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熱帯魚の鱗を剥がす(改題前) 陰険美男子モラハラ甥/姉ガチ恋美少年異母弟/穏和ストーカー美青年
熱帯魚の鱗を剥がす 17
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結婚しよう。ねぇ、朋夜。おまえはおまえの人生がある。姉貴だからって弟が大人になるまで面倒看なきゃいけないなんてことはないはずだろ?神流くんが二十歳になるまで待つつもりなのか?
返事をくれよ。なぁ、結婚してからも、弟くんの面倒は看られるし……ああそうだ、一緒に暮らさないか?もちろん、弟くんがオーケーしてくれたらだけど……
飲み会でさ、一緒になっちゃって……なんも疾しいコトはないんだ。ホントだって。天地神明に誓ってな!酔ってたし……駅前に放り投げとくわけにはいかないだろ?女の子なんだし……
ごめんな。でも好きになっちゃったんだ。弱い子だから……この前も、手首切ってて……頼む!別れて欲しい。
鷹任が……鷹任がっていうか、そのお相手さんが、綾鳥も結婚式来ないかって……付き合ってたの、知らないのか?いや……その、断るなら、こっちから……
頭おかしいよ。ナメてるよね。姉さんが結婚式中に、包丁持って刺しに行くなんて、考えもしないんだから。やめときなよ、姉さんの経歴に傷が付いて、姉さんだって怪我するかも知れないんだから。
朋夜……いいんだ、別に。結婚なんか巡り合わせで、法律でしかないし、無理矢理することでもない。多少残念に映るなら、それは娘が裏切られたことだよ。
+
下手くそなアコースティックギターが聞こえる。それからハミングが聞こえた。混濁した意識の中、非常に耳障りである。
目蓋が開き、眼前は白ずむ。
「はよっす。もう夜だけど」
身体を起こす。ソファーに寝ていたらしい。
「貧血って聞いたけど大丈夫?」
糸魚川瞳汰だ。
「なんか体調不良だったんでしょ?瞳希から看ててくれって言われたんすけど……」
状況の分かっていないらしい朋夜に彼はそう説明した。徐々に直近の記憶が手繰り寄せられていく。
「ごめんなさい。二度もわたし……」
「いいっすよ、いいっすよ。ホントはベッドに寝かしてあげたかったんすケド……色々と問題かなって。寝違えてないっすか?」
アコースティックギターのベルトを肩から外し、瞳汰はソファーの傍にやって来る。
「具合、どうすか?救急車、呼ぶっすか?」
「平気……随分良くなったから。また迷惑かけちゃったね」
「別に迷惑じゃないすよ。オレここでギター弾いてただけっすからね」
瞳汰はテーブルにあるスポーツドリンクを渡した。
「……ありがとう。糸魚川さん……弟さんは?」
朋夜はドリンクを受け取って一口飲む。さらなる口渇を自覚する。
「バイト戻った。朋夜さんは、帰れそう?ダメそうだったら、親父に車出してもらうっすけど」
「大丈夫。帰れる」
「ほんとぉ?遠慮しないで。一応ね、パピィにメールしたからだいじょぶ。線路向こうの青いマンションっすよね?そんな遠くないし」
「ありがとう。でも平気」
ソファーから降りようとしてふらつくのを瞳汰が抱き留める。
「おっとっと、ゴメンなさい」
彼は朋夜をソファーの背凭れまで戻すとすぐに腕を引っ込めた。ぎこちなく掴んだ力加減が肌に残る。彼はまた楽器の元に帰った。
「もうちょっとゆっくりしてく?」
暇そうな手がアコースティックギターの弦を鳴らす。ぎらつきのない能天気な野暮ったさは先程の忌まわしい出来事を悪夢にした。
「ううん。そろそろ帰るよ」
甥はどうしているだろう。ソファーの横にバッグが添えてあった。端末を手に取るのと同時にインターホンが鳴った。
「はぁい」
ギターと同じ色合いの服を着た家人は弦楽器を置いて玄関へ出ていった。それから間もなくして鈍い物音が聞こえ、朋夜はびっくりして玄関ホールを覗きに行ってしまった。
「えっ、ちょ……何っ?」
まず目に入ったのは仰向けに倒れる瞳汰である。顔を両腕で守る姿勢をとっているのは只事ではなかった。それから訪問者を捉える。京美だ。
