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熱帯魚の鱗を剥がす(改題前) 陰険美男子モラハラ甥/姉ガチ恋美少年異母弟/穏和ストーカー美青年
熱帯魚の鱗を剥がす 20
しおりを挟む口淫の音は、隣の部屋から聞こえる楽器の音に対抗しているみたいだった。
朋夜は内股を擽る毛髪を嫌がった。嫌がったつもりで求めているようでもある。
「あ……あっん」
彼女の秘部は糸魚川瞳希が舐めずとも淫猥なほどに濡れそぼっていた。だが糸魚川瞳希はそこを積極的に、欲望として舐め舐り、啜り味わいたかったのであろう。朋夜の柔らかな腿を担ぐように持って丹念に舌を這わせる。溶けたソフトクリームでも食っているかのような舌遣いだった。
「や………だ、………」
肉体の持ち主がそのように拒絶の言葉を口にすれば、彼は溶けたソフトクリームではなく、淫らな芽を吸った。舌先で抉るとどこかで甘い鳴き声が上がる。瞳希は夢中で止め処なく溢れ出る蜜を啜った。
「あ……っあはぁん」
悪戯ばかりしている舌が蜜膜を突き破り、朋夜の内部に侵入する。彼女は身悶えた。担ぐような体勢だった瞳希の腕が弛緩し、朋夜の腿に熱い掌が添えられた。
「いや……っあんっ………抜いて、あぁっ!」
糸魚川瞳希は朋夜をこのように手籠にしている以外、殴ったり叩いたり蹴ったりはしなかった。しかし与えられる快楽は殴打に似ている。奥深い絶頂間際の悦びに、彼女は息も絶え絶えになっている。
「綾鳥さんは、どこもかしこも甘いんですね。あはは、糖尿病って言いたいわけじゃないですよ。官能小説の、ヒロインそのままだから、感動しちゃって……だって女の人だって、汗は普通にしょっぱくて、お股は臭いじゃないですか。なのに綾鳥さんはどこもいい匂いがして、どこもかしこも甘いから……」
口周り粘こくてらてらと濡らして光らせる爽やかな雰囲気の美青年はだらしのない感じがある。
「あんまり舐めるとふやけちゃいますね。そろそろ挿れますね。もうきつくて……」
瞳希は柔和に微笑み、己の股で膨れたものを露わにした。グロテスクな形状の赤黒いものが臍をめがけてぶるんと跳ねた。
「そ………れ、」
「一度は綾鳥さんの中に入ったんですよ。だから入ります。安心してください。しかも今回はたくさん舐めて濡らしましたし」
朋夜は後ろへ身を退いた。だが腰を掴まれる。
「この前はあまり感じてくださいませんでしたから、今回は、たくさん感じてくださいね」
粘膜と粘膜、牝牡の凹凸が合わさった。瞳希が一気に腰を進めた。蜜もしとどの隘路が削れていく。
「あはっあんんんっ!」
朋夜は背筋を撓らせた。瞳希の掌が彼女の口を塞ぐ。嬌声が曇った。激しい収縮が牡茎を咀嚼する。
「―綾鳥さ……んっ、隣に、聞こえます、」
彼は呻くように言った後、女の腹の中で射精した。互いに互いを果てさせてしまう。瞳希の切り替えは早かった。蠕動しながら息を整え、牡太刀を牝鞘に納めたまま研いでいく。しかし朋夜のほうは小刻みに震えながら呼吸を荒くしていた。
「早漏ですみません……次は頑張りますから」
湿気を含んだ髪を掻き上げて瞳希は朋夜の腰を抱き直す。
「あ……、ぁあ………ん………」
彼がゆるりと腰を動かすと、じゅぷぷ、とぷぷと結合が粘着剤を使ったみたいになる。
「ゴムするの忘れちゃいましたね。子供がデキたら相談してください。一緒に産婦人科行きましょう」
溜息のような呼吸をして男は達した直後だというのにまだ頑とした器官を慎重に前後させた。
「動か、な………いで……っ、アぁ!」
