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石へと金平糖を振りかける。色とりどりの凹凸した砂糖の塊がぶつかり、小さな音をたて土へと転がった。表面全てが錆びた髪飾りにそのうちのひとつがあたる。拾い上げ、土を落として供え直す。用は済んだ。礼も謝罪も言えていないが口に出来なかった。すでに分かっている不本意を認め、理解してしまいそうで。終わりではない、諦められない。
「先客かよ」
足音と気配。やってきた珊瑚が言った。身を翻し、すれ違いながら珊瑚の横へ並んだ。小さく畳まれた透き通った袋に入った、透明感のある淡い色の菓子を珊瑚の胸へ押し当てる。干琥珀という和菓子だった。表面は固く、中は寒天質で軟らかい。珊瑚は極彩の手の上から袋を落とさぬように押さえる。不機嫌も憂いもない無防備な顔をした。一度消えかけた姿が面影としてまた浮上する。一度会っただけだったがよく覚えていたのは、一度だけではなかったからだ。その髪とよく似た金の畑を眺めていたことを考えれば、初夏。消えたと思い、消えていなかった記憶。だがその胸中を訊ねることも、今はもう出来ない。しかしこの現状がなければ知りたいとすら思わなかっただろう。
「待てよ…待って」
見てはいけない気がした。珊瑚は不機嫌で、攻撃的で陰湿な表情をしていなければいけないのだ。背を向けたまま立ち止まる。
「ありがとう。きっと大兄上も、喜んでる」
どうだろうか。極彩は頭を垂れただけなのか頷いたのかも分からないほど微妙に首を曲げて離れ家へと戻った。
離れ家には天藍専属の世話係が訪れていた。紫暗は昏い眼差しを向けて対面に座している。極彩が入室したところで緊迫感は一旦途切れた。紫暗は立ち上がり柔和に極彩を迎えるが、天藍の世話係は両手の拳を床に着いて上体を曲げた。
「傷のお加減はいかがでいらっしゃる」
紫暗の眉が顰められ、天藍の世話係を鋭く見下ろす。
「わたしが自分でやったことです。気になさらず」
極彩と天藍の世話係とのやり取りを訝しんだらしく、小さな手が無遠慮に袖を捲り上げたり、顔に触れたりして見分する。
「藤黄殿」
紫暗は非難がましく天藍の世話係を睨む。藤黄と呼ばれた天藍専属の世話係は額を床に着けるまで深く上体を曲げた。
「本当に、気になさらず。頭を上げてください。猫に引っ掻かれるよりも小さな傷です。そんな些事より、何か用があったのでは」
まさか本当に謝りに来ただけなのか。極彩はまだ静かに平伏す藤黄のしっかりした体躯を観察する。不満げな紫暗を宥め、座らせるが藤黄を威嚇したままの態度は変わらない。
「若が、極彩殿を妻にと仰せになっている」
藤黄というらしき世話係はゆっくりと頭を上げる。極彩の言ったとおり、前置きは些事だと言わんばかりの堂々とした、むしろ威圧的でさえある姿勢。
「極彩様…」
「わたしは今、山吹様の付き人です。天藍様ご本人がそう仰せになられました」
藤黄は無愛想で重苦しい顔をさらに険しくする。天藍は確かに、誤解している節があったが、山吹の婚約者を連れ出したことに、珊瑚は自覚が足らないと溢していた。
「ですから、お断りしてくだされ。いくら若の頼みごととはいえ、形式上、極彩殿は山吹殿の許嫁。義妹になられる御方。兄弟で1人の女を取り合うなど破廉恥極まりない」
「まずは天藍様の話を拝聞してからではいけませんか」
「極彩殿…それではお断りなさらない場合もあると?」
藤黄は信じられないと露骨に嫌悪や軽蔑を浮かべた。
「女の身で生まれたのですから、一度きりの人生、国の次期最高権力者に嫁ぐというのも悪くはない…」
天藍は何を考えているのか。心にもないことを並べると、直後に「女狐!」と怒声が破裂した。女2人で過ごした室内に大きく響き、震えて揺れた。地響きだ。爆音だ。耳障りな突然の沸騰に極彩は眉根をわずかに寄せただけだったが、紫暗が膝を立てる。鈍い足音と震動。
「すぐにお断りすれば二公子のお頼みを無下にするでしょう。かといって二公子の頼みごとの手前、真っ先に断る言葉なんてございません!己が立場に盲いられたのでは」
鼻梁に皺を寄せ、藤黄に敵意を剥き出す紫暗の横顔を見上げる。藤黄は肩を張らせて小さく頭を下げる。
