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怪盗キッスとストロベリー 不定期/弟持ちヒロイン/大学生/女装美少年/軟派美青年/気紛れ美男子/etc…
怪盗キッスとストロベリー 3
しおりを挟む―この船沈没するらしいからよろしく。
カードキーを渡されていた。緋鯉も知らない緋鯉のカードキーだった。すべて理解することよりも、何の頓着もなく立ち去る謎のファッションセンスの持主よりも、彼女は弟・蒼多郎の泊まるキャビンに走った。自分の知らないサンダルには花の飾りが付いていたが、早々に靴擦れを起こした。
鮫ヶ嶋大学の同期生としか言いようのない滑稽な服装の人物が別れ際に言ったことはどうやら本当らしかった。大きな揺れを感じることはなかったけれど、船内にはクルーが出てきて大きな人混みを誘導している。それを横目に弟の借りた部屋に向かったが、すでに彼の姿はなかった。半ばの安堵と、避難できているのかという不安が残った。最も広いデッキのある階から降りていく避難ボートをぼんやり見つめて数秒、また飛び出した。雇主のことが頭を過らないではなかったが、緋鯉は龍魚院美狗瑠よりも蒼多郎を優先した。彼は船の構造も分からなければ、この船に於いて大した権力もない。オーナーだと言って道を開けられることもない割りには不便な位置に部屋を借りている。彼女は人混みの脇を駆け抜け、弟を探した。彼がいたのは船尾のデッキの片隅で、中心にベンチが背中合わせに設置されていた。クルーたちが誘導している。
「蒼多!」
呼び止める。彼に焦りや怯えは特になかった。この船で友人もできたらしく、背の高い男と一緒にいた。蒼多郎は16だ。しかしその友人らしき人物は灼鯉の思う16歳男子よりも大人びて見えた。
「姉ちゃん、船が……」
「わたしはまだお仕事あるから。ちゃんと指示に従って、避難しなさい。帰る道は分かる?お金が足りなかったら港で待ってなさいね。すぐに迎えに行くから」
事態が事態なだけに緋鯉も弟の友人を気に掛けることができないでいた。
「おれが送り届けますよ。車を持っているので」
声調や喋り方からいっても、やはり緋鯉の知る世間一般の16歳男子にしては大人びていた。彼女は弟の友人を見る。背が高く脚の細い好男子だった。体格や顔付きもやはり16歳かと疑ってしまうほどに育ちきっているところがある。しかし運動部の主将やキャプテンという感じの峻厳さとも違った。
しかし彼を品定めし値踏みしている間などない。
「いいんですか」
「もちろんですよ」
「蒼多郎の姉の緋鯉です。どうぞ、蒼多郎のことをよろしくお願いします」
「はい。鯵倉内っていいます。蒼多郎くんをお預かりします」
緋鯉はもう一度、弟の友人を不躾に見てしまった。その口振りは年長者のようだった。
「お仕事があるんでしょう?お気を付けて」
彼女は鯵倉内とかいった男に頭を下げると、最後に弟を一瞥して踵を返した。
人波に逆らい船酔いを起こしているはずの雇主の部屋に戻った。まだエレベーターは動いていた。オーナーの部屋には誰もいなかった。緋鯉が避難場所から背を向けているうちにも船は徐々に傾きつつある。原因は、爆発事故だというのをここに来るまでに聞いていた。しかしその信憑性は定かでなかった。小さな爆発による連鎖で損傷したのだろうか。爆発ともなれば轟音が鳴り響くはずだろう。緋鯉はそれを耳にした覚えがない。
オーナー部屋を閉め切り、傾斜のついた船内を駆ける。みくるが見つからない。連絡も取れずにいる。山登りのようになりながら、雇主の興味がありそうだったカジノ施設に踏み込んだ。その途端に傾斜はさらに加速する。テーブルや椅子がかたかたと鳴って、置かれていた物が滑りはじめる。緋鯉は踏み留まった。
「みくる様!」
叫んだ瞬間、まるで彼女の雇主がそうしたように照明が落ちた。頼りないダウンライトに切り替わる。
「みくる様……」