「帰ろう、朋夜」
しかし呆然とする朋夜が反応する前に瞳汰が跳び起きる。両腕を伸ばし、朋夜を庇った。
「下がってて、朋夜さん。カレシ?」
来訪して間もなく暴力行為である。人の好さそうな瞳汰も警戒した様子だ。
「違……くて。わたしの……」
框を上がろうとする京美を抱擁するみたいに瞳汰は止めに入った。拳が飛ぶ。
「あっ、で……」
ぴっ、と視界の端で撥ねたものを朋夜は咄嗟に見てしまった。赤い雫が落ちている。
「うそ……瞳汰くん!」
顔面を押さえて縮こまる瞳汰に彼女は触れた。貧相だ、貧相だと思ったが、確かに掌に伝わるのは骨張って硬い。筋肉も脂肪もあまりついていないらしい。
「離れて……服、汚れちゃうす」
彼は身を捻り、背で朋夜に体当たりをする。なかなかにシュールな所作だった。
「待ってて、ティッシュ持ってくるから……」
「大丈夫っす……大丈夫。男の子なんてすぐ鼻血 噴出するんだし」
しかし彼女は彼の言い分を聞かず、リビングに駆け込む。ティッシュを見つけ、箱ごと掴んで瞳汰の元に戻ると数枚を纏めて毟り取る。
「折れてない?」
「うん。多分。そんな痛くない」
朋夜は突っ立っている京美を睨み上げる。
「京美くん!どうしてこんなことしたの?警察呼ぶ?」
語気を荒げた。京美はぎく、と被害者じみた態度を示す。
「まぁ、まぁ、まぁ。へーき。オレ、へーきだから。朋夜さんの知り合いなら、こんなん、警察呼ぶほどじゃないって」
ティッシュの束を鼻に当てながら瞳汰が割り込む。少し濁りの入った高い声質が赤く汚れた顎や服に反して呑気である。
「でも……」
「なんか誤解があったんでしょ、多分……そうっすよね?あ……違った?」
ティッシュを血で染めながら瞳汰は能天気なことを言い、しかし朋夜と暴力的な来訪者の間に入ろうとちょこちょこ横に移動する。
「彼は甥なの。わたしの……」
「甥?甥って何?ああ、兄弟姉妹の子ってコトか」
瞳汰は勢いで喋る。
「甥か。びっくりした。カレシかと思った。でもそんなワケないか。朋夜さん若いからなぁ」
「気安く呼ぶな」
「京美くん……ちょっと黙っていて」
何故甥が凶行に及んだのか、朋夜は訳が分からなくなった。様々なことが一挙に押し寄せ、頭が痛い。そのうち脳が破裂するのではあるまいか。
「迎えに来てくれてありがとう。でも、瞳汰くんは親切にしてくれたんだよ?その人に話も聞かずに殴りかかるなんて……」
感情が混乱している。この場に持ち出すべきではない、通り過ぎたつもりで蟠っていた激情までもを引き寄せてしまう。処理しきれず、どこかを漂い、行き場もなく、凝っていた。涙が落ち、治まらなくなる。
「えっ、えっ、朋夜さ……ん、」
瞳汰は目を丸くした。触れようとして、その手が赤いことに気付くと、宙を掻く。
「ごめんなさい、瞳汰くん。また今度お礼しにきます……お父様とお母様によろしく言っておいて。―帰ろう、京美くん」
目元を擦る。締まるような喉を抉じ開けて喋った。
「朋夜さん」
「またあとで……本当にごめんなさい。看病してくれてありがとうね」
朋夜はバッグを取りにいって甥の袖を引っ張った。
「うん。元気でね、朋夜さん。元気でね、って違うな。お大事に?ご自愛ください?」
彼女は戯けた口振りを背に、顧眄することもなかった。玄関を出て一、二歩で門だった。公道へ出る。京美は黙っていた。朋夜も喋るだけの体力がもうなかった。自宅まで歩くのに精一杯である。そして内心、さらなる不安に怯えてもいた。この甥の顔を立てなかった。男の顔を立てないこと。以前恋人に責められたことがある。詰られ、謗られ、罵られたものだ。昔の恋愛の一言二言が彼女を縛り付ける。しかし後悔はない。糸魚川瞳汰を突然殴る必要はなかった。他者に明確な迷惑、否、実害を被らせておきながら甥の機嫌を尊重するのは、朋夜にとって夫の遺影に泥を塗りたくるようなものだった。
「お疲れ様です」