「極彩様は傷心しておいでです。今日のところはお帰りください。出来るなら一昨日お越しいただきたい!」
普段の紫暗のきゃらきゃらした声とは違って張られている。それでも精一杯感情的になるのを抑えているらしかった。握られた白い拳が藤黄に振りかぶられるのではないかとそこから目が離せずにいた。静かになった室内で真っ先に音をたてたのは藤黄だった。失礼する、と離れ家を後にする。
紫暗は尻餅をついて、弱く唸りながら項垂れた。
「紫暗」
「すみません、出過ぎた真似をしました」
「いや…」
「大丈夫です、分かってます。山吹様を蔑ろにするつもりはないってことくらい…」
後ろに手を着き、大胆に膝を開いて天井を見上げる紫暗の額は汗ばんでいた。溜息を吐いて、また天井を見上げている。
「ありがとう」
紫暗の隙だらけの腹に透明な袋に包まれた霰餅を置いた。米粒大の素材そのもの霰餅の他に、丸く作られた砂糖で白くされたもの、薄く桃色や緑色に染められたもの、塩や醤油で味付けされたものなどが混ざっている。
「頂戴します」
疲れが消え、円い瞳を輝かせて紫暗は霰餅を観賞しはじめる。余程の好物なのか、藤黄へ向けていた敵意が幻かと思えるほど満面の喜びで霰餅の袋を抱いた。その姿を見てから山吹の部屋へと向かう。昼に空けることが多くなったことを詫びるためだった。城内は忙しなく思えたがいつものこと―、風月王や天藍、その他帯同した者たちが帰ってきてからは普段通りとも思えた。
預けた短剣が盗まれたと一報が入ったのは、短剣を預けて2日後の休憩に入っている時だった。山吹の部屋に置かれた風月国の食文化の本を落としてしまい、拾い上げて撫で付ける。顔馴染みになっていた他の世話係の当番が後は任せるようにと言ったため、腰を上げて執務室へ問い質しに行った。途中で極彩を調べた、肌荒れが特徴的な若い官吏が後ろ手に拘束され目の前を歩いていく。極彩の場合は前でさらには柔らかい素材で拘束されたが、第三者として見ると興味と同時に大きく上回る不快感がある。連行していた兵が極彩の姿に気付き、止めさせる。若い官吏は両膝を折り、斬首され首が力を失うが如く頭を下げた。蒼褪めた顔で鼻を啜っている。床に着けた膝が震えて立ち上がれないため、連行していた兵が腕を引っ張り起こす。物音だけの数十秒感。何事もなかったように若い官吏を囲む一行は長い廊下を進む。
「先客かよ」
足音と気配。やってきた珊瑚が言った。身を翻し、すれ違いながら珊瑚の横へ並んだ。小さく畳まれた透き通った袋に入った、透明感のある淡い色の菓子を珊瑚の胸へ押し当てる。干琥珀という和菓子だった。表面は固く、中は寒天質で軟らかい。珊瑚は極彩の手の上から袋を落とさぬように押さえる。不機嫌も憂いもない無防備な顔をした。一度消えかけた姿が面影としてまた浮上する。一度会っただけだったがよく覚えていたのは、一度だけではなかったからだ。その髪とよく似た金の畑を眺めていたことを考えれば、初夏。消えたと思い、消えていなかった記憶。だがその胸中を訊ねることも、今はもう出来ない。しかしこの現状がなければ知りたいとすら思わなかっただろう。
「待てよ…待って」
見てはいけない気がした。珊瑚は不機嫌で、攻撃的で陰湿な表情をしていなければいけないのだ。背を向けたまま立ち止まる。
「ありがとう。きっと大兄上も、喜んでる」
どうだろうか。極彩は頭を垂れただけなのか頷いたのかも分からないほど微妙に首を曲げて離れ家へと戻った。
離れ家には天藍専属の世話係が訪れていた。紫暗は昏い眼差しを向けて対面に座している。極彩が入室したところで緊迫感は一旦途切れた。紫暗は立ち上がり柔和に極彩を迎えるが、天藍の世話係は両手の拳を床に着いて上体を曲げた。
「傷のお加減はいかがでいらっしゃる」
紫暗の眉が顰められ、天藍の世話係を鋭く見下ろす。
「わたしが自分でやったことです。気になさらず」
極彩と天藍の世話係とのやり取りを訝しんだらしく、小さな手が無遠慮に袖を捲り上げたり、顔に触れたりして見分する。
「藤黄殿」
紫暗は非難がましく天藍の世話係を睨む。藤黄と呼ばれた天藍専属の世話係は額を床に着けるまで深く上体を曲げた。
「本当に、気になさらず。頭を上げてください。猫に引っ掻かれるよりも小さな傷です。そんな些事より、何か用があったのでは」
