの人間を別の場面で雇うという選択であった。
 パイロットでなければ。フブキ・マヤバシにぶつけた弱音、イセノサキに吐いた罵詈雑言、フォーティタウゼントに漏らした不平不満、マージャリナに晒す醜態、諸々の自身に関する情けなさを認めずに済んだのかもしれなかった。認めずにいられたなら、外で何もしらない異性を相手に色に惚けることもできたのではないか。否、相手を精査され、パイロットの情緒に著しい影響を与えるとすれば、そこに良し悪しは関係なく引き離されるであろう。或いは相手に基地内の人間になるよう迫るであろう。パイロットのための人形になれというだろう。
 人影が近付いてくる。
「アサギちゃん」
 顔を上げると三途ワタラセが立っていた。
「ごめんね、手間かけさせちゃって」
 彼はホストクラブで見るぎらぎらごてごてとした服装とは違う、質素な身形をしていた。指輪もネックレスもブレスレットもない。ただ小振りなシルバーのピアスが短くぶら下がっている。
「ううん。すごいところだね。遊園地みたい」
 笑うと八重歯が見える。アサギリはそれを目にすると安堵する。
 基地の中へ案内しようとしたときに、門の前でレーゲンが待ち構えていた。気難しい顔をして、イセノサキと立っている。
 レーゲンは三途ワタラセ、本名ハジメ・バンドウの前に立つ。アサギリはぎょっとして三途ワタラセを後ろへ引き寄せた。
「ミナカミ先生を騙すのはやめてくれないか」
「え?」
「ちょっと!どういうつもり!ワタラセくん、気にしないで……」
 戸惑う三途ワタラセをさらに後ろへやって、アサギリは前のめりになった。
「女衒はパートナーになるべきじゃない。ミナカミ先生、あなたは基地の大切な人員で、女だ。だらしない関わりは断つべきだ」
 二言目に性別の話が出てくるのは、今に始まったことではない。アサギリは反論を諦めた。こめかみの辺りを揉むように掻く。
「よせ、2人とも……」
 不眠不休に等しいイセノサキも、隠せない域にまで達している疲労に顔を青白くして溜息を吐いた。
「アナタはミナカミ先生のパートナーに相応しくない。帰れ!」
 二度も追い返され、さらにはそしりを受ける三途ワタラセはただ困惑している。しかしそれは彼には届いていないのだろう。三途ワタラセの解さない言語の壁があった。とはいえ怒りの調子だけは確かである。何が理由で自分が怒られていりのか、三途ワタラセは分からないのである。
「だめだ。もういいよ。イセノサキさん、ダンスパーティーなんか、わたし出ない。不参加です。行こう」
 アサギリはこの後にまた打ち合わせがあるが、知ったことではない。三途ワタラセの腕を引っ張って踵を返す。
「おい、ミナカミ!この後のミーティングはどうする」
「不参加で!」
 彼女は吠えた。駐車場の端に停めてある自身の車に避難する。三途ワタラセを後部座席に乗せ、運転席に座ってから、アサギリはハンドルに伏せた。
「最悪でしょ、うちの職場」
「あの人たち、怒ってたけど、なんて言ってたの?」
 イセノサキの言葉は分かったはずだ。しかしレーゲンの言葉は所々分からなかったかもしれない。彼の吐いた本質的な部分については本人に聞き取れていない。
「わたしのことがスキなのよ。取り合ってるのね。嫉妬しちゃったんじゃない?」
 努めてアサギリはおどけた。ハンドルを握った手が戦慄く。外部委託以外に、誰を頼れというのだろう。三途ワタラセは実弟とは似ても似つかないが、その愛らしさと色気の無さが、観念的な弟のようだった。そこが気に入ったのだ。そういう相手を、基本的には配偶者や恋人を連れていくパーティーに駆り出さなければならない惨めさをあの男たちは分かっていない。
「ごめんね。パーティーの話、ダメかも。でも二度も来てもらって悪いから、なんかご飯食べに行こっか」
