彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
上 下
100 / 337

100

しおりを挟む
 風呂上りの銀灰は幾分緊張が解れたように思えた。湯気を漂わせながら浴場の感想を述べる。言葉を途切れさせてはならない、そういった切迫した勢いすらも感じられるほどだった。
「それで…」
 だが言葉が詰まった。惑っている。迷いが滲んでいる。もとが素直な性分なのだろう。
「…行くっす」
 両頬を快活に叩き、子犬染みていた双眸が尖る。その面構えが父親によく似ていた。しかしあの師とどう暮らしていたのか、何を話すのか、あまり想像がつかない。
「白梅ちゃん、親父と上手くやれてた?」
 世話係に下がるように言うと廊下に出、後頭部に両手を当てて歩く後ろ姿を眺めていた。同じことを考えていたらしく、鋭さの消えた人懐こい顔が後方へ曲がる。
「どうしてそう思うの?」
「白梅ちゃんはおとなしいじゃん。親父よく喋るから。疲れるでしょ」
「銀灰くんは聞き役に徹してたの」
 正解っす。弾けるように犬歯が現れる。
「わたしの知ってる月白師匠は、怒ってるんじゃないかってくらい静かで、黙り込んでて、こっちで会った時は同じ人だったのか…疑った」
「親父、静かになることあんだ」
 そう言った銀灰が静かになった。
「親父は、子供みたいな人だった。夜中にフツー、寝てる子供起こすっすか?それでも流れ星が見えただの夜桜が綺麗だの雪が降っただのってさ。あの人は両親いなかったから、両親いないなりに自分の思う親父になったんだと思うんすよ。ちょっと他の人たちと見た目も言葉遣いも違うけど、やっぱり父親っていったら、あの親父っすわ。でも、新しく父さんができるから、もう言わないっすよ。最後っす」
「……わたしにも家族はいないし、それで悲しいとか寂しいとか羨ましいとか思ったことないけど…だから血の繋がりがどれだけ安心できて大切なのか分からないけど、たとえ肩書きだけでも、そこから中身を作っていきたい」
 失ってからじゃねぇと言えねっすよ、こんなこと。銀灰は両腕を下ろし、足元を辿っていた。
縹の部屋に近付く前に、不言通りでされたように腕を差し出し行く先を阻んだ。耳を澄ませる。会話している様子はない。扉を叩く。名乗る前に入室の許可が厚めの木板を隔て曇って聞こえた。部屋には木椅子が置き放しになっていた。
「銀灰くんも一緒です」
 机から向いた顔が苦笑に染まる。
「珍しい客人だね。お茶でいいかな。今出すよ」
 銀灰は表情を失って室内を見回していた。極彩は少年を小突く。
「あ、はい!お気遣いなく」
 縹が立ち上がる前に極彩は茶の用意を引き受ける。何十人もが雑魚寝できそうなほどに広い部屋だったが縹が使っている範囲は非常に狭く余った箇所は照明も点いていなかった。室内の隅にある水場で湯と粉末になった茶葉、そして湯呑を準備する。電子薬缶に水を入れていると、すまないね、と縹が言った。張り詰めた2人は背後にいる。極彩のたてる物音が場を支配していた。
「銀灰くん」
 先に口を開いたのは縹だった。相手は血の繋がりはないが息子だというのに遠慮がちだ。
「お父上のことは本当に、」
 重そうに立つ縹は深々と腰を曲げた。
「やめてください、縹サン」
 淡い色味の髪が揺れる。突き放した日が蘇る。置かれていた木椅子に座っていた銀灰も立ち上がり、上体を伏せた不健康なほどの痩身に戸惑っていた。
「ボクの身勝手な計画に、利用した。申し訳ない」
「親父は親父なりの生き方をしたんす。誰かが謝ることじゃないんですって!縹サンは大丈夫なんすか」
 極彩は粉末になった茶葉を湯呑に入れる。電気によって急激に水は温度を上げている。3人は再び静けさに身を浸す。
「何も…ボクは」
「最後まで背負うことになるのは縹サンだって、親父言ってたんす」
 沸騰。湯呑に注がれ、粉末茶葉は溶け、熱湯は濁る。時が流れを止めたのかと思うほどの静寂だったが茶は白い渦を巻いた。
「ボクは何も背負ってなんていないよ」
「…それならいいんす。このことは、各々が各々の分だけ…それがいいんす」
 骨と皮だけの手が銀灰の肩に、文字通り腫物に触るほど慎重に伸びた。
「ボクは君のお父上に言うことは何ひとつない。止めなかった。後悔はない。そそのかしさえした。ただ君からお父上を奪ってしまった。そのことは…そのことだけは」
「親父の人生っすから。似合わないんすよ、互いに足引っ張り合うの。親父の顔を立ててくれてありがとうっした」
 縹は銀灰に触れず固まり、後退るように着席した。
「敵わないな」
 茶を運ぶ。呟きが耳に届いた。
「それで!オレっちは、その、新しい父さんに挨拶しに来たんす。なんかその、白梅ちゃんに途中で会って」
 内心肝を冷やしたが銀灰はどこで会ったのかは伏せ、経緯を話す。おそらく翡翠が報告してしまうのだろう。口止めする必要がある。
「そう、極彩を。ありがとう。ボクからも礼を言うよ。もう遅いけれど、泊まっていくのかい」
 銀灰は首を振った。帰るっすと付け加える。
「馬車を呼ぼう。それくらいはさせてほしい。そうだ、夕餉も食べていきなさい」
 厨房へ促され、銀灰は淹れたばかりの茶に慌てて口を付けて熱がった。

