18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」-2

結局は俗物( ◠‿◠ )

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飾れ星屑 9話放置/濃いめの暴行・流血の描写あり/殺人鬼美少年/引きこもり美青年

飾れ星屑 9

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「こいつはこういう男だよ。静架おとうとにはなれない。ドブネズミみたいな女の血が混じっている。俺と静架にも、母を裏切ったたんぽぽ男の血がな」
 ドアが一度閉まった。それからすぐに開く。緋霧かすみの着ていたものとカバンが突き出される。
「二度と来るな。暫くはこれで凌げ」
 次に差し出されたのは札束である。
「お金は別に、足りてるから」 
 ハンドバッグに分厚く束ねられた紙幣が捩じ込まれた。それから靴も並べて出された。
「足りなくなったら父にえ。もう二度と………もう二度と………………二度と、来るな。これは手切れ金だ。手前で首を括れないのなら、俺の世界まえからだけは消えてくれ。お前の存在いのちそのものが、俺にとっては赦すことのできない巨悪なんだからな」
 石蕗つわぶき家と刈田川かるたがわ家、複雑な事情があるらしい。それは彼等の問題であるが、不可抗力な生き死にの話でこの青年にぶつかるのは酷な話だ。
「石蕗さん、さすがに、それは……」
「いいって。100正しいもん。オレのママンが100悪い。奥さんいる人に手、出して、別れられなかったんだもん。子供まで作って……石蕗さんと叶奏くんたちには頭を下げ続けるしかないよ」
「ま、待って…………でもそれって、刈田川くんのやることなの………?」
 氷麗歌つららの腕を引っ張る。
「オレはまだいいほう。お父さんが、叶奏かなでくんの稼いだお金、オレのところに入れてくれるから……」
「いつから俺の父はお前の父親になった。俺がうっかりくだらない疑惑でも焚き付ける前にさっさと失せろ。―かすみ。人付き合いには気を付けろ」
 彼はまたドアの奥に消えてしまった。尋常ではない執着を見せた叶奏も父の不倫で生まれた子の姿にはダメージを受けているらしかった。
「……はは、ここに顔出すだけで、稼げちゃった」
 氷麗歌は白々しく笑った。緋霧のハンドバッグを持って先に行ってしまう。
「刈田川くん……」
「あーあ、バレちゃった。お父さんが毎月お金入れてくれるんだ。そのお金も叶奏くんが稼いでるんだろうなってなんとなく思ってて、それで叶奏くんはそれ知らないと思ってたのに。あーあ、あーあ…………」
 彼は急に立ち止まって通路の天井を見上げた。その瞬間、背にした部屋からドン、と強い音が鳴った。力任せに殴ったらしい。
「オレと叶奏くんとのことだけに関しては、叶奏くんは悪くねぇんだわ。間違いなく、オレとママンが悪い。世間に対する裏切りの証だからね、オレって存在はね。不倫するくらいならせめて子供なんか作るなっての……」
 へらへら笑って消えていく。白い息も溶けていった。
「そんな身形かっこじゃ寒いでしょ。近くに停めたから行こ」
「ごめんね、上着借りちゃって」
素足からっつね鷹庄たかしょう緋霧には言われたくないね」
「からっつねって何」
「脚出してること」
 氷麗歌のウィンドブレーカーの裾を引っ張り丈を伸ばしているが、その下は全裸である。外気が皮膚を刺す。
「買って返すから……」
「いいよ。それ、ママンと最期に買い物行った時に買ってもらったやつだし。穴だらけになるまで着るから別に汚しても」
 札束をぺんぺんと指で弾く。
「クリーニング代もここに臨時収入があっからさ。ははは。清く正しく誇り高く、受け取らないと思った?ちっ、ちっ、ちっ。逞しく生きないと。ママンが浅はかにも不倫してたとしても、それはそれとして、少なくともママンには愛されて育ってきたんだよ、これでもな。理屈でいえば不倫はクズだよ。ゴミクズのカスがやることだ。でも、不倫してたからってママンのこと、オレ一個人は嫌いになれなかったし。だってオレにはたったひとりの家族(ママン)だからさ。そこは……否定できないから、まぁ、ちょっと効いちゃうけど、別にへーき!」