「うん。でも、平気?なんか大事な用だったんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫。ワタラセくんこそ大丈夫?いつもならまだ寝てる時間じゃない?」
 バックミラー越しに見る三途ワタラセは眉を上げ、目を大きくしている。動物的な可愛さがある。
「昨日早く寝たから。おで、お肉食べたい。アサギちゃんは?」
「わたしは何でもいいよ。お肉って、焼き肉?ハンバーグとかかな」
「焼き肉がいい」
 ドリンクホルダーに置いた支給品の端末が震えて低い音をたてた。彼女はそれを一瞥するだけだった。
「じゃあそこにしましょう。少し高いところにしよっか。せっかくだし」
「うん!でも、アサギちゃん、お電話……」
「ああ、いいの、いいの」
 震度のたびにかたかた鳴るのは確かにうるさいかも知れない。端末を助手席に放り投げてエンジンをかける。




 三途ワタラセを彼の自宅まで送り届け、基地の駐車場まで戻ってきた。青天が橙を差しはじめている。車を降りると穏やかな潮風に髪が靡いた。
 寄宿舎に帰ろうとするも、着く前にパイロットの帰りを監視していたイセノサキに捕まった。
「少しは大人になってくれ」
 呆れからくる穏やかな口振りだった。
「呼んだ人を勝手に追い返されて、はあそうですかすみませんねって言って笑ってるのが大人なんですか。職業差別については何も言いませんよ、わたしも金であの子を良いようにしているわけですし、キャバクラで働けるかって言ったらわたしはできません。でも、だからって、わたしが選んで連れてきて、勝手にわたしのことであの子にやいのやいの言うのはおかしいですよ。それで怒ったら、悪いのはわたしですか。わたしのほうが年上だから?ま、打ち合わせを放棄したのはわたしが悪いです。他の人たちは関係ないですからね」
 嘆息が返ってくる。
「整備工の彼は、まだ相手は決まっていないそうだが」
 その一言で、全身が熱くなった。しかしここで感情を露わにすれば、またイセノサキの小言と溜息が返ってくるのは火を見るより明らかだ。
「そうなんですね。でもわたしには関係ないですから」
 努めて平静を装った。"整備工の彼"のパートナーが決まっていないからといってなんだというのだ。
「ミナカミ」
「いいですって。余計なお世話なんですよ」
「資料を送っておいたが、おまえは結局見ないだろう。印刷しておいたから目を通しておけ」
 大判の茶封筒を渡される。
「はーい」
 それを受け取って、寄宿舎の中に入っていく。
 自室に帰るとマージャリナが窓辺で絵を描いている。画材の異臭によって帰宅を実感する。
「おかえり、アサギ」
「ただいま。はあ~疲れたよ。疲れた、疲れた」
 アサギリは茶封筒をベッドに投げると、グラスとジュース、ラックにある酒瓶を持ってソファーに座った。油絵をやっているマージャリナの背後をとるかたちになる。ジュース割りを作って呷る。酒気が意識を揺さぶった。
「何か、嫌なことがあったの?」
 マージャリナが筆を止めて振り向いた。
「まっさかぁ。ないよ、何も。あたしの人生はイージーモードだからね。嫌なことなんてあるわけないじゃない」
「そう……」
 彼は腑に落ちていないようだった。集中力が切れたのか、彼は画材を片付けはじめる。




 寄宿舎の玄関は左右、東西で分かれているということはあるが、男女共用である。アサギリは管理司令室へいくつもりだったが、男子寮から出てきたフブキ・マヤバシと鉢合わせる。
「あっ、あ、お、おはよう……ございます……」
 彼の姿が見えた途端にアサギリは焦った。挨拶のタイミングが分からなくなる。かといって素通りすることもできない。簡単なことで切れてしまえる、複雑な事情がある。
「おはようございます……」
