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「俺は貴女を裏切りましたが、他の者の名を使ってでも貴女に言ったことは嘘ではないつもりです」
「酔っていらっしゃるのでは。群青様がお布団で寝るといいです」
酔っている気配はあったが理性は残っているようで、以前色街から自邸に連れ込まれた時と比べれば素面も同然といった程度だ。骨張った白い手には小瓶が握られていた。
「はぐらかさないでください」
「子供2人欲しいことですか。髪を乱したいことですか。それとも夫婦の…男女の営み…しますか」
自嘲と滑稽さに笑い声が漏れた。同時に虚しさが湧いた。見られたくなかった。見破られているのだ。軽々しく口説き、同情を寄せる圧倒的強者はすべての事情を把握しているに違いなかった。人畜無害な顔をした狡猾な血生臭い男の掌で華麗に舞い踊っている。擦り切れた矜持が保身に走る。たとえ身を削ることになろうとも。群青の胸倉を掴み、体重を乗せた。
「孕むまで好きにしたら…種無し男と石女で…!」
群青は女の身体に気を回しながら強かに畳へ背を打ち付ける。割り開いた湯上りの素肌に意地悪く爪を立てた。
「その可能性がないから、二公子は俺をこの任に指名したのだと思います…況してや今、………機能しなくなっていますから…」
加湿器が時間を守り、湯気を噴き上げる。内腿に挟んだ男の腰の細さに、少しずつ冬の気温へ融解していく。
「ど…ういう、こと…え…?何…いつ、から…?」
「夏祭りに誘った頃にはもうその兆候が出ていました。二公子が貴女を暴くようお命じになった頃、決定的に」
彼は女に敷かれたまま苦笑した。真正面からそれを受け止めてしまう。
「娼館に入り浸る者として失格ですね」
もう笑うしか残されていないらしかった。
「そんなこと…っわたしに話してどうするの…!」
言わせたも同然だったが、喚くしかこの女にも残された術がなかった。
「どうもしません。どうするつもりも。もう種無し男どころの話ではないんです。あの時は貴女に見栄を張った…まさか貴女を巻き込んで、苦しめて、自分に跳ね返ってくるなんて」
だから真に受けないでください。その呪いから解放されてください。
彼は自身の胴体に跨る女を邪険にすることなく、苦笑いから晴れやかさを帯びた笑顔に変わる。
「聞いてくださってありがとうございます。誰にも言えないことでしたから。二公子は何でも御見通しですから、おそらくそれを見越した人選なのだと思います。俺の口からはっきり申し上げるのは貴女が初めてです」
「変なこと訊いてごめんなさい…」
抑揚が付かず、声は裏返る。
「いいえ。貴女が謝ることなどひとつもありません」
開けた胸元を直す。素肌に刻んだ爪の痕を埋めるように撫でた。身動ぐと接触した部分が変わる。彼は息を詰めた。悩ましげに寄った眉に、恥ずかしくなる。
「で、も…感覚はありますからね?」
苦しげに、しかしふざけたように群青は言った。火照り、冬が消える。飛び上がり、何事もなかったように布団に直った。
「縁談が来ているんでしょう、あずきさんと」
「直に断られると思います。俺から断るのは…こういう場合はあまり良くないんです」
湯呑と酒瓶が片付けられていく。群青が飲んでいた小瓶の貼札には飯匙倩酒とあった。
「酒気が回ってきましたか。おやすみなさい。出来れば、平凡な夢だと思ってくださるとありがたいのですが」
穏やかな声だった。宥められていることに我慢ならず、甘えた。無言のまま布団に隠れる。
「何時だと思ってるのサ?起きてヨ。ウソでしょ。1日中寝てんの?」
頬をぺちぺちと叩かれる。遠雷にしては風情のないごろごろと低い音が轟いている。呻いて邪魔者から逃れた。
「昼飯まだ?朝飯作ったのあんた?あんまり料理得意じゃないの?玉子焼きには醤油入れないのが好きなんだケド、だめ?」
文句ばかりが落ちてくる。そのうち、布団を捲られる。温もりを逃すまいと身体を縮めた。
「起きてヨ!」
明るい茶髪の若い男が声を荒げる。灰色の猫がとことこと居間の卓に駆けていった。室内は眩しいほどで、朝はとうに過ぎている。膨れ面が視界を塞いだ。
「どこから…」
少年とも青年とも判断のできない男は天井を一瞬指で差し、そんなことは取るに足らないことだとばかりに飯を要求した。急かされるままに台所へ引っ張られる。同居人が律儀に等分し冷凍庫に入れていった米を加熱し、鯖の味醂干しを焼いた。昨日の残りの煮物も出す。特にこの里芋と人参と蒟蒻の煮物は具こそ無難だったが個人の家庭の味が強かった。訪問者は台所の卓で勢いよく飯を掻き込み、平らげていく。寝呆けた頭は冴えてくる頃合いだったが、馴れ馴れしいくせ覚えのない若者の存在を頭は拒んでいるらしかった。ふらふらと今に戻り、布団を片付ける。まだ居座っている猫と少し遊んでから外へ出す。卓袱台には置手紙があったが核心である朝餉は見当たらなかった。空気として扱いながら身支度を済ませていたが、着替えの最中でも侵入者は襖と襖の狭間に首を突っ込み、食器をどうしたらいいのか訊ねた。水に浸けておくよう頼むと素直に従う。夜のうちに済んだ洗濯物を日当たりの良い居間に沿った通路に干し、その間、若い男は自身の匂いを託すように肉体をぶつけてはうろうろとしていた。しかし長くは続かず、居間に寝転ぶ。