糸魚川宅から離れようとしたとき、斜向かいの公園から出てくる瞳希の姿を認める。同性の双子でも二卵性のためか声もあまり似ていない。職場真後ろの公園を突っ切って、帰宅するところだろう。通勤時間は5分もしない。3分あるだろうか。ないかも知れない。
「お疲れ様です」
朋夜は深く頭を下げた。
「体調のほうはいかがですか」
「もうすっかり良くなりました。大変な迷惑をおかけしてしまって申し訳ないです」
「ふふふ、いいんですよ、ご無事なら。よくあることですし。あの資料室自体、いい感じの構造じゃありませんもんね」
不織布の黒マスクはもうない。彼の印象的な涙袋がぷくりと隆起し、爽やかな顔が綻ぶ。
「ぼくのほうこそ兄に丸投げしてしまってすみませんでした。京美くんも、案内できなくて……でも、辿り着いたようでよかったです」
京美は糸魚川宅を訪れる前に瞳希に会っていたらしい。彼は「まぁ、表札がありますもんね」とか何とか言いながら微笑んでいる。しかし京美に反応はなかった。
「では、お大事になさってください」
瞳希は笑みを絶やさずに頭を下げる。朋夜も頭を下げてその場を去った。甥は黙っている。
自宅マンションに近付いたところで、やっと京美は口を開いた。
「ねぇ」
その短い声音だけでは、彼が今不機嫌に沈み、怒りに身を焦がしているのかを判じることはできない。朋夜はびく、として義甥を見遣る。
「……怒ってる?」
朋夜の目が泳ぐ。
「怒ってないよ」
「ごめん。服、汚れた?」
「汚れてない」
裾を摘んで引っ張り、確認してみるが汚れは見当たらない。
「本当に、ごめん」
朋夜は上手い返事ができなかった。狼狽えて、ゆるゆる首を振りながら俯く。謝られる筋合いを彼女は自身に見つけることができずにいた。ひたすら負担がかかったのは糸魚川瞳汰である。
沈黙が鑢みたいに肌を砥いでいくようだ。
「わたしのこと、心配してくれたんだもんね」
朋夜は声を上擦らせた。その気のない頬肉を吊り上げる。痛々しい響きがブーメランの如く撥ね返って彼女を切り付けた。甥が心配などするはずがないことを、この叔母はよく分かっているつもりだった。心配などしていない。
『俺が叔母さんのことなんか、心配するわけないだろ』
表情の失せた朋夜は彼の反応に備える。しかし京美はそれすらもよこさない。
自宅に辿り着き、玄関ホールに入った。後ろから来た甥も中に踏み込む。朋夜の胸元に腕が回った。背中の湿度が高まる。急激に蒸れた。
「京美、くん……?」
やはり彼が応えることはない。耳に吐息がかかる。後頭部を押されている。不穏な甘たるさがあった。しかし予感するのも躊躇われるような悍ましく、いやらしく、浅ましい。
「どうしたの?」
問うと、鎖骨付近で結ばれた両手が解けた。肩に触れ、彼女は甥と対面させられる。油断と隙は与えられていた。だが朋夜は逃げることも忘れて後退り、容易に壁と甥との狭間に閉じ込められた。
「あ、あ……」
自分の有様を確認するみたいに彼女は後方左右を瞥見する。肩を掴む手を警戒しているようにも見えた。甥からしてみると、それは頑として自分と顔を合わせない意固地な仕草に思えたかも知れない。横面を横面で正面に向かせ、京美は叔母に口付ける。
「ぁ、う」
一度、二度、機嫌を窺うような短いキスをした。それから図に乗ったらしく柔らかな感触で遊んだ。だが黙って堪能されている叔母でもなかった。彼女は甥を押し返す。言葉はない。ただ驚きと、それだけではなく非難混じりに高いところに位置する双眸を見上げた。ところが京美にしてみれば、それは上目遣いに違いなかった。彼は目蓋を割っ開いた。昏い瞳は爛々と、妖しくも赫赫明明としている。肩を掴む手に力が入り、壁に押さえつけられていた朋夜は、今度は壁から引き剥がされた。甥の口元が唇を圧迫する。彼の腕は背に回った。触れるだけの接吻だが押し合い減し合い、首相撲もしくは頭相撲の様相を呈する。しかしもう一度、叔母の突っ張った肘によって口唇の接着は解かれる。
「京美くん……」
「俺を捨てないで」
泣きそうな色を帯びていた。朋夜は目を見張る。俯いた彼の表情が長い前髪に隠れる。
「捨て……ないよ。当然じゃない。どうしたの……?」
「警察を呼ぶって……言った」