 フブキ・マヤバシは靴箱のほうへ身体を向けたまま、顔だけ寄越した。それからすぐに靴を取らないで、少しの間そこに立っていた。誰か待っているように見えないこともなかった。
「ミナカミさん」
「は、はい……」
「あの、ダンスパーティーのパートナーのことなんですけど、」
「あ、もう決まったんですか?」
 焦るあまり、フブキ・マヤバシの話を遮ってしまった。彼は少し意外そうな顔をしている。
「いいえ……まだ決まっていなくて。ミナカミさんは……?」
「わたしは不参加ですから」
「あ、そうだったんですね」
 妙な沈黙が起こりかけたところで、女子寮からやってくる者がいる。フブキ・マヤバシと懇意の若い女性新入社員である。彼女はアサギリとフブキ・マヤバシに挨拶をした。アサギリはそれから玄関を飛び出した。足を止めれば、ぐっと息の詰まる感じがあった。管理司令室に行くつもりが、サーキットのクラブハウス裏に向かっていた。縁石に腰を下ろしてうずくまる。胸が苦しくなってしまった。長いことそうして気分の切り替わるのを待ってから管理司令室へ向かった。
 フブキ・マヤバシが何故、ダンスパーティーの話を切り出したのか、それがただ顔を合わせたがゆえの世間話で、彼の自然の流れでなかったことは、レーゲン・ツキヨノと会った時に判明した。レーゲンは社員食堂での仕事を終えると、エプロンを片手に廊下にいたアサギリを呼び止める。
「ミナカミ先生。整備工の人には会ったのか」
「会ったけど、なんで?」
「それなら、パートナーになれたんだな?」
 不穏な感じがあった。アサギリは顔を顰める。
「どういうこと?」
「ミナカミ先生をパートナーにするよう頼んだ。ミナカミ先生、あの人のこと好きだっただろ」
 それでは、あの寄宿舎でのやり取りは、仕組まれたものだったのだ。この人の気持ちの分からない少年に頼まれたことを実行したフブキ・マヤバシの誘いを断ったことになる。何も知らなかったとはいえ、その厚意を無下にし、振り回したのだ。
 この異国生まれの少年は、結局は異文化の生まれの、軍人の出の、まったく違う人類なのだ。怒るだけ無駄である。発散されない怒涛の情動は彼女の中で爆発する。
「ひどい………よ、」
 怒るだけ無駄である。しかし非難せずにいられなかった。否、彼女は積極的に彼を非難しているつもりもなかった。何を口にするべきで、何を噛み殺しておくべきかの判断もつかない。
 涙が溢れ、視界が滲んだ。そういう外面的で物理的にところには敏いレーゲンに知られないよう俯いた。
「ミナカミ先生……?どうした?」
「なんでもない、けど……、マヤバシさんに迷惑かけないでよ」
 彼女は啜り泣くのを抑えたが、レーゲンに肩を掴まれ、顔を覗き込まれる。
「ミナカミ先生」
「余計なことしないで」
 血も涙もない軍人の出の異邦人の少年の手を振り払う。アサギリはそのまま本局を出た。あてもなく彷徨い、辿り着いたのは多目的棟の屋上だった。涙が乾くと、下の階の小規模な店でアイスを買ってまた屋上に戻って食らった。ベンチに浅く掛け、背筋を斜めにして空を仰ぐ。フブキ・マヤバシに謝らなければならないのでは。何が悪かったのだろう。三途ワタラセをパートナーとして選んだのが誤りなのか。そうは思えない。邪魔ばかりするレーゲンのいうことに素直に従えば、こうはならなかったというのか。イセノサキの余計な世話に付き合っていれば。
 足音が近付く。蹣跚まんさんとした足取りは酔っ払いを思わせた。それはアサギリの横に座った。メイヒル・アザレアだ。
「アザレアさん、こんにちは」
「また過ちを繰り返すのか」
 彼は真っ直ぐ一点を見つめている。誰かに対する訴えなのか、独り言なのかは定かでない。
「君は反対するべきだ。君が止めないのなら、ぼくが止める」