 彼は冷たそうな両手を擦り合わせた。
「刈田川くん……」
「ここ見張ってておくから、下だけでも服着たら」
 エントランスに近付くと物陰に緋霧を押しやってその前に氷麗歌が立つ。
「ゆでたまごのさ、黄身、嫌いじゃないけど、あんま好きくない」
 彼は背を向けながら喋り続ける。
「煮卵は好き!味たま!この前のおでんのやつとかな。でも白いゆでたまごの黄身、ぼそぼそしててあんま好きくない。半熟もなんだかなぁ。オレ昔、玉子アレルギーだったからね。めちゃくちゃ軽いやつだけど、なんか口の周りについたら痒くなりそうでさ。でも、生卵だと、TKGにしたとき、今度は白身のほうがあんまり好きじゃなくて。なんか不気味な感じがして。ちゃんと混ざってくれないし。でも玉子焼きだと全部好き。だからね、場面・場面で部分・部分愛せばいいやって。だってそうしないと訳分からんくなるもん。嫌いなところはちゃんと嫌いだけどさ。全部嫌いになるのも結構難しいし。しかも親子の関係じゃん。あーあ、親子丼食べたいな。八宝菜もいいけど」
「じゃあ今日は親子丼ね。鶏肉はあっちのスーパーにする」
 まだウィンドブレーカーの下は素肌だが、下のものを穿くことはできた。
「車、そこまで持ってくる。寒いしさ。待ってて」
「だいじょぶ。一緒に行く」
 先に行こうとした背中に距離を詰めた。
「叔父さん、親子丼でもいいん?八宝菜のほうが好きそう。なんか、なんとなく」
 刈田川の雰囲気が、死んだ甥に重なるのかも知れない。悄然としていた叔父がいくらかずつでも活気を取り戻している。姉の緋霧としては、刈田川は弟よりも図々しい。雪兎吉ゆうきちはやんちゃをしても遠慮がちなところがあった。
「なんで?」
「八宝菜のほうがさっぱりしてるから」
 答えそのものというよりはヒントが返ってきた感じである。
「さっぱりしたもののほうが好きだって?」
「分かんないけど。オレより鷹庄緋霧のほうが詳しいはずだろ、そこは」
 横に並ぶとウィンドブレーカーの袖を摘まれた。見上げた横顔が少し怖い。まだ高校生も帰ってこない時間だというのに随分と暗くなって外灯が点っている。白く輪郭が炙り出されている。何度も顔を合わせたことのある石蕗夫妻の複雑な事情をそこに馳せてしまう。
「刈田川くん」
「うーん?」
「わたしは、2人の事情、第三者でしかないから、結局他人事の意見になるけれど……石蕗さんが100正しいとは、思わないよ。刈田川くんのことまで否定したのは…………」
「やっぱ第三者の意見だぁね。でもありがと。それでいじめられたりもしたからさ。冷静な意見に縋り付きたくなることも、まぁまぁある。でも、この件に関してだけは、叶奏くんにドン引くなよ。……叶奏くんたちのお母さんさ、家まで来てたことあんの。あの時の顔が忘れられないよ。オレのママン殴って引き倒して蹴り付けて、罵倒してもいいくらいなのに、オレを見て泣いたんだ。多分だけど、本当は殴ったり蹴ったり罵ったり、したかったんじゃないかな。でも出てきたのが自分の息子たちに似てるんだもんな。そりゃたまげるよ。オレはあの時から、この母親が育てた息子たちには頭が上がらないなって思ったよ」
 彼の表情がほんの一瞬、くしゃりと歪んだ。
「でもありがとな。周りはそうは思っちゃくれなかったから。同情してくれる人もいたけど、やっぱ不倫した側された側に感情移入フォーカスされちゃって。そうなると、もう選択の余地なんかなくていつの間にか生まれて自我も持ってたオレって一人格じゃなくて、不義の子って見方ことになるからさ……よくも悪くも、文化革命でもない限り、生まれは変わらないから、マウントとりやすいじゃん?安全圏から人殴るの、楽しいもんな。楽しいよ」
 氷麗歌の言うとおり、彼の車は近くのコンビニエンスストアに停まっていた。真っ黄色の車体がよく目立つ。リアウイングが付いている。
「寄る?オレ、お茶買いたいんだけど」
「うん……トイレ、借りたい」
「ほい」
