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読書感想文というには散らかってるかもなやつ

蜘蛛の糸 感想 2014.1.29

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(2014年「日本文化史」という講義に提出した感想文)


 私は幼い頃から、地獄の絵本が好きでよく読んでいた。それから、葬儀など以外では仏教らしいことはしないような、無宗教に近い家だが、ある日母が仏教の本を買い与えてくれた。非現実的な残虐なものが好きだったのかもしれない。地獄のページを読み返したものだった。現実的な両親のもとで育ったせいか、私に地獄や極楽の概念はなく、死後は空というように理解しているが、地獄や天国という話は変わらず好きだった。
 私が地獄といってまずでてくるのが、芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」である。初めて読んだのはいつ頃だったのかは覚えていないが、やり切れないような、妙に不愉快な気分になったのは覚えている。改めて思うと「不条理さ」による恐怖だと思う。私が見た仏教の本の地獄のページは寂びたような緑の濃淡と白でデフォルメされた図があった程度で長い解説をきちんと読むことはなかった私には、あまり重く受け止めることができなかったのかもしれない。しかし授業でみた地獄の絵画は画面に赤い血が映えていた。こんな状況の中で、私の記憶では、主人公と思しき男は血の池地獄に落ちていたと思うが、そこから救いの手が差し伸べられたなら、誰もが縋り、助かりたいと思うと思う。それなのに、まず中途半端に主人公と思しき男を助けようとしたことに腹が立ち、それから「自分1人でも助かりたい」という気持ちを砕かれていることに不条理さを感じた。まるで全員助からないのなら全員捨てる、といっているようだ。
 こうした「自分だけ助かりたい」という気持ちを極楽浄土は罰しているのか、と解釈した。
 そもそも地獄に落ちるようなことをするな、と伝えたいのか。悪いことをしたのなら徹底的に悪人になり、小さな蜘蛛を生かすこともするなというのか、地獄について自分だったらどうするかということを考えさせられる作品であった。助かるかもしれないという希望をちらつかせておいて、絶望に突き落とす。蜘蛛を生かしたことが仇になっているような気がしてならない。
 自分だったらどう助かるか。助かるために自分を正当化している。仏教とは優しいようで、甘くはなく、厳しいものなのだと思った。

2014.1.29

2019.11.3 当サイト掲載
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