彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 極彩は自身の連れが男の妻を探していることを告げると、どちらからともなく暗黙のうち、共に行動することになっていた。男は黙ることなく息子の優秀さを話し、次男や三男の将来を憂いていた。だが穏和な口調で下2人を見限っているというわけでもなさそうな口振りだった。極彩はただ相槌を打って、車椅子を置いた山道へ誘導する。群青が去った場所まで戻り、日も落ちたために妻と合流したら帰るよう促した。男は沈んだ声で了承した。しかし肝心の2人の連れが見当たらなかった。山道を辿りながらそれぞれに名を呼んだ。円滑に事が運んでいたら、今頃は牛車の中でもうすぐ城に着くという時間だ。男は次第に肩を落とし、弱音をこぼしはじめる。極彩は蜜柑の残りを渡した。明かりも互いに持っておらず、これ以上の捜索は無謀だ。ふわりと微かな樟脳の香りが鼻に届き、対面にいた男が驚きに叫んだ。極彩もその大袈裟なほどのたまげた悲鳴にびっくりして肩を跳ねさせた。熊でも出たのかと振り返る。山ノだ!と男は指で示す。しがみつかれ、暗闇に薄らと浮かぶ人の形に突き出される。
「違います」
 聞いたことのある声は翡翠のものだった。
「2人とも少し先の山の麓にいます、これ以上の接近は危なかったので引き返しましたが、野宿すようなので熊でも出ない限り移動はしないでしょう。明日の朝、こちらに誘導します」
 事務的な口調で彼はそう報告だけすると、呼び止める暇も与えず闇に溶けてしまった。極彩の後ろで男は喚き立てる。森の中に喧しく響いた。宥めることもせずに一言、帰るよう促した。道を辿れば牛車の停まる出入口に繋がることを教える。男は渋った。妻と2人で遭難する気かと問えば、黙り込んでしまう。怒気を込め、帰宅を強要した。そして同行を申し出る。男は渋々、頭を縦に振った。足の裏全体が平たくなりそうだった。右足首が弱く痛む。近くで物音がすると、男は突然、怯えながら山の怪談をしはじめた。この山には法外に生きる者たちによって殺された人々の死体が埋められているとか、人間によく似た口だけを持つ怪物がいるだとか、山ノという山の神と目が合うと気が狂うだとか、止めればいいものを男はいくつもいくつも語った。他にも、50年前には大きな羆によって集落が滅ぼされたとか、隣の山は大昔処刑場であったとか、またその向かいの山には城址があって籠城の末に子女が自害し一帯の川水を赤く染めた逸話があるとかだった。それをすべて信じ、それに因んだ災いを確信しているらしかった。ただひたすらに相槌を打ち、信憑性に欠ける話にまで適当な同意をした。気付けば、山の出入口が見えた。明日、男の妻に出会ったら家に帰るように伝えておくと約束した。男はまだ帰宅の踏ん切りがつかず、息子のことを口にした。鹿狩りに行くと言って出ていってしまったらしかった。極彩は役人に頼むように説く。山の広さから見ても、時期的にも、期間的にも個人では限界だ。男はやはり渋った。そのうち了承した。礼を言われる。出入口に向かっていくまで目を離さなかった。懐にしまった黒曜石に触れる。見つかるまで探すつもりなのだろうか。帰らないかもしれない子供を。
 男と入れ違いに人魂のような小さな明かりがやってきた。トクサと呼ばれた子供かもしれない。そう思ったのは一瞬で、極彩様!と呼ぶ可愛らしい声が正体を知らせた。車椅子を押す。車輪が小石を撥ねた。その反動が把手によって掌に伝わる。小柄な人影も駆け足で近付いてきたが、大きく転んだ。極彩は車椅子を置いて迎えに走る。
「紫暗」
「帰りが遅かったので…何かあったのかと思って迎えに来たんです」
 転倒したまま紫暗は言った。病人でも青年の肉体とは違い、軽く弾かれるような肉感を助け起こす。円い目が極彩から外れ、周囲を見回した。
「群青殿は遭難者探し」
 訊かれる前に答える。彼女は小さな口を滑稽に開いていた。
「遭難者がいるんですか」
 彼女等の近くに、足音もなく別の人影が迫った。黒髪の青年が冷たく2人を見下ろしている。紫暗のわずかに吊った目が尖った。極彩は言葉を失った。煙草の匂いが漂っている。
「帰りましょう。二公子がお待ちです」
 自害を命じられた剣士がそこに立っていた。生きていたのだ。
「まだ帰りません。群青殿を置いて行くわけには」
 絶句する極彩に代わり、紫暗が強い口調で、彼女自身とよく似た顔立ちの青年を睨む。
「極彩様の無事を確認しました。次の任務に移ります」
「まだです。群青殿がまだ見つかっていません」
 紫暗は若い剣士に喰ってかかった。彼は自害した時同様に何の躊躇いもなく流れるように腰から下げた凶器に手を掛けた。
「ちょっと」
 極彩は顔立ちの何となく似ている2人の間に割り込んだ。背に隠した紫暗に腕を引かれ、極彩もまた剣士から引き離された。
「極彩様…。あの人と一緒に先に帰りますか」
 ただ極彩を視界に納めているだけの剣士の眼差しが紫暗の提案を耳にして、わずかに眇められた。
「群青殿と一緒に帰るよ」
 何の感情もみせない剣士の目が側められる。
「群青殿とはどの辺りで別れたんですか」
 紫暗の問いに、翡翠から聞いたとおり少し先の山の麓にいるらしいことを告げた。若者は真っ先に動き、女2人の脇を抜けていった。
「はぐれたらどうするつもり」
「もし貴方が群青殿と合流したら大至急お帰りください。最優先事項は極彩様の帰還ですので」
 煙草の匂いをはためかせ、彼は歩いていってしまう。
「何を言ってもムダですよ」
 紫暗の態度には、彼女によく似た顔立ちの若者への敵意が籠っていた。兄妹喧嘩で拗ね、慰めを求めているみたいに極彩の腕を握っている。
「群青殿より絶対服従してるんですから。それも城に、ではなく、二公子に」
「彼、無事だったんだ」
「どういうことですか」
 可憐な顔立ちの中でも気の強そうな目付きを和らげる眉が訝しげに寄った。
「わたしたちの目の前で…」
 首を斬られる手振りをした。
「…何人もいるんです」
 極彩も眉を顰める。
「あの人、何人もいるんです。この前も1人、自害を命じられていました」
 長い付き合いになってしまった目の前の少女が何を言っているのか分からなかった。聞かされたばかりの怪談が頭を過る。山ノに憑かれ、気が狂ったのか、それとも自身の気が触れたか、判断もつかず言葉の意味は通るくせ理解に及ばない。
「今日一緒にいる人は、自分の知る限り5人目です」
「何を言っているの?」
 円みのある額に手を添えた。彼女も流行病なのかとは、考えたくもなかった。
「自分でも妙なことを口走っていると思いますけど、あの人…死なないんです。いえ、死にます。でもまた生き返ってるんです…違います、新しく生かされているんです」
 彼女は後退って極彩の掌から額を離した。引き攣った笑みを浮かべてから、否定を繰り返し、厳密な答えへ削っていく。
「だから極彩様の前で―したその人と、今のあの人は、同じ人だけど別個人ってことです」
 紫暗もまた明言を避けて、自らの首を払う手振りをした。気が違ってしまっているわけではないらしかった。しかし内容は、だからこそ容易に納得できるものではなかった。
「少し紫暗に似ている気がするのだけれど、まさか…知り合いでは、ない?」
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