「それは暴力を振るったから。でももう帰ってきたし、呼ばないよ。瞳汰くんも赦してくれた。お願いだからもうあんなことはしないでね。わたしは京美くんのこと、捨てようだなんて思ってないから」
よく考えると朋夜にとってこの甥は哀れな子供である。母親とは早くに離れ、父親もこの息子を置いて失踪してしまったのだ。両親のいなくなった彼は叔父に育てられれけれども、その肝心の、たった一人の身寄りともいえる叔父は病没した。
「しない」
「迎えに来てくれたのに、わたしもきつく当たってごめんなさい。ありがとうね」
怒られはしないかと半ば不安がないでもなかったが、彼女は気難しい甥の腕を軽くぽんと叩いた。彼は怒ることも避けたりすることもなかった。寂しがり屋なのだろう。京美は叔母に抱き付いた。固く両腕に閉じ込める。母親からの情に飢えている彼は年上の女性というものにコンプレックスや複雑な感慨を覚えているに違いない。ゆえに暴走するのだ。本能と遺伝子が訴え出てこない、血縁関係のない年長者の女に対して歯止めが利かなくなるのかも知れない。
肉感のある窮屈な蒸籠を朋夜は内部から突き崩す。
「叔母さん……」
「ごはん、食べないと」
「座ってて。体調悪いんでしょ」
捻くれた甥と接して捻じ曲げられた叔母は、それを嫌味のように受け取ってしまった。
「大丈夫よ。もう治ったから」
自嘲的な笑みを貼り付ける。
「だめ。叔母さんは休んでて。全部俺がやる」
しかしというべきか、やはりというべきか、彼女にはもう甥の言葉を素直に受け入れ、そのまま解釈するだけの純真で屈託のない観念は持っていなかった。この叔母には『あんたに任せると余計に厄介なことになる』くらいに聞こえたことだろう。
「ごめんね、京美くん。じゃあわたし、もうお風呂入って寝ちゃうね。洗い物は明日の朝するから、水道のところにまで出しておいて」
彼は、「え?」とでも言いたげな、意外そうな表情だった。
「あ、じゃあ、テーブルの上で平気。ごはん作らせちゃったんだもんね。ありがとう」
朋夜はへらへらと笑った。男という生き物を怒らせたくない。人を、同性を怒らせるのとはまた別の、生命の危機に迫った恐ろしさがある。特に今日は、男という性別を煽りたくなかった。膝がおかしい。膝の骨をひとつ抜き取ってしまったような不安定な軽さがある。ふーっと息を吹きかけられたならば、横転してしまいそうだ。
「別に、洗うくらい俺がやるけど。それよりあんた、晩飯は」
「うん、いいや。あんまりお腹減ってないし」
面倒臭い叔母と食卓を囲みたくない。朋夜から見た甥はそう言っている。顔に書いてある。雰囲気に滲み出ている。彼女は忖度をした。惨劇に遭った肉体は腹を空かしていた。だが堪える。朋夜は痛々しく、白々しく卑屈な愛想笑いを纏ったまま甥の手から逃げた。部屋に籠ってやり過ごし、タイミングを見計らって風呂場に駆け込む。身体がべとついていた。汚れた下着を直視できず、ゴミ箱に丸めて捨てた。それで何もかもなかったことにできそうな気がした。悪夢であったと思える気がした。ところがそうはいかない。肌に刻まれ、恐怖として脳髄に叩き込まれている。
空き腹に酒が沁みる。しかし栄養を考えればそれでよかったのかも知れない。暗く静かなリビングにナッツがぶつかる軽快な音が小気味良い。手探りで取ったカシューナッツを口に放る。噛み潰す。ぼりぼりと頭の中で鈍く響く。素焼きは少し値が張るが、素朴な甘みが他のものより好きだった。味も然ることながら、歯応えがちょうどよかったのかも知れない。ひとつの現実逃避で、心的負担の解消の手段だった。
酒が進んでしまう。空腹を満たす目的もそこにはあったようだ。
「飲み過ぎじゃない?」
瞬きの狭間でリビングは明るくなっていた。酔いが回ると時間感覚が狂う。朋夜はどの段階で照明が点いたのか分からなくなった。振り向くと京美がスイッチの前に立っている。ダークカラーの寝間着に身を包み、すらりとしている。彼の姿を認めた途端、つまみ食いが知られてしまったような仕草で彼女はアーモンドに伸ばしかけた手を止め、徐々に引っ込める。このナッツ類の素焼きは甥のものではなかったはずだ。
