18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」-2

結局は俗物( ◠‿◠ )

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【完結一周年】蒸れた夏のコト night of knight 全3話/一人称視点/鯉月兄妹視点

night of knight 2

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-poisson rouge- 

 顔も知らない先輩から、度々嫌味を言われることがある。なんでも、「カノジョがお前に浮気をしている」だとか。出会い頭にいきなり怒鳴られたりも屡々しばしばある。けれど俺は知らないことで、なのにさもそれが事実かのように言われると、俺は頭がおかしくなっていて、知らない間に知らない先輩のカノジョというやつとおかしなことをしているのではないかと、こう回数を重ねられると思わないでもなかった。
 今日のは手が出た。
 男同士の喧嘩だった。特に教師と生徒というわけでもなかった。この場合、矜持プライドだとか意地だとか、そういうのは無い方が世の中は楽なのかも知れないけれど、自制できるものではなくて。
 殴られたなら殴られたと、職員室に駆け込めばよかった。それが賢明なはずだった。小学生みたいに。そこに羞恥心を覚えてからが、大人なのかも知れない。先輩であろうと、殴られたことを学校側に打ち明けるのは恥ずかしいことだ。手前でけじめをつけなければならない。そうでないなら恥だ。こんなくだらない個人間のことで。
 でも俺からは手を出さない。特進クラスに入れたことを家族は喜んだ。加害者は退学、最悪の場合は捕まるかも知れないけれど、被害者に徹すれば退学は免れるかも知れない。多少の怪我は、日が経てば治る。たまにテレビでみる凶悪事件みたいに、殺されるまではしないだろう。この先輩にそんな度胸はない。いいや、この愚かさは、人を殺す殺さないの度合いも分からないか。
 俺を殴っていたのが急に止まったのは、白昼堂々、2時間目と3時間目の間、人通りのそう多くない階段の踊り場に女子生徒が来たからだ。制服のリボンの色は、俺と同学年を示しているけれど、形からいうと俺を殴る先輩と同様にクラスが違う。俺が異物。特進クラスは少数派だから仕方がない。
 俺を殴っていた先輩はどこかへ消えて、まだ殴り足らなかったのは何となく伝わった。こんなことがあと何度あるだろう。昔から人を不幸で嫌なやつにしかさせないのか、俺は。
「保健室、行こう」
 女子生徒は俺を見て驚いていた。見覚えがあるようでない。どこかで見た気がする。けれど気のせいだ。個性的で奇抜な見た目でもない。ありふれた風貌といえばそうだった。
 先輩が悪態を吐いて、それでもまだ何か攻撃し足らないという感じだった。女子生徒は少し緊張した様子で、控えめに、さりげなく、俺と先輩の間に割り込もうとする。
「その傷、先生に怪しまれちゃうよ」
 俺はこの女子生徒の既視感を不思議に思っていた。殴られた衝撃で、この既視感は、この女子生徒を見た瞬間に作られて、昔見たことがあると錯覚させられているだけではないかと考えた。だとしたら、そこまで重いものではなかったけれど、脳にそうとうダメージが入っているのではないか。
「別にいい……」
 手を伸ばそうとするから、勢いではたき落とした。反射だった。そうするつもりなんかなかった。妹にこんなことするやつがいたら、俺はそいつを殴っていたかも知れない。
「悪い」
「平気。さっき保健室、先生いなかったし、行ってみよ。いたら、いたで。その時に考える」
 外は晴れ。陽射しは強いのに、変な光の入り方をして、薄暗ささえあった。なんだか幽霊を見ているような気分だった。俺はこの女子生徒に逆らえない気がした。保健室に行くために階段を降りるけれど、先を歩く女子の背中を追うあまり、俺は足を踏み外して、気付いたときには死んでいるような。
 別に悪くない気がする。
 俺が周りを不幸で嫌なやつにさせる。昔からそうだった。いとこなんてそれが顕著に表れている。妹が言っていた。冗談めかして言った何気ないその一言が、意外と俺の中に印象強く残っている。
『祭夜兄は、お兄ちゃむちゃむに追いつきたくて必死なんだね』
 その必死さがいとこに向いていなかったとしても。競う必要なんてなかったはずだ。俺はやりたいようにやって、それができている。無理をして俺を貶めていつもいつも、周りを固めて俺を嗤うのは向こうじゃないか。
 女子生徒が俺を振り返る。ちらちら、ちらちら。何か俺に言うことがあるみたいに。いつもの、氏素性も知らない女子からああだこうだと品評される"あれ"か。また女子同士嫌がらせをしたのされたの、「俺の女」に手を出したの出さなかったのとさっきみたいに、ループするのか。嫌になる。
「バランス感覚、大丈夫?頭響いてない?」
 俺は頷いた。胸の辺りが痛い。握り締められたみたいな感じがする。女の背中を追うのが、なんだか苦しい。慣れないことだからだ。いつもは妹の手を引いている。母親も俺より歩くのが遅くなった。違う。俺のほうが背が高くなった。考えもなしに女の背中をただ追うというこの行為が、俺にとって慣れない。
 保健室について、女子生徒に促され、俺は診察台に座った。うろうろしてる姿は頼りない。
「処置、できるのか」
小中時代まえに保健委員だったことあるし、まぁ……?」
 ふと時計を見れば、そろそろ授業がはじまる時間で、そう思った途端にチャイムが鳴った。焦ったのは、授業についていけなくなることに対してではないと思う。多分。また俺は、この女子生徒を不幸で嫌なやつにさせるのか。
「自分でするから、もう戻れよ」
「ほんと?遅れると怒られるし助かるよ」
 でも女子生徒は、やっとピンセットを見つけたみたいだった。戻る気配はなかった。
「戻れって」
 俺は女子生徒からピンセットを奪い取る。消毒液のついた綿が雫を垂らして床に落ちた。女子生徒はまた驚いた顔をして、それから誤魔化すように笑った。
「余計なお世話だったね。ごめん」
 女子生徒は保健室から走り去っていった。俺の鼻には消毒液の匂いがやたらと沁みた。
 知りもしない、これから知る予定もない奴等から殴り散らかされ嫌味を言われたり、氏素性も知らない女子たちからいつの間にか見られたり知られたりすることが、何のストレスにもならないと思っているのか。俺だって人間だ。感情がある。傷付くことも、痛みも、気持ち悪さもある。どうしてあいつ等はそれを知っちゃくれない。
 同時にくだらないプライドが、人前でそれを曝け出させてくれない。知りもしない、今後知るつもりもない女子の前で俺は泣くわけにはいかなかった。
 せめて名前を聞いておけば。また俺は礼のひとつも言えはしなかったことを後悔する。