「ここが気持ちいいんですもんね。ここ突いたらすぐイっちゃうんでしょう?」
彼は試しとばかりにそこを突く。気絶するほどの快感が爆ぜ、瀞けた肉路は内部の固いものにしがみつく。
「あ!ひぃんっ」
「―ッんぅ………でもぼくも、ここ突くと綾鳥さんにすぐイかされちゃいますから」
汗を輝かせ、麗かな青年は爽やかに笑う。
「放し……て、ください………もう、はな……」
「放しませんよ、綾鳥さん。ほら、綾鳥さんもぼくを抱いてください」
布団カバーに引っ掛かっていた指を剥がして、彼は身を伏せると自分の背中に回させた。
「ああ……っ、いや、ぁっ」
朋夜の腕はだらりと結局はまた寝具に叩きつけられた。
「綾鳥さん……」
彼は仄かに眉を下げて哀れっぽい顔を見せる。そして呻くように朋夜の名を口にすると、それだけで女体に納めた肉太刀は硬く膨らんだ。咥え込むのもやっとな質量に、その蜜喉は嚥下する。摩擦から逃れきれず、扱き扱かれ、図った快楽みたいに彼等は甘い声を上げた。
「あ……っく、ぅ」
「ぁあんっ」
ピストン運動を抑えることが、もう若い肉体には苦痛であったらしい。瞳希は徐々に腰を速めた。接合部が卑猥な音を出す。白濁した液体が泡立ち、そこに留まりきることできずに落ちていく。肌と肌がぶつかる。肉に肉を打ち付ける間、彼は朋夜と手を掴んだ。見た者を誤解させる握り方である。これは強姦のはずであった。男には正規のパートナーがいるはずであった。女にも社会的、法律的に認められた夫があったはずで、まだ破棄もされていないはずだ。ところがそこで一心不乱に、或いは茫然自失としながら交合う牝牡は、さながら元々がひとつの塊であったみたいに固く結びつき、下肢は近付けるたびに弾かれる磁石を思わせる。
「あっ、あっ、あっ、あああっ!」
「ん……っ、あやと………りさんッ!」
彼は苛烈な蜿りに呑まれて腰を深々と突き刺した。小刻みに震えて唸る。
「あ………あっあ………出てる……っ、」
「まだ止まりません………全然、おさまらない………」
衰えることのない放精によって泡立った接合部が氾濫している。果てた直後の感度から逃れるように彼はわずかに腰を引く。汗ばんだ肌や引き攣る腹筋、息切れに淫楽の疲労が垣間見えた。
「も………む、り………もう………っや、ぁんっ!」
愛おしそうに繋がれた手を彼女が解こうとしたきに抽送が再開する。
「だ………めぇっ!また……!いやっ、ぁんんっ!」
「いいですよ、イってください……」
片眉が歪み、その下の目が半分瞑られた。額を伝う滴が震動によって落ちていく。
「もうだめ……っ!変なのまたクるの、いやぁっ!」
先程の高まった嬌声から間を置かず、彼女は果てた。しかし相手の男は果てていない。粘着質な音に水分が増していく。暴れる女を彼の腕が縛り付ける。
「おかしくなる………っ、おかしくなるからっ、!おかしくなる!」
陸に打ち上げらた魚の如く跳ねながら彼女は譫言を叫んだ。腹の中で発生した莫大な力は脳天を貫くだけでは解放しきれず、彼女の脚は男の引き締まった腰に絡みつく。まるで抱擁によって押さえつけられていることに対抗している。
「ぼくも、……」
糸魚川瞳希は爽やかだった美貌を汗まみれにして、悩ましげな表情を浮かべながらふたたび精を放つ。繁殖のためだけに生まれ、交尾のために生きながらえる動物を彷彿とさせる姿だった。
―オレだって急に言われて混乱してんだよ!
―それって本当に……浮気してた、ってことだよね…………?
―お前がヤらせてくれないからだろ!オレだけが悪いっていうのかよ!
