上 下
108 / 174
創作リアタイgoo.ブログからの転載

基本的に作者が明言した方が楽でゎある。 2022.1.1

しおりを挟む
ハッピーエンドなのか、否か。

 内容からガチ考察かます受信者と、自分の経験や見聞きしたことから可能性を含めて観る受信者と、観たまま記号的な描写のみで解釈する受信者、他にも多分ぱてぃ~んはある。作り手も知らない別の意味合いのある描写を、受信者は"作り手はそれを意図して描写した"前提で読み取ることもあるのかも分からん。
 つまり、作者からすると「そんなことあーしも考えてなかったんだが!??!」みたいな。

 書評と読書感想文とレビュー(推薦文)の違いがなんとなぁく線引きできても、実際書かれているものにはそれら3つが混ざっているものもあって、だからこれは書評&感想文/推薦文として正しくないというわけではないのでしょうが。レビューのことを推薦文って表現しましたが紹介文ともいうんですかね。紹介文というと内容教えてるような意味合い、別にないですけれど、あらすじとかのことも指す意味を含みそうなので推薦文としました(めっちゃ読みづらい文章)


 で、わたくし的には自分の創作は、あまりハッピーエンドとかバッドエンドとか、メリーバッドエンドとかなんちゃらかんちゃらエンドとか、実は明言したくない。
 そこは各々の読んだ人の経験や価値観に基づいてくれ、って気分なんだが、同時に作者わたくしではなく読者わたくしは、周りの解釈と一致してないとなんかヤだっていうのがあります。たとえば、「他の人たちはこのキャラクターが不幸になって終わったんだ」って思うとキチい。細かく見ていくとヒントが散らばっているけれどあからさまに記号的に書かなかったり、記号的に書いたせいでそっちに意識がいって、実は真反対の解釈をしていた、ということがわたくしにもあります。暫く経ってガチ考察しているブログに辿り着くまで、反対の解釈だったという……

 ただそこまでガチ考察しないし、書かれたままをそのまま流れで見ていってそこまでのめり込まないって受信の仕方もあるのよ。

 今急に思ったんですけど、受信って表現、変ですね。ただ読むとか観るとかだとなんか表面的で、悪いことではないんですけど、わたくしがここで言いたいのは自分の経験や価値観に絡めて消費するニュアンスを言いたかった。あと今はわたくしは文章創作のこと言っているんですけど、各々の中での置換というか例え話がアニメや映画だと読むではなくて観るという動詞に変わるから。広義的に枠を取っておきたかったという欲を張っての受信者という表現です。眼球耳より脳味噌にビビビって感じで。

それはそれとして。
 だからなんとなく頭からっぽにして感情の振り幅もなくみるやつです。これdisりに聞こるかもなんですが、わたくしはこういうやつのほうが好きだし観ます。感動も感情移入も没入感も投影もカタルシスも疲れるし避けているし苦手です。面倒臭い。哀れむのも怒るのも、そうじゃないだろ!となるのも、こっちに勝ってほしい、どっちが勝つの?みたいなの、わたくしは苦手。観てられない。疲れる。

 作者わたくしとしては踏み込んで読んでもらえて、このキャラクターはこうなんだろうな、ああなんだろうな、と考えてもらったら嬉しいんですけど、同時に、キレられても困るんですよ。
 ある意味、そこまで踏み込まず、そんな話だったんか~くらいで明日にはキャラクター名も忘れられる読まれ方する方がまぁまぁわたくしも気楽なところがあるのは否めない。

 コイツと付き合って欲しかった、みたいな感想とかも欲しいですけどね(コメント欄基本全閉じ)
 コメント欲しい人もろくに貰えていないのに(そういう数的証拠はない)、コメント欄全閉じしてるわたくしがコメントくれと言ってマジであらゆるルート探してきてわたくしにコメントくれるって、本格的ガチアンチでないとできないでしょうけれど。
 ツイッターか自サイト掲示板かnote辺りならまぁまぁコンタクト取れるは取れますが。


 と、さも高尚な創作をしていて、めちゃくちゃ読まれてるげなことを匂わせたのはイキりでありフカしです。実際はわたくしの夢見ちゃんと理想です。
 ストーリーが破綻しているのか否かも自分で分かっていない程度には好き勝手やってしまったので。楽しかったのでOK。まずはわたくしが楽しむ。これが7割。
 あんまり、他の人の声みたいなのがモチベーションにならないタイプの人だってことが分かったので……完全にモチベにならないワケではないが。


 で、また何を書きたかったのか忘れるところだったんですけど、なんとなく話をそのまま受け取る受信の仕方について若干disっぽくは書いてしまったのですが、こういう受信の場合、ハッピーエンドなん?バッドエンドなん?っていうのはもう明言されていたほうが楽なのよな。もう一度見直したら、ハマりそうで怖い。ハマるのは疲れるからね。

 ちなみに同じ作品について色々な見方があるという話(作品Aには人によってaの見方、bの見方、cの見方をする)で、この作品はこうだから頭からっぽにして観られるという話ではないので、作り手でどうこうできることではなく、=その創作が空っぽという意味でもなく、完全に受信者ガチャです。ガチャっていうとアタリとハズレって感じですが、作り手がどういう見方をされたいのかという話に於いてのことで。アタリ・ハズレというか、該当か不該当かということですね。

 そこまでお気遣いしてご配慮する必要はないんだけどさ。いい人キャンペーン、ポリコレ・コンプラ的に正しい人キャンペーン、正しさキャンペーンしてもろくなことにならないので。

 読み返したら意味分からんな。つまり小難しい話を一通りみたけどあれはハッピーエンドってことでよかったんか?という迷いがダルいので、明言されてたほうが楽っちゃ楽な見方もあるって話だけど、それを作品の冒涜ということになるのならわたくしは冒涜者の考えを持ってもいます。
 作者わたくしは各々の経験と知識と価値観と妄想力で各々に任せたいんですけど。
 だからつまり、各々の解釈に任せます、明言しない、受信者にお任せなのは無責任だ、という記述を真に受けてしまったということですね。
 相変わらずわたくし、何が言いたいのか分からん。言いたいこと伝えられること書いているのか自信はないです。


※追記…書評のくだりの本題を書き忘れたのですが、だから作者の歴作がこうだからこれもこうだと言える、思われる、的な論証になり得るよなってことが言いたかった。

***
2022.1.1
しおりを挟む

処理中です...