縦横の感覚、認識がおかしくなりそうな中で、足元を確かめながらカーブする階段を上がる。中2階は高額な賭博が行われているVIPループだ。ノブに手を掛けた瞬間、暗い視界が閃いた。指先に電気が走り、弾かれてしまった。傾く船体に観葉植物が彼女のほうに引き寄せられる。
「みくる様……」
バランスを崩し、彼女は転んでしまった。観葉植物がその上に倒れる。船はまた傾斜した。
「まだ逃げてなかったの、あんた」
鈍く重い靴音がカーペットに響く。勾配の強い床を難なく歩いている。
「誰……?」
「俺だけど」
観葉植物は重くはなかったはずだが、急勾配や配置された場所から滑ってきたあらゆるインテリアに邪魔をされて緋鯉は立ち上がるに立ち上がれなかった。
「着替え、返しにきてくれたの?別にいいのに」
声の主は緋鯉のほうに来ることはなく、彼女の前を素通りし、彼女を拒絶したドアに向かう。
「それ、電気通って……」
緋鯉の身体は直角に近付く床に従い被さった観葉植物と共に壁のほうへ寄せられていく。
「うん。調査済みだけど。あんた、早く逃げれば」
「う、うん……」
オブジェや家具に妨げられ、姿は見えなかったが、声と小さな物音は聞こえた。階下を見渡せるところに設けられたラウンジのソファーやテーブルが押し寄せ、身動きが取れなくなっている。
「助けて、とか言わないの?偉いね。ま、言われても困るし助けないけど」
緋鯉は床に伏した体勢で声のするほうを見ていたが、やがて逸らした。
「圧死とか溺死苦しいでしょ?あげるよ、それ」
器用に隙間から落ちてきたのは弁当箱の付属品みたいな小さなプラスチックの箱だった。古めかしいキャラクターはプリントが少し剥げている。長いこと使われていたのだろう。開けると赤と白のカプセル錠剤が大量に入っていた。不穏になるほどだ。
「じゃあね。さようなら。おやすみなさい、鮠瀬さん」
ドアの開く音がした。足音と、そして閉まる音だった。
煤けたカーペットに伏せていると、床下の轟音がよく聞こえた。徐々に船体が傾いているのも分かる。緋鯉などは壁に足の裏がついているが、まともに立つことは難しい角度になっていることだろう。階段の下の大広間、現段階では緋鯉の左手にあった大広間は筐体やテーブルや椅子などが山積みになり、引き返すことはできなかった。ダウンライトも少しずつ弱まってきている。いずれといわず、数分後には消えそうだ。
四肢をその場で動かす分には問題がなかった。緋鯉はみくるに連絡をとるがやはり繋がらない。諦めてしまったが、緊迫感も危機感もあまり感じられなかったのは、途中から訳も分からずに、沈没だ爆発だと騒がれていたからだろう。平衡感覚も縦横の認知もおかしくなっているが、やはりまだ彼女は己が身に降りかかっている厄災に実感を得られない。まだ、何か盛大なサプライズ企画という感じがした。だが被仕掛人という感じもなければ、仕掛人側である話も出ていない。二者以外を巻き込むような大規模なものならば、話くらいは耳に通っているはずだ。しかし緋鯉は何も聞いていない。となればこの惨事は、やはり実際の事故なのかも知れない。
緋鯉は床に伏せたまま時間が流れるのを待っていた。船体は徐々に直角に近付いている。什器が軋むのが不穏だった。
何故もっと早く避難しなかったのか。
後悔はあまりにも遅かった。そこまで狭くはない隙間の中で蹲る。家具の軋み、船の軋み、そこにまた足音が加わった。
「そこに誰かいるね?」
落ち着いた喋り口に緋鯉はこの場にありながら、かっと頬を熱くした。夢の中で口には出せず、思い描くことすらも憚られた。一神氏である。妻は傍にいないらしい。もう避難しているのだろう。
「出てこられるかい。難しそうかな」
「あ、あの……」
「うん?」
縦横がおかしくなり、今まさに上下すら変わりそうになっているが、足取りは乱れることもない。
「どうなっているんですか……」
「おや、君か。船底のほうで爆発があったそうだよ。大変だね。もうみんな避難しているよ」
「クルーの人たちも……?」
「そうだよ。あとは沈没するだけだからね。けれども……人死は出さないのが僕の主義なんだ」
「え………?」
「沈む前に出ないと。大切なものも見つかったからね」