 彼は痛烈な罵倒の後だというのに飄々としていた。身の内に不快感を抱きながらも緋霧はその姿が先に店内の光に滲んでいくのを見ていた。



 3日の謹慎処分だった。勉強机のデスクとセットの椅子に座り、ゆらゆらと左右に揺れた。廻冬みふゆの顔にも痣と腫れと裂傷が目立った。父親からの躾である。
 彼は白いガーベラをくるくると弄び、それから疼く頬に寄せた。
「かすみお姉ちゃん……漢になるのは難しいや」
 大振りな花の後頭部を撫でる。何度か指を這わせてから顔を見る。黒ずんだ芯を見る。どくりと彼の腹が疼く。恋人との情事、高校生からの輪姦によって擦り切れ、黒く熟れた彼女の秘所を想像した。
「く………ぐふふ………うふ、ふふふふ。そろそろお姫様になる頃かな」
 廻冬は鋭さのあるハサミをペン立てから引き抜いた。アルコールティッシュで刃先を拭くと舌状花や芯に接吻し、直後、茎を切り落とした。専用の乾燥シートとダンボール、輪ゴムで工作を始めた。彼は押花を作ろうとしている。慣れた手付きでガーベラを挟み、参考書の山をおもりにした。それからベッドに転がる。枕元の写真立てを手に取って、そこに封じられた女を啄んだ。陰部がむくむくと膨らんでいく。恋人が何度も出入りした箇所に、ふいご柚木や菜洗なあらい冴結さゆやその一派、そして神渡かんわたし橇路きょうじにまでが出入りし、彼女はレイプされたのだ!恋人だけに許した清らかな肉花が、彼等が何度も出入りしたために黒ずんでしまった!そして殺されたのだ!
 逞しい妄想によって催した劣情で身悶える。
「お姉ちゃん……っお姉ちゃん…………僕もお姉ちゃんとしたい………」
 ベッドに写真立てを置いて、頬擦りしながら下を向いてペニスを握る。
「お姉ちゃん…………」
 彼の脳裏では黒みを帯びた薔薇の花弁から粘こい白濁が落ちていく。
「お姉ちゃん………苦しいよぉ。お姉ちゃん……」
 夢中になって手淫に耽ける。彼女とのセックスを望みながら、常に股を開け広げる女を抱くのは自分ではなかった。それがさらに快感に変わる。脳味噌が茹だりそうだった。肉の悦びをさらに脳天へ送り込む。
「お姉ちゃん………っ!あぅう……!」
 小動物のような大きな目を眇め、廻冬は大いなる神秘の輝きを掴み取った。そして呆気なく冷めていく。次に起こったのは緩やかな殺意だった。ベッドの上から、毎朝机に飾っている写真立てに視線を投げる。前髪を引っ張られ、怯えている少年の顔がカメラ目線で上目遣いである。
「ゆうきちちゃん、僕のこと守ってね。ゆうきちちゃんのこと、苦しめなかったんだから。もうちょっと……色々聞いておけばよかったな。嘘吐き」
 自宅謹慎中は外に出られないだろう。母親がいる。叱られるだろう。数日間の登校拒否ならば教材を買いに行くと言えば外出は許された。
「暇だよ、ゆうきちちゃん。生かしておけばよかったな。そうしたら、お義兄にいちゃん殺し、手伝わせてあげたのに。十分手伝ってくれたよね。だからゆうきちちゃんの所為だね。お姉ちゃんに知られたら怖いよね。でもゆうきちちゃんがお姉ちゃんの弟になったから悪いんだよ。かすみお姉ちゃんの弟に生まれて、かすみお姉ちゃんのことレイプする気だったんでしょ。弟のクセにサイテーだよ。ゆうきちちゃんは死んで当然だよね。楽に殺してあげたんだよ。感謝してね」
 写真を見つめ、廻冬は無表情で捲し立てた。それからふは、と破顔する。満面の笑みを湛えてベッドから降りた。




 クラスに花瓶が増えた。今度は本物だった。グリーンのガラス製の花瓶に菊の花が活けてある。担任の教師だろう。クラスが不穏な一体感を持っていることは以前打ち明けたが相手にされなかった。熱心に話を聞いていた後日には、そのような事実は無いということになった。そして死者が出たわけだ。頬杖をついて面白みのない花を見ていた。足音が近付いてきた。しかし廻冬は振り返りもしない。
 お、おはよ……う、玄英げんえいくん。
「おはようございます」
 気拙まずそうに髪を左右に結えた女子生徒が入ってくる。
 玄英くん、あの、いなかった間のノート……プリントしておいたの。もう他の人に、頼んでた…………かな?
