彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 昼前に玄関扉が引かれた。群青の恭しい挨拶や、護衛の者の合図もない。訪問者へ駆け付ける。若者が三和土たたきに立っていた。明るい茶髪に白い日の輪が照っている。どなたですか。誰何すいかする余裕もなくしていた。不躾に上がり、廊下に佇む女を壁に叩き付ける。口元を覆われ、目の前に眩しい鉄をちらつかされる。迫った円い瞳を見つめてしまった。そこに長く濃い睫毛と眠そうな眼差しはなかったが、夫の面影があった。戸惑いを見透かされる。目の前の見知らぬ男の小さな口が吊り上がった。
「新しいオトコの具合、よかった?」
 しかし夫よりもあどけなさがあった。背丈も同じくらいだし。いやらしく笑っている。何を言われているのか理解できなかった。
「ぼくのこと忘れられるんだ?」
 肩を揺すぶられ、さらに顔が近付く。鼻先が触れる。夫の距離感に似ている。別人であることだけは確かだが、逆らえない力があった。廊下に引き倒される。衣類に手が駆けられ、肌が晒されそうだった。
「ごめんくださいぃ」
 長い間聞いていないようで、それでいながら少し前に話したばかりの少年の声が耳に届く。視界を塞ぐ若い男は女を力任せに立ち上がらせ、親しげに肩へ腕を回し、玄関に連れ出す。
「ごめんくださ…あ」
 大きな封筒を抱えた銀灰と桜が家の入口に立っていた。桜は気難しげに顔を顰め、銀灰は従姉を認めると大きな吊目に水膜を張った。肩に回された手が肩を握り潰そうとしている。
「いらっしゃい…」
 狼狽える銀灰を桜は無言のまま腕を引いて導いた。
「お茶、用意してくるね」
 名も知らない、会ったばかりの若い男は来訪者2人を見比べ、極彩に柔らかく笑いかける。
「お久し振りです、御主人。昨日も伺ったのですが門前で払われまして。今日は警備の方はいらっしゃらないようなのでお邪魔させていただいたのですが…そろそろ城へお戻りになられるんですか」
「手間をかけさせてしまいましたね。ごめんなさい」
 2人を居間へと上げる。銀灰は桜に乱暴に引かれて歩いた。爛漫さは失せ、焦燥している。実父を亡くして間もなく養父まで失った。そこに底抜けの明るさを求めることは酷だった。
「先程の御仁が…御主人の…?」
 息を呑む。肯定すべきか分からなかった。
御前おまえ。ちょっと茶の場所が分からないよ」
 絶妙な合間に若い男が居間を覗き、控えめな手招きをした。
「少しだけ空けます」
「お気遣いなく」
 形式的な会話をして、台所に向かう。腕を組み、高圧的な態度で謎の男は極彩を捉えた。湯呑は用意してあり、茶筒はあるが外装は錆びている。冷蔵庫に入っていた茶を注ぐ。
「冷たいものしかなくてごめんなさい。どうぞ」
 泣きそうになっている銀灰と、眉間に皺を刻んでいる桜の前に大量生産で低下価格、そして味も均一な茶を出した。桜は吐き捨てるように礼をこぼす。そして隣の銀灰を小突いた。温厚柔和な知人からは激しい怒りが溢れている。
「白梅ちゃん…これ、渡しに来たんす」
 銀灰は抱えていた大判封筒を差し出した。彼は目元を拭う。極彩は桜へ説明を求めた。普段が穏やかであっただけに険しさを表明している様に怖気づく。
「縹様の遺書です。隔離されているとは考えが及ばなかったものですから、お渡しするのが遅れて申し訳ございません」
「いいえ。ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
 封は開けられていなかった。封を切り、中身を確認した。銀灰の瞳が照る。書簡箋が十数枚束ねられていた。
「白梅ちゃん…その、あの…オレっち、それとはまた別に、もう手紙、もらってて…」
 銀灰はたどたどしく喋った。姉弟になるのだと彼は震えたながら口にした。もういとこの関係ではないのだと添えられる。
