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嵐(某J事務所の)「Love Situation」と母の話

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 某J事務所のアイドルグループ嵐の曲に「Love Situation」というのがありまして、権利の問題で歌詞書けないのでなんとなく流れだけ書くと、好きな子からデート誘われて舞い上がってHIGHになってしまう人の歌なんですけど、まぁかわいいんですよ。他の曲より没入感あるというか地に足ついているというか、派手さはないけれども堅実な感じのある歌です。

 今から4、5年ほど前に一時期母が車内で嵐の曲をよく聴いていまして。ファンってほどではないです。どちらかというとdisり愛という感じでした。相葉ちゃん以外は。相葉ちゃんのことは好意的だったみたいです。
 嵐は父もよく聴いていたし、嵐の出ている番組を観ていることも多かったです。


 「Love Situation」は普通に曲調も可愛らしくて穏やかに明るくて好きなんですけれども、歌詞ですね。以前母からなんとなくこの曲が好きだと聞きまして。わたくしは今から5年前の夏に教習所に(結局居心地がよく感じてしまった)いたのですけれどもその期間中に母の送迎車の中で嵐のウェルカムなんちゃらパーティーという曲が印象的であれを聞くとクーラーの効いた車内とカンカン照りで眩しい地元ってイメージが脳裏を過るのですが、もう「Love Situation」が上回りましたね。一番好きなのは「きっと大丈夫」とか「Step and Go」なんですけれども、思い入れでいえば「Love Situation」です。

 わたくしの兄は障害者でして。精神障害者です。発達障害でアスペルガー症候群です。この辺りのカテゴリ分けは何度繰り返されてもわたくしは結局把握しきれませんでした。
 母はそういう子を持つ親たちのサークルみたいなのにも入っていまして。ただ知的障害はないので、そのサークルではそれは少数派だったらしく当たり風が強かったりはしたみたいです。そんなようなことは聞きました。とはいえ知的障害がなかったために、「この子は変だ」と思い始めた母の懸念は無視されたというと聞こえが悪いですが、特別支援学級に入れるつもりがあったにもかかわらず、結局は教室に入ったわけです。(普通と書くと角が立ちますかね?)しかし結局いじめに遭うわけです。一部の男子から。骨折したこともありました。おっかないですね。
 少しずつ、なんというかこれも角が立つ書き方ですが行動というか動作というか仕草は少なくなっているのですが、酷い時にはもうただ笑うしかないということもありました。本当にもうおかしくて笑ってしまうんですよ、諦めの草(wwwのこと)を生やすしかないんです。

 という話が大前提にありまして。不幸という不幸はわたくしありませんでした。不満はあれども。だから不幸自慢だとか波乱万丈アピがしたいわけでもなく。なんなら平々凡々な特筆することがないくらいの日常を送っていたくらいです。

 話を戻します。

 母がこの「Love Situation」に、の日常を馳せていたのですわ。平々凡々な男の子というやつです。以前、母は息子の(つまりわいのお兄やん)ことを「自分の罪」みたいなふうに言っていました。それは兄を罪だとか障害を罪だと言っているのではなくもっと比喩的なものというか。鏡像みたいな感じですね。自分に似ているとかそんな感じの意味合いです。かなり語弊があるでしょうけれど、こういうのは上手く読み取らないと…額面通りに読み取ったほうがダルかったりしますからね。

 3年くらい前に障害者施設で大量殺人が起こりました。障害者は社会にとって必要ないと。それに賛同する者の多いことが社会の闇だと論ずるツイーヨも目にしました。

 腹の中にいる段階で重い障害が分かっているのなら産まないことに肯定的だという意向を何度かこのエッセイでも示してきましたが、生まれてきた・すでに生まれている命に関してはまったく別の意見ですよ。
 それにここで大切なのは現段階ではそういった重度の障害を持っていないわたくしの立場からいって、注目すべきは障害者か否かではなく家族か否かです。わたくしは兄が兄でなかったなら関わりを持とうだなんて思いません。話も合わない空気も読めないうだうだうだうだ弱音ばかり垂れて口を開けばでも・でも・でも・できない・やれない・無理の人と、そもそも別個体と積極的に関わり合いたくないわたくしが上手く釣り合うはずがないんですよ。でも兄だからですよ。兄だから、家族だから私物全部捨てられても結局許せなくても一定の距離感を保つしかないし、帰省すれば他人行儀とはまた別としてそれなりの気を遣うわけです。先行するカテゴリが「障害者」というよりまず「兄」になってしまうわけです。結局兄でしかないので、わたくしの気分次第で、兄の症状次第でいつでもこの先行するカテゴリは移り替わるわけですが。

 話を戻すんですが、この「Love Situation」に母はもしかしたら、障害者ではない兄の日常を馳せていたのかと思うわけです。「障害者でない兄」をわたくしは想像できないのですけれどもね。兄の障害が明確になったのはいつかは分からないのですが、わたくしは小さい頃から自分のことしか見えていなかったので、兄妹で互いに一人っ子とひとりっこという感じだったのだと思います。兄が「兄妹」というものの認識を持ったのも最近なんじゃないかと思いますわ。大学卒業のはがきを送ってきたり(郵送親に代わってもらった時に住所把握されたのが嫌)、買い物帰りに寄った喫茶店のコーヒーゼリー土産にしてきたり(コーヒー摂ると寝られない)、発狂してたのにわいの風邪気味の姿見た途端に母親に「わいがヤバい」って鬼LINEしたとかなんとかで(適当に風邪といっただけで片頭痛)。空回っているから完全な感謝とは言い難いんですけれども。

 
 語弊や誤解や曲解はあるかもしれませんけれどもね。差別的であるといわれたなら否定できません。自身の差別意識と戦うのは楽ではありませんし簡単に決着するものでもない。



2019.5.26 
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