緋鯉の行手を塞ぐソファーだのテーブルだのが動かされ、懐中電灯らしき白い光芒が見えた。一神氏の異様な風貌も露わになる。フクロウを抽象的なイラストにしたみたいな変な眼鏡を掛けている。否、それは眼鏡というよりも双眼鏡に近かった。彼はエキセントリックな眼鏡を外した。服装もおかしかった。シルクハットが目を引いた。コスチュームプレイみたいである。オレンジ色とも山吹色ともいえない地の色に黒いレースのような模様が入ったストライプのタキシードスーツで、右肩にだけ襞折りのマントが垂れ下がっている。同大学に通う男といい、やはり何か大規模なイベントだったのかも知れない。この船も、或いは垂直に立つ機能が備え付けられていたに違いない。
「君」
一神氏は緋鯉の首元に手を伸ばした。鎖骨の辺りを撫でて引いていく。皮の手袋でも嵌めているのかヒトの肌の感触ではなかった。
「カレシに奪われてしまったか……ふふふ、行こう」
「あの、でも……人を探していて…………」
「君以外にはもう残っていないけれども。連れの子のことかな。もう避難しているよ。迎えに来たんだ」
手を差し伸べられ、緋鯉は仮装パーティーみたいな身形の一神氏に支えられる。
「あの、」
「言いたいことはたくさんあるよね。分かるよ。でもひとつひとつ説明させてもらおうかな。まず、ひとつめ。赤外線で避難に遅れた人たちを見て回っているから、取り残されているのは君で最後。ふたつめ。この船はそうだな……あと10分くらいで沈没するよ。みっつめ。僕は何者なのか。それはナイショ」
彼は耳に水が入ったように首を傾げた。
「奥の部屋に、もう一人、いて…………」
しかしその人物を探している余裕はないようだ。この珍妙な風采の者まで巻き込むことになる。何より緋鯉は自分ひとりで立っていることができなかった。バニラの香水が薫る派手な服装の一神氏に支えられてやっと立っているのだから他人を気にしてなどいられない。
「まだ避難していない人がいたのかい?それはいけない」
一神氏は1人で進みかけ、それから思い出したように緋鯉を振り返る。彼はにこりと笑った。彼女は何がなんだか分からないまま、洒落ているのかファッションセンスが尖り過ぎているのか分からない腕に抱き上げられてしまった。軽々と、片腕に担がれる。
「あ、あの……」
「うん、ヒト1人分だからね。40kg、50kgくらいかかるのは覚悟しているよ」
「え……?」
「そういう話ではなかったのかな」
彼はまた麗かに微笑した。
「君を1人で帰すのは心許ないからね。一緒に行こう」
傾いた床を一神氏は人をひとり乗せているのに平然と歩いていく。身動きのとれなかった緋鯉が態とらしいくらいに安定していた。背にしたどこかが崩落しているらしき音が聞こえる。
「どこに行くんですか?」
「誰か、奥に行ったんだろう?確かに……誰かいるんだよ」
彼はあのフクロウみたいな双眼鏡も通さずに、意味ありげな含みを持たせて断言した。一神氏は電流の通っていたドアの把手にカードを翳した。ピッ、と音がする。
「さてさて、どんな火事場泥棒がいるのやら」
緋鯉は氏の腕に座りながら、厳重にセキュリティ対策された部屋を見回した。ダウンライトが消えかかっている。錯視展みたいにぼんやりと浮かび上がる壁は斜めに構えている。
「いた」
一神氏の視線の先を追う。薄暗い空間に人型の濃い影がある。
「何もなかった。あったはあったけど、金の延棒なんか、あんた要らないでしょ?」
聞こえた声に緋鯉は身動ぐ。その反応に一神氏はさらに笑んだ。
「要るか要らないかで言えば、要るかな。ただこんなことをしてまで欲しかったものではなかったよ。君も、マダム・オレンジのバター犬になるほどの価値は、その金の延棒には………なかったね?」
何か不穏なやり取りだと彼女が察したのとほぼ同じタイミングで、一神氏は彼女を乗せた腕をさらに緩く掲げた。
「宝は金と石のみに非ず―だよ」
「ああ……そういうオチ?龍魚院家の大秘宝だって聞いてたんだけどな」
人影は髪を掻いている。
