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蜜花イけ贄 不定期更新/和風/蛇姦/ケモ耳男/男喘ぎ/その他未定につき地雷注意
蜜花イけ贄 3
しおりを挟む叔父の胸の中で眠り、そして目が覚める頃に顔を覗くのは叔父ではなかった。ネコに似た形をしながらネコよりも肉厚な耳を頭頂部に生やした人間だ。顔面に札を貼っている。口元や眉尻だけが何となく分かる。だが桔梗はそのことに気付かない。叔父の腕の中にいるものと夢を見て安らかな眠りを貪っている。
「桔梗さま」
幼さの残るたった一言で桔梗は重苦しげな睫毛を上げた。彼女の見たものは異国人の奴隷である。顔には爛れた傷が痛々しく刻まれていた。目を見開いて飛び起きる。
「すまなかった。下がれ。休んでいろ」
彼女は身を竦ませた。全裸であった。ダリアを抱いてしまったのかも知れない。腰に鈍痛がある。
「し、失礼しました……」
ダリアもまた驚いた顔をして飛び起きる。深々と頭を下げて、部屋を出て行った。一人残った桔梗は頭を抱える。薬師の顔が頭から離れない。あの美貌に爪を立てた感触は残っている。その前後が抜け落ちている。何故あの監視役―薬師の頬を引っ掻くことになったのか、それが分からない。何か失礼なことを言われたのだろうか。こう考えてしまうと、むしろ自分が誰かを引っ掻くほど失礼な言葉というのが見つからなくなる。事故として引っ掻くということが、自分と薬師との距離感で有り得るだろうか。監視されていることに限界を迎えたのだろうか。だがそれもはっきりとしない。
彼女は混乱したまま部屋を片付け、身形を整えた。ダリアの傷に効く薬をもらいに行く。ついでに顔を合わせれば、何か思い出すかも知れない。深い眠りの中で、彼とのやり取りは不要とされ、書き損じたものとして塵箱に捨てられたのかも知れない。
ダリアに傷の様子を聞こうとした。彼の狭い塒に近寄る。戸を開けようとして桔梗は固まってしまった。嗚咽が聞こえるのである。咽び泣いている。彼女は真冬に冷水をかけられたように動けなくなった。仕えた先の女に火傷を負わされた挙句、肉体を搾られ手酷く扱われたことに、彼は傷付いているに違いない。繊細なところのある少年である。桔梗は何度か目を屡瞬いた。悪いことをしてしまった。
桔梗は村へ出た。薬屋に顔を出す。冷淡な印象を受ける美貌の薬師が棚を叩いていた。他に客もいる。立地として桔梗の動向がよく見える場所にある。
「いらっしゃいませ」
頬に刻まれたネコやトラの戯画みたいな引っ掻きを当て布で隠すこともない。やはり彼女の手応えのとおり彼を引っ掻いたらしい。
「桔梗様」
顔を合わせ途端、忽如として薬師の葵は柔らかな笑みを向ける。薬師の面としてはそういう表情を見せるだろうが、桔梗は見たことがない。覚えていないだけなのかも知れない。否、そもそも彼を見ていたかが怪しい。
彼女はふいと顔を逸らした。目の前にある夥しい数の抽斗には薬草の名が直に記されている。はたきを下ろし、葵のほうからやって来る。
「火傷の薬はありますか。まだ少し濡れたような傷なのですが」
顔も見ずに訊ねる。葵が眉を顰めたのも気付かない。
「怪我をされたのですか」
「わたしではありませんけれど」
「では……」
桔梗はどこか焦っている葵を冷やすような目をしていた。
「わたしは、火傷の薬を売って欲しいのですが」
「今、探します」
薬師が離れていく。随分と接客に差のある店だ。苦みの強い草の薫る店内で少しの間待っていた。店の奥から葵がやってくる。
「お待たせいたしました。火傷の薬は在庫がありません。調合するにも薬草を欠いておりまして……」
「そうですか。ありがとうございます。他を当たります」
他を当たるとはどういうことだろう。この村に薬を売っているのはここしかない。
「桔梗さ、」
桔梗はすぐに踵を返していた。
―薬師さまのお顔に傷を付けたのはわたくしでございます。頭を冷やしたく存じますので少しの間出掛けて参ります。必ず帰りますから心配はなさらず。 桔梗
◇
