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熱帯魚の鱗を剥がす(改題前) 陰険美男子モラハラ甥/姉ガチ恋美少年異母弟/穏和ストーカー美青年
熱帯魚の鱗を剥がす 14
しおりを挟む甥に揺さぶられ、たわわに実った朋夜の乳房が円を描く。両腿を持ち上げていることに飽きた彼は汗ばんで額に張り付く叔母の髪を除けて前屈みになる。密着が深まった。執拗に吸われた唇にもうリップカラーは要らなかった。しかしまだ義甥は彼女の唇を吸う。舐めて尽くし、疲れ果てている舌を食む。
ベッドが軋む。女が鳴き咽び、男が喘ぐ。気絶も赦されない。呼ばれ、甘噛みされ、舐め舐られて、意識を取り戻してしまう。留めておけない莫大なエネルギーに喉が灼かれた。シーツの皺が打ち寄せ、熱帯夜の悪夢に魘される。
『放さないよ、叔母さん。あんたは一生、俺と暮らすんだ』
首筋を吸い、肩を齧り、結合箇所から漏れ出る互いの液を混ぜ合わせながら京美は言った。
「嫌っ!」
朋夜は勢いよく跳ね起きた。自室のベッドではない。甥の香りに包まれている。そこに汗と性の匂いがこもっていた。湿った寝間着越しに彼女は自身を抱く。ドアの開く音に激しく怯えた。
「叔母さん……」
嗄声には気怠げな色気があった。甥は水を片手に部屋に入ってくる。グラスをテーブルに置きベッドへ近付き、朋夜の身体は強張ってしまう。
「俺が怖い?朋夜」
「やめ……っ」
脇に腰を下ろす甥に彼女は両腕を構えてしまう。だが訪れはしない襲撃におそるおそる目を開く。甥が鼻で嗤った。
「保護者のクセに甥が怖いんだ?」
侮蔑のようであり、その嗤いは自嘲のようでもあった。敢えて相手に隙を与えるゆとりを持って彼の腕が伸びてくる。その手が朋夜の肩を抱いたとき、彼女はどくりと脈を大きく鳴らした。
「ゆ、ゆる……して」
「何を……?」
何を赦して欲しいのか、それはもう朋夜自身も分からない。彼女は戦慄きながら首を振る。
「もう何もかも赦してるんだけど」
「……っ京美くん、怒ってる…………」
また威圧的な嗤いが聞こえた。
「怒ってない」
寿命を縮めるような沈黙だった。まだ悪夢が続いているような感じだ。朋夜は防御体勢に入ったダンゴムシみたいに身を竦める。
「怒ってないよ。……むしろ逆。朋夜。大切にする」
叔母が冷えていけば冷えていくほど、この甥は熱くなるらしい。蒸れて汗ばんだ手が彼女の震える手を取り、二度三度唇を落とす。朋夜はびっくりして立ち上がった。
「よ、用意しなきゃ……あ、朝の……」
壁掛け時計を探したが生憎ここは自室ではなかった。朋夜は隣の部屋に逃げ込む。頭が空気を過剰に注入されたタイヤの如く破裂しそうである。活きのいいボールペンが脳裏をぐちゃぐちゃに書き乱して塗り潰している。
普段ならば甥が大学に行くまで家にいた。しかし今日はそうしていられそうにない。昨晩入浴したにもかかわらず、べたつく肌に制汗剤シートを滑らせた。身支度を整えると彼女は通学前の甥に構うことなく家を出た。呼び止める声に応えたならば、悪夢が繰り返されかねない。今必要なのは熱帯夜ではやりきれなかった冷却である。
行く先に漠然とした候補があった。喫茶店Bianca's mug の名前が浮かび続け、それが彼女の意思決定を煽っている。端末で地図を開き、ここから30分もかからないことを知ると行ってみる気になった。今日はとにかく、いつもより少し美味いコーヒーが飲みたい。その店のものを飲んだことはないけれども、家庭用のインスタントコーヒーよりは美味いものが望めるのではあるまいか。何よりも今はあの甥と共に居るべきではない。
南へと進む。川沿いに、川とその遊歩道に背を向ける形で白塗りの壁の小さな店を見つけた。黒板調のメニュー表が出ている。段の高いこれまた白の階段は瀟洒で、どちらかといえば垢抜けた街にありそうな外観であった。ところが居酒屋や小料理屋、異国の料理店がぽつぽつ並ぶ小道ではあるがほぼ住宅地の中にあるといっていい。老若は問わないがどちらかといえば女性層に向けた雰囲気の店である。この場所を知らせた野暮ったい、泥臭い感じのする、不器用げで貧相な人物となかなか結びつきそうにない。