「実際、随分なお宝だったけれども?」
「そうかな」
緋鯉は視線を感じ、彼の腕に担がれたまま一神氏を見下ろした。その口元は悪戯っぽく笑っている。
「気付かないのは可哀想だよ」
一神氏は突然、小さなチョコレートを訳の分かっていなげな彼女の唇に押し込む。ウイスキーボンボンのように内部からゼリー状の、ほんのりと苦いソースが入っていた。
「また会おうね、緋鯉ちゃん」
緋鯉は斜めった床に下ろされる。一神氏は片耳を塞いだかと思うと天井に何か向けていた。耳が千切れるような破裂音と鼻を潰すような火薬臭さがあった。
「うっさ………」
もう1人この場にいる男が代弁する。さらにそこに付け加えるならば、とにかく臭い。
「で?鮠瀬さん」
緋鯉は上手く立てない床に這い蹲り、同じ大学に通うおかしな身形をしているはずの男を見上げた。
「この船爆発させたのあの人だけど、あんた過激派テロリストの仲間なの?」
容易な暴露に彼女は驚く。ぼう、としてしまった。信憑性はあるようで、ないようで、どちらともいえない。
「話聞いてる?」
「……違うよ」
「ふぅん、違うんだ」
彼はカーペットをふさふさ微かに鳴らしながら近付いてくる。薄暗い中にコスチュームプレイとしか思えない姿が掘り起こされていく。オーダーメイドなのか袖や肩など丈が合っている。そうして見るとフード付きのスウェットシャツにデニムジャケット、ジーンズを身に纏っていた時より背が高く華奢に見えた。彼は緋鯉とぶち抜かれた天井を見比べる。穴から星を散りばめた夜空が覗ける。
「100kgオーバーしそう。あんた、重そうだし」
彼はひょいひょいとベルトを触り始めた。
「ま、上の階には上げてあげるから、そのあとは自分でどうにかして」
仮装大会の参加者みたいなのの手が肩に触れた。
「あ……っ!」
接したところから風邪前に起こる悪寒に似たものが走った。
「何?」
肩に置かれた手が今度は遠慮もなく不躾に緋鯉の頬に触れる。
「い、や……っ」
肌理や産毛を逆撫でしていくような違和感が疼きに変わりそこに湧いた。夢にみた心地良く爛れる感触が腹奥に小さく芽吹いている。
「いや、じゃないでしょ。とりあえずもうこの階も沈むんじゃない」
同じ大学の男子学生の腕が腹に回る。しゅるる、と音がしてどこにも焦点が合わせられないまま視界が上昇する。甲板へ出る前の階で止まった。
「あとは自分で出られる?」
彼は緋鯉を放り投げる。上昇したのは階数だけでなく、彼女の体感温度もそうだった。床に四つ這いになっているのは床が傾斜しているという理由からだけではない。膝に力が入らず、内腿が弱く痙攣するようだ。
「面倒臭……あの人、厄介になって俺に預けただけじゃないの」
聞かせるような溜息を吐いて彼は緋鯉を見下ろしていた。
「お腹の奥が………」
彼女は臍の下の辺りを撫でた。血潮が沸騰するという現象が起こりそうだった。何かが今はまだ弱々しくふつふつとしているが、やがて増大しそうな兆しがある。
「腹壊した?」
呆れたように問われ、首を振る。初めて強い酒を飲んだときの酩酊感に似ていた。そこに痒さとも判じられないむず痒さがある。腹の内側の下底にそれが顕著だった。
「変な感じする……」
緋鯉は自身を抱いて身を竦めた。寒さを感じてきた。指先には汗が滲み、臍の下から股ぐらにかけて、空虚な感じがあった。そしてそこを埋められそうな気がして、はっきりせず曖昧だった。
同大の学生は凍えたように震える緋鯉を暫く眺めていた。手袋を外した素手が額や頬や首、耳を触った。
「ん……や、」
冷たい手を拒む。かさつきのある乾いた質感が肌には心地良かったが、全身を爪先から脳天まで逆撫でするような違和感が耐えられない。
「その声かわいい」
「や………ぁ」
その辺の人懐こい猫と戯れているが如く要領で惑乱の最中にいる緋鯉を撫で回す。彼は何か考え事をしている様子だったが、やがて解決したらしい。
「鮠瀬さん、裸になろうか」
「な……んで、ですか、………?」
顔が熱くなっていた。ぼんやりと同じ大学に通う同期を見上げた。睡魔にも襲われている感じだ。