村を出て野原に出る。ダリアには酷いことをしてしまった。隣の村に火傷の薬はあるだろうか。せせらぎが聞こえ、辺りを探すと下方に川が見えた。釣り人がいる。少年のように思えた。喇蛄を取り上げて喜んでいる。通りすがりの桔梗に気付き、獲物を見せびらかした。ダリアと同年代くらいだろうか。桔梗は自分より年下と踏んだ。少年期から青年期に差し掛かる精悍さは体格に見て取れるけれども雰囲気がどこか迂愚で、幼さを強調させる。裾に気を付けながら法面を下る。
「見て見ておねぃさん。ザリガニ釣れた~」
八重歯で口元の歪んだ、愛嬌のある男子が桔梗の前に胴の細長いカニみたいなのを晒す。脚が宙を掻いている。
「大きいのが釣れたのね」
褒められたみたいに彼は破顔する。随分と人懐こい。
「あなた、この近くの村の人?」
「そう。あそこの村」
彼は軽佻な顔で横に揺れている。落ち着きがない。
「よかった。わたし、あっちのほうの村から来たの。あなたの村、薬師さんている?」
「うん。おじいちゃんとおばあちゃんがやってるよ」
「そうなの。ありがとう。薬師さんを探していて……」
彼は忙しなく左右に揺れる。
「そろそろ帰ろうと思ってたん。案内しよっか」
上唇を上げる時、八重歯に引っ掛かっていくのが妙に印象的である。前歯が片方欠けている。
「いいの?迷惑にならない?」
「うん。同じとこ行くん、向こうでまた会ったら恥ずかしいから」
彼はザリガニを川の中に戻した。投げ捨てられたように置かれていた背負子を背負う。
「おで、アサガオ。畑いじったら、いつもここでザリガニ釣ってるん。おねぃさんは?」
「わたしは桔梗。わたしは……あんまり外出ないの。家の中でいつも引きこもってる」
ふぅん、と彼は興味が無さそうである。妙なことを言ったかと彼女は少し失敗した気になった。前を歩くアサガオとかいう軽率な感じのするのが急に立ち止まった。その背中に衝突しかける。
「じゃあ暇ならこの川来たらいいや。川はいいぞ~、楽しいぞ~」
「この川で何して遊んでいるの?」
「天気任せ。雨の日は危ないから。その日その日で考える」
並びは悪いが白い歯の健やかさが目を惹いた。
「もし気分が向いたらおいでよ」
無邪気だ。
「うん……」
「ザリガニ釣ろ。コツあるん。教えてあげるからさ、そしたら、どっちがおっきいの釣れるか勝負ね」
「負けたら?」
彼は空を見上げて歩いていた。
「う~ん、負けたほうが勝ったほうに歌を歌ってあげる!」
「わたし、あんまり歌知らない」
「そうなんだ。じゃあおでと歌お」
急にはしゃぎだすアサガオに、彼女は久々に走った気がした。
村に着く頃には少し疲れてしまった。薬師の元に案内される。火傷の薬は店に残っていた。ダリアへの土産を買う。アサガオはまだ待っていた。
「あった?」
「うん」
「そりはよかった。なかったら、おでの使いかけのだケド、要るかなって持ってきといたの。でも、あったならよかった」
使いかけの軟膏を差し出した腕には確かにぽつぽつと小さな火傷の痕が散っていた。
「本当に助かった。ありがとう。家の人が火傷しちゃってね……」
彼の前では口が軽くなってしまった。明け透けなアサガオの人柄のせいかも知れない。
「それはタイヘン。火傷痛いもんね。早く届けてあげなきゃだ」
話を聞くだけでも痛い、とばかりに彼は顔を顰めた。
「うん。早く帰らないと。アサガオさん、本当にありがとう」
「アサガオでいいよ、桔梗ちゃん!おでも楽しかった。お家の人に、おでからもお大事にって言っといて。また、……」
アサガオの言葉を奪ったのは、村に入ってきた馬である。桔梗もそちらに気を取られた。乗っているのは彼女の知り合いの薬師である。つまりは葵だ。この村の少年みたいなのに鋭い殺気が向くのと同時に桔梗は両腕を広げ、その間に割り込んだ。眉間で閃きが止まる。
「桔梗ちゃん……」
白刃が降ろされる。彼女はそのまま崩れ落ちた。
「勝手な外出は許されません。帰りましょう」
火傷の薬が地面を転がった。葵の殺気に満ち満ちた目が冷めていく。それをいち早く拾ったのはアサガオだった。膝をついている桔梗を立ち上がらせようとする。