ピアノ喫茶店というだけあって、入る前から「エリーゼのために」の演奏が聞こえた。開店時間から10分経っているというのに2席はすでに埋まっていた。コーヒーとトーストの芳ばしい空気が鼻腔を通り過ぎていく。
「いらっしゃい」
少しハスキーな質感の声がした。声の低い女性に思われた。朋夜は目線を下にやる。背の低い人物が立っていた。小柄な女性であろうか。ところが頭の大きさや体格からいって子供である。醸す印象がどこか京美と重なって彼女は狼狽えた。あらゆるものがそう見えてしまうのではあるまいか。
「ひとりです……」
「まぁ、おれ店員じゃないんだけど……」
彼は突き放すように言って身を翻し、店奥へ行ってしまった。朋夜はそこに突っ立ったまま、どうしていいか分からず渋々ながら帰ろうとする。喫茶店はここだけではない。
「あ、いらっしゃいませ。朋夜さん!ほんとに来てくれたんだ!」
踵を返しかけたところでまた別の声がかかった。普通に話すとき微かに濁りの混ざる声質は確かにこの店を教えた人物のものだった。白いシャツにやはりまたベージュとも砂色ともいえないロープ紐のエプロンを下げている。
「お、おはようございます」
店の奥から糸魚川瞳汰が姿を現す。傍には先程の子供がいた。
「お好きな席どぞ」
瞳汰はへらへらしながら言った。子供は暫く京美めいた眼差しを朋夜にくれていたが、彼女が席を決めると、店の真中に置かれた白のグランドピアノの椅子に腰掛けた。小さな軋りに妙な風情がある。
「この時間はこちらのモーニングセットのアサガオセットかマリーゴールドセットです。あ、こっちのメニューは今も選べますよ」
へらへらとした接客と、ピアノの椅子の軋み、楽譜の紙の擦れる音がアンバランスである。
「まだオレ、ジムノペディ完成してないから、今日はあの子―小星くんっていうんだけど、小星くんの曲楽しんでってね」
やがて「アメイジング・グレイス」が奏でられる。しかし途中で止まった。黒のランドセルを背負い、彼はそそくさと店を出ていく。これから学校があるらしい。代わりに瞳汰がピアノを弾いた。続きを奏でる。少しアレンジが異なる。別の店員が注文を聞きにやってきた。ゆで卵とトーストにあずきバターが添えられてわかめスープの付くアサガオセットか、スクランブルエッグとガーリックトーストにオレンジが添えられてコーンスープの付くマリーゴールドセットかの実質2択である。
朋夜はコーヒーとアサガオセットを選んだ。瞳汰のピアノを背景音楽にぼんやりと店内を眺めていた。頭の中身を洗い流されていく感じだった。
演奏が終わる。弾き手が代わり、瞳汰は店奥へ消えた。そして数分後に朋夜の注文したものを運んでくる。
「お待たせしました~」
へらへらと笑いながら目の前にトレーが出された。飾り気のなさが却って洒落た白い皿とパン籠、皿と統一されたスープのカップが乗っている。
「ごゆっくりどうぞ~」
まるで自宅でのんびりしているかのような空気感である。彼はひらひらとモンシロチョウや季節を先取ってしまったアゲハチョウみたいな素振りでピアノの傍に戻ると演奏者のために譜を捲った。
穏やかな時間が流れていく。店内に流れる音楽は、昔の映画の主題歌だった。実在する豪華客船をモデルにした話である。沈没する運命にある船内の中で出会い、別れるカップルのワンシーンが非常に印象的で、観たことのない者もこのカットやポーズならば知っているというのは少なくない。ふと、朋夜自身戸惑う記憶が甦った。彼女も覚えているとは思わなかった。この豪華客船の沈没物語を観たことがある。1人で、ではない。映画館でもなかった。他人の家である。一人暮らし用のアパートだ。朋夜はソファーの上で、相手はガラステーブルの向こうに視線を崩し、暗い部屋の中で映画を観た。作り物の、絵空事の、シナリオのある恋愛に呑まれかけていた頃の思い出である。
