彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「どう、群青。調子は?頭の」
「良好でございます」
 極彩は、揖礼を解かずにを低くしている群青を冷たく一瞥した麗らかな眼を見逃さなかった。
「ああ、そう。じゃあすぐにでも出てもらおうかな」
 二公子は眼光のみならずその口元にさえ嗜虐の悦びを湛えている。
「是非、ご用命ください」
 そこにいた者は、彼等以外みな眉を顰める。極彩と菖蒲だけではなく、あずきもまたいぶかる眼差しで群青を見詰める。
 明らかに彼は病んでいた。目付きからしてすでに正気ではなかった。それは髪や肌の色艶にまで現れている。爪を切るのも忘れているようで、その手は画でみる妖怪に似ている。
「あれ?オレなんかおかしいこと言った?革新派がまた不言の外れの佃煮屋で集まってるんだって。ちょろっと行って片付けてきてくれない。お掃除帳簿はここ」
 二公子は二つ折りの小さな紙片を取り出した。群青は畏まりながらそれを拝受する。
「承知いたしました」
「群青殿―」
 蹌踉とした足取りだったが、数歩進むと歩行に慣れたとばかりに飛び出していく病人みたいなのを極彩は咄嗟に呼び止めてしまった。二公子の視線に撃たれる。
「二公子!とても任務に赴ける心身では……」
 茫然としていた菖蒲が二公子へと食ってかかった。だがとうの二公子は笑っている。
「失敗したら失敗したで仕方がないね。世の中は、人の事情なんて慮ってはくれないからね。それが城仕えじゃ尚更だよ。血税で食っていくっていうのは楽じゃないねぇ?」
 麗しい瞳が眇められ、この無邪気さでは任務の失敗というものが何を意味するのかも理解していないらしかった。いやいや、理解していて無邪気でいるのだ。
「急ぎでもないし、別の部隊に表から突っ込ませてもよかったんだから、失敗しても、別に」
「では何故、群青を……!」
 菖蒲は憤激していた。だがその怒りが取り合われることはない。
「あっはっは。菖蒲、君ってそんな熱血漢だったっけ?」
 二公子は身を翻した。そのときの菖蒲の表情は、眉間に色濃く皺を刻み、歪んだ唇から牙でも覗きそうであった。
「彩も、ちょっと来てくれる?変な子供のことで話があるからね」
「はい」
 極彩はいくらか菖蒲のことが気に掛かったけれども、残忍な支配者についていくしかなかった。そして途中で察するのである。向かっている先は懲罰房であると。「変な子供」が何か悪さをしてそこに留め置かれている可能性もまだ十分あるわけだが、しかし彼女はそこに賭けられそうにもなかった。それはやはり残忍で加虐趣味の麗らかな眼が、先程からさらに麗しく瑞々しく輝いているからである。
 懲罰房の中に案内されると、見覚えのあるような、ないような人物が1人立っていた。待ち構えているようにも思われた。そこに「変な子供」の姿はない。
「紹介するよ。夏虫くん。群青の忠実な部下さ」
 そして思い当たった。群青の連れている部下たちのなかに、時折憎悪の目を向け、ときには辛辣な言葉を投げかけてくる者がいた。
「彼がね、君を懲罰するって立候補してくれたんだ」
「懲罰……?」
「うん。子供を虐待するなんて赦せないな。巨悪だと思う。“一度ならず”二度も。そんな最悪な女は、懲らしめてあげないとだろう?」
 極彩の目は足元を彷徨った。そしておそるおそる二公子の朗らかな双眸を捉える。途端、彼女の顔面に衝撃が走る。転倒に甘えることは許されず、叩きつけられたそばから前髪を鷲掴みにされて持ち上げられる。
「でも、ここからは夏虫くんのお仕事たのしみだからね。あのね、彩。群青はオレと一緒に種を失ったでしょ。それは君だって見ていたし、君だってそうだったじゃない。どうしてオレや夏虫くんがこんなに怒ってるか分かる?」