「ごめんなさい、アサガオさん」
彼は何が何だか分かっていない様子だった。向き合っていた2人の間に葵が身を挟む。
「桔梗様にお近付きならぬように」
「待ってください。わたしから近付いたのです。誤解の無きよう」
アサガオに失礼な態度をとる葵を横に退ける。
「アサガオさん、ごめんなさい。気にしないで。短い時間だったけれど、わたしも楽しかったです」
容喙しようとする葵を遮った。不思議な出会いであった。悪くない出会いだった。彼の気を害したまま終わりたくない。
「うん。桔梗ちゃんが楽しかったならよかった。また川においでよ!」
先に反応を示したのは葵である。桔梗が宥めるのも聞かず、敵意にぎらついた目が粗末な身形に野暮ったい風貌、白痴らしき雰囲気の少年とも青年ともいえないのを睨んだ。
「勝手な外出は許されない」
「じゃあ、桔梗ちゃんと川で遊ぶから、許して」
葵の侮蔑にアサガオは気付かない。桔梗はアサガオを引っ張った。この場合、話が分かるのは聡げな葵よりも迂愚そうなアサガオのほうである。
「斬られ、ちゃうから……アサガオさん、すごく楽しかった。喇蛄釣り、できなくてごめんなさい」
「……そっか。じゃあ、もし、また今度があったらね。雨と雪の日以外はあそこにいるんだっ」
雑巾じみた彼の袖がなかなか放せない。真後ろには葵がいる。
「桔梗様」
粗末な素材の煤けた衿元から覗く、薄くも逞しさのある胸板を彼女は凝らしていた。瑞々しい。自然の芽吹きを感じる。晴れた日の活気をそこに覚える。
「行きます。用事は果たしましたので」
アサガオに背を向ける。途端に見えた、葵の安堵に彼女は顔が一気に熱くなった。怒りが湧いた。薬を入れた小壺を持つ手が震える。
「また川で、遊ぼうね~!おで、いつでも待ってるから~!」
桔梗は振り向きかけた。
「桔梗様」
咎めの声が飛ぶ。
「別の場所にいたのを、わざわざこの村まで案内してくださったんですよ。失礼な態度はとれません」
「では、その礼は私から」
彼女は馬と残される。乗り方は心得ている。奪取して逃げることはできるだろうが、叔父を残し、ダリアを放って行く場もない。
葵の態度が一変し、アサガオに対して低姿勢になっているのを彼女は不安げに見ていた。
「じゃあね、桔梗ちゃんも……」
刀を腰脇にぶら下げている目の前の男にも臆さず、アサガオはその後方にいる桔梗へ視線を移す。桔梗は頭を下げた。
葵が貧相な村人から離れた。馬を挟んで葵がつく。
「私は、顔の傷のことを気にしておりません」
何の話かと思った。少しの間、訳が分からなかった。ダリアの火傷の話かと思い至り、何故彼がそのことを話題にしたのか分からなかった。
「ですが、火傷は痛いですから。痕になったら可哀想ですし」
本人の前で哀れむのはダリアに悪いが、アサガオの日焼けした腕に点々と浮かぶ白い火傷痕と微かな拘縮を思い出すと、やはりダリアに何かしたくなる。
「え……?」
「え?」
「あ…………いいえ。そうですね。お大事にしてくださいと、お伝えください」
もし彼の引っ掻き傷が視認できていたのなら、彼女は思い出したかも知れないが、馬が2人の間を隔てていた。
監視役は元々口数が少ない。彼はもう喋らなかった。桔梗は橙色に染まりつつある空を見上げ、教えられたばかりの歌を内心で聴いていた。溌剌とした笑みが一つひとつ、空に映す残像みたいに目蓋の裏で鮮烈に甦る。
「許可を得れば、隣の村までの外出を赦してくれますか」
彼女はぽつりとこぼした。馬の奥で人が息を詰める。
「茉莉様に伺ってみてから……ですね」
「そうですか」
彼女は黙った。逃げるつもりはない。叔父が囚われている。ダリアの心身を深く傷付けたままにしておけない。ただ、外に出て、何も知らない、知る由もない人と話したかった。アサガオに話しかけてみるまで、自分でも気付かないことだった。
「私からも申し添えいたします」
「結構です。わたしの問題ですから」
「いいえ。私の問題でもございます」