 雨堂うどう夏霞かすみ。名前だけ知っていてももう遅い。俺が呼ぶ。彼女が振り向く。
『俺は―』
 相手に俺の名前ことを知ってもらっても、それで一体、俺の何がどうなるというのだろう。
 俺を振り向いて、不思議そうに首を傾げる姿に、足の裏から脳天にかけて熱が込み上げるのに、彼女は俺を知らない人みたいに見て、俺の視界にも入らない遠くへ余所見をする。それから俺を貶めて腹の底で嗤う忌々しいいとこが番犬みたいに駆けつける。
 そいつと付き合うな。そいつは酷いやつなんだ。俺と付き合って。俺を好きになって。
 俺を―


―悪夢の中でも現実でないのなら、そこに引きこもっていたかった。目が覚めたくなかった。体育祭のリレーよりも激しい動悸がする。悪夢には希望があった。現実には希望がいない。いいや、希望はある。俺が彼女を諦めればいい。いとこのことを目の中から、耳の中から、意識の中から消せばいいんだ。
緋森ひなもりくん、日焼けすごいねぇ』
『緋森くんってやだぁ。祭夜って呼んでよ』
 目の中から、耳の中から、意識の中から。
 あいつは俺が傷付くことのない、ロボットか何かと思ってる。だからいくらでも比較対象に出して慰めの言葉をもらおうとする。たとえ俺を貶めることになっても。いくらでも嗤って、何を言ってもいいと思っている。
『まぁくんって、感情こころがなさそうだよね』
 俺に感情がなければ、心がなければ、楽だった。そのとおり。鬱陶しいいとこを煩わしいと思うこともなかった。彼女のことで頭がいっぱいになることもなかった。2人が付き合っている現実が苦しいこともなかった。
『元気ないっていうか』
 何を言っても、何か言おうとしても、全部掻き消したのが誰かも知らないくせに。

 自慢しろよ。自慢しろ。何もかも俺より遅かったお前は、俺よりも早く人を好きになることを知っていて、恋がなんたるかを知っていて、付き合うというのがどういうものか知ったわけだ。
 誰彼構わず関心を惹こうとしたあの言葉を俺も使ってやろうか。けれども俺にも、なけなしの意地がある。


 この恋は叶わない。これだけにしよう。もうこれからは誰も好きにならない。いとこのことは忘れて、もう誰も好きにならない。多分きっと、誰も好きになれない。叶わない分、綺麗にとっておくことになるんだろう。最後まで。死ぬまで。自信を持って、胸を張って主張するには、人生は長い。恋心でなくたって人のことなんか勝手に好きになればいい。




 アクセルを踏み込む。どうしてそうしたのかは分からない。あとはどうにでもなればよかった。俺はまともに生きられない。負け続けた人生だった。やりたいようにやったけれど。勝負にも競争にも興味なんか無かったくせに。いつのまにか土俵に上げられている。
 人生はきっと長い。来年にはあんな女なんか忘れて、俺はのうのうと暑い夏にうんざりしているはずなんだ。あんな女なんか忘れて。いとこのことも存在してなかったみたいに。俺はそんな恋愛中心に生きているわけじゃないんだ。世の中すべてがサカりのついた畜生サルみたいに見えていたくらいなんだ。
 来年には。いいところに就職が決まって、家族も喜んでくれた。特進クラスに合格したときみたいに。主席合格したときみたいに。大学に推薦で入ったときよりも。
 来年は忙しくなる。あんな女のことなんか忘れて。


 ガードレールが迫り、ハンドルを切った。金属の軋む音がした。ガラスの割れる音がする。硬い雨が降る。


 炎天下で倒れそうな彼女を抱き上げたときの柔らかさに守りたいと思った。何から守りたいのかも分からないまま、優しくしたくて仕方ないと思った。優しさというものが、そもそも俺にはなかったくせに。妹ができたときにも感じたものにプラスして、俺の承認欲求エゴも生まれた。それなのに今の俺ときたら。あの日の俺が怒ってるんだな。もう誰にも赦してはもらえない。
 どこかの誰かがいつか言ってたとおり、俺には愛情こころがなかった。我欲エゴばかりの人生だった。


 彼女にもう会えなくなる生き方があるとしたら、もしかすればそれが、俺が俺でいられる道で、その選択があることは、おそらく少なくとも絶望ではないのだろう。
 もう誰も好きにならないように、二度と好きにならないように、思い出すこともないように。肉でできたロボットが人間ぶって、ばかみたいだ。


 シートベルトが俺の身体に減り込んで、目の前は破裂音とともに真っ暗になるのに、何故だかあの日、踊り場に現れた幽霊みたいな女子生徒の姿が頭に焼き付いて、ずっと傍にいた。鳴り響く高い機械音が消えるまで、ずっと。
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