彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 大広間の中心へ出る扉の前へと案内され、更衣室を出て行く。短剣を握る。縹は何もしなくていいと言った。だが討てる。討たなければならない。短剣をなげうつことも出来れば、流れに任せて玉座に跳び直接掻き切ることも。首の切り方は師から習った。実践はしたことがないがこれが最初で最後の実践になる。それとも縹が臆したというのか。短剣を握り直す。途中で大きな音がした。揺れるような大きな音。地震は珍しくない。案内係も驚いたようだったが、風月王と二公子の帰還の花火かも知れませんね、と言っただけだった。
目的の扉までもうすぐというところで大玄関から入ってきた群青を見かける。群青は普段通りの格好をしていた。疲れた様子だったが灰白に気付くと瞠目して歩を止めた。
「極彩様…」
「群青殿、こんにちは」
 群青は片膝を着きはじめ、灰白はぎょっとした。
「此度の花緑青様の件…ッ」
 灰白はやめてやめてと群青の左手を取り、立ち上がらせる。花緑青の粗放に切られた毛先と潤んだ瞳が蘇る。彼女が洗朱地区に無事に帰れるのならそれで良いのだ。あの荒れた地を故郷と呼び、そこへ戻っていけるのなら。だが群青の最期に見る姿がこれか。それは嫌だった。わたしは大丈夫だから。そう言うと群青は一度だけ目を伏せ、区切りがついたようにわずかに口元を緩めた。
「群青殿は出席しないの」
「腕の骨折は不具の者の扱いですので、残念ながら出席はできない決まりがございます」
 群青に会うと日常に戻った気がした。大きく変わったくせ何も変わらずただ遠く感じた目的を追っていた短いはずの根付いた日々に。
「そうなんだ」
「お忙しい中呼び止めてしまって申し訳ありませんでした。ご活躍をお祈り申し上げます」
 群青は礼をして灰白たちが去っていくまで続けていた。胸が重苦しく疼く。やらなければならないと決めたことだ。大広間の扉の前まで来て、大きく息を吐く。どうなるのだろう。やれるだろうか。やれる。やる。やるしかない。情は捨てろ。縹が言ったことだ。紅と約束した。朽葉の厚意を無下にするつもりか。開扉かいひの合図。頷き、大広間の扉が開け放たれる。両脇に座す帰還したばかりの高官や名家の者、帯同した下回り。正面には玉座がある。一歩踏み出す。床の感触を確かめながら。玉座を向いて短剣を腕に添わせ、一礼する。そして舞う。豪壮な布がはためいた。腰紐が揺蕩う。大きく開いた袖が踊る。美しい動きを模倣出来ないまま師は四季国を去った。肘の動きをぴたりと止めて、回りながら剣先を空いた手で止める。床を蹴り、宙で身を翻す。遅れて腰布がひらめく。短剣を放り投げ、側転。身を起こしながら短剣の柄を掴みまた舞う。空間を斬り、縫っていく。焦れを抑え少しずつ玉座に近付いていく。朽葉へ、縹へ、紫暗への感謝。群青との思い出。山吹への後ろめたさと珊瑚への同情。この地で育まれたものはあった。全てを無にすることが不可能だと分かっていながら爪痕を残すとしても譲れなかった。振り返り玉座に背を向ける。舞いを続ける。近付いて、近付いて、距離を詰める。その時、目の前に白い物が投げ込まれ短剣で薙ぎ払う。一瞬見えた折鶴の刺繍。軽快な音を立てたのは別の物だった。藤の花を模した簪。見覚えのある手巾と簪。視線を玉座から外したその隙を突かれ人影が大きく視界に入った。白い髪が弧を描く。仮面を付け、男性的な体格をしている。灰白は剣舞を止めそうになったが無理矢理振りを続け息を飲む。誰かが仕込んだ手合せの相手かもしれない。だが周りの反応が妙だった。
「風月王をお守りなさい!」