「怒ってる?」
聞こえないふりをして、摘まんだ襯衣に口紅が薄らと残っているのを確認し、洗い直すため籠に戻す。
「なぁ、怒ってる…?昨日のコト」
彼は態度を改め、寝転ぶのをやめ起き上がり、胡坐をかいた。
「昨日何か、わたしが怒るようなことなどありましたか」
濡れた衣類を干す手を止めず返事をする。
「なんでそんな他人行儀なのサ?ぼく、」
「あずきさんのところに戻らなくていいんですか。どうして群青殿と連絡を取らないんです。謀反人の親類なんかに構っていていいんですか」
立場を弱くしてしまう一言を遮り、昨日訊けずにいたことを捲し立てる。眠気などない、濃くもない睫毛に覆われた円い双眸がきょとんと質問者を見上げている。内容を分かっていないようだった。
「…一度に訊きすぎました」
「あずきって誰?謀反人て何のコト?」
問えば問うほど正体の分からなくなっていく不審者を一瞥し、下手に情報を与えるべきではないと口を噤んだ。
「ぼくはただ、御前が次を見つけて他のオトコと幸せになるのが気に入らないだけ」
彼からは焦りが滲んでいた。もうすぐで洗濯物が干し終わる。昨日血で汚れた衣類を広げたが予洗いしておいたためか綺麗に落ちていた。
「捨てる気なの?ぼくのコト」
「わたしには今のところ、あなたは内面を病んでいるか、頭に重度の負担がかかっているようにしか思えません。まったく身に覚えのない話をされても答えようがありませんし」
「なんだヨ!闇競りに参加してたクセに!」
憤慨し、彼は踵で床を蹴った。警備兵が大声で呼びかける。敢えて返事をしなかった。縁側のガラス扉が破られるように開く。目にも留まらぬ速さで侵入者は消え失せていた。しかし護衛の者はその姿を捉えていたらしかった。洗濯物を干す手を止めないまま、あれこれと問い質される。病人なのだと正直に答えたが、納得している様子はなかった。仮に病人として受理されたところで、二公子の気分次第でどのような人間であっても「平等」のもとに容赦のない罰が下るのだろう。
「酔っていらっしゃるのでは。群青様がお布団で寝るといいです」
酔っている気配はあったが理性は残っているようで、以前色街から自邸に連れ込まれた時と比べれば素面も同然といった程度だ。骨張った白い手には小瓶が握られていた。
「はぐらかさないでください」
「子供2人欲しいことですか。髪を乱したいことですか。それとも夫婦の…男女の営み…しますか」
自嘲と滑稽さに笑い声が漏れた。同時に虚しさが湧いた。見られたくなかった。見破られているのだ。軽々しく口説き、同情を寄せる圧倒的強者はすべての事情を把握しているに違いなかった。人畜無害な顔をした狡猾な血生臭い男の掌で華麗に舞い踊っている。擦り切れた矜持が保身に走る。たとえ身を削ることになろうとも。群青の胸倉を掴み、体重を乗せた。
「孕むまで好きにしたら…種無し男と石女で…!」
群青は女の身体に気を回しながら強かに畳へ背を打ち付ける。割り開いた湯上りの素肌に意地悪く爪を立てた。
「その可能性がないから、二公子は俺をこの任に指名したのだと思います…況してや今、………機能しなくなっていますから…」
加湿器が時間を守り、湯気を噴き上げる。内腿に挟んだ男の腰の細さに、少しずつ冬の気温へ融解していく。
「ど…ういう、こと…え…?何…いつ、から…?」
「夏祭りに誘った頃にはもうその兆候が出ていました。二公子が貴女を暴くようお命じになった頃、決定的に」
彼は女に敷かれたまま苦笑した。真正面からそれを受け止めてしまう。
「娼館に入り浸る者として失格ですね」
もう笑うしか残されていないらしかった。
「そんなこと…っわたしに話してどうするの…!」
言わせたも同然だったが、喚くしかこの女にも残された術がなかった。
「どうもしません。どうするつもりも。もう種無し男どころの話ではないんです。あの時は貴女に見栄を張った…まさか貴女を巻き込んで、苦しめて、自分に跳ね返ってくるなんて」
だから真に受けないでください。その呪いから解放されてください。
彼は自身の胴体に跨る女を邪険にすることなく、苦笑いから晴れやかさを帯びた笑顔に変わる。
「聞いてくださってありがとうございます。誰にも言えないことでしたから。二公子は何でも御見通しですから、おそらくそれを見越した人選なのだと思います。俺の口からはっきり申し上げるのは貴女が初めてです」
「変なこと訊いてごめんなさい…」
抑揚が付かず、声は裏返る。
「いいえ。貴女が謝ることなどひとつもありません」