くだらない情感をあずきバターで糊塗して齧る。変えられはしないくせ、暗雲の如く現れた憂鬱をゆで卵の殻ごと叩いて剥き出しにする。ひとつ考え事を排除すればまた別の考え事を持ち寄ってきてしまう。
コーヒーは美味かった。コーヒーに限らずどれも美味かった。それでいて彼女の表情は浮かない。勘定を終えて店を出た。甥との拗れた関係のことはとりあえず今のところ、朝食と共に嚥下されている。
ちりんちりんと葡萄じみた鈴束のドアの音が耳に纏わりついたまま急な段差のアプローチを降りる。少し罅割れたアスファルトに足を乗せて数歩。やっと重苦しい自宅マンションに帰るという認識がやってきた。
「お、お~い、朋夜さん!」
エプロンを外した瞳汰が店脇から出てきてぶんぶんと腕を振る。
「来てくれてありがと!でも、美味しくなかった?」
にかりと笑った直後、急激に萎びた顔をする。その落差、百面相、表情芸には一種の狂気すら感じられた。
「楽しくなかったとか……」
「な、なんで?美味しかったよ?ピアノも聴いてて楽しかったし」
朋夜は半歩後退りかける。
「だってなんかショゲてたから……」
項垂れて唇を尖らせ、上目遣いをする様があざとい。朋夜も困惑する。すると彼は悪戯っぽく笑った。
「あはは、ゴメン、ゴメン。来てくれただけでもすごく嬉しかったんだ。合う合わないあるもんね。へへへ。でもコーヒー1杯でもいいからまた来てよ!ココアとかオレンジジュースでもいいからさ!お昼時ならクッキーセットとかもあるし」
「ええっ、本当に楽しかったって!懐かしい曲があったから、ちょっと昔のこと、色々思い出しちゃってただけ。また来させてもらうね」
臆せず踏み込んでくる瞳汰に朋夜も苦笑しつつ、誤魔化す気も起きなかった。彼は愛嬌はあるが、そう可憐という面構えでもないくせ、むしろそこが可愛らしい面立ちできょときょと朋夜を訝しむ。
「本当だって。メープルクッキーとか、ビアンカケーキ、気になってるもの。今度食べに来るよ。今日はアサガオセットだったから、次はマリーゴールドセットにする」
「そかそか。じゃあオレ、ジムノペディちゃんと練習しとく!」
「うん。楽しみにしてるね」
社交辞令でも、嘘偽りでもなかった。ところが瞳汰はまだ媚びたような、あざとさの残る上目をくれる。この不思議な青年を見つめてしまった。
「今日の曲、嫌だった?どれ?朋夜さんが来たときは弾かないように言っとくよ」
けらけら笑いながらいたのがしかつめらしい顔と声になる。今度は朋夜が締まりのない笑みを浮かべる番だった。
「違うの。そういうことじゃないの。好きな曲なんだ。きっと忘れて消え去るはずだった思い出をまた思い出せてよかったかも。ほら、糸魚川くん、戻らないとじゃない?じゃあね。また来るから、そのときはよろしく」
瞳汰は納得したのかしていないのか、分かり易く素直に態度にそれは示さない。
「う、うん。じゃあねっ!また今度、お話聞かせてっ!」
焦り気味に言って彼は無邪気に手を振りながら店脇のドアに入っていった。朋夜はまだそこに人がいるみたいに佇んでいた。糸魚川瞳汰はそよ風みたいな人物だ。やがて朋夜も帰路に就く。問題は何も解決していないが気分転換にはなった。帰ったところで甥はすでに大学に向かっている頃だろう。彼が帰宅するまでまだ時間がある。
自宅マンションのある方向に出る途中で駅前通りへと出た。藤見橋のすぐ近くである。朋夜の住むところの最寄り駅と比べると非常に小さい駅で、その前の通りもまた小規模であった。しかし昔から営まれてきた風情がある。
この通りを横断しようとしたとき、またもや視界の端からぬっと現れる人影があった。そしてその者もやはり顔見知りである。眇められた目と、アプリコットを思わせる色の唇が印象的だった。相変わらずエスニックファッションに身を固めている。
「おはようございます」
双子の片方の微かな濁りを帯びた声質とは違い、こちらはウインドチャイムの揺れるような澄んだ響きを持っている。
「お、おはようございます、糸魚川くん」
「ご出勤ですか?」
糸魚川瞳希は柔らかな微笑を湛えたまま朋夜の前を塞ぎ、首を傾けてその顔を覗き込む。