腹底を叩かれる感覚で意識を失い、腹の中の律動で目が覚める。息苦しさもある。身動ぐと妙に蒸れた汗ばんで冷たいが握られた。重さを知る。
「綾鳥さん……」
圧しかかり自由を制限するものが動いた。冷房が点いているのか空気が寒かった。肩を縮めると、乗っているものがわずかな隙間も赦しはしない。
「綾鳥さん……起きました?」
掠れた声に異様な色香を帯びている。彼も寝起きのようだった。
「ぼくでたくさんイってくれて嬉しかったですよ。隣の部屋に、聞こえちゃったかも知れませんね」
その言葉で、まだ寝呆けていた朋夜の頭は一瞬で冴えていく。
「大丈夫ですよ。兄はこっちのほうはまったく疎いですから。白痴なんです」
瞳希は耳元で囁き、ゆっくりと腰を引いてはゆとりを持ってまた押し入る。腹の中に埋まる直線状の存在を知らしめられている。
朋夜は唇を噛んだ。それは悔しさによる自罰、現実逃避の自傷なのか、はたまたこの男からの揶揄とも忠告ともいえないものを気にしたのか。
「思い出したらまたしたくなっちゃいました」
数度勢いをつけて瞳希が中で往復する。摩擦が体内に響く。快感が広がった。結合部から垂れていく卑猥な冷たさが引き立てられる。
「い………や………っ」
「します。またぼくでイってくれたら嬉しいです」
彼は乱暴に動いて女の膜を傷付けることはなかった。慣らしながら犯す。隣の部屋が静かなのが不安だった。
「京美くんとするときもこんな感じなんですか」
臍の下辺りを隆起させるものが膨らんだ。突く力が強まる。
「や、ぁんっ」
彼の先端と内壁が衝突するたびに起こる甘い感覚に彼女は啼いてばかりで答える余裕はない。
「答えてください」
瞳希の腰の動きが止まった。彼の両手が朋夜の胸に伸びる。鉤を作った指がぷつんとした実りを碾いた。
「あ、ぅんっ」
朋夜は咄嗟に口を押さえた。爪を噛む。このタイミングで、階段を上がる小さな跫音が耳に入る。彼女は眉根に濃く皺を寄せて目を見開く。指に歯を立て、強烈な官能を痛みへと逃がす。
『ただいも、とーき』
瞳汰の呑気な声が閉められた扉の奥から聞こえた。左右の胸の敏感なところを一際強く捏ねられる。指と指が息をしているみたいにリズムをつけて揉まれ、朋夜は自制も利かなくなった蜜肉で牡杭を引き絞る。
「―ただいま……、」
瞳希の返事は譫言にも嬌声にも似ていた。おとなしくなったかと思うと、激しく腰を振り、目の前の牝の肉体を貪ることに夢中になった。拍手と紛う音を立て放精を目指す。
「だ……め、だめ………だめ、だめぇぇっ!」
朋夜は両手で口を押さえた。首を振る。恐ろしい快感の波が迫ってきているのだ。ところが隣には糸魚川瞳汰がいる。
「綾鳥さん……っ!」
「ああ!」
潤いを増し、蜿り、引き絞り、収縮する女体を堪能する間もなく瞳希は一気に駆け上がった。何度目になるのか数えるのも忘れて彼等は絶頂する。牝は男の射精を促して種を奥深くまで乞い、牡は女を孕ませようと腰を沈ませ多量の精子を撒き散らす。互いに互いを拘束する様は生殖しながら殺し合っているようにも見えなくはなかった。
「もう、出ません……もう……出ないのに………綾鳥さん…………」
しかしながら彼は言葉に反して腰を振り続ける。性器はまだ女の隘路の中で固く勃っている。熱く濡れた襞に擦り付けて悦びを拾っている。びくん、びくん、がく、がく、と跳ねて引き攣る女のことなど構いもしない。
「ぼくでこんないっぱいイってくれるなんて…………嬉しいです」
届く限り、首を伸ばして糸魚川瞳希は朋夜の肌を啄んだ。感極まった様子で唸っている。どれだけ彼女が声や音を抑えても、ベッドの軋みは騒がしかった。隣の部屋にいる人物も、この物音は壁越しに耳にしている可能性がある。
「ぼく、遅漏なんです……カノジョとはなかなかイけなくて……………だから、正直驚いてて……こんな…………」
何を話しているか朋夜にはもう分からなかった。意味を成さない声が聞こえているだけだった。だが同時に身籠っている牡芯が膨張していることに関してはすぐに察知できた。
「もう……むり、です…………おねがい、おねがい…………もう……」
「だめです。ぼくだけ気持ちいいのは申し訳ないですから」
接合部の摩擦、衝突によって朋夜のそこは瞳希の出したものを失禁したみたいに漏らしていた。ぐっちゃ、ぐっちゃ、くっちゃ、くっちゃ、汚らしい咀嚼を思わせる抽送だった。
「止めて……止めて、とめ………っ、あぅう!」