その雰囲気は知的で聡明なはずだが、彼は時々訳の分からないことを言い出す。見目も役職も悪くなく、女性からの評判はよく聞くけれど、実際に女気がないのはこのおかしな気味の悪い部分のためかも知れない。桔梗もまた彼の言動に気色悪さを覚えている。
「わたしの我儘ですよ。薬師さまの仕事が増えるだけの要求です」
「構いません。桔梗様とこうして一緒に居られるのなら」
たとえ単身での外出が許されても迎えは来るらしい。この時折り言動のおかしな薬屋と帰ることになるのだ。
「逃げ出したりはしません。そんな、四六時中見張っていなくたって……叔父を残して行くところはありません。夕方には帰ります。どれだけ楽しくても……」
しかし慎重な仕事振りのこの監視役のことだ。逃したら首の飛ぶかもしれない監視対象を野放しにするのは危機管理がなっていない。彼の言い分も分かるために桔梗はそれ以上言えなかった。
「あの蕣という少年に惚れているのですか」
すぐに理解ができなかった。瞬き3回分ほど要する。その度に目蓋の裏も目交いも白くなる。間を置くと一気に意味を理解した。
「やめてください。詮索しないでくださいませ。貴方はわたしの動向だけ見張っていればいいはずです」
彼女は自分ごと、彼の屈託のない陽気で無邪気な人柄も揶揄され侮辱された心地になった。
「これは一個人としての問いでした」
「一個人?一個人の貴方がわたしに何の用があるというんですか。下衆ではない貴方が下衆に対して下衆みたいな勘繰りをするのはおやめになった方がいいです」
「あ………、その…………」
冷たく言い放つ彼女に葵はたじろいだ。
「差し出がましいことを申しました」
彼には見えていないところで頭を下げる。
「桔梗様、私は、あの事を悔いておりません。気の迷いでも、情欲に流されたわけでも………」
彼女は己の身を抱いた。急に寒気を覚えたのである。その仕事の慎重ぶり、丹念で几帳面、情に厚いというのは見もすれば聞いてもいるが、一個人的な事項には浮薄なようだ。今彼が口にしたのは二者、或いはもしかすると三者四者かそれ以上なのかは桔梗の知るところではない彼の嗜好の問題になるが、秘事であろう。女気はないと感じていたのは一定の関係にある女性であり、もしかするとかなり遊んでいるのかも知れない。人違いにしても限度がある。上から命じられ監視しているその対象と間違うほど手広く情念の歓を尽くすしているようだ。そうでなければ妄言も甚だしい。馬を隔てた向こう側の男に桔梗は戦慄いた。
「胡乱なことをおっしゃらないでくださいまし」
「胡乱でございますか」
人違いでなかった場合、彼の上の人間に掛け合い、早いところ辞めさせるか、然る治療を受けさせるなり休ませた方がよい。奸計であろうか。本気で言っているのなら、無かったことを有ると認識しているまで異常を来している。早々治療に当たるか休息すべき状態にある。
「もうお話しにならないで」
言動のおかしさに、以前とは異なる事情で逃げ出したくなった。彼に関わる者たちは、誰も何も言わないのだろうか。馬の向こうにいるのは妖ではあるまいか。大きな人違いであろう。多少の屈辱は否めない。人違いであろうと、監視役と身を交わした仮定があるなど。
「失礼………いたしました」
重苦しい沈黙が流れる。奇言、妄言に取り憑かれた監視役に彼女は怯えなければならなかった。
彼女の住まわされている家の前でやっと葵と顔を突き合わせた。後退ってしまう。妄言を躱せるだろうか。
「薬師さま」
桔梗から口を開いた。
「薬師さまとわたしには何もありませんでした。誤解はおやめになってください。人違いです。薬師さまもそんなことが知れたら問題でしょう。誰がどう聞いて、どこに通じているのか分からないんですから……そのことは、二度と口になさらないでください」
葵は目を見開いた。激情が彼の中に駆け巡ったのが分かる。それが人違いによる羞恥なのか、指摘されたことへの怒りなのか彼女には分からない。
「茉莉様は、ご存知です」
ゆえに手広く手を出しているらしき彼の放蕩が許されているのだろう。人違いのほうであったらしい。
「そう、ですか……」
「ですから、その点を案じていただいていたのなら心配は無用です。桔梗様……それとも、」
