彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
上 下
114 / 338

114

しおりを挟む
 好色的だった。寝台に押し倒され、桜がいるということにまるで構うこともない。わずかに開いた胸元から包帯を確認される。加虐心を露わにした天藍に極彩は抵抗を忘れ、声も出せず、状況を呑み込むこともできなかった。
「二公子…!」
 視界から消えた忠犬が吠える。
「誰の身体だと思ってるの」
 柔和な顔は怒りに満ちていた。
「…っ」
「御主人の身体以外にあ、あ、あ、有り得ません。どうか、ごじ、ごじじ、御慈悲を…」
 答えられないでいたが予想外に使用人が割って入った。怯えて震え、手を揉みしだいている。
「君が縹に連れられてここに来た時から彩ちゃん、君の身体はもう君のものじゃないんだよ。君は献上品なんだから……でもそれってつまらないでしょ」
 負傷した肩を撫でられる。横暴なことを言いながらその手付きは慎重だった。
大好だぁいすきな飼い主様に拾ってもらった命が惜しいなら、君も少しは利口にならないと、ね?」
 天藍は部屋の隅へ振り返る。
「もう傷が付いているのに、これ以上どこにオレ以外の傷を付けるの」
 冷たい指先が眉間に走る。薄い膜で塞がれた傷口をなぞられ、爪は立てられていないというのにぷつりと切れた感じがあった。情欲に輝きを増した眸に射される。白い指に色が付いていた。その顔もその指もやはり安定せず、緑を帯び、幾重にも揺れた。天藍は汚れた指を舐めた。血の味だ。一言感想を述べる。
「君がオレのところに来たなら、君に傷ができるたび、こうして舐め取ってあげるよ。毎日。消えるまで。痕が消えるまでずっと」
「ではわたくしも、その際には天藍様の傷を舐め上げます。同じ箇所ばしょに同じだけ、揃いの傷を持ちましょう」
 極彩は柔和な笑みを浮かべ、二公子の顔面の前で揃いの傷を描いた。
「素晴らしい提案だよ。とってもね。早く君の叔父上とも話をつけたいくらいだ」
 俯く極彩の顎を掴み、仰がせると滴っていく血液に舌を伸ばした。頭を抱かれ、さらには開いた傷の形まで確かめる。生温かく湿った感触が眉間を這う。密着すると、白檀の匂いがした。
「血の味って嫌いだな」
ゆっくりと離れていく唇が赤く濡れていた。
「それは香木の匂いでは」
極彩は笑った。彼も笑っていた。乾いた音が頬を打った。部屋の隅にいる桜が息を詰める。
「いい関係を築きたいね」
 吐き捨て、二公子は出て行く。桜はすっかり肝を潰していた。極彩は打たれたまま首の曲がった方向を保ち、何度か瞬くだけで固まっていた。狂ってますよ。呟きが静寂に沁みていく。息を整えながら主人に近付く。猛獣に刺激を与えないように触れる、そういった緊張が伴っていた。
「こんなことが、毎日続くとしたらどう思う」
 瞼と口だけが動いた。気の毒な付添人はすぐに言葉にして返すことができなかった。
「ありがとう。わたしの身体はわたしのものだと、お前が言ってくれた」
「何を言ってるんです。当然のことなんですよ…当然のことじゃなきゃおかしいんです!その…宗教的解釈しんこうとか、そういうのはあるかも知れないですけど…」
 まだ恐怖の中から脱出しきれていないようだったが自身の意見となると熱っぽく声を荒げた。
「誰であろうと…誰であろうと他者の身を傷付けていいはずがないんです…たとえ自分でさえも……それでも御主人は、仇討ちを良しとするんですか」
「仇討ちなど無いほうがいいに決まってる。どこかで連鎖を断ち切られねば極論、最後の2人まで殺し合いが続くかも知れない。でもそれは建前だ。良識、道徳、倫理。その中に留まれないこともある」
 桜にはすでに見透かされているようだった。だが明言さえしなければ可能性や邪推の域だ。
「悲しいです」
「悲しいな」
 こうべを垂れていたが彼はそのうち離れ家から運んだ救急箱で傷口の処置をした。普段は使わない消毒液が沁みた。

 点滴が外れて、視界が歪む頻度も下がっていた。おぞましい夢をみた。雄黄を殺してしまう夢だった。外野から殺せ殺せ、死ぬなと囃し立てられ、容赦なく幼い肉体に凶器を振りおろすのだった。汗ばんだ身体に反して悪寒がし、指先も爪先も冷えていた。暗い部屋には誰もいない。時間帯も分からなかった。暫く起きていたが、もう寝る気にもならなかった。看病人の不在を突いて、短期間の新たな部屋から出た。気付くと地下牢の前で、掌に残る妙な感覚を確かめに空咳と不自然な呼吸音が響く懲罰房に迷いもなく入っていった。蘇芳を見かけたというのに何も頼まれはしなかった。本当に何の用もなかった。分厚い毛布に押し潰されそうなほどに衰弱している三公子の首に求めるがまま両手を重ねた。肩が意に反した動きをした。鎮痛剤は効いてはいるが弱い痺れは残っている。少しずつ力を込めていく。珊瑚の意識は朦朧として嫌がる様子はあるものの大した抵抗にはなっていなかった。どちらの汗かも分からない。喉が潰れていく。掌が知っているのはこの感覚ではない。しかしやめられなかった。か細い呻きが鋭く響いた。手の甲を引っ掻かれる。だが児戯だった。少年の身体が波打つ。掠れた悲鳴が上がり、やっと両手を離した。短い間隔で酸素を取り込み、身を捩って嘔吐えづく。何も吐き出しはしなかった。運び込まれている膳にも手を付けた形跡はなかった。かといって看病されているというわけでもないようだった。吐き気が治まったらしい白い首に痕があった。以前蘇芳に頼まれ持ち込んだ襟巻を掛けた。乱れた毛布も直す。さらに痕を濃くしたいという衝動に駆られた。両手が宙を掻く。
「大…兄上…?」
 鉛玉でも握っているのかと疑うほどに腕を重く持ち上げた。本当に何か吐くような湿り気のある音が喉の辺りで轟いていた。行かないで。行かないで。大兄上。熱病に侵された少年はそんなようなことを言った。懇願に似た寝言を聞かなかった。部屋に帰った頃に桜と鉢合わせ、あれこれと訊かれ叱られた。清純な看護士に向けられる顔がなかった。彼の中の葛藤と不安をひとつ打ち砕けたところで、自身のしこりが癌と化した。いつか三公子を殺してしまう。雄黄を追いやったのは自身だ。懺悔と不安が形を変え、飼い主と飼い犬になる。それは必ずしも主人と使用人に対応したものではなかった。

 雄黄と対面できたのは事件から4日経った後だった。この段階で熱や痺れ、眩暈はほとんどなくなり、城へ呼ばれた医者からは飲み薬が与えられた。すでに離れ家の修繕が終わり、短期間寝泊まりした部屋から戻った。そして桜は杉染台へは帰らず、まだ城に残るらしかった。
 極彩は天藍から指定された部屋までの廊下を歩いていた。途中で藤黄が門番をしているのだとすればどのような嫌味を喰らわされるのかと身構えたが結局その男はいなかった。地下牢に近い大部屋で縹の部屋同様に直射日光の入らない窓の配置で薄暗かった。広さの都合で扉は二ヵ所あった。極彩が開けた扉の先に天藍は背を向ける形で椅子に座っていた。それ以外は何も置かれていない殺風景な部屋だった。照明も点いていない。天藍は項垂れているように見えた。小さな鼻歌が聞こえる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

処理中です...