「いいえ。いただきます」
 彼女は困惑気味に花瓶の置かれた席を見遣る。
鶉楽うずらさん?」
 あ、ああ。ごめん。まだ、実感なくて……
 彼女は自分のスクールバッグを探り、真新しいファイルに入ったコピー用紙の束を差し出す。
「ありがとうございます。―自殺だそうですね。彼なりに罪悪感があったんでしょうか」
 菜洗冴結という鞴柚木の金魚のフンみたいなのの席を2人で眺めた。
 わたし……結局、何もできなかったなって…………
「そうですね」
 女子生徒が廻冬をはっと捉えた。彼はそれを微笑で受け流す。彼女はまだ狼狽を示している。
「神渡くんのメンタルが心配ですけど。学校には来てるんですか」
 彼女は首を振った。神渡だけでなく鞴柚木たちも自宅謹慎になっていると説明された。菜洗冴結はその間の自殺だった。一体何故……


 登校してきた神渡橇路を裏校舎のトイレまで連れて行った。彼はぶるぶると震えている。廻冬は芳香剤臭い空間に背を向けて窓から首を出していた。
「よかったね、神渡くん。君をいじめるヤツが1人減ったじゃない」
 閉鎖的な場所で2人きりの会話をするには随分と離れたところに神渡は立っていた。壁に背を凭せかけている。内股になって擦り合わせたような膝も戦慄いていた。
「あ、あ………」
「君がちゃんと教えてくれたから、僕もしっかり菜洗くんに教えてあげておいたよ。だからそれで、反省しちゃったんだね。それで自分の命であがなわないとならないことだって、気付いてしまった……被害者ひとから許されるっていうのは難しいことだ」
 返事も相槌しない神渡を振り返る。何か恐ろしいものでも見るように彼は首を竦め、相変わらず振動している。
「あの花はキク科だからねぇ。美味しいよねぇ、春菊。僕も好きだよ。茹でて、酢醤油に入れてね。お鍋でさ。菜洗くんのおうちに送ってあげようっと。君は?神渡くん。僕のお花、美味しかった?」
 にじり寄る。今日は天気が良く、いつもより暖かいくらいだった。しかし神渡はがちがちと歯を鳴らした。
「ひ、ひ、ひぃいい!」
「君のお腹の中に入っていったんだね?君の血となり肉となったのかも知れないんじゃあ、僕も神渡くんのことを大切にしなきゃいけないよ。残念だけど」
 神渡を迫り、手を伸ばした。学ラン越しの腹を触る。まるで人を妖怪か化物だとでも思っているかのような有様だった。がたがたと震えている。
「ひひひ………あはは。僕のかわいい恋人たちが、君の腹の中で、やっと2人だけの胃袋せかいに行けただなんて滑稽な話だな」
「ゆ、ゆ、許し………許し、て…………そんな大切な、も………」
「うん。そんな大切なものだなんて思わないよねぇ。僕も、誰からも無視されてる君のそのそこそこ綺麗な顔が、そんな大切なものだとは思えないよ」
 廻冬はスラックスからポケットタイプのアルコールティッシュと大型のカッターナイフを取り出した。
「僕のカノジョ、顔に傷がないとセックスさせてくれないんだ。どういうふうに入れたい?十字傷かな、かっこいいし。鼻の上に一本線?この前アニメで見た。片目にピッてする?ヤクザ屋さんみたいかな?君がいじめと戦った勲章だよ?あはは!」
 アンケートに書き込み、学校に訴えた内容とは異なるが、いじめの被害者は廻冬ということになった。勇敢な或る生徒が苛烈ないじめに耐えかねて間に入り、被害者の廻冬は今までの仕返しをしたのだ。
「勇敢な神渡くんはいじめっ子のひとりを改心させたんだから、偉いよ!」
 伸ばした刃を神渡の頬に寄せる。
「ひ、ひ………」
「みんな"改心"させてあげようか。そうしたら鶉楽さんも、君にお股開いてくれるかもよ。彼女のこと、好きでしょ?いじめられてた僕じゃなくて、勇敢な君にね!」
 廻冬は淡い桃色の舌をカッターナイフの刃に這わせた。薄いアルミ板越しに戦慄く男子生徒の頬を舐め上げたも同然だった。
「ああ、舐めちゃった。もう一回消毒しないとね。涎はばっちいから」
 けたけた笑って舐めてしまった部分を拭き直す。
