彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 「群青さんを引き取っています。言っておかねばと思いまして。彼は座敷牢で暮らしてもらうので、特に極彩さんにどうしてもらうという話ではないのですけれども」
「それは構いませんが、なにも座敷牢でなくとも…」
 菖蒲は両膝を大きく摩る。緊張しているらしかった。
「彼の性格上、座敷牢でもないと首を縦に振っちゃくれないだろうと思いまして」
 牛車が屋敷に着く。中年男は辛気臭い溜息を吐く。極彩が気にする素振りをみせると、何でもないのだと謝った。
 群青はすでに座敷牢にいた。菖蒲は群青を運んできた者たちと難しげな話をしていた。頼まれるような形で群青へ水差しを持っていった。大雑把に掃除した畳に布団が敷かれ、彼は横になっていた。頭部に当布をされ、網を被っている。暴行の痕は色濃く、片頬は大きく腫れている。見えづらそうに幾度か目を眇めたり、見開いたりして、上体を起こすことも叶わないまま群青は極彩を認め、破られたような唇を緩める。
「ご無事でよかった」
 掠れた声で話しかけられる。痛々しく動く皮膚に目を逸らしたくなった。彼の状況からして嫌味に等しかった。
「おかげさまで」
「手、怪我なさったんですか…それとも、」
 転んでしまって。咄嗟にそう言っていた。熱っぽい目に見つめられる。腫れた患部だけでなく、全体的に赤みの差した顔は洗朱風邪の時と同じく、実際に熱があるらしかった。布団の下から痣だらけの腕が頼りなく伸び、口元に触れられる。香辛料を口にしたような小さい痛みがあった。尋問の際にできた傷だ。
「巻き込んでしまってすみません」
 顔を顰めると、彼は自身の行動に驚いたらしく、青く膨らんだ目蓋の下の目を丸くして手を引く。
「群青殿がそれ言うの」
「あの者を討たなかったわたくしの責任です」
 眠そうな目が重く瞬く。夫によく似ている。思わず顔を顰めてしまった。
「…これでよかったと思っているから、ごめんなさい」
「悔いがないのなら、いいんです」
 裂けた唇が弧を描く。今にも血を滲ませそうな薄い瘡蓋の痛々しさに顔を背ける。彼は起き上がろうとしたが、美しい顔を歪めた。掛け布団が裏返り、右腕が吊られていた。強い薄荷の清涼感が鼻に届く。懐かしい心地がした。傾く彼の上半身を支えることも忘れた。左腕を軸に起き上がり、右腕を庇う。
「折れてるの」
「大したことではありません」
 苦笑される。塞がっていた傷に血が滲む。
「あの人が、つるばみさん?」
「いいえ。見間違うほど似ていますが、違います」
 極彩の注いだ水を群青は美味そうに飲んだ。罅割れた薄皮が湿って光る。薄紅色の舌が傷の上を這う。近付く足音と嘆息が聞こえた。菖蒲が項垂れ、面倒なことこの上ないといった様子で呻く。
「意識戻りました?大丈夫です?群青さん。曲者は今、天晴あっぱれ組が厳戒態勢で捜査しているので、貴男はゆっくり身体を癒すことですよ」
 二公子の警護を主な目的とした武装組織のことだった。正式な名は「天晴てんせい組」といい、天藍の自室に自由な出入りを許されている彼等の何人かの顔と名を極彩は覚えていた。群青を組長とする予定だったが辞退されたのだと、まだ年若い剣客集団を紹介された時に聞いた。
「申し訳ありません。動けそうにもないので、お言葉に甘えさせていただきます」
「少しは甘え方を学びましたね。我が家のように寛いでくださいよ、ねぇ、極彩さん?」
 不意なところで話を振られる。
「こんな狭いところでは我が家のようには思えませんよ」
 群青の邸宅の中でも小さい一室の半分の半分にも満たない空間で布団がやっと敷けるといった広さだった。
「まったくですよ、ええ、まったくです」
 菖蒲は激しく同意を示す。