手を握ろうとする指を打ち払い、頬に触れようとする掌を叩き落とし、腰を掴む男の腕を突き撥ねる。
「ちょっと傷付きました」
彼は半分顔を歪めながらいつもの柔和な笑みを浮かべた。容赦のない力加減で女の腰を掴み、急激なピストン運動がはじまる。
「ぃ、や、あっ!」
「しっかりぼくの匂いつけておかないと」
片脚を持ち上げられて交合わった。シーツに互いの体液の混ざったのが落ちていく。それから獣みたいに交わり、最後には引き締まった男体を下敷きに突き上げられた。
「奥………きて、る………から、」
朋夜は体内に爆発的な射精を感じて視界を明滅させた。自力で立つこともままならない。崩れかけたところを支えられ、ベッドに寝たところで栓が抜かれた。どぷぷ、どぽぽ、と局部が氾濫する。重みが消えて彼女は深い息をした。
「結局答えが聞けていませんでしたね。京美くんとはこういうこと、するんですか」
肉と肉の結合が解かれたからといって放っておく瞳希ではなかった。彼は怠そうに横たわる朋夜に寄り添い、圧しかかり、冷たくなっているが微かに汗ばんでもいる肌を撫で摩る。
「答えてください」
乱れて百舌鳥の巣になった髪を梳きながら瞳希は訊ねる。これが2度、3度と続けば、朋夜も負けてしまった。頭の中で銅鑼でも叩かれているような耳鳴りを堪えながら重い顎を動かす。
「糸魚川さんに、は………関係ない………」
「……そうですか」
手櫛が止まる。激しい接吻を仕掛けられて朋夜は生きてはいるけれども屍と見紛うほど虚ろになってしまった。
「帰り、送ります。でも、歩けますか。泊まります?」
彼女は答えなかった。投げ出された手足はぴくりともしない。瞳希はベッドを一喚きさせて跳び起きる。
「生きてますか」
軽く顔を叩かれるが、そこに暴力性はなかった。焦りが垣間見えた。目玉をぎょろと動かすと安堵を示す。
「綾鳥さん……ぼく、前に綾鳥さんを見たことがあるんですよ」
眼球だけ応じる。彼も彼女の目線に気付いて話を続ける。
「すぐそこのあの駅で。誰かお亡くなりになったんですか。あなたは和装の喪服でした」
朋夜は目を伏せた。ここでその問いを投げかけるのはこの男なりの意地悪なのではあるまいか。
「……夫です」
「旦那さん……?」
頭の埋もれた繊維で皮膚を擦る。
「旦那さんが、お亡くなりになったんですか」
彼女はまた同じ動きをした。
「綾鳥さん……」
瞳希は女の背中に頭を押し付けた。頭突きであった。だが彼女は入れ違いに身を起こす。
「帰ります。今日のことは忘れます……糸魚川さんも、どうか忘れてください。お願いですから……お願いです」
脱ぎ散らかしてある衣類を拾っていく。朋夜は一切、糸魚川瞳希を見ようとはしなかった。
「シャワー、浴びていきますか」
腿を伝い、膝裏で曲がり、脹脛を落ちて踝で湾曲する液体を彼は凝らしていた。
朋夜は問いかけに首を振る。自身の纏う汚れを彼女は十分承知していたことだろう。しかしすぐにでも、発情期の牡狗を飼うこの家から離れたかったに違いない。一言告げてティッシュを抜き取ると、簡単に肌のものを拭いて躊躇いがちにショーツを履いた。動作の端々に気怠さを帯びている。それを眺める若い男の目には、まだ飽き足らない欲望がかぎろう。
「綾鳥さん」
「帰ります。わたしは何も知りません……糸魚川さんはマユちゃんのカレシです。わたしは何も……」
蹌踉として朋夜はやたらと重いバッグを持ち、これまた重い扉を開く。
「綾鳥さん……」
「ひとりで帰れますから。ひとりで……」
食い気味に応じる嗄れ果てた声は圧を与えた。膝の骨も太腿の脂肪も重い。踝などは鉛玉に取って替えられたのではないか。壁伝いに階段を降りる。リビングの脇を通りかけた時に、人の気配を感じた。
「あ、朋夜さん。もう帰るん?」
ダイニングテーブルでコップにオレンジジュースを注いでいたのは瞳汰だった。愛嬌のある笑みは何も知らなかったふうである。知っていて、察していてもそのように繕えるのならば、朋夜にとっては救いだったことだろう。
「お邪魔しました」
嗄声は取り繕えなかった。瞳汰は、ひょ、と目を点にする。
「喉やば~。待ってよ、朋夜さん。なんか飲んでいきなっすよ。瞳希ったら何も飲ましてくれないんだ」
瞳汰の足取りは軽く冷蔵庫へ向かった。茶のペットボトルを持って彼女の前にやってくる。
「飲んで、飲んで。もう暑い季節だし、倒れたら大変すもん」
その雰囲気は、まるで飲むところを見るまで退かないといわんばかりだった。朋夜はちらと、にこついている瞳汰の顔を一瞥してから受け取る。
