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読書感想文というには散らかってるかもなやつ

小説【仮面の告白】 感想

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仮面の告白 感想。

☆理由
 大学時代に遠藤周作という作家(名前くらいしか知らん。「沈黙」?)の弟子のひとりという作家を講師に迎えた講義を受けたことがありまして、なかなか辛辣なものでしたし全体的な関わりはあれど個別的な関わりは一切なかったのですが、それでもわたくしのその後の創作には大きく影響したな…という。案外影響を受けるのって自分の中では大きなものからではないことのほうが大きいかも。
 「仮面の告白」はこの講義でも何度か取り上げられまして。批評でしたが「とにかく文章が飾りだらけ」というような表現のされ方をしていたような。文章が飾りだらけってどういうことだと思い、そのまま講義の終わりに学生生協でまさかの売っていたので買いました。

☆感想
 上述の通りに確かに「飾りだらけ」なんですよ。暗喩と比喩、詩的な情景・人物描写というのかな。それから表現が回りくどい。なんとなくこういうことかな…?っていう、小難しい文章なのにどこか共感してしまう部分があるおかげで伝わるというか。例えば多分だけどわたくしの解釈的には「後ろめたい」ということをいうのに使用頻度の低い表現の仕方や語彙を活用したりなど。生々しく性生活にまで触れている。
 感想という感想がなくて、というのもわたくしが感想書くとかなりこの作品を下品にしてしまうんですわな。たとえば自分の性的嗜好が世間が当然としているものと合致していなかったこととか。それは別にわたくしと重なることでもないですし、わたくしは現段階で多数派である自覚・自認はあるのだけれども、ただやっぱり世間的な同年代の多数派の中のさらなる多数派からは善し悪し関係なく外れてしまう…というのも結局比べられるものではないから、これは独断ではあるけれども。それは趣味にしろ価値観にしろ力量にしろ肉体的なものにしろ、思想にしろ立場にしろ。とはいえ結局は自分以外を記号化した時の見方でしかないのだけれども。
 「仮面の告白」は作者:三島由紀夫の自叙伝でして、彼は同性愛者…なんですかね。1人の女性に美しさや愛情というか情?を感じても、情欲とか興味とかそういうのを感じるのは男性なんですよ。そういう点から同性愛者ではあるようなのですけれども、わたくしがはっきりと断言しなかったのは、そこにリョナラー的な要素が入るというか(こういう表現をしてしまうから下品になる)、退廃的な要素も入り込んでくるというか。客観的な嗜虐心を持ちつつ被虐的な想像を持って自己投影というか感情移入をしてしまうというか。何言ってるか分からないんですけど、わたくしの表現でいうとそんな感じで。
 ドストエフスキーの1巻300ページ~700ページある小説を読んだからか非常にページ数は少なく感じられたのですけれども、あまり本読まない人からするとページ多いかな。長さでいえば読み易いけれども、「飾りだらけ」とプロ(多分)作家からもコメントされていただけに乱立された比喩や言い回しが、自分の中の理解しやすい概念と文章を結びつけるのが難しいかもしれない。

 しかし4年くらいかけて読んだわけだな。ある程度読んで暫く放置していたから。

 ちなみに作中で初めて三島大先生を自慰に目覚めさせた絵画がグイド・レーニ「聖セバスチャンの殉教」(聖セバスティアヌスとも)なのですが、わたくしは同テーマのソドマの「聖セバスチャンの殉教」のほうが好きだな。これは日常ブログからの引用ですが『男の子の人形を裸に剥いでテープで部屋に飾るという幼少期からの癖があったので、この絵というか「聖セバスチャンの殉教」というある意味ではひとつの「ジャンル」とも呼べそうな絵に出会った時に、あの癖は特に不自然なものではないのかな、と。』。この部分が、性別も時代も境遇も違うけれど、先述のなんとなく重なると思った理由であり経緯。こういうことかな…?っていう解釈のアプローチというか。

 2019年6月25日読了。


2019.6.26
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