開けた胸元を直す。素肌に刻んだ爪の痕を埋めるように撫でた。身動ぐと接触した部分が変わる。彼は息を詰めた。悩ましげに寄った眉に、恥ずかしくなる。
「で、も…感覚はありますからね?」
苦しげに、しかしふざけたように群青は言った。火照り、冬が消える。飛び上がり、何事もなかったように布団に直った。
「縁談が来ているんでしょう、あずきさんと」
「直に断られると思います。俺から断るのは…こういう場合はあまり良くないんです」
湯呑と酒瓶が片付けられていく。群青が飲んでいた小瓶の貼札には飯匙倩酒とあった。
「酒気が回ってきましたか。おやすみなさい。出来れば、平凡な夢だと思ってくださるとありがたいのですが」
穏やかな声だった。宥められていることに我慢ならず、甘えた。無言のまま布団に隠れる。
「何時だと思ってるのサ?起きてヨ。ウソでしょ。1日中寝てんの?」
頬をぺちぺちと叩かれる。遠雷にしては風情のないごろごろと低い音が轟いている。呻いて邪魔者から逃れた。
「昼飯まだ?朝飯作ったのあんた?あんまり料理得意じゃないの?玉子焼きには醤油入れないのが好きなんだケド、だめ?」
文句ばかりが落ちてくる。そのうち、布団を捲られる。温もりを逃すまいと身体を縮めた。
「起きてヨ!」
明るい茶髪の若い男が声を荒げる。灰色の猫がとことこと居間の卓に駆けていった。室内は眩しいほどで、朝はとうに過ぎている。膨れ面が視界を塞いだ。
「どこから…」
少年とも青年とも判断のできない男は天井を一瞬指で差し、そんなことは取るに足らないことだとばかりに飯を要求した。急かされるままに台所へ引っ張られる。同居人が律儀に等分し冷凍庫に入れていった米を加熱し、鯖の味醂干しを焼いた。昨日の残りの煮物も出す。特にこの里芋と人参と蒟蒻の煮物は具こそ無難だったが個人の家庭の味が強かった。訪問者は台所の卓で勢いよく飯を掻き込み、平らげていく。寝呆けた頭は冴えてくる頃合いだったが、馴れ馴れしいくせ覚えのない若者の存在を頭は拒んでいるらしかった。ふらふらと今に戻り、布団を片付ける。まだ居座っている猫と少し遊んでから外へ出す。卓袱台には置手紙があったが核心である朝餉は見当たらなかった。空気として扱いながら身支度を済ませていたが、着替えの最中でも侵入者は襖と襖の狭間に首を突っ込み、食器をどうしたらいいのか訊ねた。水に浸けておくよう頼むと素直に従う。夜のうちに済んだ洗濯物を日当たりの良い居間に沿った通路に干し、その間、若い男は自身の匂いを託すように肉体をぶつけてはうろうろとしていた。しかし長くは続かず、居間に寝転ぶ。
「怒ってる?」
聞こえないふりをして、摘まんだ襯衣に口紅が薄らと残っているのを確認し、洗い直すため籠に戻す。
「なぁ、怒ってる…?昨日のコト」
彼は態度を改め、寝転ぶのをやめ起き上がり、胡坐をかいた。
「昨日何か、わたしが怒るようなことなどありましたか」
濡れた衣類を干す手を止めず返事をする。
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「あずきさんのところに戻らなくていいんですか。どうして群青殿と連絡を取らないんです。謀反人の親類なんかに構っていていいんですか」
立場を弱くしてしまう一言を遮り、昨日訊けずにいたことを捲し立てる。眠気などない、濃くもない睫毛に覆われた円い双眸がきょとんと質問者を見上げている。内容を分かっていないようだった。
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「あずきって誰?謀反人て何のコト?」
問えば問うほど正体の分からなくなっていく不審者を一瞥し、下手に情報を与えるべきではないと口を噤んだ。
「ぼくはただ、御前が次を見つけて他のオトコと幸せになるのが気に入らないだけ」
彼からは焦りが滲んでいた。もうすぐで洗濯物が干し終わる。昨日血で汚れた衣類を広げたが予洗いしておいたためか綺麗に落ちていた。
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「わたしには今のところ、あなたは内面を病んでいるか、頭に重度の負担がかかっているようにしか思えません。まったく身に覚えのない話をされても答えようがありませんし」
「なんだヨ!闇競りに参加してたクセに!」
憤慨し、彼は踵で床を蹴った。警備兵が大声で呼びかける。敢えて返事をしなかった。縁側のガラス扉が破られるように開く。目にも留まらぬ速さで侵入者は消え失せていた。しかし護衛の者はその姿を捉えていたらしかった。洗濯物を干す手を止めないまま、あれこれと問い質される。病人なのだと正直に答えたが、納得している様子はなかった。仮に病人として受理されたところで、二公子の気分次第でどのような人間であっても「平等」のもとに容赦のない罰が下るのだろう。
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