「ありがとう」
朋夜がペットボトルのキャップに手を掛けた途端に彼は慌てて上から押さえた。
「それは取っといて、オレンジジュースにするすか?」
「平気よ。ありがとう」
朋夜は俯いたまま答えた。掌が触れたまま手首を捻る。キャップが軋る。
「送っていくっすか?」
一口、二口、昔から馴染み深いメーカーのよくある商品の茶で喉を潤す。冷たさが心地良い。だが嚥下の際の痛みはすぐに治まるものではなかった。
「だい―……」
キャップを締める手が止まる。答えるのも止まる。階段から蹣跚と降りてくる者に気付いたからである。
「おねがい……」
何をしに糸魚川宅を訪れたのか、朋夜はもう忘れてしまった。目の前の野暮ったい迂愚な少年みたいなのに謝罪に来たはずだった。
「うん、分かった。オレもね、駅のほうに用あるから」
瞳汰は心配することも理由を訊くこともなく快諾する。
「綾鳥さん」
そこに瞳希が合流する。彼も声が嗄れていた。
「わはは、とーきも声嗄れてるじゃん。クーラー点けすぎなんじゃね」
やはり何も分かっていなそうな瞳汰は軽快に笑った。だがその双子の弟は兄には応えない。
「綾鳥さん、送ります」
咄嗟に朋夜は瞳汰を見遣る。
「オレが行くよ。駅前 商店街に用あるからさ」
瞳汰が容喙した。朋夜は瞳希のほうを見られず、冷たいペットボトルを握り締めて俯く。
「ああ……そう………じゃあ、綾鳥さんをよろしく」
「おっけー!」
瞳汰はリビングに戻るとオレンジジュースのコップを一気に飲み干す。その間に瞳希が近寄ってきた。朋夜はペットボトルの冷たさに意識をやりながらも蟹歩きの如く距離を取ってしまった。
「すみません……」
「わたしは忘れますから。マユちゃんにだけは、心の中でずっと謝っていてください」
朋夜が瞳希を向くことはない。掠れた声は冷淡だった。
瞳汰の出掛ける準備が整い、出る間際になっても朋夜が瞳希を見ることはなかった。
外はわずかに橙を帯びている。すでに夕方の時間帯だった。日が伸びて、まだそうそう暗くない。
「朋夜さんは夏の予定あるんすか?」
玄関前で靴の爪先をとんとん打ち付けながら瞳汰は訊ねた。
「……ないよ。専業主婦だから」
朋夜は不機嫌者みたいに先にすたすたと門を出る。瞳汰はすぐにたった数歩の距離を追いかけてきた。
「専業主婦ってお休みないんすねぇ。ね、ね、夏休み期間中ね、浴衣でお店来てくれたら割引とか、サービスあるからね!よかったら来てよ。家族で来て、1人だけでも有効だからさ!」
「うん」
帰り道、瞳汰は近況や夏の予定について様々なことを話していたが、朋夜は雑な相槌と空返事ばかりであった。彼の目的地の駅を通り過ぎ、マンション前でついてきたとき、ふと掲示板の前で瞳汰は足を止めた。
「なに?」
朋夜も不思議に思い、関心を示す。普段は保護猫の里親募集や、募金活動の報告、防火防犯のポスター、訃報などが張り出されている。
「これ、友達の家のだったから」
とんとんと貼り紙を雨風から守るガラス扉を指で小突いた。それは淡いグリーンの紙に印刷された、個人宅での地域サロン開催の報せだった。カタカナで記された氏名は外国人の家らしい。
「ジョーくんっていうんす。読書会とか、たまに職場でやるんすよ」
「ジョー……?」
聞き覚えのある名に朋夜は瞳汰をばち、と見つめた。
「ジョエルっての……女に口に、えっとね、なんか難しい漢字……飲兵衛みたいな……で、龍。ドラゴンの。簡単じゃないほうのやつ」
薄い掌に棒切れみたいな貧相な長い指が、雑に字を書く。
「イケメンだしいい人っすよ。ちょっと怪しいって感じであんまり人来ないみたいっすケド」
彼は人懐こい苦笑いを浮かべる。
「そうなんだ」
とはいえ彼女も、瞳汰の言う人物が、自分の知る人物と同じであるとは思わなかった。
瞳汰はまたその貼紙をまだ見ている。
「ここまでで平気。ありがとう、瞳汰くん。君に謝りにきたのに」
「へ?」
彼は目を真ん丸に剥いた。
「甥が殴ったでしょう?そのこと。本当にごめんなさい」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。オレが朋夜さんに悪いコトしたと思ったんでしょ。だいじょぶっすよ、朋夜さん。気にしないで!お茶いっぱい飲んで、喉、お大事にね」
軽快な糸魚川瞳汰の姿が消えるまで、朋夜は見送っていた。
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