「いいえ。今、瞳汰くんの勤めてる喫茶店に行ってきたんです」
「ああ、あの白いお店ですか。どうでした?」
「ピアノ聴ける喫茶店って初めてでしたから、お洒落だなって思いました。コーヒーも美味しかったですし」
瞳希は大学に向かうところなのかも知れない。時間にゆとりがあるのだろうか。彼はにこにこと笑って朋夜を眺めている。
「モーニングとか行かれるんですね。綾鳥さん、お洒落ですもんね」
嫌味なく爽やかに彼は言った。社交辞令は耳を掠めることもない。
「今日だけです。朝ごはんに迷ったものですから。糸魚川くんはこれから大学ですか?」
「はい。3コマやって帰ってきます。綾鳥さんは?」
「……専業主婦ですから」
これは嘘だった。昼過ぎからアルバイトがある。
「家事ですか。大変ですね」
「いいえ……家にいるだけです」
「そうですか?大変ですよ、家事。なんて、実家暮らしのぼくが言っても説得力ありませんけれど」
まだ通学時間に余裕がある。自嘲気味に笑っている。
「大丈夫ですか?講義、遅れない?」
「そうですね、そろそろ行きます。綾鳥さんにこの時間に会えると思っていませんでしたから、つい嬉しくなってしまいました」
にかりと破顔すると、似ていなかった二卵性双生児の片方の面影を色濃く残す。
「じゃあ、また」
瞳希が踵を返すと異国情緒豊かな香の匂いが膨らんだ。引き締まっていそうな身体のラインを彼は見せたくないようだった。丈の長い薄手のカーディガンがマントのように翻り、繊維が透けているのが見える。朋夜は特に彼の後姿を見送るでもなく道を渡り、自宅へと帰る。
甥は大学生だ。そして今日は平日で、毎週この曜日のこの時間帯に京美は家にはいないはずだった。ところが朋夜のその読みは誤りであった。玄関扉を開けた途端に中へと引っ張り込まれ、彼女は壁に背を打った。耳の真横で鈍く爆ぜた音に肩が跳ねる。
「ひっ……」
部屋着のままの甥が不機嫌そうな貌をしている。しかしそれが本当に不機嫌であるのか、はたまた素顔であるのか、朋夜はもう忘れてしまった。
「み、京美くん……大学は………?」
「休講になったって先週言わなかった?」
ただでさえ至近距離にあるというのにさらに詰められる。陰りが濃くなる。
「あ……ご、ごめんなさい………言ってた……かも………」
言っていただろうか。言ったような口振りである。ならば言ったのであろう。おそらく聞き漏らした。また彼女は己の不甲斐なさに息苦しさを覚える。
「言ってないよ、朋夜」
ほんの一瞬にも満たない間、朋夜は義甥の目を捉えた。彼が分からない。ゆえに恐ろしい。何を企んでいるのだろう。
「ご、めんなさ……ちゃんと、覚えてなくて…………」
言っていたのかも、言っていないのかも、朋夜には自信のない曖昧なことだ。京美の気分次第で事実は変わる。彼はちらちらと泳ぐ叔母の眼を見下ろす。
「いいよ、別に。怒ってない。今日は一緒に居られるね、朋夜」
悪寒に戦慄く叔母に気付いているの否か、気付いていたとて構う様子もなく、京美は縮こまった彼女の頬に唇を寄せる。幼い子供の戯れや、たわいもない挨拶とそう変わらない接触だった。
「ゃ……っ!」
それにもかかわらず、叔母は拒否拒絶の姿勢を示す。
「朋夜」
侮られるようなことを何度も繰り返してきた自覚が彼女にはある。日々投げかけられる嫌味、注意は仕方のないものだ。善処できない自分が悪いと彼女なりに納得している。だが呼び方にもそれが顕れたのは堪えた。
「ち、近いよ……」
「うん。近くなきゃ、キスできないだろ?」
「しない……」
揶揄に彼女の表情が歪む。否定した途端、京美が噛み付いてきた。唇に唇が合わさる。内膜が前歯にぶつかる。
「京美く、」
「朋夜」
壁を殴ったまま置かれていた拳が開き、朋夜の肩に重なった。また電流が走ったみたいに彼女の身が跳ねる。
「さ、さわ、ら、ない……で」