 メイヒル・アザレアの発言は独り言にしてははっきりしていた。
「アザレアさん。君って、誰のこと?止めるって、何を?」
 以前も同じようなことを言っていた。
「大きな力に夢をみるからいけない。過ぎた力を持つな。すべて壊されるべきなんだ。君がやらないのならぼくがやる」
「……エンブリオのこと?」
 基地局は大きな武力を持つな、とは反サザンアマテラス基地運動連盟のシュプレヒコールに含まれている一節である。
「君がやらないのなら、ぼくがやる」
 メイヒル・アザレアの首がぐりんとアサギリのほうに曲げられた。だが可動域である。筋を痛めたとしても骨が折れてはいないだろう。
「アザレアさん、もしかして何かに取り憑かれてるの?」
 人が変わってしまったのだ。有能な人物ではあったけれどコンプレックスにまみれた驕慢な人柄はエンブリオを操縦したことで廃人と化し、今度は治ったのとも違う面を見せる。これを取り憑かれているといわず、何というのだろう。
「アザレアさん」
『君はもう少し、パイロットとしての矜持を持ったらどうなんだね、ミナカミ君』
 メイヒル・アザレアの指には白墨の粉がついていた。また基地のどこかに難しい数式が書き殴られているのだろう。
『誰もが望んでなれるものじゃない。やる気、素質、環境……それだけじゃどうにもならないものに、君は生まれながらなれるんだ。人には人の苦獄がある。そんなことは分かっているがね。君を見ているとイライラするよ。君にじゃない。そちら側じゃない私にさ』
 アサギリは彼の膝に置かれている白墨まみれの指を掴んだ。粉を拭うが、乾燥した皮膚に入り込み、大して取れはしない。
「代われるなら代わりたいよ、アザレアさん」
 エンブリオは差別を生むとも、反サザンアマテラス基地運動連盟のシュプレヒコールの一節に含まれている。それは異様なまでに厚遇されておきながら逃げることのできないパイロットが差別されている側なのではないか。
『それならアザレアさん。誰でもパイロットになれるようにしてよ。そういう研究、してよ。解放して!パイロット辞めさせてよ』
「君は反対するべきだ」
霹靂神はたたがみ統治ノ地なんてまだいいほうさ!戦争地帯じゃないんだからな』
『パイロットにもなれないくせに勝手なこと言わないで。じゃあアンタたち無能が戦地入りして、助けてやりなさいよ!恵まれない戦地のガキどもをよぉ!』
 メイヒル・アザレアがオペレーター担当のときは、荒れたものである。オペレーターとパイロットの相性としてはデータとしても最低値を出していた。
「もう行くね、アザレアさん」
 アサギリは近くにある監視カメラを確認する。彼に何かあれば、適切な処置をされるだろう。
 寄宿舎に戻るところでフブキ・マヤバシと会う。
「あ、お疲れ様でございます」
 フブキ・マヤバシは柔和な笑みをこぼす。
「お疲れ様です。あの、マヤバシくん。朝は、ごめんなさい。まさか頼まれごとだったなんて知らなくて……不参加って話に行き違いがあったみたいで」
「いいえ、いいんですよ。気にしないでください」
 寄宿舎に入れば、玄関まで一緒になる。それが苦しかった。アサギリは寄宿舎に戻らないふりをして足を止めた。彼女も同じ方向にいくものと思っていたらしいフブキ・マヤバシは数歩進んでからアサギリを振り返る。
「お帰りじゃないんですか」
「うん。ちょっと本局に用が」
 本当のところはない。だがフブキ・マヤバシが怪しむ由もない。彼は一言二言残して寄宿舎へ入っていく。その後姿を見つめていた。それだけで良いのだ。だがイセノサキもランドロックト少年も口喧しく小突き回したがる。
 時間を空けて、彼女も寄宿舎へと入っていった。
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