 縹は重ねて礼を言い、呼んだ馬車に乗って銀灰は帰っていく。馬車が消えていくまで縹は見つめていた。
「ありがとう」
「はい?」
 独り言か、誰に言ったのか分からなかった。何か言ったのかと確認のため訊き返す。
「銀灰くんを連れて来てくれて」
「いいえ。連れてきてくださったのは銀灰くんのほうですし、わたしは何も」
「それでも、彼ひとりだったらボクは………。蟠りがあって。彼のことが怖かったよ。踏ん切りがつかなかった。あんなにいい子なのにね。自分の息子にして、傍に置いておきたいくらいに」
 極彩。静かに呼ばれ縹の様子を窺った。だが覗き込む前に頭の上に軽く固い掌が置かれ、乱雑に撫でられた。
「縹さん?」
「君はいつからそんなに可愛い子になったんだろう?」
 揶揄からかい半分といった調子でそう言って縹は踵を返す。
「君もそろそろ。温かくして寝なさいな」
 付き添うなという無言の要求を呑む。
「おやすみなさいませ」
 決まりきった文句を口にして夜に紛れていく背を見ていた。離れ家に戻る。
「翡翠さん。色街のことをは黙っていて」
 雨漏りのように団栗どんぐりがひとつ、目の前に落ちてくる。
「最低な女になります。最低で構いません」
 唇を噛んで拾う。堅果けんかを握った。
 そうだよ?正絹にでもなるつもりだったの?襤褸雑巾って一体誰のことだったんだろう?
 雄黄が敷いて帰った布団を一瞥する。その下に巡り巡って帰ってきた短剣が眠っている。送り主は依然分からないまま。売り払ってでも今は目の前のことをこなしていくしかない。
 忘れないでよ。あの剣が白いのは何のためだと思ってるの。
 布団から目を逸らす。団栗が掌に弱く刺さる。着替えと乾布を持って浴場に向かう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

女性が全く生まれない世界とか嘘ですよね?

青海 兎稀
恋愛
ただの一般人である主人公・ユヅキは、知らぬうちに全く知らない街の中にいた。ここがどこだかも分からず、ただ当てもなく歩いていた時、誰かにぶつかってしまい、そのまま意識を失う。 そして、意識を取り戻し、助けてくれたイケメンにこの世界には全く女性がいないことを知らされる。 そんなユヅキの逆ハーレムのお話。

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

処理中です...