手を取られる。振り払ってしまった。
「薬を待っている使用人がおりますから。失礼します」
玄関戸をぴしゃと開けてぴしゃと閉める。まだ外に葵が突っ立っているような気がした。彼女の忙しさはまだ終わらない。上がり框に裸足が見えた。辿っていく。素肌が続き、ふっさりとした大根に似た形の尾が脚の間から垂れていた。
「―旦那様に気取られそうですか」
大判の護符が貼られた顔面の奥で、獣じみた全裸の夫が言った。全貌を捉えたその直後、桔梗は動けなくなってしまった。寒気は疾うに失せたが冬の朝の水溜まりに浮かぶ枯葉の如く凍りついて動けない。
「え……?」
「気取られてるよ。上手くやったつもりなのかなぁ」
かろうじて見える夫の口が吊り上げる。薄く細長い舌が唇を瞬時に舐め回した。
「ボクの生贄さん……」
裸足で三和土へ降りてくる。桔梗は力強くその肩を掴まれた。
「あ………っ」
夫の腕が彼女の着物の裾を割り開く。腿の間に手が入った。
「威鳴狐狗狸様………」
「ヤぁよ。ボクはお桔梗さんの旦那しゃんなんだよ?そうだなぁ……槿。槿ちゃんって呼びなよ。旦那しゃんでもいいケド、どうする?」
夫は愛妻の顔を舐め、その指は彼女の秘所を執拗に撫で摩っていた。的確なものは与えない。焦らしている。その指遣いは敏感な場所であればあるほどもどかしい加減を心得ていた。
「呼んで。それとも、あの薬屋さんの名前呼ぶ?」
「う………ぅ、」
揶揄が耳に入ると、桔梗の目に映る夫の顔は葵に変わっていた。
「桔梗様。今宵も臥所にお誘いしようと思っておりましたのに」
声まで忌々しい薬師のものであった。桔梗はびくりと震えた。耳元に息を吹きかけられる。
「あまりにも相性が良かったものですから。あの日のことが忘れられなくて」
秘蕊を柔らかく掻かれ、意識が熱くも潤けていく。彼女は首を振った。
「それ………いや、です。いや!その人、いや……っ」
夫は「ふぅん」と言った。次に変わったのが、今日会ったばかりのアサガオに似た顔であるため桔梗の高められつつある身体は急に冷めていく。アサガオの八重歯の主張の強い口元を何の特徴もなく直し、眉を整え、睫毛を長くしたような、彼の面影は強く残りながら、顔を揉みしだいて癖を無くしたような感じである。
「ごめんなさい。用事がございますので」
乱れた衣類を直す。顔の見えない夫をその目で射抜く。
「ダリアをお返しくださいませ。その…………わたくしに用があるのなら、そのあとで……………生贄の義務を果たしますので……」
話を聞いているのかいないのか、彼は妻に抱き着いた。そのまま眩暈を起こすほどの光が桔梗の腕の中に起こった。そしてそれが治まるまで待つと、そこには金髪の少年が現れた。桔梗は彼を揺り起こした。
「……桔梗さま…………」
爛れに触れていた布が滲んでいる。少し赤らんだ目が哀れだった。
「すまなかったな、ダーシャ。薬を買ってきたから塗ろう。手を清めてくるから待て」
背を向けた途端、重くなる。何かを背負っている。
「おヨメさんとあの薬屋で薬屋さんごっこしたいな」
「…………」
「さっきのカオ、嫌なんでしょ?」
「……はい」
耳の裏を吹かれる。
「じゃあ仕方ないよねぇ。楽しみだなぁ」
振り返る。ダリアが立っている。訳が分かっていなさそうだ。待てと言われて待つつもりが付いてきてしまっている。戸惑うのも仕方がない。
「効くといいな」
「はい………でも、あの、すみません。お手を煩わせてしまって……」
「何を言うんだ。そんなこと気にしなくていい。わたしも楽しかったから……」
言ってしまってから彼女は目を伏せ、顔を伏せてしまった。
「ああ、いや…………」
洗い浄めた手で薬を掬い、様子を見ながら塗っていく。
「お大事にと…………―これを買ったところの薬屋が言っていたぞ」
桔梗の知る薬屋は往々にしてそう言うものである。そこを本気の善意と受け取っても仕方がない。かといって友人とは言えなかった。
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