「俺がそれ着るから」
身包みを剥がされていく。緋鯉は自分の肩や胸を押さえていたが力が入らない。鼻に馴染んでいた石鹸の香りが離れてまた新しくなる。寒さに震えた。発熱しているのかも知れない。
ブラジャーをしていなかった彼女の胸には医療用紙テープが貼られていた。自分の胸がそうなっていることに彼女自身もこの時に気付いた。
「下だけ穿いてるの変だし、全部脱ごうか」
「や、だ………っ」
胸を隠し、同大の同期生から逃げようとする。
「声えろ」
男の手を嫌がると、ロングスカートについては彼も無理強いはしなかった。
「これ貸してあげる。俺が好色家扱いされるのイヤだし」
肩を狭め、身を縮めているところに肌触りのよい布を被せられた。仮装を疑わざるを得ないコーディネートからマントを外し緋鯉に渡している。
「鮠瀬さん」
ふぅふぅ少し荒い吐息が薄暗い中に響く。しかし船内は決して物静かなわけではなかった。遠くの下方で爆音もあれば、軋みと、徐々に沈んでいく縦軸の揺れを感じる。
「お宝ね……じゃあ味見させてもらおうかな」
鮠瀬さん、と彼は呼んだ。呼ぶだけでなく、マントを掛けながら腕を掴んで引き寄せる。
「もって15分かな。15分でイける?イけそうだね」
スカートの上から腿を摩られ、緋鯉は驚きと妙な心地に目を見開き、哀れなほど縦に伸び横に縮んだ。
「あ、あ………」
足首まであった裾を捲り上げられる。向かい合うように立たされるが、斜めった床に半ば緋鯉がこの謎の衣装の同期生に被さる体勢になりかけながらも、彼は何食わぬ顔をして彼女のボンディングパンツをずらし、秘所に指を這わせていた。
「うわ、濡れてる」
片手で胸を隠し、片手で脚の狭間スカートの中を弄る腕を突っ撥ねるが、まるで意味をなさなかった。
「鮠瀬さん、スゴいね。指、もうぬとぬと」
そのぬめりを目の前に晒すことはなかったが、秘珠を擽る摩擦でありありと知らされる。微かな引っ掛かりも質感もなく、敏感な蕾肉を往復していく。
「あっん、!」
入れ替わった親指で様子をみながら、今まで秘溝で遊んでいた中指が奥に進む。つぷ、と入ってきた。
「っ……ぁあッ」
眼前で詰まる息を聞く。今まで身に纏っていた石鹸の香りが他者の匂いと温気を帯びてそこにある。
「すご…………とろとろできゅうきゅうしてくる……これ、あんた、指だけで満足できるの?」
意思に反して関節のよく張り出た指を噛み砕かんばかりに食い締めてしまう。鼻先を掠める熱っぽい息にも煽られる。
「自分でも、早くイく努力して」
生唾を呑み喉の軋む音がいやに生々しかった。指が敏感な蕊珠と花肉を刺激する。
「あ、あっ、ゃあん!」
「すご…………声かわいい」
緋鯉は彼を拒むのを諦めるか、胸を隠すのをやめるのか決められずに結局は両手で自身の口を塞いだ。発電機の如く下腹部に溜め込まれていく活気に甘い声息が止まらない。
「あ、ぁあ……」
「乳首透けてるの、ヤバいな…………」
彼女の胸に貼られた医療用紙テープの下で、確かに淡い色付きが透けていた。可憐な実がぷくりと押し上げてさえいる。緋鯉を手淫する彼は、そこを爛々とした眼差しで凝視し、物欲しそうに引き結んだ唇を忙しなく歪ませた。
「イって」
彼は親指で淫芽を押し潰しながらテープの上から胸を舐めた。下半身の狭い一帯にあった甘さと似た刺激がそこに生まれた。
「あっ、ぁあ!」
下腹部で巻き起こっていた快感が緋鯉の脳味噌に柔らかく突き抜ける。しかし何か物足りない。彼に弄られた場所ではなかった。痒さにもならない痒さを覚えるのは、体内だ。
「イったよね、今」
違和感の近くにいる細く関節の張った指を放せなくなってしまっている。
「おなか、まだ………、へんなの………」
「足らないんだ、鮠瀬さん…………」
蜜肉が引き留められた男の指に巻き付く。蜿り、奥へと誘う。緋鯉は鼻先で、長いこと砂漠を彷徨っていた迷いの旅人に冷水を渡したときのような反応を聞いた。
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