「落ち着ける広さですよ。十分寛いでいます」
 傷だらけの顔が綻ぶ。中年男は呆れていた。
天晴あっぱれ組があの者を見つけたら何の弁解もなしに殺されますよ。いいんです?重要なお話は?何もない?」
「わたしはありません」
「群青さんは?貴男が命令に背いたくらいだ。複雑な訳があるのでしょうね?」
 菖蒲は群青へ訝しげな視線を投げる。和らいだ顔面は苦笑へ変わり、強張る。
「話すことなど何もございません。曲者は仕留める。不手際は許されません。次こそは」
 なるほど!胡散臭い中年男はわざとらしく感嘆の声を上げた。
「それはよかった。不言いわぬ字一色ツーイーソー小路で目撃情報がありましてね。もしかしたら…ええ、近いうちに始末がつくかと思いまして。まったくやることが多いな」
 後頭部に両手を添え、彼は大股で去っていく。その背に、少年と見紛う円い目をした青年の亡骸が転がる想像を映った。しかし目の前に出てきた痣と傷と炎症だらけの顔に気が逸れる。
「顔色が優れません」
「…そろそろ行くね。お大事に」
 熱のあるらしき怪我人に心配される。物憂げな怪我人の視線を振り切り、居間へ戻った。菖蒲は縁側に座り、紫煙を吹く。脇には缶の珈琲が置かれていた。彼は振り返ることもなく半端に首を曲げ、横顔だけ寄越した。長い紙煙草を灰皿に潰すか否か迷っている。足を止めると、惑った煙草も連動したように止まった。
「もういんですか、群青さんとは?」
「もともと話すこともそれほどありませんでしたから」
「なるほど、なるほど。まぁ、あまりお2人のことに口を出してしまっては野暮ですからね…ええ」
 菖蒲は首を戻し、完全に後姿を晒す。死体の埋まった土を眺めているらしかった。
「会いますか」
「はい?」
 噴き出すように彼は笑った。悪戯好きの子供を彷彿させる、邪気のある無垢な笑み。
「会いたい。その一言が聞けるなら叶わないこともないです」
 そして自身で相槌を打ち、返事をする。
「どなたと」
「いやだな、あの曲者以外にいませんが」
「特に会いたいとは思いません」
 紫煙が勢いよく吐き出される。緩んだ口元は愉快げだったが、掘り返された形跡のある土から離れない瞳は虚ろだった。
「よく似ていましたね。わずかな時間しか見ちゃいませんが…あの曲者も、貴方の旦那様も。まぁ、第一印象はよく似ていました…ええ」
 菖蒲は物思いに耽りはじめ、両膝を大きく撫で摩る。
「群青さんが斬り捨てられなかったのも無理からぬことかも知れませんな。あの曲者は貴方に一体どんな用があったんです?利き手の指2本に替えても言わなかったことでしょうが、教えていただくことはできませんか」
 まだ吸えるだろう煙草を潰し、土の色が変わっている場所一点を見つめ、大きく姿勢を崩す。
「わたしと群青殿との間柄を誤解している病人です。自分をわたしの夫だと思い込んで群青殿といるのが気に入らないと。それでいて自分は死んでいるというんです。癲狂病み以外にありません。然るべき機関に押し込む話で、仕留める必要などないと思います」
 彼は傍にある缶珈琲を片手で器用に空けて一口飲むと、立てた膝に顎をのせた。いじけたような仕草だった。
「話してくださってありがとうございます。何故、紫煙殿には話さなかったんです?これという後ろめたさは窺えませんでしたが?」
「暴力でしか決着できない人だから…分かってくれるはずがないと思ったのです。下手なことを言えば、立場を悪くするでしょう」
「そのために2本も指を折られたんです?お人好しですね…ええ、かなり」
 缶を呷り、媚びられる。分からなくもないんですよ。機嫌を取るような上目使いで菖蒲は言った。
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