「頭、痛くするよ。それに明日も仕事なんでしょ」
「うん……ごめんなさい。もうやめるよ」
京美はもう答えない。飲んだくれの叔母に愛想が尽きたのだろう。彼はカウンターの奥にある水道へ歩み寄り、コップに水を汲んだ。ところがその場で飲むこともせずシンクを離れる。彼は朋夜の傍までやって来た。テーブルに水の入ったコップが置かれる。
「ちゃんと水も飲んで」
「うん……ありがとう」
「おやすみ叔母さん。色々と、ごめん。明日も迎えに行くから。無理は………しないで」
おそるおそる京美の手が近付いてきた。乾かした髪に触れる。指に毛が絡んだ。梳いていく。シャンプーの匂いが膨らむように空間に広がる。
「なんか付いてた?ありがとうね」
朋夜は甥の示した箇所を自分で撫でた。ごみや埃や塵の類いが絡まっていたのだろうと彼女は踏んだ。この叔母の中に、甥からの慈しみなどという概念はもはや存在しない。そのような項目は塗り潰されたか、書き換えられたか、破り捨てられたかしたのである。
「……別に」
気に入らなそうな眼差しが降った。何か癪に障ったらしい。朋夜の酔った顔は柔らかかったが、この瞬間に堅くなる。
「眠れないの?」
「ううん……ちょっと羽目を外し過ぎちゃっただけ。もうやめるよ」
叱責を予感し、彼女は早口に先回りした。
「眠れないなら、俺が寝かしつけてあげるけど」
厭な目の光り方をする。水で溶いた片栗粉を点眼したみたいな、妙に瀞みのある眸子が浅ましい感じだ。
「大丈夫よ……」
酔ってもなお、朋夜の本能はこの目の前の妖光に危険信号を出した。理性が呼び起こされてしまう。
「大丈夫よ。平気……もう寝るから。歯を磨いて……」
不器用だった。彼女はこの天敵みたいなのに弱みを晒してしまった。「あなたを警戒しています」と顔に書いてしまった。その態度で伝えてしまった。緩やかに接近し、確実に仕留めるつもりだっただろう捕食者は計画を変更せねばならなくなった。急速な捕捉が必要となる。京美はそういう部類の貌をしていた。黙っていても内々の凶暴さが端正な面構えに滲み出ている。彼の決断は速かった。朋夜は尻が座面を、爪先が床を放したことに驚きの声を上げた。
「京美くん……?放して……っ、!」
軽々と抱え上げられ、京美の顔が近付く。爛々とした眼は割り開かれたままで、どこか狂気を秘めて叔母を凝らす。彼女の瞳孔の奥深くまで暴いてやろうというほど、真っ直ぐに見澄ましている。
「眠れないまま仕事行くの、大変でしょ……」
いやらしく掠れた声は、牡に怯える女をさらに脅かすだけだった。
「だ、大丈夫……お酒飲んだし、」
「でもまだ足らなかったんじゃない?」
逆光した顔に嵌まった丸い黒曜石みたいなのが、巨大化していってそのまま自分を呑み込んでいきそうだ。朋夜はそういう妄想に囚われる。
「京美く……ん」
「パウンドケーキみたいな匂いするね。お酒の匂い」
「ごめ……なさ、」
「別に臭くはないけど」
甥が見たこともない、いやらしい微笑を浮かべた。糸魚川瞳汰のする軽率なものとはまた質の違う軽率さで、ぬめぬめとした水垢じみて、ぎとぎとと脂ぎっている。そういう穢れた感じのする美貌が首を伸ばして朋夜の肌に接した。前髪や頬や鼻先をちゅっちゅとスタンプする。
「あ、あ、京美くん……」
非難すべきか、拒否すべきか、何をされたのか認めず流すべきか、叔母は混乱し、吃った。まるでネコが共にいるネコを舐め回すような他意の無さで甥は彼女に唇を寄せる。それが注意する気力を奪っていく。
やがて腕の食い込む朋夜の身体は安定した場所に置かれた。安定はしている。しかし背中が浅く沈むのは、柔らかいところを意味していた。天井といい壁といい見知っているそこは彼女の部屋のベッドである。このことに気付くと甥にしがみついた。だが遅かった。否、甥が急いたのかも知れない。影が大きくなった。朋夜は起き上がることも許されず、ベッドに張り付けられる。
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