 静寂を割った縹の怒声に灰白は肩を跳ねさせて灰白は短剣を構えた。白髪に仮面の乱入者は苦無くないだけを手にしていた。乱入者が先に灰白を襲った。高い音が鳴る。苦無と短剣がぶつかる。打ち合い、玉座のある方へ背を向けたまま押されていく。迫合せりあいながら押し負けると苦無が離され、反動で転倒しそうになった。全ての動きが遅く感じられたが、乱入者はとどめを刺さず後方転回する。距離がとれると周りの情報が少しずつ入ってくる。雛壇の直前まで来ていた。短剣を構える。乱入者は両脚を前後に大きく開き、腰を高く上げ、前傾する。そして床を蹴った。灰白は背後から引っ張られ、置いてあった膳の上へ倒れ込んだ。金属音と金属音が擦れる、耳を劈くような高い音。天藍が玉座の目で乱入者の苦無を受け止めている。珊瑚が受け身も取らずに身体を打った灰白を助け起こした。
「大丈夫か、あんた…」
 返事も忘れて仮面の乱入者を見つめた。変だと思った。乱入者は自身より長い得物を構える天藍を警戒しているらしかった。白い髪。それだけだ。乱入者は苦無を握り直すと天藍へ向かっていく。圧倒的剣捌きとしなやかな身の熟し。素人どこか半端に剣技に長けている者ではない。刺される。灰白は目を覆う。乱入者は天藍の脇腹に蹴りを入れた、直後に耳の奥が破裂した。痛みはない。心臓が軋む。ピーと頭の中で聞こえているのかいないかもはっきりしない小さな響き。忘れていた呼吸。鼻をつく焦げ臭さ。音が無い。だがある。舞衣装の乾いた音がする。珊瑚の呼吸の音。山吹が漏らした微かな声。官吏の中に蹴り倒された天藍が起きる音。耳と鼻が思ったように機能しない。床へ転がった乱入者から広がる血溜まり。瞬きを忘れ視界がぼやける。風月王の長い黒絹の下から現れた黒光りした短い筒。耳の奥がまだ軋んでいる。仮面が外れ、知った顔が現れ、勝手に身体がそこへ向かう。あの者を知っている。走り寄ってしまう。しかし横たわった乱入者の前にもう1人、仮面の刺客が現れる。渦巻きが描かれた小柄な刺客。苦無を構え、灰白の行く手を阻む。ひっ、と息の仕方を誤った。
「逃げなさい!」
 朽葉の声。渦巻きの仮面の意識が灰白から外れた。行ける。灰白は駆け、短剣をぶつける。苦無が首の真横に入り短剣を遮った。早く決めなければ、師が。灰白は自身に構うことなく我武者羅に短剣を振る。早く決着しなければ。師はどうなる。小さな苦無に短剣は弄ばれていた。小さな身体の奥の横たわった姿しか見えなかった。
「ごくさい」
「おやめください!」
 山吹の叫びの直後に縹の声が響く。風月王の黒絹の下からまた現れる黒光りする筒。苦無に弾かれる感触が消える。灰白は隙を突かれたと思った。跳んだ刺客の腹へ白い刀身が消え、柔らかいが確かに質量のある肉感が柄から掌、手首へと伝わった。から、から、と床に軽快な音がいくつか鳴った。赤みの強い石。小指の爪ほどの小さな石が床に散る。突き立てた刀身から赤い水晶が漏れている。抜こうとして添えられた刺客の手はむしろ引っ張っているように感じられた。ひと1人殺せず、仇など討てない。縹は哂うだろう。何も躊躇うことではない。
 小柄ながらも1人分の体重をかけられ、灰白も膝から落ちた。大広間の扉の門が開き武装した兵をつれた群青が逆光して見えた。手にした短剣を放すと刺したままの肉体が床にぶつかった。首に大きな傷が走り、仮面の下へと走っている。この傷跡に見覚えがある。
 複数の足跡が近付いて、灰白ごと2人の刺客を囲む。
「お知り合いですか」
 群青の低い声に灰白は顔を上げた。怒りと落胆。誰に訊ねたのかも分からない。口を開きかけて、腰紐を力強く引かれて閉じた。小さな手が腰紐を引っ張っている。
「極彩様」
「極彩!」
 群青に冷たく呼ばれ、そして縹が武装兵の囲いを割って灰白の元にやって来たが、群青に合図された兵によって縹は近付くことを許されなかった。
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