「…そうですか」
「御主人」
 桜は我慢ならないといった様子で前のめりになった。
「もう御主人だなんて呼ぶ必要はないんですよ」
 桜は傷付いた顔で不快感を消してしまった。
「どういうおつもりなんです!」
「すでに家も身分もありません。御主人など恐れ多い呼び方ですから」
―君はオレのところに捨てられてきたんだから、どこの誰の親族か知らないけど、その辺の浮浪者よりも比べるべくもないほど賤しい立場にいることは覚えておいてよね。
 上体ごと頭を伏せる。銀灰と桜は驚きに目を丸くする。
「とりあえず、今日はこの手紙を渡せたので…よくお読みになってから考えてください」
 桜はまだ驚きから復帰できないまま、堅い声でそう言った、極彩は頭を上げられなかった。
「また伺えるか分かりません。監視が厳しいようですので。今日のように警備の方が不在という合間があればいいのですが」
「他の方々によろしくお伝えください。お越しいただきありがとうございました」
「…葬儀の不参加、火葬の強行。許せません」
 床板に水滴が落ちた。
「門で待ってます」
 銀灰へそう残し、彼は出ていった。
「白梅ちゃん…」
「わたしは縹さんの望みを打ち砕きました。貴方と姉弟の関係にはなれません。わたしのことはお忘れください。そちらの書簡もわたしには畏れ多い物ですので、お持ち帰りくださいますようお願いいたします」
「忘れてくださいって言われて、忘れられると思ってるんすか」
 ふと顔を上げてしまった。潤んだ双眸に射される。家族になれたはずの、肩書きばかりが近くなる少年は困惑しながらゆっくり視線を外す。
「すぐには難しいかも知れません」
「すぐにじゃなくたって、一生かけたって難しいっすよ」
 縋るような目が遠慮がちにまた女を射す。
「貴方のお父上の遺言に反して、ごめんなさい。絶縁に値することです。わたしから申し上げられるのはそれだけです」
「どうして葬儀に…出なかったんすか」
 返事はしなかった。
「御前。ぼくにも紹介してよ」
 若い男は能天気に居間へやって来て、極彩の隣に寛いだ。
「知り合いの、」
「弟です。銀灰と申します」
「夫です。えっと、狐といいます。よろしく」
 銀灰は慣れていなそうに固く姿勢を正した。夫を騙る者は隣の妻を抱き寄せ、肩に頭を預ける。
「話には聞いておりました。姉ちゃ、姉さ…、姉を…よろしくお願いします」
「ぼくのこと話してあるの…?変なコト言ってないよネ?恥ずかしいな」
 銀灰は苦笑して義兄から姉へ直る。
「よかったっす。独りじゃないなら…仲も良さそうだし。安心したっすよ」
 八重歯を見せ、彼は笑った。そろそろ帰るっすね!と言って立ち上がる。
「それは持って帰らないっす。それはしら…姉ちゃんに宛てられたものなんすから」
「また来てネ!楽しみにしてる。大切な人の弟なんだから、ぼくの弟も同然だヨ!」
 正体不明の男は銀灰を見送りに向かっていった。話し込んでいたのか数分経ってから帰ってくる。大窓から庭園を眺めている女に声を掛けることもなく卓の上の湯呑を片付け、視界を邪魔するように対面に胡坐をかく。
「色々あったんだネ。あの子めっちゃいい子じゃん。ぼくの小さい頃みたい。もうひとり一緒にいた子は?ちょっと怖かったけど」
「知り合いの使用人…」
―叔父上?よくその口からそんな親しげな呼び方が出るね。来世がもしあるなら…きっと君みたいな裏切り者は、君の叔父上の仇になるね。草葉の陰から今にも君を恨み殺さんばかりだと思うな。だってオレならそうするもん
「大丈夫?」
「優しい子です。今日はちょっと虫の居所が悪かったみたい」
―みんなが君を恨むよ。だって君はみんなの希望を潰したんだから。君の大切な叔父上の望みごと、ね。
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