彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「返すね。汚れが落ちなかったから、別物みたいになっているけど、多分あなたのだから」
「…でもこれ女性モノの柄じゃん。いいよ」
 一度触れてはみたが榛は懐剣を極彩へ突き返した。給金ごとそれをしまって結局必要なことは名前しか分からなかったことを惜しみながら関係者出入口へ向かう。真っ直ぐに歩いているつもりが、風にそよいだように右に逸れていく。
「ちょっと酔っ払い!ぼくに興味なくなっちゃったの?」
「問題を起こして、太客を逃しちゃったから…」
「条件は条件だからサ、話すヨ」
 榛は立ち上がって甘味飲料と油菓子を長卓へ出した。すでに話すつもりでいるらしかった。ふらつきながら極彩は椅子に行く。
「腹減ったでしょ。まとまった物は食えないし。もう少し居たら。そんな状態で色街歩くのはマジでヤバい」
 仮面の男に貢がせた酒を飲めるだけ飲んだがすべて空にすることはできず、従業員たちも手伝ったがそれでも余った。ろくに薄めもせず摂取したため酔いが強く、胃の辺りが張った。
「でも酔ってて忘れちゃったってゆーのはナシだヨ」
 油菓子の袋が弾け、出汁の効いた香りが広がった。長卓に散らばったところから彼は薄い揚げ馬鈴薯を拾って口に入れた。
つるばみはぼくの兄弟だヨ」
 照れた笑みを浮かべ、反応を窺うように円い目に見つめられる。
「兄弟…」
「うん。でもどっちが兄か弟かは分からないんだ。同時に生まれたらしいから。でも橡は多分ぼくのコト知らない。ぼくも橡のコト知ったの、ついこの前だし」
 緊張感なく油菓子が潰される音がくぐもる。
「生き別れの…兄弟ってこと?」
 呂律の回らない女の喋り方に榛は苦笑した。菓子を勧められるが腹の違和感に首を振った。胃の中で渦を飼っているような不快感に何も口にしたくなかった。
「城下は分からないケドさ、ぼくの生まれ、ド田舎だからはらの中に子供が2人いるのって許されないんだ。獣みたいだって石投げられたりするワケ。で、こういう場合って先に産まれたほうが、弟を押し退けて出てきたヤツってな具合で蔑まれるらしいんだケド、親はぼくたち両方ともを手放したんだって」
 他人事のような口振りで創話か否か、酔った頭では判断がつかなかった。
「学者先生みたいな人がいてネ、遺伝と環境がどれだけ影響するかとかしないとかって難しい研究やってる人でサ。そこに売り飛ばされたの。で、橡はお偉い官吏のトコに預けられて、ぼくは反対に孤児。しかも周りから石投げられたり、罵られたりするワケ」
 肩を竦め、まるでこれは創作だとでも言いたげだった。
「でも途中で学者先生死んじゃったらしくてサ。ぼくのコトいじめてた奴等も全部雇われてて、生まれのこと聞いたのもその時。作られた世の中から出てきたっていうのに、今度は指名手配だもんな。これももしかして…なんて」
「…だからぁ、緊張感ないんだねぇ」
「お金に困ったら食べられる草教えられるヨ」
 指についた油分を舐めてから長卓に置かれた除菌懐紙で拭き取る彼は、笑ってはいるがどこか淡々としていた。腹減ったな、と呟いて電子薬缶に水を注いでいる。
「味噌と塩と醤油と豚骨どれがイイ?」
 即席麺の容器を手にして彼は問う。
「わたしはぁ、」
「気持ち悪いの食べれば治るヨ。帰りは送っていくしサ、食べて行きなって」
「…じゃあ、醤油」
 榛はにかりと笑って醤油と味噌の容器を開けた。湯が沸くまでの間、彼はまた目の前に座った。
「この前も近くの川で死体上がってサ。陰湿な客葬ったんだろうケド、やり口が杜撰っていうし。下手に問題起こされると監査入るからなんだヨなぁ。でも多分、噂だケド、ズブの素人が抵抗して殺しちゃったみたいだからうちらは関係ないかも」
 突然切り替わった話に頭はすぐについていかず、脈絡を探してしまった。榛はおかしげに笑った。
「あの翡翠って人に騙されたんでしょ」
 知った名に一瞬、酔いが醒めた気がした。すべてが鈍く麻痺した感覚の中で素早い反応を示し、肯定したも同然だった。しかし騙されているのか否かは分からないでいる。
「あ、できた」
 電子薬缶が沸騰を告げる。榛は小規模に設けられた台所に向かっていってしまう。話の腰が折れ、即席麺に湯を注いで戻ってくるが、問い質すことができなかった。
「そうだった、あんたは美食家だったんだっけ。でもたまにはいいヨ、こういう飯も。へへ、あんたと食えるなら多分雑草のおひたしも御馳走みたいなんもんだし」
 蓋で蒸され、醤油や味噌の香りが食欲を煽る。湯気の奥で若者が無邪気に笑う。
「わたしはぁ、橡ひゃんのこと知らないけど、そんなふうに笑うのかな」
「…酔っ払いに口説かれてもな」
 姿形はとにかく、群青もあずきも菖蒲も似ていないと言っていた。
「別に口説いてないよ。ただ、みんな似てないっていうから興味あっただけだよ」
「あの人、笑わなかったもんな。ぼくはジリ貧で食うにも着るにも困ったケド、でも御国の為に仕事の為に死んでくれ、なんて言われたコトないし。家を継ぐとか毎日のお勤めで上司うえにへつらう必要もなかった。でもあの人はそうじゃないじゃん。結局…監査中にとっ捕まって、売り飛ばされて自爆した」
 時計を眺め、跳ねた声を上げると彼は即席麺の蓋を剥がす。
「でもぼくは、今日ものうのうと生きてるじゃん。なんだかんだ。橡が命懸けさせられてた色街をサ、潔白な生業しごとで守りたいヨ」
 ちらりと円い目が挑発的に光る。細かく波打つ麺が啜られていった。味噌と醤油の押しつけがましい香りが混ざり合う。
「潔白な生業かぁ…」
 色街で掲げるにはどこか浮いた理念だった。この地区にそのようなものは無い気がした。城にもないような。
「需要がある限りぼくは肯定するヨ。雇用の口があるんだから。ひもじいってつらいしサ。息するにも腹が減る。生まれ持った性別だって容姿だって才能だって、その後磨いた話術だって知識だって武器にしたらいいじゃん。腹減って落ち込んですべてを恨んで怒り狂って余計腹減るより、悔しい思いもいっぱいするケド、少なくとももう立ち上がれないほど飢えるよりいい…笑顔貼り付けていられる覚悟があるならサ」
 わずかに榛の表情が引き締まる。醤油で味付けられた麺が割り箸の間から落ちていく。
「…わたしにはぁ、向かなかったみたい」
「説教大好きなお客さんとかよく来るから…何か言われたなら気にしなくていいヨ」
 特に気分を害したという様子もなく、すでに彼の中の決定事項を揺らぐことなく説いているという感じだった。そして塩分の多い汁を飲み干し、完食の礼をする。
「別に言われてない」
「でも、あんたの目には潔白にみえないっていうならそこは別に理解してもらおうとは思わないヨ。規則きまりごとは守ってる」
 極彩は伸びた麺を口に運ぶ。塩分を感じるだけだった。酒の味がこびりついている。甘味飲料でも誤魔化せはしない。
「そんなんじゃない。遺品同然の首飾りを売り払った大金で人を買って、1人2人殺してる人間が潔白とか潔白じゃないとか笑止千万もいいところだな」
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