「怒っていらっしゃられたのですか」
 それは意地を張ったのか、とぼけただけなのか、本当に何も感じてはいなかったのか。
「うふふ、怒ってるよ。とっても怒ってる。菖蒲のあのいかりの比じゃないよ。かわいいな、彩は。なんでかっていうとね、夏虫くんも子を失ったからだよ。君との子をね。群青が失ったのは、群青と君との子じゃない。君と夏虫くんの子なんだよ」
 しかし極彩にはまったく身に覚えのないことだった。
彼女の面からは鼻血が滴り、顎から落ちていく。ただでさえ鼻の奥に吹き溜まる花の芳香がさらに強まった。
「彩。人に教えを説くには痛めつけるのが一番だと思うんだよ。それも反発を許すような半端なものではなく、圧倒的な力でね」
「それはつまり暴力というのでは」
 二公子は、非常に喜ばしそうであった。
「うん、そう。つまりはね。それが一番だよ。文明、文化、教育、教養、人倫があったところで、人は動物だからね。痛み、この原始的な恐怖から逃れることはできないのさ。だからね、君を痛めつけるにはどうしたらいいのだろう、と考えて、オレは区画整理の許可申請に目を通す時間すら惜しいわけだよ。君は国家の邪魔なのさ。うっふっふ。切っても斬っても、君の傷はすぐ治る。叔父貴の“愛”の力だね。だからこそ、滅多刺しにされる気持ちっていうのを知りたいな。どうすれば君は困るんだろう?どうすれば痛みに泣き叫んでくれるんだろう?どうすれば汚辱にまみれて死を乞うんだろうな。どうすれば……でも、目玉を抉ってみて戻らなかったら、それはオレが困るな。片輪は衆生のためならずって、山奥送りにしなきゃだろう?君のお稚児さんの山窩さんかの子はとにかくね」
 極彩は嬉々としている二公子を睨みつけた。
「では、そういった者たちを今から連れ戻してくればよろしいでしょう」
「うん、いいね。いい提案だ。とても。働いて、血税を納める能があるのなら、是非そうしてもらいたいよ。国の本音としてはね。でも今掲げているのは、人々の生き易い世だからね。そこに城仕えは含まれていないんだよ。そして叔父貴の贈答品になっている君も」
 天藍は空いた片手で白刃を晒した。そして前髪を鷲掴まれている女の頬に添える。
「子供は大事にしなきゃいけないよ、彩。産めなくなった女なら殊更にね。子供を作れなくなったからって八つ当たりはいけない」
 小刀のきっさきが彼女の顔面に走る傷痕を撫でた。元の皮膚にまで治りきらなかった薄皮が裂け、赤い糸が付着したような切り傷を作っていく。
「彩。子供は自分で育てなさい。費用は出してあげるからさ。役所に言うことだね。育児支援給付金っていうのがあるから。子供は国を担う宝だからね。苦役を担うね。これからクソみたいな重労働と、苛斂誅求かれんちゅうきゅうが待っているわけだから、幼少期くらいは甘い汁を吸わせてやらないとなんだよ。摩耗していくものは大切な宝と名付けてあげておかなくちゃ……ね?」
 白刃は彼女の皮膚を裂くことはなかった。だが着物を切り裂いた。裂帛れっぱくはさらに二公子を楽しませたようだ。襦袢も破れ、素肌が垣間見える。
「さ、ここからは夏虫くんの出番だね。殺さない程度に……それと、縹が最期にくれた、オレの大切な玩具おもちゃだから、それは忘れないでね。目玉抉るとか、やめてね」
 夏虫は揖礼した。二公子は仕事があると言って、一言二言それについての問答を夏虫とすると、懲罰房から出ていってしまった。
 結局、極彩は懲罰房の台の上、宙に浮くように縛り上げられてしまった。赤い蜘蛛の巣に引っ掛かったように……
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