「鞴くんたちにいじめられてる時の方がまだよかった、なんて言わないよね。僕は殴ったり蹴ったり、お金ちょうだいなんて言わないでしょ?ただ顔を切り刻ませてって言ってるの。もう無視されることなんかないよ。ああ、そうだ。僕がいじめられてる設定なんだった。でもね、誰が誰にいじめられて誰にどの程度非があったかなんてどうでもいいんだよ。等しく君等は僕を邪魔した。それだけじゃなくて、僕の大切なものを踏み躙った。等しくね。君にとってはただの花なら、僕にとって君なんかはただの取るに足らない顔だよ」
 首を捕まえる。刃先を近付けた。
「勇敢な君は、まだまだいじめっ子の残党に怯える僕を元気付けようとした。でも僕は怯えきり、君を傷付けた。そういう筋書きでどうかな、勇敢な神渡くん!」
 ほんの隙があったのかも知れない。廻冬は力一杯突き飛ばされた。
「窮鼠は逃げた先で猫に食われるものなんだよ」
 雄叫びを上げながら神渡は逃げていく。途中まで追いかけたが、廻冬は急に気が変わった。絶叫が遠退いていく。
 窓ガラスの奥に黒煙が上っているのを見た。ぷすぷすと空へ広がっている。火事によるものか工場によるものかは分からない。勘とも期待ともいえないものは前者だと告げている。
 あそこで石蕗 静架しずかがガソリンに巻かれ焼き殺されているに違いない。彼女の泣き叫ぶ声を聞きにいかねばならない。発狂する様を。否、それは妄想と願望の光景であったかも知れない。彼女は恋人の死地には出てこなかった。恋人の遺骸を見せたかったが彼女は見なかったようだ。今度こそは見せたいのである。多少頭部の破損した弟の死骸を見せるだけでは満足がいかない。焼き殺したのは間違いであったかも知れない。廻冬は黒煙を遠く見つめる。授業開始5分前のチャイムが鳴る。
「授業、始まるぞ」
 頭に手が置かれる。校舎内とはいえ人気ひとけのあまりない場所だった。若い男性教員である。薄情でやる気のなさそうな美男だ。廻冬はこの教師を知っている。鷹庄雪兎吉や石蕗静架の葬儀で来ていた。彼女やその恋人の同級生らしい。廻冬の殺害リストにも入っていたが詳しい関係を知らない。ただの同級生を殺害したところで大して彼女の関心を買うことはできないだろう。次の殺害を迷っているがこの教師は選択肢にない。青いガーベラか、赤黒い薔薇か。それか白いガーベラにいってしまおうか。
「先生。あそこ、火事みたいですね」
 こつ、と窓ガラスに爪がぶつかった。あらゆるものを信じないといった様子の美貌が一度廻冬を見下ろしてから示す先を向いた。
「この前も大きな火事がありましたよね。廃墟で……誰も亡くなった方がいないといいんですけれど……」
 視界に入ったものをすべて蔑み疑いにかかったような目が廻冬に戻ってくる。ただの同級生の死を思い出すことはないのかも知れない。彼にとっては些事なのだろう。廻冬にとってもクラスメイトの真新しい死は些事であった。殺害後も普段と変わらず眠りに入り、飯は喉を通り、長閑な日常である。
「そろそろ授業が始まる。遅刻をするな」
「はい」
 教師向けの笑みを崩さず、廻冬は教室に戻った。後ろから見回していると頻りに振り返る神渡が滑稽だった。鞴柚木たちも登校していた。しかし机に突っ伏している。他の連中たちも各々の席でおとなしくしていた。彼等とは目も合わなかった。まだクラスには忖度の気配がある。しかしそれ以上は廻冬の知ったことではない。快適な勉学の環境は整った。放課後を得られたのは平日に家で勉強せず塾にも行かない廻冬には大きい。
 席に着く。外を見回した。新興住宅地が広がる。その奥に工業地帯の白ずんだ影が望める。
 青いガーベラか、赤黒い薔薇か。彼の二者択一はまだ続いていた。赤黒い薔薇はガーベラより20円高く、青いガーベラはさらに20円高い。どちらを殺すか。石蕗の2人いた息子を両方絶やすのは石蕗家が可哀想ではないか。否、彼女の恋人が哀れである。独りであるのも、恋人を横盗りされていることも。だがどちらかというと双子でもないくせ彼女の恋人に近い青ガーベラを殺害するのが良いのではないか。彼女の気持ちが揺らぐ前に。いいや、やはり彼女の気持ちが振り切ったときにもう一度失わせるのが良いのではないか。あれではない、これではないと一人内心で討論会を開く。
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