努めて声を柔らかく繕う。震える指を御して彼の手を剥がそうと試みる。恐ろしい獣を刺激してはならなかった。オオスズメバチに留まられた気分と大差ない。ところがこの弱々しく媚びたような叔母の姿が甥にはどう映ったのだろうか。彼の目はどろどろと妖しい濁りと粘りを帯びた輝きを携え、昏かった瞳には爛々と危うい情念が見え隠れしている。否、隠せてなどいなかった。目瞬きも忘れたかのように獲物を凝らしている。朋夜にも防衛本能経由でそれが伝わっていた。皮膚を鑢で擦られ、毛穴ひとつひとつに針を貫くような気を感じるのだ。それでいて関節は動くことを躊躇している。また理性も狼狽えている。
「かわいい」
嘆きにも似た独り言を聞く。肩に乗っていた手が力任せに骨と肉を掴む。
「痛いよ」
そのとき咄嗟に朋夜は義甥を見てしまった。視線が衝突した。それが彼のまだまだ灯火めいた欲情にガソリンでも注いだらしかった。抗うことは赦されない強さで彼女は玄関ホールに倒される。馬乗りになった甥がシャツを脱いで上半身を晒した。
「朋夜。優しくする。俺を拒まないで」
伸ばした腕を迎え打つ叔母と彼は戯れているつもりらしい。
「いや……っ」
「怖くない」
「放して……放して…………謝るから、」
自分の身を守るのに彼女は必死なつもりだった。必死になっているはずだった。ところが自分の口にした言葉に朋夜の現実に恐れ慄いていた意識が浮遊する。謝ったところで無価値であるとこの甥によく言われている。反省しても直せなければ意味がないと真っ当な返事も得ている。中身もないくせに謝られても鬱陶しいのだと、却って相手を疲弊させている。
「何を、謝るの?」
荒々しい息切れは叔母と遊んでいるからではないのだろう。おそらくは彼の内部から湧き上がる苛烈な活力によって起こされたものだ。似た台詞を吐きながら普段とは異なる不気味なほど甘い声音と相俟って朋夜をさらに恐怖のどん底に突き落とす。
頭の中で先程朝食を摂りながら聴いたピアノの曲が流れた。裸に剥かれ、凶暴な追突に身体は痛がっていたけれど、朋夜は白い意識の中を揺蕩っていた。耳が覚えていたピアノの旋律をただなぞる。ピアノを弾く野暮ったい青年の姿が脳裏に焼き付いている。揺さぶられながら思い描いていた。ブラインドから漏れる光を背に純白のピアノを弾く姿はもしかしたら天使と形容されたかも知れない。だが天使というには地に足のついた、清潔感はあれど人垢じみた、貧相な感じだった。何より喋ると迂愚なところがある。
―朋夜……
『朋夜さん!』
悍ましい呼び声が掻き消える。重なった無邪気な幻聴にほんの短い時間訪れた不安も忘れた。
店の窓辺に飾られたサボテンも強く印象に残っている。ビアンカとは白を意味するらしい。店のオリジナルメニューとあったビアンカケーキはやはり白いのだろうか。ティラミス風だと添え書きがあったのは覚えている。しかしながらあの店のいうビアンカは人名であるようなのだ。メニューの説明書きがビアンカ女史の物語風であった。―そういうことばかりを考えていたかった。
腹の奥で甥が脈動する。頬を撫でられ、接した皮膚と皮膚の狭間が濡れていることに気付く。
「ごめん」
陰った顔が見えない。耳にはまだピアノの旋律が残っている。節くれだった細く長い頼りない指の奏でる賛美歌はあまり弾き慣れていないのか少し堅い気がした。だがそれがあの奏者らしかった。
「別に平気」
朋夜は義甥を突き放す。事前の執着はどこへやら、彼は簡単に叔母から離れる。
「とも………叔母さん」
朋夜は立ち上がっていた。内腿から白く濁る粘液が落ちていった。膝裏を通り、脹脛を滴る。彼女は構わず下着を履いた。呼ばれて義甥を一瞥する。彼の戸惑いが見えた。互いに何も言わない。何も言われなかった朋夜は風呂場に入っていった。フラッシュバックするのは純真無垢に鍵盤を押す泥臭い青年の姿だった。そうアレンジの強くない演奏が今になって耳を突き刺す。屈み込んで、そのうち蹲る。身体は泣き噦り、喘ぎ苦しむけれども、意識は呑気にも真新しい記憶のピアノを奏でていた。
『だってなんかショゲてたから……』
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