まさか本当に謝りに来ただけなのか。極彩はまだ静かに平伏す藤黄のしっかりした体躯を観察する。不満げな紫暗を宥め、座らせるが藤黄を威嚇したままの態度は変わらない。
「若が、極彩殿を妻にと仰せになっている」
藤黄というらしき世話係はゆっくりと頭を上げる。極彩の言ったとおり、前置きは些事だと言わんばかりの堂々とした、むしろ威圧的でさえある姿勢。
「極彩様…」
「わたしは今、山吹様の付き人です。天藍様ご本人がそう仰せになられました」
藤黄は無愛想で重苦しい顔をさらに険しくする。天藍は確かに、誤解している節があったが、山吹の婚約者を連れ出したことに、珊瑚は自覚が足らないと溢していた。
「ですから、お断りしてくだされ。いくら若の頼みごととはいえ、形式上、極彩殿は山吹殿の許嫁。義妹になられる御方。兄弟で1人の女を取り合うなど破廉恥極まりない」
「まずは天藍様の話を拝聞してからではいけませんか」
「極彩殿…それではお断りなさらない場合もあると?」
藤黄は信じられないと露骨に嫌悪や軽蔑を浮かべた。
「女の身で生まれたのですから、一度きりの人生、国の次期最高権力者に嫁ぐというのも悪くはない…」
天藍は何を考えているのか。心にもないことを並べると、直後に「女狐!」と怒声が破裂した。女2人で過ごした室内に大きく響き、震えて揺れた。地響きだ。爆音だ。耳障りな突然の沸騰に極彩は眉根をわずかに寄せただけだったが、紫暗が膝を立てる。鈍い足音と震動。
「すぐにお断りすれば二公子のお頼みを無下にするでしょう。かといって二公子の頼みごとの手前、真っ先に断る言葉なんてございません!己が立場に盲いられたのでは」
鼻梁に皺を寄せ、藤黄に敵意を剥き出す紫暗の横顔を見上げる。藤黄は肩を張らせて小さく頭を下げる。
「極彩様は傷心しておいでです。今日のところはお帰りください。出来るなら一昨日お越しいただきたい!」
普段の紫暗のきゃらきゃらした声とは違って張られている。それでも精一杯感情的になるのを抑えているらしかった。握られた白い拳が藤黄に振りかぶられるのではないかとそこから目が離せずにいた。静かになった室内で真っ先に音をたてたのは藤黄だった。失礼する、と離れ家を後にする。
紫暗は尻餅をついて、弱く唸りながら項垂れた。
「紫暗」
「すみません、出過ぎた真似をしました」
「いや…」
「大丈夫です、分かってます。山吹様を蔑ろにするつもりはないってことくらい…」
後ろに手を着き、大胆に膝を開いて天井を見上げる紫暗の額は汗ばんでいた。溜息を吐いて、また天井を見上げている。
「ありがとう」
紫暗の隙だらけの腹に透明な袋に包まれた霰餅を置いた。米粒大の素材そのもの霰餅の他に、丸く作られた砂糖で白くされたもの、薄く桃色や緑色に染められたもの、塩や醤油で味付けされたものなどが混ざっている。
「頂戴します」
疲れが消え、円い瞳を輝かせて紫暗は霰餅を観賞しはじめる。余程の好物なのか、藤黄へ向けていた敵意が幻かと思えるほど満面の喜びで霰餅の袋を抱いた。その姿を見てから山吹の部屋へと向かう。昼に空けることが多くなったことを詫びるためだった。城内は忙しなく思えたがいつものこと―、風月王や天藍、その他帯同した者たちが帰ってきてからは普段通りとも思えた。
預けた短剣が盗まれたと一報が入ったのは、短剣を預けて2日後の休憩に入っている時だった。山吹の部屋に置かれた風月国の食文化の本を落としてしまい、拾い上げて撫で付ける。顔馴染みになっていた他の世話係の当番が後は任せるようにと言ったため、腰を上げて執務室へ問い質しに行った。途中で極彩を調べた、肌荒れが特徴的な若い官吏が後ろ手に拘束され目の前を歩いていく。極彩の場合は前でさらには柔らかい素材で拘束されたが、第三者として見ると興味と同時に大きく上回る不快感がある。連行していた兵が極彩の姿に気付き、止めさせる。若い官吏は両膝を折り、斬首され首が力を失うが如く頭を下げた。蒼褪めた顔で鼻を啜っている。床に着けた膝が震えて立ち上がれないため、連行していた兵が腕を引っ張り起こす。物音だけの数十秒感。何事もなかったように若い官吏を囲む一行は長い廊下を進む。
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